1977年(昭和52年)の4月頃、1975年(昭和50年)4月から、2年間乗っていた 中古(昭和46年式)セリカGT(TA22)から
新車のスプリンターLB GT(TE61)に乗り換えました。
理由は、セリカのボディにヤレが出てきたのと、下取り価格が良かった事、
排ガス規制の影響もあり、乗り換えになりました。
この当時は、暴走族の暗躍が全国的な社会問題となっており、自動車好きな人(私も含む)には「暗黒のカーライフ期」と言ってもいい時代でした。
というのは、今では信じられないことですが、車両のドレスアップどころか、タイヤ、ホイールを変えただけでも車検に通らないのが当たり前になっていました。
なので、車高を下げたり、マフラーの交換はもとより、ステアリングホイール交換、スポイラー装着も純正オプション以外はNG、となっていました。
そのため、車検時には「完全フルノーマル」の状態でないと車検が受けられない時期でした。
ただ、タイヤは車体からはみ出なければ、通常の検問などでアウトにはならなかったのが、せめてもの慰めでしたね。
なので、せめてタイヤだけでも決めたいと考えて、今では巷でゴロゴロいる
引張りタイヤにすることにしました。
この時は、国産タイヤでは、70扁平タイヤが最上だったので、少しでも太く見せるために、セリカを乗り換える半年くらい前に、エンケイメッシュの7J×13
インセット+5のホイールに、185/70HR13のタイヤを組んだセットを購入して
履かせました。
それまでのセリカには、5.5J×13(鉄チンホイール)に185/70HR13を装着しており、それなりに見られる状態でしたが、引張り気味のタイヤセットを装着すると、グッと迫力が増しました。
しかし、半年後に車を入れ換えたため、そのタイヤセットを次の車に装着しました。その時の写真です。
1977年(昭和52年)4月に撮影しました。
納車後、即タイヤを交換して、1週間後に写真を撮りました。
何といっても45年前の写真なので、色褪せ・ピンぼけはご容赦願います。
何故、この様にした理由ですが、
本来ならば、太いホイールに太いタイヤの組み合わせがベストなのですが、
この当時の太いタイヤは、アメリカ製の「パーネリージョーンズ」というワイドでホワイトレターのバイアスタイヤが流行っていて、それなりに値段も良いのと、ラジアルタイヤよりグリップレベルが落ちるし、アメ車の荷重に合わせたタイヤなので、国産の軽量車には合わないとの記事を読んだことで、通常のラジアルタイヤにしました。
ホイールとタイヤの組み合わせサイズの方ですが、これも、雑誌の記事でフェアレディZが、サファリラリーに出場した際に、7J×14のホイールに185/70HR14のタイヤを組み走行したとのことで、この組み合わせでもいけるんだと思い、実施しました。
(後で確認できたのですが、実際のラリーではタイヤのエア漏れを防ぐために、チューブ入りのタイヤを使っていたとの事でした。)
今の低扁平率のタイヤと違い、タイヤのサイドウォールの高さもあり、柔らかいために、少し空気圧を上げてやればタイヤが外れるようなことも無く、いたって普通に問題なく走れました。
でも、今の低扁平率のタイヤで無茶苦茶に引張りタイヤにしているのは、リスクが高すぎると思います。
引張りタイヤにするなら、最低でも60扁平くらいが限度でしょう。
後は自己責任かな?(^^;)
Posted at 2023/07/18 00:16:14 | |
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