ALPINA D3 BITURBOというクルマは,ちょっと乗ってみただけではスペックほどは速く感じない.少なくともスポーツプラスモードに入れない限り「速すぎて怖い」とは感じない.けれど,怖いとはあまり感じないにもかかわらず,このクルマはやはりどこか怖い.なにか得体のしれない感じがしてすこし怖いのだ.でもちょっと考えてみても,一体何が怖いのか自分でもよく分からない.
たぶん羊の皮をかぶっているというやつなのだろう.もちろん,羊は怖くない.その羊が華麗な加速をみせながら草原を駆け抜けていっても,やはり怖くはない.でもそうするとやはり,被った羊の革の隙間からわずかに垣間見えるケモノの気配が怖いのだろうか.その中に潜んでいるものが,たとえば狼であると分かっているならいいものの,ちょっとやそっと触れた程度ではそれが何者であるのかがはっきりとは分からないあたりが怖いのだろうか.それは,元気で疲れ知らずの人懐こい中型犬かもしれないけれど、もしかしたらとんでもない魑魅魍魎かもしれない.
このクルマを実際に走らせてみよう.コンフォートモードのD3は極めて高性能で美しい一匹の羊である.ちゃんと皮を被っている.それもかなり上等の羊の皮だ.そして誤解を恐れずに言えば,彼はなんの破たんもなく完全に羊として機能する.ふかふかの羊毛に触れるとどこか家畜の匂いがする。頭をなでてやっても,やはり家畜の目つきでこちらを見る.擬態は完璧であって,そこに破綻はない.
でもその時点ですでに少し変だ。世の中にこんなに速くて美しいヒツジなど存在するわけがないのだ.毛皮に隠されているけれど,その筋肉はしなやかで強そうにみえるし,その毛皮だってあまり見たことのない独特の模様が入っている.彼は普通の羊ではないし,仮に譲ってそうだとしても,中にはなにか絶対に羊ではない別のものが入っている.でもそれは巧妙に覆い隠されていて,それがなんであるのかは一見わからないようになっているのだった.
スポーツモードにしてみる.足回りがしまり、ハンドリングが重くなってレスポンスも良くなる.走りは一層安定する.けれどもそうなってくるとその安心の中で,忘れかけていたあの不思議な怖さのような感覚がふたたび脳裏をよぎる.毛皮の縫い目が少し開き,その中からわずかではあるがケモノの匂いが立ち上がってくるのだ.羊のような目をしていた羊を再びのぞきこんでみると,その透き通った瞳の奥に小さな闇がわずかにちらつく.かすかな野生の闇.やはり中に何か別のケモノのようなものが入っているに違いないと思う.けれどそれがいったい何者であるのかはいまだにはっきりとは分からない.
スポーツプラスにしてみるとどうだろう.なんとデフォルトでDSCがオフになる.こうなってくると,この車はさすがにもはや羊ではないようだ.そのケモノは「フリ」をすることも辞めようとしつつある.依然として彼には首輪が付いており,人の手に馴染んでいることは確かだ.けれど,その牙とその顔つきはかつて見せた家畜のそれとはちょっと違って見える.それでも彼が何者であるのかは,僕の運転技術とこの試乗コースでは依然としてはっきりとは分からないままだ.彼は何者なのだろう.どうしてこんな変装をかたくなに続けるのだろう.
その先の彼を知りたいと思いながらも僕は,これ以上アクセルを踏み込むのをやめた.とりあえずの理由としては,これは自分のクルマではないからだ、残念なことに.そしてそこで、緩めたアクセルを再びどこまで踏み込もうか躊躇しながら,あることに気がつき僕はハッとする.
いつの間にか自分の中であらぬ気持ちが育っている.試乗ではなくて,このクルマを自分のものにして自分のペースでワインディングを好きなだけ走らせてみたい.彼の鎖を解き放ってみたい.もともとの姿を見てみたい.
そうしたら,こいつもその隠された顔を見せてくれるんじゃないか.ちょっとは本気を出してくれるんじゃないか.時には噛まれて傷を負うかもしれない.命令を無視して脱走したあげく,自然に帰って行ってしまうかもしれない.それでも,本当の姿を見てみたい.彼が自由になるそのさまを.
そしてもし仲良くなることが出来たら,まずはこう聞いてみたい.
「君はどこから来たの?いったいどうしてこんな皮を被ることになったの?」
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実は,実際にD3に試乗する前は「このクルマは辞めよう」と思っていた.それは,たぶん自分には「速すぎる」からだし,たぶん自分には「早すぎる」からだ.もう少し分相応の身の丈に合った車を選ぶのが良いのではないかと思うのだ..
けれども,試乗を終えてみるとどうだろう.こころがどこかで落ち着かない.大げさに言えば、たとえば世の中の景色がわずかに変わってしまったような感じだ.すこし変性したその世界では、巷の曲がり角を通りすぎるたびに物影の向こうからなにか視線を感じるような気がしてくるのだ.
その視線の先に佇んでいるのは美しい羊の皮をかぶった不思議なケモノ.視線が合うたびに彼はその牙をわずかに見せて上品に笑い、そして誘うように僕を待つ.
「こちらへ来ませんか」
「僕と遊んでくれませんか」
次で終わりです
Posted at 2014/06/14 23:01:58 | |
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アルピナ | 日記