前々回のブログで紹介した
「アルファー1500 スポーツクーペ」
話を聞いた周囲の方からの
「絶対に世の中に発表すべき!」という御意見もあり
メディアに乗せて広くお知らせ出来るように本気で調査していこうと思っています。
このみんカラでも随時発信していきたいと思います。
今回は製作者の太田祐一さんという方について
皆さんにも少し知っていただこうと思います。
その時代の日本の自動車界の重要人物であったことは前に書きましたが
調べてみるとシャシー設計からボディのデザインそしてそれを自分で組み立ててしまうという
殆ど聞いたことがない事をしていた凄い人だったということがわかってきました。
旧車に興味のある方ならご存じの方もいらっしゃると思いますが
昔、ダットサンと共に日本を代表するオオタというブランドがありました。
その「オオタ自動車」の創業者太田祐雄氏の長男として大正2年に誕生
若い頃からボディの設計や製作をされていました。
それだけでは無く自らデザインしたレーシングカーで
かつてあった「多摩川スピードウェイ」でのレースにも出場して大活躍されたそうです。
戦後、品川に「ワイドフィールドモータース」という会社を興した太田さんは
そこで「フェアレディ」の源流「ダットサンスポーツ」を設計しました。
フェアレディZの父と言われているのは片山 豊さんですが初代フェアレディの父は
太田祐一さんと言ってもいいのではないでしょうか?
その後会社を「アルファモータース」に改名し、関係を深めた日産の試作工場として
フェアレディやセドリックなどのプロトタイプを製作
そして昭和36年には件の「アルファ1500スポーツクーペ」を設計、製作し
翌年の昭和37年に完成となったようです。
この段階で太田さんはこのクルマを試作車として月産4,5台のペースで
量産するつもりだったということですが、何故かはわかりませんがこの年
突然会社を畳んで日産自動車に入社されたので「アルファ1500スポーツクーペ」は
この世に只1台のワンオフになってしまいました。
その後昭和42年までプロトタイプの設計、試作、チューニングなどを担当されたそうです。
自動車一筋の半生を送られた太田さんですが
晩年は伊豆に隠棲し仏像の彫刻に没頭されたということです。
1998年没
太田さんが約1年かけて丹精を込めて作ったクルマ「アルファ1500スポーツクーペ」
今何処でどうなっているのでしょう?
父は私の知る限りではそれ程クルマに詳しくはありませんでした。
何故、太田さんと知り合ったのかはわかりません。
太田さんご自身の当時の記事で「初対面で依頼された」と書いてありますが
そんなことがあるのでしょうか?
謎ばかりの話です。
写真はすべてSUPER CG 07号から
Posted at 2016/02/13 15:03:15 | |
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