2013年07月06日
またまた久々登場になってしまい申し訳ない。完全に卒研で壁に正面激突し、若干療養中であった(笑)。
暫く書かなかった理由は後述するが、局長との出会いをきっかけに去年7月9日からみんカラを始めてもう1年になるのに何もしないのは不味いと思い重い腰をようやく上げた次第である。
今回取り掛かるのは、今年4月6~8日での「ベスモとの日々」のレポートである。この数日後に企業の入社試験があり、まともに履歴書を書いていないにも関わらず研究室には仮病を使い大分を飛び出した「あの日々」である。
鮮度が落ちるが、鮮度が落ちるくらい手をつけなかった理由の1つが「タイトル」である。兎に角量が膨大である。
プライドのすこぶる高い小生でも流石に独りでは手に負えないと悟り、今回とにとにさんにタイトルを依頼し頂いた草案の中から選びアレンジしたつもりである。
夜遅くまでお付き合い頂いたとにとにさんには心から感謝の意を申し上げたい。
因みにタイトルに出てきている「おとう」は土佐弁で「親父」の意味である。
「探訪記」は私の好きな建築関連の番組から拝借した。
今回は前置きが長い分、父との岡山行きを決意する所までを記そう。
この岡山行きのきっかけとして3月の萩道場行きがあるが、なぜ3月にやったのか。
それは波田さんが「スーパーGTが開幕するまでに一度ドライビングレッスンを」、という意味が含有されていた。しかし、この時点で快諾したはいいものの4月の予定は濃い霧に包まれていた。
また卒研に着手できないのか、或いは就職活動に忙殺されてキャンセルになるか。
「行きたい」というのと「行ける」は違う。非常に迷った。
そんな悩める22才児の一方で、一週遅れながらも毎週BSで「スーパーGTプラス」を録画している父の姿があった。
年齢の割には殆どレース観戦はなく、レースにハマったのが生観戦の2005年のF1日本GPの時からである。それ以降F1に一筋であったからハコのレースに関しての知識は私より寧ろ乏しい。スーパーGTたるもの、名前だけ知っているのみであった。
ちなみに私はどうか。実は「フォーミュラよりハコ」であり、JGTCの時代からスーパーGTのファンである。リアルタイムで初めてのJGTCの結果を知った記憶は、99年富士で国さん・アキラ選手のNSXが勝ったのをCARトップで読んだ時である。
F1日本GP観戦時でも、F1決勝よりもポルシェカレラカップを楽しんでいるという父親泣かせである(笑)。
そんな父であったが、昨年オートポリス戦のスーパーGTで「ガンさんにお会いできる」という情報を私が口にしてから様子が変わったようである。
いきなりお尻に火がつき私が観戦したオートポリス戦以降、毎週録画する程になった父。偶然にも私と同じ蠍座、一旦ハマると親子揃って兎に角しつこい(笑)。
人からの興味のない能書きが嫌いな反面、能動的な興味には目のない一面も親子クリソツだから困ったものである。
さて年が明け萩行きを父に話す時が来たが、この時は明確な返事をもらえなかった。
そもそも「萩で何をするのか」さえ理解できてない。ネット嫌いの父に拍車をかけるように起こる凶悪事件が頭をよぎったのか、「みんカラ」を毛嫌いしていた。
もう萩のドライビングスクールの意義やら説得やらで、「いごっそう」をなだめるのは一筋縄ではいかないのは百も承知。
結局はこのやりとりで納得したようである。土佐弁でのやり取りをどうぞ。
私:「2階にある1番古いベストモータリング(91年4月号)わかる?」
父:「?」
私:「徳大寺さんが出ちゅう日産特集のビデオ」
父:「うん。」
私:「その後半に清水さんのブレーキのやつでトップ賞のヘルメット取った、波田さんという方の所に行くがやき。」
父:「けんど萩で行ったち・・・」
私:「あのね、『峠を飛ばすために行く』訳じゃないき!『安全な場所』でドライビングを磨くために行くきね。」
父:「まあ頑張ってきいや。」
このやり取りで一応萩行きのGOサインが出て安心していた。
しかしながら、イマイチ勤め先の都合もあり私も強く岡山行きを勧められない。
親不孝者の私の最大の親孝行、なんとかしたいのだが・・・。
暫く悩んでいた。
しかしこの悩みは、父のある呟きで消し飛ぶことになる。
帰省していて晩酌を親子でしていた時であったであろうか。父がこうつぶやいた。
「おまんはガンさんに会うちゅうがか。私もガンさんに会うてみたい。」
寂しそうな顔でつぶやかれると、さすがに心を痛めずにはいられなかった。
この一言が岡山行きを確固たる決意に変えさせた!
はい、決まり!
「4月6日から8日まで空けちょいて!後はなんとかする!」
そう言い残した私は準備に取り掛かったのである。
Posted at 2013/07/06 13:54:02 | |
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ベストモータリング | 日記
2013年05月20日
「ああ、やっとブログに手をつける環境を作ることができた」というのが本音である。
ちょっと他サイトに時間をかけすぎた感もあるが、それが功を奏してか私のみん友さんのお二方がベスモ同窓会の一員になられたのは誠に嬉しい限りである。
お二方には是非、私以上にベスモ同窓会でご活躍して頂きたい!期待していますよ!
まず研究室生活に忙殺される傍らで行っていた就職活動であるが、先月下旬に内定をもらったので思いの外早く終了することとなった。
今まで「推薦」たるものと縁がなかったので気色悪ささえ感じる次第である。車関係でないのもなんだか落ち着かないが、違う形でこれからも車と関わる事が出来れば幸いである。
永続的な勤務地は不明だが、一旦来年の3月の大学卒業を以て大分から離れ松山に行くことになった。
尚、プライバシーの観点から私の内定先の口外は厳禁(特にネット上)としたい。ご理解頂きたい。
もし「知りたい」という方はメッセージ欄から問い合わせを頂きたい。
さて、局長のブログに顔、本名、父まで登場することになった私である。見た目への意見はともかく、「あのレイトンカラーのブルゾンの、あの顔」は間違いなく私である。性格は気持ち悪いほど似ていると身内から苦情が入る程の父子であるが、顔は一体誰に似たのか・・・未だに不明である。
そんな事はさておき、あのレイトンハウスのジャケットを以てしても岡山国際サーキットでは凍える思いをしたのは事実である。あの状況でスタンドにいるのにはカイロと寝袋が必需であろう。
ベスモ同窓会にも、もれなく「あのレイトンカラーに、あの顔」で参加した次第である。
「どこまで図々しいのだ!」と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、その図々しさを是非今後ベスモ同窓会に出席される方には存分に出してもらいたい!勿論、大人のマナーは厳守の上であるが(笑)。
本来は今回はここで締めくくろうと思ったが、どうやら父が私の買った前号のホットバージョンを「息子の知らぬ間に」観ているらしい(笑)。
昔私がやっていたことを父がやる、まあなんとも行動パターンが似た親子である。
というのも、前号の購入を地元でしたのはいいがうっかり実家に置いてきてしまったようである。偶々HVを「ほぼベスモ専用の戸棚」の近くに置いてたらしく同じ部屋に「カメラマンコーナー」があることも重なり父がHVを手にしたようである。
元々親子揃ってベスモ派であったのでHVを父が手にしたのは、おそらく「94年JGTCの美祢でアドバンポルシェが2戦連続で表彰台を飾ったシーン」のある号以来であろう。まあ珍しいなと思ったが、最近のスーパーGTへのハマり様やベスモ同窓会の影響を考えると微笑ましい事であろう。
とにとにさん、タイトルが出来次第発表しますね!
Posted at 2013/05/20 02:32:39 | |
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近況報告 | 日記
2013年04月21日
最近就活と卒研に手を焼いている影響か、みんカラもすっかり放置の状態である。
そろそろ今月の「岡山滞在記」について記したいが、下書きを今している最中であるので公開はもう少し先になるかもしれない。
その下書きも最近は手が止まり気味だが(汗)。
卒研のテーマである「MTBのディスクブレーキの鳴きの解明」をする前に、私が「キー」と鳴りそうなくらい目が回るような日々を過ごしているのが現状である。
困ったことに実験用のMTB用ブレーキがなかなか鳴らないからさらに厳しい。
「4月は死ぬ程長い」というのは、今年に限って言えば全く該当しないものである。
さて、簡易に岡山滞在の感想を述べるとまさに「宝」のような時間であったことに違いはない。
ベスモ同窓会については、次回参加可能な方はぜひとも参加されることを強く推奨したい。ちなみに局長のブログ(ベスモ同窓会の速報)でレイトンハウスカラーの小僧が写っているが、それは間違いなくFRマニアである。
ということで、とにとにさんブログのタイトルの程をそろそろお願いしますよ!
Posted at 2013/04/21 03:50:05 | |
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近況報告 | 日記
2013年04月04日
久々の登場となってしまった。というのも現在就活中なので目の回る日々であるのが苦しい言い訳である。
ガス抜きも兼ねて週末の岡山でのスーパーGT開幕戦とベスモ同窓会を楽しんでこようと思う。特にGT300のLEON SLSには期待をせずにはいられない!
一方でV37スカイラインのエンジンにはガッカリしてしまった。
短いながら今回はこの辺でお開きにしたいと思う。
Posted at 2013/04/04 18:08:37 | |
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近況報告 | 日記
2013年03月22日
記憶が無くなる前に早速とりかかりたいと思う。
経緯は前回触れたので割愛する。
美祢経由で吉田松陰のゆかりの地を横目に萩にたどり着いた私達は、少々(!?)入口に戸惑いながらも「特訓道場」にたどり着いた。着くなり波田さんが笑顔でこちらに来られる。
しばしのベスモ懇談を兼ねた自己紹介を終えた後、いよいよジムカーナが始まる。
まずは波田さんがコース紹介を兼ねたお手本走行で私達を驚愕とさせる。今回は設定値を0.35Gにしてではあったが、あまりにもスムーズなドライビングで尚且つ最速タイムなので頭が真っ白になってしまった。
ちなみにこのセンサーの仕組みは、0.35Gに近くなると「ピピピ」という警告音がなり、0.35Gを超えると「ピー」という音がなる。
普通のセダンのATでエンジンブレーキ禁止令でのこのレッスン、「MTで走らなくて上達できるのか!」と叫ぶ方もいるだろうがそもそもかなりタイトなコースレイアウトである。レッスン前に「久々のMTになったらどうしよう・・・」という余計な心配がなくなり一安心している私はさておき、このレイアウトでMTはよほどのドライビングスキルがない限り厳しいと思う。
なぜ厳しいのか、それにはいくつか理由がある。まず今回のレイアウトはそもそもコーナーのRが小さくステアリングワークに集中する必要がある。はっきり言ってシフトノブに触れる余裕などないのである。現役の自動車部であるSia君も思わず「これホントにジムカーナや・・・」とぼやく程である。
おまけに0.4Gの中でタイムを出すには「タイヤの状況をステアリングから感じ取る」必要もあり、クラッチワークや回転合わせをここで習得など素人には無理な話である。
さらには「エンジンブレーキ禁止令」の中で走るとなると、フットブレーキの重要性が一層大事になってくる。このジムカーナでは「ブレーキを残す」ことも重要になるので、こうなるとクラッチレスの方が集中しやすい環境にあると考えている。ただ減速方向のみならず旋回方向でもブレーキを使うこのジムカーナではドライバーが思う以上に「右足に脳みそを!」という必要性が増す。「我慢」のない、ただ能天気な右足では通用しない、というのが今回のレッスンの趣旨だと勝手に考えている(笑)。
こんなエラそうなことなど思いつく状況ではなかった私も初走行。「Gを出さないこと」に気を取られて0.3Gにも達していないから当然遅い。おまけにS字区間で脱輪など、もはや運転免許返上レベルであった(汗)。
この日1番の問題児であった私にはもれなく波田さんのご指導が入る。「もっと踏め!」と「我慢!我慢!」という言葉を一体どれほど耳にしたのであろうか。要は「メリハリ」が全くなかったようで、私自身免許所得時以上に初心に戻ってレッスンを受けた。とにかく思い込みの激しいのが思い切りドライビングにも現れてしまっていたが、怖いことに自身では全く気付いていないことにハッとしてしまった。
引っ張り走行や無線指導を通してとにかくボロが出てしまった私であったが、もっとひどい問題はここからである。前回記したが「ステアリングワーク」と「肩甲骨の位置」である。
もはや自信喪失状態の私であったが、ならば「徹底的にボロを指摘してもらおう!」という意思の元、波田さんにステアリングワークのことを尋ねた。
自分なりにステアリングに対するポジションを合わせてみると「肩甲骨が離れている」と指摘された。もはやこれ以上無理なくらい頭が真っ白になってしまったが、隣で第3者の方から指摘されるまで全く気付かなかったのも事実である。
この「肩甲骨」の指摘、ハンドルを「いっぱい切った」時に「肩甲骨が離れない」ということであるが、あろうことか「ハンドルをいっぱい切った時」を全く考えずにポジションを合わせていたのである。しかし問題はこれだけではない。
なんとそもそもの「ステアリングワーク」がめちゃくちゃであったのである。とにかく「タイヤの切れ角とステアリング操作の関係」の把握が全くできておらず、とどめは「ステアリングワーク時の手の動きがバラバラ」というダブルパンチ!もう何発受けたかわからない領域である。
ということで「しばらくはステアリングワークの練習!」という波田さんからのご指導のもと、とにかくステアリングワークの練習である。
波田さんは、ステアリングワークは押しハンドルを推奨していらっしゃるがこれは「押す」ことで肩甲骨のリフトを防ぐ役割も同時に果たしている。このステアリングワークの本家はBMWドライビングスクールで有名な菰田さんからだということだが、とにかく「タイヤの向きを掴む」事と「タイヤからのインフォメーションを得る」事、さらには「シートに肩甲骨を押し付けて密着させ肩甲骨のリフトを防ぐ」事がこの方式の狙いである、と理解したのはレッスン終盤になってからであった(汗)。
加えてステアリングの中央と両太ももの3点を結んだ「三角形」のエリア、時計で言えば5~7時の間に手を入れないことも重要である。元来手を入れる癖が強い私はもちろん大苦戦したことは言うまでもない(汗)。
さんざん大苦戦しているが、やはり休憩は必須であるので数回に分けてしばしの休憩をはさむ。この内昼食休憩の際にはベストモータリング1993年8月号を鑑賞し、特に後半の清水さんの「ブレーキを残す」というコーナーには集中的に観る空気になった。波田さんの目もスープラ特集の際とは違う。
萩からの帰りの車内で尋ねたが、どうやらこのベスモは今までベスモとは疎遠であったお二方もご納得の出来であったようである。スープラ特集で少々旧型をいじめ過ぎるきらいがあったのは気になったようではあったが(笑)。
実は休憩中の会話もなかなか身の詰まった楽しいひと時であった。特に波田さんとTAKUV35さんの「懐かしの車」でのやり取りには、まさにベテランパイロット同士のような自然さと流麗さが兼ね備わっており耳に心地よかった。
さて、あっという間に時は過ぎいよいよ最終アタックに挑む。車両上の都合によりアタック寸前までタイマー非搭載車であったが、明らかに「メリハリ」が着いたのがわかる。それはまず「ステアリングワークの矯正」によりタイヤの情報を少しは得られるようになり、低速S字区間ではステアリングワークがスムーズになったことが主因であろう。あとは「ブレーキを残す」ことによりタイム短縮と同時に理想なラインを通過できるようになったことも関係しているだろう。
いよいよ最終タイムアタックに挑むが、合計2回の中で1回目が1分3秒後半であったのに対し2回目ではなんと1分1秒台が出た。ドン亀とはいえ最初が平均1分5分台のところをうろついていたことを考慮すると我ながら進歩したと自画自賛ものである。もちろん波田さんのタイムには到底及ばなかったが(汗)。
この時、波田さんのご厚意でアタック中の写真撮影があったが波田さんから「顔が怖い」とクレームが入る。顔が怖いのはおそらくそれだけ真剣に集中していた証拠であろうが、これには苦笑するしかない(笑)。
最後に記念撮影をし写真を頂いた所でお開きとなった。帰宅時にはクタクタであったことから、「AT,MT関係なく」楽しめている証拠であったことは間違いない。
いよいよ今回のタイトルに答えを出さなければならない。「梅^2クラスよ、さようなら!?」であったが結論は「NO」である。「さようなら」など出来る訳なく寧ろ「こんにちは」である。しかし梅^2クラスと判明できたのも今回のレッスンのおかげである。
今回のレッスンではレベル判定のみならず、ご指導を通して私のようなド素人にもドライビングの楽しさをも気づかせてくれる大変有意義なレッスンであった。
親のみならず周囲の方々に、「公道で危険を冒す必要などない!」と胸を張って主張できると信じて止まない。こう主張できる環境のもとに安全にドライビングを自信のない梅^2クラスから楽しめるのである。
梅^2クラスのみならず、「公道で俺より速いやつは見たことない」と豪語する自称松クラスまで、老若男女問わず楽しめると私は胸を張って言える。
ぜひこのレッスンをご検討して頂けると幸いである。
という訳で、危険な思いをしてまで峠に行く予定はない。制限速度内でもドライビングは楽しめるものである。
異論はあるだろうが、これが今回のレッスンを通して出した私の結論である。
この結論をネット上に公開してみん友さんが大幅に減少しても、何の後悔のない!
最後に、萩と小倉の往復をして頂いたTAKUV35さん、急なお誘いにも関わらず快諾してくれたSia君、そしてこのレッスンにお招き頂き最後までご指導のみならず様々なお気遣いをしていただいた波田さんに厚く御礼を申し上げたい。
Posted at 2013/03/22 18:54:46 | |
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ドライビング | 日記