2024年09月22日
21からの続きです。
ごめんなさい寄贈のニプロ製透析器4台のヤンゴン到着、通関にメドがたち、それに合わせて2001年2回目の出張訪緬になりました。
約一週間のヤンゴン市滞在です。まずは、ミャンマー保健省(以下MOH)のInternational Health Division(以下IHD)のペー課長にご挨拶と、FAXでやり取りしているMRIのこととかの相談を。
その後は、東京のミャンマー大使館のアンナン大使(元ミャンマー軍の軍医)から、ヤンゴンの軍病院を見学してきなさいと言われたことを言うと、びっくりされ困惑されているように見えました。そこで私は、”このアポはすでに取れています。課長にそのようなことをお願いするものではありません”というと安心されたようでした(笑)。同じ医療、病院でも、軍との繋がりはないようですね。
その後は、今回の滞在中に訪問する国立病院の訪問許可をお願いしました。
ごめんなさい寄贈の4台の寄贈先は、ヤンゴン総合病院(以下 YGH)2台、サンピア総合病院(以下 SGH)1台、マンダレー総合病院(以下 MGH)1台です。この3病院は全て医科大学の研修病院でおあります、日本的に言えば大学附属病院ということになると思います。そして、全てに小児科がありません。小児科は小児病院という専門病院にて対応しています。
この2001年時点では、ミャンマーには以下の4つの医科大学があります。
ヤンゴン市 ヤンゴン第一医科大学(以下UM1)、ヤンゴン第二医科大学(UM2)
マンダレー市 マンダレー医科大学
マグウェイ市 マグウェイ医科大学
監督省庁は、保健省で文部省ではありません。医科大学受験は、高校の最終学年で全国統一テストがあり、その得点で決まります。得点が足りた場合の進学先はその生徒の居住地で決まります。一度保険省の職員(医師)に ”ならヤンゴンに住んでいるよりマグウェイに住んだ方が合格しやすいのでは?”と聞いたことがあります。その返答は、”まあそんなに違いはないよ”でした。本当かなってことは思いましたが、ヤンゴン、マンダレー以外の地での受験勉強には難しいものもあるようですね。
まずは、YGHを訪問しました。
院長に面会して、挨拶を。院長にはもう数回会っています。院長からは”新しい透析器をありがとう!”とお礼を言われまし。
透析室のチダ医師を訪ねます。そこには寄贈したニプロ製の透析器がありました。ここに至るまでに数回この透析の部屋を訪ねています。そこを仕切る看護師長さんは以前は少しつっけんどんの対応でしたが、数回の面会と新しい透析器で対応が違いました(笑)。まあ、チョコレートなどの土産も効いていると思います。
前回の時に感じたことがありました。それはこの透析室にある透析器はデジタル的な透析器ばかりで、最初にD会が持ち込んだ透析器は、アナログメーターとかつまみを捻って色々調整するものでした。なので、ここのスタッフの反応は悪かったように覚えています。つまり”めんどくせー”ということだと思います。
でも、今度のニプロ製は現行器ですから、ちゃんとデジタル表示になっていますし、オートのような機能もありましたので、皆さんはホッとしているように見えました(笑)。
チダ医師からは、透析器(使用できる)が3→5台になり、RO器(浄水器)もキャパが10台の物になり大変喜んでいらっしゃいました。3台の時はキャパ不足で私立病院に行かざるを得ない患者がいたけど、私立病院は透析代が高額なので患者は助かるよと言っていただきました。患者が増えたことに驚きましたが、この寄贈が役に立ってるっていうことで嬉しかったですね。
そしてMRIのこともあり、YGHのミンチュー医師(UM1の教授で、ミャンマーの放射線科の一番)に初めてお会いしました。そのミンチュー医師にYGHの放射線設備を見せていただきました。8台くらいレントゲン機(単純撮影)がありましたが、30年以上も前のものも。MRI、CTは近くの新ヤンゴン総合病院(以下NYGH)にあり、このYGHにはなかったです。
このNYGHについては色々書くことがありますが、それは少し後に書きます。YGHとNYGHは基本的には二つを一体として運用しているようです。NYGHもUM1の研修病院です。
ミンチュー医師とは計画中のMRIについてお話ができました。そしてこの後は強いつながりが出来ていきます。
SGHを訪問しました。
以前の院長はNYGHに転任され、新しい院長のジャノウ医師と初めての面会です。この後、D会は色々寄贈するのですが、YGH、NYGHは色々な国が援助しているので、YGHについてはそれらの大きな支援に任せて、なかなか支援が届かないSGHを支援していこうことがD会のミャンマー関係者で決めていました。
UM2の研修病院としては、ヤンゴン市北部の北オカラッパ総合病院の方がベッド数も多く病院としての位置付けも上になります。ただSGHの方が建物が新しいのでMRi、CTなどの大型機材はSGHの方が適していると思います。ちなみに、SGHはサンピア総合病院ですが、サンピアの意味は”新しい”ということだそうです。
透析器については、担当のウィン医師とお話を。ウィン医師はUM2の腎臓内科教授です。
ウィン医師について少しばかり。
ウィン医師の旦那様はミャンマーでは大変著名な循環器医師のアン医師です。かなり厳しい先生で、私の友人のチュチュ口腔外科医に言わせると、”アン先生は怖い”でした。
ウィン医師は序列的にはミャンマーで2番の腎臓内科医です。1番はMOHのDepartmennt of Medical Reseachのパイン・ソー医師(以下ソーさん)となっています。1番と言うのは、UM1の教授だからです。ただ、ソーさんは当時のミャンマー国の1番のタンシェ議長の甥ですから忖度でもあったとは思います。
ウィン医師は腎臓内科医ですが、毒蛇に噛まれた時の対処にも精通された方です。ウィン医師からは”Snakebite”という言葉を初めて聞いた時はなんのこっちゃかわかりませんでしたが、多くの写真を見せられて説明していただいて”蛇に噛まれること、蛇に噛まれた傷”ということが分かりました(汗)。
日本には毒蛇は少ないですが、ミャンマーには蛇は多く毒蛇もそれなりにいることもウィン医師と会って知りました。D会の医師たちにも、透析器が毒蛇治療に有効であるということはあまり知られていませんでした。つまり、我々の寄贈が我々の思いとは違った毒蛇に噛まれたことへの治療に大いに役立ったということでした。
ウィン医師からは、ヤンゴン市内のサッカースタジアムで毒蛇に噛まれた人もいると聞きました。また毒蛇の治療には血清療法になるようですが、その場合毒蛇によって毒の成分が違うので噛まれた蛇がわからないと適正な結成を選べないので、噛まれた蛇を覚えてないといけないとか。それを聞いて思ったのは、そんなん無理!でした(笑)。WHOの支援のSnakebite対策のポスターもあり、農作業の時には長靴を履き魔性というのも見ました。
これらのことにより、私はウィン医師のことを、”ヘビのおばさん”と本人以外の時に使っていました(笑)。でもすっごくいい関係になり、SGHに行くときは絶えずウィン医師を訪ねていました。すると、彼女からは毎回ミャンマー産の石をプレゼントされました。翡翠とか色の濃いルビー(多分)とか。私もカミさんもそれらに興味がないので家で眠ってます(汗)
長くなってしまいましたので、この2001年二回目の出張訪緬については事項に続きます。
23に続く
Posted at 2024/09/22 10:27:10 | |
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ミャンマー | 日記