先の日記にも書きましたが、2011年の3月11日に東日本大震災が発生してから、今日で丸々5年が経過しました。
自分の気持ちを申し上げると、月日が経つのは早いもので、この5年は本当に「あっ」と言う間の5年だったと感じました。
※これより先、津波や、被災地の画像が入ります。気分を悪くされた読者の方は、「戻る」ボタンを押して戻って下さいm(__)m
今から5年前の3月11日の午後2時46分・・・自分は酒蔵内の流し場にて、麹室で麹を敷くための1枚物の大きな布を磨き洗いしていたのですが、突然の立ちくらみ&めまいに襲われて「急に身体の調子がおかしくなったのか!?」と思っていた矢先、道路を挟んで向かいの建物にあるビン詰めラインの親方やってた先輩の「地震だ~!!おまいら早く逃げろ~!!!」という叫び声を聞き、その時初めて地震だとわかりました。新潟県内でも、被災地から遠く離れた上越では、大きな揺れが来なかった代わりに、前述のような状態になったのだと思います。
東日本大震災が発生してから約15分後、3時の休憩時間に休憩室のテレビを点けてみたら、宮城県の石巻港が津波に飲み込まれているじゃないですか!!

その次に見た光景は、高校生の時に家族旅行で行った福島県にある「スパリゾートハワイアンズ」や「小名浜水族館」が津波に飲み込まれた瞬間・・・
自分はこの光景を見て、映画「デイ・アフター・トゥモロー」のワンシーンを思い出したと同時に、悪い夢なら覚めて欲しいと願っていました。

この日は一晩中、東日本大震災による前述の「立ちくらみ&めまい」のような状態が続き、決してお酒を飲んで酩酊している状態ではなかったのですが、足の設置感が全くないような、千鳥足みたいな感じでした。
そして、翌日の3月12日の午前4時03分・・・東日本大震災を発端とした「長野県北部地震」が発生すると誰が予想したであろうか!?
おそらくこの先60代、70代のジイさんになっても、自分は2011年3月11日に発生した東日本大震災と、その翌日に発生した長野県北部地震の出来事はゼッタイに忘れる事が出来ないと思います。
東日本大震災以降、AKB48グループのメンバーが被災地を訪問する場面がAKB48グループのドキュメンタリー映画「DOCUMENTARY of AKB48~Show must go on(少女たちは傷つきながら、夢を見る)~」

の中で何回か出て来るのですが、5年が経った現在でも被災地では、生まれ故郷を離れなければいけなくなったり、不自由な生活を強いられている方々がいらっしゃると思います。
個人的な意見になってしまうのですが・・・総理大臣はじめ、日本の政治家のタヌキジジイ共は、目の前の2020年に開催される東京オリンピックの事しか考えておらず、東日本大震災で被災した東北地方の被災地の方々の事をおざなりにして、風化させようとしているように感じます(実際、そうでなけりゃ、新しい国立競技場の建設予算で長い期間モメたり、予算オーバーと言うアホな理由で白紙撤回してゼロから組み直したり、しまいにゃ数日前、聖火台の一件で再びモメ事を起こさないよね!?)。
どうかどうか、この出来事を風化させないと同時に、1日も早く被災地だけでなく、日本全体が元通りに復興出来る事をお祈り申し上げますm(_ _)m
Posted at 2016/03/11 14:46:08 | |
トラックバック(0) |
昔の記憶 | 日記