2013年03月19日
ああ、ベストモータリングを観るとついつい手が止まってしまう・・・。
随分と春らしい気候になり、ようやく来月から卒業研究に着手できるという朗報と共に今回は人生初のドライビングレッスンのために一路萩に向かった。
レッスンの内容の詳細はTAKUV35さんがブログにアップされているので、急ぎの方はそちらを参照して頂きたい。私オリジナルでのレポート本編はみんカラでのしがらみを考慮した上でアップしたいので、今回はさわりを含めた予告として記したい。
そもそも私のようなド素人が何故萩のドライビングレッスンを受けることになったか、その経緯について波田さんとの交流を兼ねて触れよう。
私がみんカラで活動し始めブログをアップする際に、毎回「イイネ!」をしてくださる方の中にどこかで拝見したことのある方が・・・と思い始めたのが全ての始まりである。その方こそ今回のレッスンの発起人である波田さんである。
ご存じでない方々に簡単ではあるが波田さんをご紹介すると、ベストモータリングでのドラテクで人気を博した「松竹梅」で見事「松の特上」を記録し清水さんからレプリカヘルメットを頂いた方である。詳しくはベストモータリング1991年4月号の後半の「松竹梅」コーナーや局長のブログを参照してもらえると幸いだが、勘の鋭いベスモの読者の方であればこの方がどれ程の方かおわかり頂けるはずである。
ベスモのドラテクコーナーを語る上で欠かすことのできない方から・・・思わず「嘘だ!」と疑いはしたが、みん友申請を兼ねたご挨拶をするとやはりご本人であることが判明。最近TwitterやFacebookで成りすましの多いこのご時世にこの出会い。誠に貴重なものである。
事が動いたのが今年の新年の挨拶の時。波田さんにご挨拶する中で私が「飛ばすことより法定速度内での減速Gについて心がけている」旨を申したところ、波田さんから萩でのドライビングレッスンのお誘いを受けたというやり取りがあった。
公道で危険行為をするのがとにかく嫌いだが運転が上手くなりたい、という願望の強い私にとってこのお誘いは実に嬉しかった。「お世辞抜きに」というお言葉にもやられた感はあるが(笑)。
そもそも先程からのこの「ドライビングレッスン」、一体何だろう。簡単に言えば「0.4G以内でのジムカーナ」である。後に体感してわかったことだが、この「0.4G」とは恐らくパッセンジャーが酔わない限界の加速度だと思われる。Gが予め制限されているから速度域も低く安全なレッスンを行うことができるということである。ただしジムカーナであるからタイムも速い方がいい。
峠を走る度胸も考えもなかった私はすぐに乗り気になった。程なくして改めて具体的な日時を絞り込んだお誘いがあり、今回のレッスンに至ったという訳である。
場所が安全性を保障できることもあり、元来この手のイベントの参加には関心の薄かった両親からもゴーサインが出た。峠族嫌いの父に至っては「あの日産特集の後のドラテクでヘルメットをもらった方」と話したところで快諾をもらった。
結果から言うと実に難しくも楽しくドライビングを安全に学べた非常に有意義なレッスンであった。反面、梅^2クラスであることが顔を出し思い切りボロが出て「まあ何とも情けない!」ドライバーの私であることを痛感した1日でもあった。このブログを愛読されている方の中には、「理想のFRなんて書いてるのに、まあ何とも情けない!」と思われる方も多いであろう。しかしながら、その「まあ何とも情けない!」私のレポートから、「BMキャスターの様に運転したいけど全く自信もスキルもない」方々にもご参加頂けるレッスンであることをご理解いただければ幸いである。
「全く自信のない梅^2クラス代表」として参加した私だが、本編でも触れる通り「肩甲骨」についての勘違いと考え違いは特に酷かった。この「肩甲骨」については是非自信のない方のみならず自称松クラスの方にも波田さんにレクチャーを受けて頂きたい次第である。
親のみならず周囲の方々に、「公道で危険を冒す必要などない!」と胸を張って主張できると信じて止まない。こう声を高らかにして主張できるこのレッスンについては、次回私の視線から触れたいと思う。
タイトルはズバリ、「梅^2クラスよ、さようなら!? in 萩」
とにとにさん、タイトルはこれでいいですか(笑)?チェックお願いします!
Posted at 2013/03/19 02:08:35 | |
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次回予告 | 日記
2013年03月12日
東日本大震災から2年が経ったが、復興が進んでいると言うには余りにも程遠い現実である。
生まれ故郷も他人事では済まされない想定がなされていながら、震災対策が進んでいないという悲しい現実がある。財政難もあるが、人々の意識も一因であろう。
日本には環太平洋造山帯が通っており、かつ活断層も多いから日本国内に在住する限り大震災から免れるのは不可能だと私は考えている。「明日は我が身」の精神で各自治体取り組まないと事態は悪化するであろう。
迅速且つ確実で有意義な復興を心から望む一方で、我が身にも身近に起こりうる災害として考えさせられるものである。
さて、本題に触れよう。今回理想の2リッター相応クラスのFR車の案を練る背景にはホンダS2000とポルシェ968の存在がある。ディメンションではこの両車をベースにしていきたいと思う。
どちらも車幅が1.8m未満で直4のFRであるという共通点から持ち出した。ホイールベースは両車よりは伸ばしたいと同時にオーバーハングについてはS2000より切り詰めるくらいが嬉しい。これは重量配分の適正化とオーバーハング短縮による慣性モーメントの低減を狙っており、回頭性を向上させる意図の元である。
まずエクステリアだが、実はエクステリアにはさほど拘りはない。むしろ普通のクーペではなくベストモータリング1999年6月号の富士バトルにエントリーしたBMW Mクーペやアルファロメオ・ブレラのようなシューテングブレークの方がいいと考えている。シューテングブレークというよりハッチバックといった方が馴染みがあるのだろうか。
4ドアでも構わないが、後述する車両重量の問題を考えると2ドアがより望ましいだろう。シューテングブレークは嫌という意見もあるだろうが、トランクなどの実用性やMクーペを初めて見た時の私的なインパクトを考えると個性からしてもアリだと思う。
ただしシューテングブレークにすることにより空力面では不利なのでゼロリフトやフラットボトムなど気を配る必要はある。
次にエンジンについてだが、これはかなり悩んだ。わかっているのは直4のドライサンプでターボモデルのみならずNAモデルを備えており、トップのターボモデルの理想出力はだいたい実馬力で210〜230PSということである。ちなみに直4にした理由は、これ以上シリンダー数を増やして慣性を大きくすることを嫌ったこと、直列型特有のシンプルさからくる軽さとクラクシャブルゾーンの確保がある。また慣性とクラクシャブルゾーンを考慮して完全なフロントミドシップとする。ドライサンプにした理由としては直列型エンジンにしたことによる重心の高さを少しでも相殺するためである。馬力制限を設けたのは、余りにも過激な最近の馬力競争への私のアンチテーゼの表れからである。
しかし排気量は実ははっきりと決めておらず、さっきから「2リッター相応クラス」と記しているのにはこれがある。
本当は2リッターが「BMWの法則(1気筒当たり500ccが望ましい)」から見ても理想であるだろうが、今のご時世非HVを前提に話を進める上でダウンサイジングという問題を考えない訳にはいかない。という訳で1.8リッターもありと考えている。排気量が1.8リッターでも私の要求する性能条件を満たしてくれれば万々歳である。
環境問題と性能向上を図るためには今後NA、ターボ問わず「スロットルバルブレス化」が必要であろう。スロットルバルブレス技術の代表としてBMWのバルブトロニックや日産のVVELなどがあるが、これらは燃費向上を期待できる反面高回転・高負荷時には弱いという弱点がある。
もちろんこの車にもスロットルバルブレス技術は用いたいが、NAの場合低速トルクの増大と高回転での伸びを両立させるべく弱点を克服できるようにしたい。ノンターボモデルだからといって・・・というヒエラルキーは私の眼中には無くむしろターボモデルと同等なのも面白いと思うので、最低200psは欲しいものである。やはりスポーツ性を求めたいので美しい高回転の伸びは外したくない。
まだNAについては楽だが過給機付きは更に悩む。うじうじ悩む背景には先日マイナーチェンジされたメルセデスE250の新エンジンの存在がある。もしこのエンジンの存在を知らなければ・・・というくらい随分インパクトの強いエンジンである。
今までエンジンに関しては私的にBMWより印象が薄かったメルセデスだが、今回のマイナーチェンジでの新エンジンはBMWのバルブトロニックターボにインパクトで負けてはいない。なんとリーンバーンとEGRをガソリン直噴で組み合わせてきたのである。
この2リッター直4ターボは211psというパワーながら35.7kgmという大トルクを発生させる。リーンバーンとEGRを組み合わせてこの性能であるから驚きである。
こう考えると、1.8リッターターボでスロットルバルブレス化のリーンバーンとEGRを組み合わせると最大出力を前述の範囲にするにもかなりの技術を要する。ノンターボだとEGRとリーンバーンは要らないかもしれないが、ターボモデルの場合技術革新の面からしても実現して欲しいものである。ちなみにタービンはツインスクロール版エコブーストが理想である。
随分長くなったが、要は小型軽量・ハイパワー&高効率なエンジンが欲しい、それだけのことである(笑)。
エンジンに随分時間をかけたが今度はボディ・シャシー関係に目を移したい。ボディに関してはVWグループのようにスチールベースではありながら徹底的に適材適所を考えて高剛性・軽量化を目指したい。以前理想のスカイラインを挙げた際にも確か記したと思うが、ハイブリッドボディが望ましい。
エンジンをフロントミドシップにした上でやりたいのはトランスアクスル化である。しかもフェラーリF12ベルリネッタのようにあえてトランスアクスル部をホイールベース内に収めず少しリアにはみ出す形にレイアウトする。これにより重量配分を47:53にしてトラクションがかかるフロントミドシップにしたい。
実はこの記事を書くにあたり私はあるベストモータリングを拝見した。当時新品で購入した2002年11月号、Z33特集である。この時に日産代表として後のR35GT-Rのチーフエンジニアである水野氏が出演されているが、あの水野節炸裂で当時度肝を抜いた記憶がある。インタビュアーが当時ベストモータリング副編集長の仁礼さんということもあり、水野劇場はおきず割とのほほんとしていたが当時から大変意志の強い方であることに変わりはなかった。
最近ではある雑誌で「GT-RについてはR37まで考えている。」と発言されているくらいであるから、どおりで私のような人間を一蹴するはずである(笑)。とりあえず水野氏の考えるGT-Rを考慮して問題点を言うのであれば、R35の実際の重量配分が56:44であるからせめてこの号で仰ってた53:47にすべきだろうが・・・今回はこれ以上GT-Rについては触れないでおこう(笑)。
話が随分逸れたが、重量配分を引っ張り出したのにはこの号と話をリンクさせる為である。当時から重量配分はフロントに3%あった方がいいと主張しては「何故53:47がいいのか」を仰る氏であったが、ミドシップに近い特性を求めたい私には残念ながらこの重量配分は理想ではない。ただ「50:50が理想ではない」ことは氏と考えは一致している。
よく50:50が理想と言われているが、加減速による荷重変動によりこの重量配分が必ずしも保たれる訳ではない。となるとどちらかが重い方が荷重が乗りやすい。となると50:50にしてしまうと荷重の乗りが悪くなりアンダーオーバーが激しくなる為相当車体側に剛性やセッティングのシビアさが求められる。実際昨年スーパーGTで暴れたアストンマーチンのGT3は、50:50にすると却って乗りにくいとドライバーの方からのコメントがある程である。S2000はかなりシビアなセッティングのお陰で50:50でも動きがいいので例外ではあるが・・・。
私の場合ブレーキング時の安定性やトラクションの観点からリア寄りを理想に挙げたが、必ずしも50:50が理想ではないことは声を大にして主張したい。
ちょっとコストがかかるが外したくないレイアウトの部分を述べたところで、車両重量にも触れたい。車両重量は1300kgは絶対に切ってもらい、1250kg程度に収めて欲しいものである。
かなり軽く作らなきゃいけないが、タイヤにかかる負担を考えるとこの辺りの重量に抑えたい。
足回り関係については前後ダブルウィッシュボーンでアライメント変化を抑えると共に、4WSは不採用とする。リアにはビスカス以外のLSDを装置しトラクションを確保する。タイヤは17か18インチとし17インチであればフロント215/45ZR17、リア245/45ZR17が希望である。しかもエコタイヤではなくミシュランであればパイロットスポーツのようなタイヤを装着してもらいたい。ドライ・ウェットグリップ両方高次元でバランスのとれたタイヤの装着を強く望みたい。
日本国内のみならず欧州にも販売するのであれば専用タイヤとして開発する必要もある。ただR35GT-Rのように1メーカーに限定するのではなくマルチメイクが望ましい。
ガンメタの軽量鍛造ホイールの中にはフロント6ポッド、リア4ポッドキャリパー付きベンチレーテッドディスクブレーキをおさめる。ただしベンチレーテッドディスクも標準がカーボンセラミックディスクだと非常に高価になるのでカーボンセラミックディスクはオプション設定が望ましい。ディスクローターのハブがアルミ製の軽量ディスクが希望である。
トランスミッションについての私考については後日触れるとして、この車に関しては私は3ペダルのみならず2ペダルも必要だと考えている。この2ペダルとは6速DCTを指す。確かに2ペダルが未発達の時代はMTの方がタイムも速くメリットが大きかったが、今や2ペダルの方が速く燃費もいい。
今までの「MTからの2ペダル」ではなく、ポルシェのように「MTを想定した2ペダル」がこれからの時代にはあってもいいと思う。
また後日触れるが、「2ペダルならではのドライビング」をこの車で楽しむのもありだと思う。
ESC(電子制御スタビリティコントロール)の義務化が日本でも始まるのでABSやESCはむしろ活かす方向がいいだろう。付けるからにはスポーツドライビングを邪魔するようでは困る。
ただしR35GT-RのスピードリミッターではないがGPSを用いてサーキットのみ電子制御のカットを許容するのもまた大事だと思う。
値段についてはある程度高くなっても致し仕方ないが、最高でも400万は切ってもらいたい。この車のプラットフォームを他モデルに転用できればさらにコストは削減できるかもしれない。
チューニングベースには向いていないであろうが、スロットルバルブレスのエンジンのチューニングもこれからのチューニング業界にはしてもらいたいと思う。S耐などレースにも積極的に出場して、リリースされてからも進化をしてもらいたい。
この車の開発についてはメーカーによって事情も違うから一概には言えないが、何処かと共同開発するようなパターンをしないとコストが削減出来ないように思う。日産でつくるのであればメルセデスと共同開発も1つの手である。
メルセデスとではないが、次期型スカイラインには今年からインフィニティがタイトルスポンサーを務めるレッドブルレーシングのドライバーの方が関わっている。栃木には昨年度チャンピオンのベッテル選手、ニュルにはテストドライバーのブエミ選手がそれぞれ関与しているのが判明している。
最終的にはもちろん筑波だけでなくニュルブルクリンクでも楽しいFRであってほしいが、やはり完全自社開発は余りにも厳しいものがある。
以上が今回の私の理想の車である。
随分長くなってしまったが、この我儘な文章に最後までお付き合い頂いた方々には厚く御礼を申し上げたい。
Posted at 2013/03/12 01:06:21 | |
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「理想」シリーズ | 日記
2013年03月06日
本題の前に少し近況報告を。
先日地元・土佐でkirihataさんと車談義を兼ねてご一緒した。土佐弁を使えることもあり話が弾みに弾み夜遅くまでご一緒したが、とにかく濃いひと時であった(笑)。
特にベストモータリングのキャスターの方々のドライビングの違い、中嶋悟さんのワンハンドステアやセナ足などは大変刺激的であった。またご一緒出来ればと願っている次第である。
何よりも驚いたのがkirihataさんの非常にスムーズなドライビングであった。加減速のGの立ち上がりが穏やかであり無茶なスピードでもないから非常にジェントルであった。これは決して過大な表現ではないことを強く強調したい。
このようなドライビングは私自身心掛けてはいるが全く出来ない。何故そのようなドライビングを公道をサーキット扱いする無謀なスピードの運転より良しと考えているのか、それが構築され始めた大学時代を今回は振り返りたいと思う。
大分大学に入学した私は当初自動車関連のグループに入ろうとも画策していたが、結果それは現実とはならなかった。
まず第一に入学する時点で自動車免許を所持していなかったことが挙げられる。いくら前期日程で合格したとはいえ、いくら勉強嫌いの私とはいえ受験勉強に割く時間は流石に多かった。
私の出身高校はセンター試験終了後に学校へしかるべき手続きをとれば自動車学校への入校が許可されていた。従ってもしセンター試験前に進学先が確定して合格していれば迷わず自動車学校に入校していたであろうがセンター試験終了後時点で全く進学先が確定していない私に余裕などなかった。結果一度も自動車学校に行くこともなく大分に旅立つことになった。
おまけに高校卒業まで引っ越しの経験がない私にとってこの作業は四苦八苦の極みであった。家具家電等の準備のみならずアパートやインターネット等の契約も親におんぶに抱っこのままでは甘えにも度が過ぎる。もはやクルマに触れる余裕さえなかったかもしれない。
次に父親からの自動車関連のグループ加入に対する猛烈な反対である。ここでいう自動車関連のグループとは、自動車関連の部活やサークルを指す。これが建前だけならまだしも酒の席でも猛反対である。どう考えても本音である。金銭的な問題も大きいが、後々考えると私の将来を既に見透かした上での発言だったかもしれない。事実、最近になってカートがやりたくなってきた私にとって今自動車関連のグループに入ってメリットがあったかと振り返ると疑問符が付く。
そもそも何だかんだで父親からの影響がかなり大きいのが事実である。ロータリーエンジンに対して信仰心が無いことがその代表的な例である。
とどめは入学した年の体調である。大学のサークルのほとんどが入学してから実質2週間を新入生歓迎シーズンとしているが、入学式から僅か翌週にインフルエンザにかかってしまう。しかも40℃まで出たものだから堪らず親にヘルプを求めた程の精神状態である。結局最初の友人関係を築く上で1番動きたい時期を自宅で過ごすハメになり大学生生活のスタート大失敗である。親に早速大迷惑をかけたのもあるが、熱にうなされている間に自動車関連のグループに入る考えも何処かに飛んでしまったようである。
他にも色々あるが、表向きは以上にしておきたい。
熱が引いた頃には自動車関連のグループに入る考えもすっかり無くなってしまった私であるが、全くサークルに入らなかった訳ではない。インフルエンザにうなされていた時期に目を通してした文化系サークル紹介誌と「直感」で、あるサークルに在籍することになる。
これが随分車とはジャンルが違うから人生は面白い(笑)。入学式での手話通訳を拝見してその年の5月に手話サークルに加入した。
理由は様々あるが、やはり自然と手話に興味があったのであろう。よくよく思い返せば、中学の読書感想文で選んだ本が「愛していると言ってくれ」のノペライズ本であった。実は私自身クルマバカな一面の他に福祉に興味がある一面があり、その中で手話は1番興味があった。親云はく私が幼き時に知らぬ間に手を動かしていたらしいから、今思えば自然の流れかもしれない。
図々しくも手話サークルに入ってからはかなり顔を出すようになり、終いには部長まで経験をさせて頂いた。東日本大震災の年の入学式・卒業式では下手ながら手話通訳を経験した。無論、周りの方々の協力なしでは出来なかったであろう。改めて感謝の意を表したい。
車とはジャンルが違うが、行動力や達成感、そして自らが一生懸命したことで少しでも周りに笑顔ができる歓びなどは無駄にならずに全て身につけたと自負している。高校の少人数の水泳部とは違い大人数であったので悩みもしたが、それも力になった。もしこのサークルに入らなければAKBグループに対する偏見も無くならなかったであろう(笑)。そのくらい視野は私なりに広がった。
唯一心配なのが最近手話サークルに行ってないから手話の自己のレベルが下がりすぎていることぐらいである(笑)。少しばかり顔を出したいな。
おそらくその部長の年であったであろうか。私にベストモータリング休刊の知らせが届く。冗談かと疑って止まなかったが当時のベスモブログにとにかく早く思いを伝えたかったのでその旨を伝えた。それが偶然にもベスモブログのコメント第1号であり、局長のブログにも当時のコメントがしっかり残っている。誉れに思う反面、照れ臭いのも事実である(笑)。
休刊の知らせを聞いた際には書店にあったベストモータリングをとりあえずまとめて買った記憶があったが、そこに嘗ての面影はなかったのが非常に残念であったと記憶している。
こうなると全く車と疎遠に見える大学生活を送ってきた私であるが、確かに工学部自体に勉学や成績の面、さらには進路の面で強い嫌気をさした時期もあった。果たして今のままでいいのか、思いやられる一方であったのもまた事実である。
そんな時期に出会ったのがベストカーでの徳大寺さんの有難いお言葉である。
これは徳大寺さんの連載のコーナーで私と同じような悩みを抱えた方からの相談に対する回答から生まれている。
正確には覚えていないが、その方はこう徳大寺さんに相談を持ち掛ける。
「徳大寺さんこんにちは。私は車が好きで大学に入りましたが最近車に興味がなくなってきました。どうすればいいのでしょうか。」
すると徳大寺さんはまるで私にも語りかけるようにこう返す。
「それでいいと思いますよ。それが大学のいいところです。」
ああ、そうか。今の悩みは決して悪ではないのか。こう考えた私は何か胸のつっかえが取れた気がしてきた。確かに自動車も所持していないし走り屋にもなっていないし他のジャンルに汗を流している。でも、それはそれでいいではないか。
中学の時に「間違いだらけのクルマ選び」で様々なことを身につけたが、こうして再び徳大寺さんに勝手な思い込みとはいえお世話になった気がする。
さて徳大寺さんのお言葉で車に対する興味が復活したその前からガンさんがカートップやXaCARで連載をされているのは存じ上げていたが、工学部に入る前と後ではガンさんのお言葉の重要性は大きく変わってきた。工学部の人間から見たガンさんの魅力としてドライバーとしての素晴らしさもさることながら、実はエンジニアとしても優れていらっしゃるのではと考え始めたのが事実である。つまり、ガンさんはエンジニアとしての一面も持っていらっしゃるのではないのであろうか。そう思い始めたわけである。
昔からそうであったであろうが最近のガンさんは特に、ただ感覚だけで車を評価などしていないのがよくわかる。その評価の裏にはドライビングメカニズムが必ずある。メカニズムという言葉は余程工学的に車のみならずドライビングを捉えていらっしゃらない限りなかなか出てこない言葉だと思う。
自身、カートップのガンさんのインプレッションではテストドライバーの一面だけで見るには勿体無いように感じる。ブッシュや振動剛性のことなど、エンジニアとしてもガンさんのインプレッションから勉強できることは多々あるように最近考えているのも紛れもない事実である。
このように考えるようになってからは、何故ガンさんがそのような評価を下されるのか以前より踏み込んで考えるようになり、その度にドライバーのみならずエンジニアとしてもガンさんを憧憬の眼差しで拝見するようになった。これがガンさんに対する眼差しが昔と大きく変わった最大の要因である。
さて、以上で締めくく・・・られない!大事な自動車学校での日々を記すのを忘れていた(笑)。
私が高知駅から近い自動車学校に入校したのは大学入学して初めての夏であった。教習車は初代アクセラのガス仕様で教習車としては派手なブルーであった。ちなみにブルーはMT、赤はATであるのもこの学校の特徴である。
最初はクラッチもまともに繋がらず(今でも少し怪しいが)苦労したが徐々に自信が付き始めた。この時は当然敷地内でも制限速度は厳守。だからといって退屈なことはなく、ドライバーズシートからの視点からのドライビングは速度に関係なく難しく又楽しいものであった。とにかくスムーズなドライビングをするように指導されたのもあり、この頃からGについて考えるようになった。とにかく安全だけでなくショックの少ないドライビングにしようと苦心するのはこの頃から今でもずっと続いている。
やたら速度を出すよりもとにかくスムーズなドライビングをするように苦心するのは路上に出ても同じである。この際に驚いたのが、路上に出る前から既に気づいてはいたが、自動車学校の教官の方々のドライビングのスムーズさである。この方々はおそらくブレーキング時にアクセルを使わなくても普通にスムーズにGをコントロールしていらっしゃるなとか、とにかくGのコントロールが素晴らしい方が多かったのが事実であった。
乱暴にスピード出して勘違い運転など何のメリットもないなと確信を持てたのも教官の方々のスムーズなドライビングから得られたものである。
自動車学校にて、スピードを出さなくてもドライビングは楽しいということを学べたのは大変有意義であったと胸を張って言える。
結局自動車関連のグループに入らなかった私ではあるがその分F1観戦や貧乏旅行など家の外に出向いて決して出不精ではなかった。時には流れに身を任せてその結果視野も広がった。
だから我が人生の足跡、無駄なものは何ひとつないと確信を持っている。
みんカラをやり始めてから数カ月後にこのような名言を見つけた。YouTubeでアップされていた1986年マカオグランプリ時での五木寛之先生、徳大寺さん、ガンさんの御三方での対談で五木寛之先生が次のように述べられている。間違いがあれば訂正のクレームを入れて頂けると有難い。
「ガンさんが仰った、車を行きたい方向に行かせるというのは僕はドライビングだけの名言と思わなかったね。そうじゃなくて人生にも言える言葉だと思う。僕なんか本書いていてどうしても登場人物が勝手に行ってしまう時があるけど、そういう時は登場人物を行きたい方向に行かせてそれをわずかに修正する。そういうドライビングは、僕は大人なドライビングだと思う。」
この大人のチームにガンさん率いるLEON RACINGはなって欲しいと思う。
私も大人のドライビングができるように一生をかけて望みたい一心である。
以上でこのシリーズは締めくくりたいと思う。
これから先ホットバージョンが軌道に乗ればベストモータリングの復活もあるかもしれない。しかしただの懐古に終わっては読者の方々の心は掴めないと感じている。
ガンさんと中谷さんには是非主力になって頂きたいが、もっと理論的な切り口でやってほしいものである。最初はバトルはやらなくてもいいからガンさん、中谷さんそれぞれのドライビングメカニズムについてじっくり触れそのイズムを若年層の方々に伝えて頂きたいと考えている。ベテランだけでなく新しい血も必要であろう。
やがてそのイズムを受け継いだ方々がベストモータリングのメインキャスターとして活躍して頂ければ毎号私は買いたいものである。そのキャスターとして相応しいのは、私は荒聖治さんや谷口信輝さんがいいなと考えている。
おそらく私以上にベストモータリング好きな方の中には私の案を却下する方もいらっしゃるだろうが、とりあえずこれが私の案である(笑)。私と違う案の方をお持ちの方ともベストモータリング好きであることに変わりはないであろうからどんどん意見を交わしていき、またそこで自らの見識を広めるのも大いにありだと思う。
次回は私が望む理想のFRを挙げたい。主にテンロク以下クラス、2リッター相応クラス、大排気量クラスに理想はそれぞれあるが、その中で2リッター相応クラスにスポットを当てて取り上げたいと思う。
「中途半端な・・・」という声もあるだろうが、この「中途半端」に思えるクラスの日本車は海外で人気が高く、二極化して極端になってしまったスポーツカー市場の穴場になるのではと勝手に妄想 している。またこのクラスは日本のお家芸のようにも思っている。
妄想が出来上がり次第次回記すつもりである。
Posted at 2013/03/06 19:11:17 | |
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歴史もの | 日記
2013年02月26日
前回シリーズものに近況報告を入れすぎた反省から、今回は近況報告を独立させて記すことに決めた。
帰省して数日経つが、風邪も収まり親知らずをようやく抜ける体調になった。あと1本ややこしく大きい親知らずがあるが、それは夏休みになってからでないと体へのダメージが大き過ぎるので、今回は上側の親知らずを抜いた。夏休みに抜くのは下の方に生えているが、歯肉からは殆ど顔を出しておらず同じように生えている反対側の下の親知らずを抜いた際には難儀をしたものである。
歯肉は見事に腫れ食事もまともにできなかったから、いくら最後の親知らずとはいえ余りにも覚悟が要る。
まあしかし体調もよくなったので、ようやくホットバージョン最新作を拝見することができた。ホットバージョンを購入された読者の方々が舌を巻くのも納得できる出来である。
峠シリーズについては回を重ねる毎に深みが増し画像の質も向上したように思える。迫力が増したとでも言えばいいのか、言葉は見つからないが進化していることに違いはない。数年前まで「峠のどこがいいのか・・・」と見下してした私がこの感想であるほど、群サイにかけるチューナーの方々の思いをまるでドキュメンタリーのように追う力が今のホットバージョンには確実にある。
ジェイズレーシングの復活に触れるあの繊細さ、数年前には期待もしてなかったので恐れ入った。
その一方でやはり妥協をして欲しくない思いが強い私は、前作と同様に局長にお電話した際に「足元カメラの存在」を申した。しかしながら今のホットバージョンの勢いを見る限りだと足元カメラの設置も時間の問題であるだろうと感じた。とにかく勢いに私自身押されそうである。
足元カメラが付けられるくらいの売り上げが次なる課題かもしれない。まあ次は86筑波バトルであろうから間違いなく買うが(笑)。
ここまでやってのけた峠シリーズを観てしまうとレーシングドリフトの感想に難しくなってしまう。ただ間違いなく前回のレーシングドリフトよりはレベルが上がっているように思う。
まあドリフト派とグリップ派でこの企画に関しては意見が分かれるであろうから感想を言うのは大変難しい。その中で私がどうしても気になったのが「ドリフトチームのグリップ走行」である。
車が車とはいえ、どうも土屋さんと岡村さん以外のドリフトチームの方々のグリップ走行に元気がない。ガンさんの言葉を拝借すると「タイヤの運動性を最大限生かしきれていない」ように見えた。
私のような素人が申すべきではないのは承知の上だが、スピードが落ちる所で落ちすぎているように見えた。特に間瀬の最初のシケイン後の右コーナーで顕著であったように思えた。
あくまで提案だが、是非ともホットバージョンで一度は「ドリフトチームのグリップ走行特訓」をやって頂けたらと思った次第である。
しかし数年前までホットバージョンに見向きもしなかった私が図々しくもここまでオーダーしてしまうのだから、ホットバージョンの進化は素直に評価したいし今後も進化をして頂きたいものである。
そんなことをよそに来月の予定は着々と進んでいる。再来月のスーパーGTの開幕戦には何とか足を運びたいものだが、卒研に着手できるか否かと研究室の予定が決まらないことには動きようがないので苛立ちだけが募る現状である。
さて、今回近況報告として独立させた背景としてスーパーGTの体制発表が相次いであったことが関係している。特にGT500に関しては3大メーカーの体制発表が終わったこともあり、ハコ好きの私としては今年の情勢を予想しない訳にはいかない。
LEON RACINGについては後ほど触れるとして、先にGT500から触れよう。
ここでハッキリしたのがミシュラン勢の躍進である。日産がモーラだけでなくチャンピオンコンビの移籍先のニスモまでミシュランを履かせるのは予想の範囲内であるが、驚いたのはホンダである。なんと童夢にミシュランを履かせるというのである。
かつて1994年に始まったJTCCでグループA時代と同様にブリヂストン、横浜タイヤ、ダンロップ、東洋がひしめく中にミシュランが殴りこみをかけタイトルをさらった記憶があるが、今回のミシュランの躍進は何かその時と似ているように思えた。
ミシュランの最近のレースでの強みは昨年の生観戦でも確認出来たが、悪コンディション(特にウェット)でのグリップ力とグリップ力の持続性であろう。これはやはりル・マンを代表とする耐久レースからの莫大なノウハウが生かされている証拠であろう。
実際ル・マンを代表とする耐久レースでのミシュラン装着率は圧倒的なものがあり、今のブリヂストンがミシュランを越えるためには耐久レースでの対決が不可欠だと推測している。
そんなミシュラン旋風が今年も吹き荒れるであろうGT500においてチャンピオンに近いのは、日産であると私は推測している。何しろミシュランタイヤのデータが1番豊富である。
特にチャンピオンコンビが移籍したニスモは期待せずにはいられない。発表前からテストで乗り込むなどやる気マンマンのコンビである。GT300から這い上がってきた柳田選手の気迫あるドライビングも見ものだが、その柳田選手とコンビを組むロニー選手もなかなかノリに乗っている。実はロニー選手に関しては数年前のカルソニック在籍時から気になっていており絶対何処かで化けるドライバーだと確信していたが、今の化け様は間違いなくチャンピオンに相応しい化け様である。
ミハエル・クルム選手やアンドレ・ロッテラー選手のノリに乗っている雰囲気に似たものを感じている。
じゃあニスモ以外は・・・という声があるかもしれないが昨年のチャンピオンチームのモーラもなかなかの脅威である。ニスモから移籍した本山選手は数年前にミシュランがGT500に復帰した際にタイヤの開発もされており、尚且つル・マンでのデルタウィングはミシュランであったのでミシュランに対する知識は少なくないはずである。
そして本山選手が移籍したもう一つの背景として育成があるらしい。かつてカルソニックで本山選手が星野さんに育てて頂いたように、今度は本山選手がエース育成係として戦いに挑むようである。
本山選手の相棒がこれまた強烈である。昨年GT300のGT-Rで暴れていた関口選手である。野生的な速さを持つ関口選手を安定感ある日産のエースに本山選手がサポートすればこのチームも怖い。
日産で唯一のBS装着チームになったカルソニックもコンビが安定しており確実に勝利できる強さがある。星野監督の育成の甲斐かオリベイラ選手がトレルイエ選手に近い爆発的な速さを出せるようになったように思える。近藤レーシングもミハエル・クルム選手が移籍し勝利が期待できるかもしれない。
かなりギャンブルに近い体制なのがホンダである。
ミシュランを装着する童夢には新たにFIA-GT選手権で優勝経験があるマコウィッキ選手が加入し、相棒にはチーム国光から移籍した山本尚貴選手が決まった。
上から目線で申し訳ないが、最近若手育成に明らかに手を焼いているホンダの危機感からマコウィッキ選手の加入が決まったのかもしれない。
以前の育成に定評のあったかつてのホンダは何処へ・・・。
初来日レースでミシュランの開発ドライバーをも務めるマコウィッキ選手は業界関係者からは評判がいいが果たして期待通りに活躍できるかどうか。私自身楽しみでもあり不安でもある。彼の活躍から山本選手が大躍進すれば日産勢を脅かす存在になるであろう。
マコウィッキ選手の起用とは違った意味でギャンブルなのがチーム国光である。童夢のエースである小暮選手が移籍し伊沢選手と組みWエース体制になるが、Wエース体制は吉凶が極端に出やすいので心配である。速さでも開発能力でも明らかに小暮選手が一枚上手だが、喧嘩だけはくれぐれも避けて頂きたい。Wエース体制においてはやはり阿吽の呼吸が必要不可欠なのであり、阿吽の呼吸がないチームほど喧嘩も起きやすい。
その他にもリアルレーシングや中嶋レーシング、ARTAがあるがARTAとリアルレーシングに関してはあまり心配をしていない。いかにブリヂストンが頑張るかが勝負になってくるであろう。
GT500勢で1番チャンピオンに期待できないのがレクサスである。はっきり申すべきではないが、やはりサードがタイヤをミシュランからブリヂストンに替えたのが大きな不安材料である。
おそらく脇阪選手をミシュラン陣営からブリヂストン陣営に呼び戻しブリヂストン陣営に勢いを取り戻そうと企んでいると推測しているが、サードにとっては大きなマイナスになるのではないだろうか。これがただの予測で済めばいいのだが・・・。
クラフトがレクサス陣営から抜けた穴としてトムスが数年ぶりに2台体制にする。ドライバーラインナップには不安要素は見当たらないが、中嶋一貴選手のハコのドライビングからはまだまだ優勝できる雰囲気を感じない。
レクサス陣営事態が坂東商会以外ブリヂストンの力に左右されてしまうので、去年の二の舞にはなって欲しくない。
以上が私のGT500の予想である。あくまでも予想である(笑)。
さてLEON RACINGを軸にしたGT300の予想をしよう。
局長のブログや各メディアで発表の様子が伝えられたが、ついに本格的にガンさんが監督に就任される。ガンさんだけでなく、やはりベストモータリング1996年9月号でデビュー戦が取り上げられた治樹選手のドライバーとしての活躍に期待せずにはいられない。
このチームは引き続きSLS GT3をマシンに使うが、なんと強豪のゲイナーも今年からSLSを使うのだから如何にSLSを始めとするFIA-GT3マシンが人気かがよくわかる。実際ノーマルで若干リアヘビーで本当のフロントミドシップであるSLSはF1セーフティカーで鈴鹿を疾走した際にもバランスがよくトラクションがよくかかっていた。GT3仕様はノーマルのバランスの良さが活かされているらしいから各耐久レースで引っ張りだこなのも理解できる。
しかしゲイナーと違いLEONは昨年のデータがありタイヤもGT300ではダンロップより横浜が強いから一日の長がある。
是非ともチャンピオンになって頂きたいLEONだがその為には是非表彰台の常連になって頂きたい。特に富士や菅生などでは表彰台で治樹選手の笑顔が見たいものである。
チャンピオンを目指すLEONのライバルになるのは、マシンが997か991かイマイチ不明だがポルシェ勢がまず思い浮かぶ。昨年のチャンピオンであるタイサンやハンコックは何れも表彰台の常連であり911自体が耐久性に優れているので強力なライバルになるであろう。ブレーキングとトラクションの良さも911の持ち味である。
1台体制になった一昨年チャンピオンのZ4もなかなか強力である。谷口選手のスキのない洋式ドライビングが何と言っても強力な武器になる。しかもZ4は今年からトランスアクスル化が進みトラクションで有利になった。LEON応援団としてはうかうかしていられない。
あと表彰台を争う相手としてランボルギーニ・ガヤルドも忘れてはならない。
その他には紫電からスイッチされたマクラーレンMP4-12Cがあるが、ムーンクラフトがメインテナンスするとはいえやはりマイナートラブルの心配があるのであまり脅威には感じない。かつて1995年のル・マンで関谷さんを日本人初優勝に導き、翌年のJGTCで黒船として暴れタイトルを総ナメしたマクラーレンF1と比べるとイマイチインパクトに欠けるのは気のせいであろうか。
あとはエンジンを自社開発していないのはしょうがないにしても、マクラーレンF1のようにBMW M社チューニングのスペシャルエンジンと違いどうもエンジンから魅力を感じないのもあるかもしれない。マクラーレンMP4-12Cのエンジンはレーシングサプライヤーのリカルド製だが、リカルドが1から全部手がけた訳ではなく日産のV8ブロックなどや三菱のターボなど寄せ集めが余りにも多いのがどうも目につく。リカルドに頼む背景にはメルセデスとの離婚なども絡んでいるが、離婚したならエンジンスペシャリストのM社に頼めば・・・と余計なことを考えてしまう。
まあ私がブツブツ言ってもカラーリングは紫電の時と変わらないようだからファンはつくであろう。このマシンも海外でようやく勝ち始めているからエヴァ好きの方々は由良さん率いるムーンクラフトも合わせて応援して頂きたい(笑)。
CR-ZやBRZ、GT-Rなどの国産勢は前半戦より後半戦の方が期待できるかもしれない。特に2台体制にしたCR-Zはハイブリッドシステムの熟成が大幅に進めば後半戦にはプリウスと直線番長として争えるかもしれない。またCR-Zの熟成の度合いは次期NSXにも思い切り響くので今年はまさに勝負の年になるであろう。
またまた混戦が予想されるGT300であるがLEONは確実にチャンピオンを狙えるであろう。
私自身スーパーGTプラスの拝見を毎週欠かさずすることに加え、今年はこの目でスーパーGTを出来るだけ観戦したいなと思った次第である。
Posted at 2013/02/26 23:43:48 | |
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近況報告 | 日記
2013年02月20日
本題の前に長い近況報告を。
ようやくテストも終わり悠々自的にブログに向き合おう、という計画が鼻風邪と共に崩れ去ってしまった。おそらく先週学校でもらったが「たかが風邪」と舐め切っていたバチが当たったようである。
龍剛さんのちゃんぽんをすする日には「花粉症」だと勘違いしていたが、翌日にはすっかり花粉症ではない状態になり、よりにもよって最後の試験だというのに酷い鼻詰まりと微熱で頭が回らず大苦戦。
よくよく思い返すと大分に来て通年性のアレルギー性鼻炎持ちの私があまり花粉症に悩まされていないのだから、日曜日の時点で疑うべきであった。
様子がおかしいので試験後耳鼻咽喉科に直行したら高熱になっていた。鼻うがいなどの処置をした後に帰宅すると38℃代まで上昇。終いには38.5℃というインフルエンザの時以来の高熱を出してしまった。
記憶している限りではまともに熱が出たのは新型インフルエンザで騒がれた2009年末のインフルエンザ以来である。実はこの年は2回もインフルエンザにかかっており、入学早々に私を襲ったB型インフルエンザでは40℃まで熱が上がり流石に危機を覚えた。
「うがい・手洗いをしている大丈夫であろう」という考えがいかに甘かったかを再認識させられた結果となった。
ドライビングでも同じだとは思うが、やはり思い込みほど怖いものはないと考えてさせられた数日間であった。
尚、ここまで熱にうなされると流石にやり取りをしていた方々には文章等とんだ迷惑を掛けてしまった。お詫び申し上げたい。
しかしながら、そんな中でもみんカラ関連で様々な計画が順調に進んでいることが何よりも喜ばしいことである。楽しみでしょうがないが、まずは風邪を治さねば・・・。
さて、先日お伺いした龍剛さんのお店だがここのちゃんぽんは「また食べたくなるちゃんぽん」であったことをご報告したい。私自身大のちゃんぽん好きであるが、それが裏に働いたのかちゃんぽんチェーン店で期待大のあまり大失望した苦い経験をしており外食でのちゃんぽんは控えていた。今回唐揚げちゃんぽんがえらく美味であることを事前に聞いていたとはいえ、この美味しさには大変驚かされた。
手作りで高品質の鶏肉に絶妙な味付けの唐揚げ、質のいいたっぷりの野菜、程よい湯で具合の麺に辛すぎないスープが綺麗にコラボする。何よりもこれからが誰ひとつも喧嘩せずに仲良くコラボしているのにさらに驚かされた。
一度御賞味あれ。
ちゃんぽんだけでなく、お店に置かれていた雑誌の種類にも驚かされた。私自身の経験上、どうしても車雑誌の中でジャンルが偏ってしまうがGENROQとREV SPEEDが同じ棚にあることに感銘した。
さらにはホットバージョンもお店に飾られていたから、根っからの車好きであることを強烈に匂わせる。それはご本人からも十二分に伝わって来た。ベスモ通の一面もあるようで「ガンさんはMR2は上手い」とか「土屋さんもMR2でスビンしてたな」と仰る辺り、かなりのベスモ通である。
どうりで走り屋の方々が集う訳である。
そんな熱いお方から同乗のオファーを頂いた。おそらくあの道を走るのであろうが、先日そこで首をやられてしまったのでそのオファーが実現するまでに首を鍛えなければならないなと痛感した。運動不足の私にも程があるな・・・。
さて、随分近況報告が長くなったが本題に入ろう。
その前に前回触れていなかったことについて事前に触れておこう。
中学3年の頃に「修学旅行で1番遊べるから」という安直な理由で後に通う高校に進学する決意をしたがその際に「高校で水泳選手を引退することを前提に全うしよう」ということで水泳部に入部する決意をしたのも事実である。
その高校への体験入学の近くになって諸事情でいきなりF1鈴鹿行きが決定し体験入学後ドタバタで初のレース観戦をした。しかし疲れていたのかなんとあの音の中最初と最後以外大爆睡するという大失態を冒す。おまけに近鉄白子駅までのバスの件で親子喧嘩。今となっては笑い事だが怒り狂いながら白子駅まで歩いたのを今でも強烈に覚えている。
そのような経験をした上での高校生活が始まったが、水泳ではいつもヘロヘロであった。無駄がとにかく多かった。
水泳、特に競泳では「常に前に進むこと」を要求される。しかし、いくら手足をバタバタ動かしても前には進まない。前に進まないから結局遅い。
そのジレンマを解消するためには無駄をなくしながらいかに前に進むかが要求される。自由形を例に取ると、手は水の抵抗を考慮して万歳をする角度で手を伸ばす。ただ伸ばすだけでなく手に荷重をかけるが、出来るだけ静かに水しぶきをたてないようにしなければならない。しかも手首を曲げずに力強く水を捉えてかく事もである。
キックに関しては出来るだけ足を曲げずに伸ばして足と水面が接する面積を出来るだけ広くする。いくらキックのペースを早めても基礎ができないと無意味である。
つまり1掻き1蹴りでどこまで進めるかが結局鍵となる。これができると無駄なエネルギーが減る分疲れも減る。
こう考えができた際に、実は無駄を無くさずに泳ぐことは車でいうタイヤのグリップ力を最大限に活かしながらドライビングするのと似ているのではないだろうか。そう考え始めた際にガンさんの凄さが少しながら分かった気がしてきた。
この考えは後輩を育成する過程で非常に役立った。ただし後輩ができるまでには時間を費やしたが(汗)。
この頃他の学校の水泳部では既に「スイミングスクール所属者」が多かったから対処にも慣れているのであろうが、私の高校にだけスイミングスクール所属者がいなかったのである。それだけ高校での水泳部のニーズが減っている証拠である。もともと1桁代の部員数で危機感は相当であったが、策もまともに考えていないツケがまわってきたのであった。おまけに諸事情で水泳部は分裂状態になった。
なんとしても廃部は免れたい一心であったので半年間スイミングスクールでお世話になったのも今は昔。あの時の行動力が今や局長に初めてお会いした時に繋がっていると自負している。
そんな部活動の一方で、進路もなかなか迷ったのも事実である。私自身元々が文系の頭であったが自動車系に行きたいこともあり理系の先生に進路相談をする。その先生が翌年から卒業時まで私の担任の先生になられるとは、この時つい知らずである。
この時あっさりと「理系に行きたいなら理系をやればいい」と言われたので、今まで悩んでいたのが愚行に思えた。
しかしながら、まだ大学に行くつもりはなかった。どちらかといえば整備士になりたいと思っていた私にとって、一体大学と専門学校のどちらが向いているか全く不明であった。
そこで水泳部が開店休業状態だったこともあり夏休みにオープンキャンパスに行くことにした。大学と専門学校、一体どちらに行きたいのかと。
今振り返ればどうしようもないくらい段取りが悪かったが、大学の方が向いていることに辿りつけたことは非常に大きかった。もちろん専門学校にもメリットはあったが、行った大学での研究がボディマテリアルについてという私にとって興味深い内容であったことがどうやら決め手になったようだ。
この時期今は亡きモテクニカルカレッジ神戸などのモータースポーツ専門学校にも資料請求をしていたが、オープンキャンパスですっかり大学に行く気満々になったのである。
この年に今のGT-Rが発表・発売されたから既にベスモ疾風録のファンであったと思う。毎月欠かさずベスモ疾風録を拝見していたのも良い思い出である。
確か最終回の締めくくりで局長が当時のベスモ(2008年2月号か3月号)の売上について少し触れていた気がする。
この疾風録でスーパーバトル誕生とF40登場の背景や雪上バトル、広報車事件など当時の動きが少しでも目に浮かべられたように思う。
この当時中・高生の間で携帯でのホームページが流行っていた。今ではその流行りがSNSに移ったが、当時私の水泳部でも携帯でのホームページを持っていた。
確か今のGT-Rがほぼ今の形でニュルブルクリンクでスクープされた際の記事を見て、あまりにも期待外れなデザインやメカニズムに憤慨して水泳部でのホームページで散々批判した覚えがある。
とにかく「重すぎる」、「ダサい」、「誰が4WDターボになんかしろと言ったのか」ともはや最近の週刊誌も顔負けの批判ぶりであったと思う。
事実、ベスモ2003年12月号での「出て来い!最強のGT-R!」という特集でベスモが現実的なパターンとして非常にネガティブな予想を出していた。当時のV35スカイラインクーペをベースにすると、もうスカイラインクーペで1500kgオーバーである。さらにアテーサETSとターボ武装で結局1.7tオーバーである。考えてみればベスモのネガティブな予想が当たっていたのである。
このネガティブな予想を覆すためにベスモはNSX-Rや911GT3(タイプ996)、アミューズZ33まで持ち込み締めくくりにはガンさんがM3 CSLを筑波でインプレッションしている。結局ベスモがGT-Rが求めていたのは後輪駆動のNAであった。しかもその後しつこく連載企画としてR32GT-RのNA・FR化までやっている程である。
この企画以前、つまり局長が編集長としていらっしゃった際のGT-R特集でもやはりバランスの取れたGT-Rが欲しい旨をベスモはハッキリとメッセージとして発信していたはずだ。
確かに今のGT-Rは速いかもしれないが、やはりベスモが散々プレッシャーをかけてもこの有様だから現時点でもGT-Rは期日内に発売したこと以外認めることはできない。
この場ではっきり申しておこう。水野氏が自らの独自論で車をつくるのは構わないが、GT-Rの名前をあんな重たい車にこれからも使い続けるつもりがあればバッシングをくらい水野氏が日産から離れたとしても何の悲しみもないことを。
GT-Rは開発側のただの自慰車ではなく、ファンが創りあげてきた車である。たとえニュルブルクリンクで何秒叩きだそうとFRのNAでなければそれはGT-Rではない。それでも本当に水野氏がどうしてもGT-Rとしてあの車にそう名付けるのであれば、まずはノーマルレイアウトのほとんどチューニングしていない状態でニュルブルクリンク24時間耐久を制してからにしろと。
熱くなり過ぎたが、当時からGT-Rに対するスタンスは変わっていない。
さて、軌道修正しよう。高3になり水泳部の存続も何とか保たれたが志望校は相変わらずボンヤリとしていた。私立大学は当時ル・マン24時間耐久レースに参戦しており、教鞭をとる方もニスモ総監督の柿元さんなど豪華であった東海大学に決めていた。対して国公立大学の方は行きたい所と偏差値が全く合わずにいた。
よりにもよって受験勉強にスランプが訪れた。幸いにも担任の先生のご厚意で京都工業繊維大学のOA入試を受けるもあえなく撃沈。しかしながら親は当然の如く国公立大学を望む。
そんな矛盾を抱えながらセンター試験も近づく頃。センター試験2週間前に進路相談を受けるが、その時に衝撃的な答えがこれまた「あっさり」と来た。
「九州行ったら?大分とか宮崎はどう?」
すっかり四国より東に行くことしか頭になかった私にとって開いた口が塞がらなかった。
帰宅後親に伝えると母親も口をポカンとさせていた。しかし父は私の偏差値を息子の知らぬ間に調べていたらしく、このことを伝える際には既に何もかも見透かしていた顔であった。
全く親とは恐ろしいものである(笑)。
あまり成績のことなど相談しなかったはずであるが・・・。
担任の先生の勧めで九州の大学を調べると大分大学と宮崎大学に目が留まった。可能性も偏差値からしてある。センター試験翌日の自己採点で、その結果をもとにした可能性判断も大分大学と宮崎大学は可能性が高かった。しかし、一般入試では国公立大学は1校に絞る必要があるので高知から近い方の大分大学に決めた。
よく「なぜ高知から大分に来たのか?」と尋ねられる方々が多いが、意外にも私でも腰抜けするぐらいの理由である。
あとは中学の時の修学旅行で、私だけの学年だけ九州であったことから、よくよく考えると九州に元から縁があったのかもしれない。
そんなにあっさりなのか・・・と思われる方も多いであろうが、国公立大学の一般入試までに既に東海大学に合格していて気持ちの余裕があったことやラッキーなことに倍率が異常に低かったこと、さらには入試問題自体が簡単であったことが重なり、難なく大分大学に入学する運びとなった。
幸運なことは意外にトントン拍子で来るのだな、としみじみ思った。
さて、本来なら今回でこのシリーズを締めくくりたかったがあまりにも長くなってしまったので、大学入学後から現在に至るまでの経緯は次回に延長したい。次回でこのシリーズの最終回にしたい。
パソコンではなくiPhone、つまり両手ではなく片手での執筆であったので大変時間がかかったのでどうか寛大な気持ちでこの酷い文章を受け止めて頂けると幸いである。
Posted at 2013/02/20 11:42:13 | |
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