今日は休み~。
これと言ってする事もないので(←オイ!)昨日の日記の続きでも書いてみようかなと思います。
「山本塾」が毎年7月に入ると「研究生(笑)」と呼ばれる自分が住んでる町内の小学校4年生以上の子どもたちを中心に、地元上越市の直江津という地区の夏祭り「直江津祇園祭」の和太鼓の技術をMMC山本がボランティアで教える塾と言う事は事は昨日の日記に書きましたが、自分の日記を読んで下さる読者の中には「そもそも『山本塾』ってどんなトコなの!?」と言う方々もおそらく多いかもしれません(本人が勝手にそう思っているだけかも・・・)。
DOCUMENTARY OF MMC山本 STORYのカテゴリー選択の中に「魁!!山本塾(笑)」と言うカテゴリーもありますが、ココでは「そもそも『山本塾』ってどんなトコなの(!?)」という話を簡単に書いてみようかなと思います。
いまから9年前の2006年の事。成人式を終えて?ヶ月が経過した当時20歳だったMMC山本の下に3人の研究生(笑)の子ども達(この子ども達が第1期生でした)を迎え入れた当初は、頭文字Dで言う所の「東堂塾」みたいな所を目標にしていました(大笑)。

ところが、自分の性格と言うか、キャラクター(笑)がそれに合っていなかったためなのか(?)、前述の「東堂塾」ではなく、「秋名スピードスターズ」のようなノリの塾(笑)になり、現在に至るのですが、いま考えてみると、コレはコレで良かったんだろうなぁ~と思っています(激笑)。

これまでの「山本塾」をふり返ってみると、前述の「東堂塾」みたいなスパルタな環境(笑)にしてたら、自分の下に付いた研究生(笑)の子ども達から「鬼教官」なんてアダ名を付けられて怖がられただろうし(笑)、PTAの保護者からのクレームも多かったかもf(^_^;
これとは別に、和太鼓の教官であると同時に(血のつながりこそありませんが・・・)父親的な存在(?)役割(?)として「悪い事は悪い」とか、「ダメな物はダメ」と言う事もあれこれ教えたり・・・って、コレじゃオレ、何か俗に言う「世話焼きオジさん」じゃねぇ~かf(^_^;
~と言う感じで1人でも多くの子どもたちに和太鼓の技術を習得すると同時に、山本塾の研究生(笑)を経て、健全な青少年になってほしいと思ってはいたものの、少子化・・・もとい、時代の流れには勝てませんでした。
この10年をふり返ってみると、途中経過には様々な紆余曲折がありましたが、自分としては、とってもとっても楽しい10年だったと思っています。
とりあえず昨日の日記には今年は山本塾が閉講(?)したため「お役御免」だの、本業である酒の仕込みが今シーズンはズッパリ7月31の月末まで続くため直江津祇園祭に参戦するのが例年以上に難しいため参加は見送るかも・・・とは書きましたが、自分が住んでいる町内から要請があれば(あくまでも出来る範囲内で)手伝いには出るようにしたいなと思います。
Posted at 2015/07/05 13:30:36 | |
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