
今日は、東京モーターショーで配られたパンフレットから・・・・
1985年(昭和60年)の東京モーターショー、実は自分は行っていないのです(汗)
このパンフレットは、当時、中学の友人が静岡市で開催された地方向けのwモーターショーへ行ってきた際にもらってきたとのことで、クルマ好きの自分にわざわざくれたものです。
この年は、日本国民「総中流意識」が、定着した、と言われた年ですね。
前年の1984年に発売された、GX71の3兄弟が爆発的に売れていた、そして巷ではおニャン子クラブが猛威を奮っていた(自分、おニャン子世代ですw)そんな年です。

まずは、日産コンセプトカーのメイン、「CUE-X」。
後のインフィニティQ45の下敷きになった、とも言われていますが
「デザイン的には、このまま出したほうが良かったのでは?」と思ったものです(笑)
80年代の日産はとにかくハイテクなイメージを強く訴求していましたから、初代レパードなどを見ていた目には、いずれ日産上級車は、こうなるのかな~?とCUE-Xを(写真等で)見ては思ったものでした。
「電子制御エアスポイラーシステム」などは、今般、別段珍しくもない装備ですが翌年デビューしたR31のスカイラインクーペには、フロントのみながら「GTオートスポイラー」がオプション装備として付くようになりましたから、ちょっとした「前フリ」だったのかもしれません(笑)
また、「調光サンシェード」なんて装備は、国産車が、(中でも日産が)
絶対1番最初に市販するものと思っていましたが、結局ダイムラー・ベンツのマイバッハのサンルーフかなんかに先を越されてしまったんですよね。
しかも、マイバッハ、ドイツの車なのにルーフが「障子柄」で和風を意識させていたり。
マイバッハ発表が10年ちょっと前ですから、20年近く前にアイデアはあったものの市販化は難しかったのでしょうか。

エンジンはVG30を4バルブツインカム化、セラミック・ツイン・ジェットターボとのこと。
当時の日産エンジン技術のてんこ盛り、といった感じ。
VG30のツインカムは翌年登場のレパード、フェアレディZの3リッターに、セラミックターボはこの年(85年)のフェアレディZの2リッターと翌年登場のスカイラインスポーツクーペに、ジェットターボは、同じく85年にマイナーしたセドリック/グロリア、F31レパード、C32ローレルの2リッターターボ車に装着されました。
また、今、盛んに宣伝されている「レーザーレーダーシステム」なんてのも紹介されています。

そして、もうひとつのメイン、「MID4」
こちらは、「スポーツ」ということでフィーリングを重視したい、とターボ無しのVG30DEが搭載されています。
話題性ということでは、1番だったかもしれませんね。
なんたって3リッターツインカムでミドシップ4WD!!
MID4は、スカイラインの櫻井眞一郎さんが、指揮を執ったんですよね。
確か、「ドライバーの腕が振いようがないように安定志向にしたい」とおっしゃっていました。
そして、市販化されると各自動車専門誌に書かれていて、実際日産もその気はあったようですね。
次のショーで「MID4-Ⅱ」が発表されるも結局、市販されず、近いコンセプトであったNSXが、ホンダから発表されたのが1990年(平成2年)でありました。
MID4-Ⅱのデザインをされた故 前澤義雄氏が後に「あの時ほど、日産とホンダという会社の自動車(特にスポーツカー)に対する考えの違いを思い知らされた事案はない」と悔しげに、雑誌のインタビューで語られていたのが印象的でした。

ライトオープンスポーツコンセプトの「LUC-2」
これは、翌年登場するEXAの前フリか?と思いきや、むしろマツダから89年に登場する「ユーノスロードスター」の方が近いか。
EXAは、あれで良かったと思いますが、並行してこのライトウエイトなオープン2シーターも開発、販売に至っていたら、と思わずにはおれません。
実際、ユーノスロードスターの初期のモックアップに、このLAC-2に似たモデルがあったと思います。
(あ、でもLAC-2はFFだったか!!w)
そう考えると、80年代前半~中半にかけての日産という会社は技術はあれど、つくづく「先陣を切る」ことが苦手な社風だったといえると思います。
しかし、89年に登場したR32スカイラインやZ32など、それらとは違ったコンセプトながら世界を相手に勝負、といった気迫と気合があり、実際に各国から絶賛もされたものでした。
本当にあの時代の日産は凄かった!!

そして、クルママニア以外にw1番人気だったのが、ご存知「Be-1」。
自分は上記のとおり、この年のモーターショーには行っていないので、会場の熱気は知る由もありませんが、すごかったみたいですねw
それが証拠に、即市販化が検討され、次のモーターショーの年である87年には、限定車として発売、当時は抽選での発売となりましたが注文者が殺到、プレミアがついてすぐ転売、といったことがニュースにもなりました。
また、このBe-1を発売したことで、それまでの「官僚体質」と言われる日産が大きく方向転換した、とまで言われました。
そう考えますと、クルマそのものより周りを取り巻く話題の大きさこそがこのBe-1の特徴といえるかもしれません。

日産にしてはモータースポーツに割くページが僅かな気もwww
主に当時人気だったグループC(WEC-JAPAN)のことが紹介されています。
翌年のル・マン参戦に向けて気合が入っていたのでしょうね。

うーむ。
こうして見ると、コンセプトカーよりも市販車の方が魅力的だな!!(爆)
確かに、俯瞰してみれば当時、日産が生まれ変わろうと苦心していたのだな、ということがラインナップからも伺えますね。
この年はサニーとスカイラインがフルチェンジ、ブルーバード、セドリック/グロリアがビッグマイナーチェンジされましたが、新旧の差が大きかった。
それは性能面、デザイン面でもですが改めて見ると新旧どちらも捨てがたい魅力が(笑)
それにしても、日産といえば大会社であり車種のラインナップも膨大、と思ってましたがこうして見るとそれほどでもない気がします。
現在は日産も御多分に漏れず、合理化で車種を減らす方向になっているはずですが、現在の車種はミニバンの種類が多かったり、軽自動車を扱ってるせいもあってか、今の方が多く感じられてしまいます。
今から30年前のパンフレットですが、今見てもびっくりするほどの古さを感じないのは、自動車の基本形がこの頃には既に完成されていたからでしょうか。
いろんな意味で感慨深いパンフでした!!
