
ポピー
和名・・・・雛罌粟(ひなげし)
スペイン名・・・・アマポーラ、
フランス名・・・・コクリコ
別名・・・・麗春花(れいしゅんか)、虞美人草(ぐびじんそう)、
花言葉は
「恋の予感」「いたわり」「陽気で優しい」「思いやり」
5月の花としては、ポピーもその一つですね。
花言葉も、愛らしいものばかり。
もちろん、見た目も。野原に色とりどりのポピーが咲いてる姿は、かわいいものです。
麗春花なんて、まさに春うらら。
映画のタイトルにもなっていますね。
「 From Up On Poppy Hill 」。そう。ジブリの「コクリコ坂から」。
がっ!
このポピー、けっこう情熱的、かつ、激情的な花でもあるんです。
与謝野晶子の歌に、
ああ皐月 仏蘭西の野は火の色す 君も雛罌粟(こくりこ) われも雛罌粟 (こくりこ)
というものがあります。
これは愛する夫をフランスに尋ねたとき、野原一面に咲くポピーを見て歌った夫婦愛の歌です。
愛らしい、かわいい、というイメージよりもむしろ、燃えるような情熱を感じさせます。
さらに、別名、虞美人草の由来となった中国の「十八史略」項羽と劉邦の物語で、
項羽の美しい妻、虞、の最後、自ら喉を斯き切った時に流れた赤い血から
咲いた花がこの花、虞美人草とも言われています。
そして、極めつけが、夏目漱石の「虞美人草」。
主人公の藤尾さんが、虞美人草なのかは別として、けっこう、怖い話となっています。
以下、結末を抜粋。
「藤尾さん、これが小野さんの妻君だ」
藤尾の表情は忽然として憎悪となった。憎悪はしだいに嫉妬となった。
嫉妬の最も深く刻み込まれた時、ぴたりと化石した。
「まだ妻君じゃない。ないが早晩妻君になる人だ。五年前からの約束だそうだ」
小夜子は泣き腫らした眼を俯せたまま、細い首を下げる。藤尾は白い拳を握ったまま、動かない。
「わたしを侮辱する気ですね」
化石した表情の裏で急に血管が破裂した。紫色の血は再度の怒を満面に注ぐ。
「宗近君の云うところは一々本当です。これは私の未来の妻に違ありません。」
藤尾の表情は三たび変った。破裂した血管の血は真白に吸収されて、
侮蔑の色のみが深刻に残った。仮面の形は急に崩れる。
「ホホホホ」
歇私的里性の笑は窓外の雨を衝いて高く迸った。
同時に握る拳を厚板の奥に差し込む途端にぬらぬらと長い鎖を引き出した。
深紅の尾は怪しき光を帯びて、右へ左へ揺く。
「じゃ、これはあなたには不用なんですね。ようござんす。
――宗近さん、あなたに上げましょう。さあ」
白い手は腕をあらわに、すらりと延びた。
時計は赭黒い宗近君の掌に確と落ちた。宗近君は一歩を煖炉に近く大股に開いた。
やっと云う掛声と共に赭黒い拳が空に躍る。時計は大理石の角で砕けた。
「藤尾さん、僕は時計が欲しいために、こんな酔興な邪魔をしたんじゃない。
僕は人の思をかけた女が欲しいから、こんな悪戯をしたんじゃない。
こう壊してしまえば僕の精神は君らに分るだろう。これも第一義の活動の一部分だ。」
呆然として立った藤尾の顔は急に筋肉が働かなくなった。手が硬くなった。足が硬くなった。
中心を失った石像のように椅子を蹴返して、床の上に倒れた。
つまり、藤尾さんは、極度の嫉妬とヒステリーで、憤死したことになります。
タイトルに似合わず、なんと悲惨!
ポピー、雛罌粟、虞美人草、
一つの花なのに、呼び方によって、なんと違ったイメージを持つのでしょうか。
不思議な花です。
以下、「虞美人草」藤尾さんの死後の一節
凝る雲の底を抜いて、小一日空を傾けた雨は、大地の髄に浸み込むまで降って歇んだ。
春はここに尽きる。梅に、桜に、桃に、李に、かつ散り、かつ散って、
残る紅もまた夢のように散ってしまった。
春に誇るものはことごとく亡ぶ。我の女は虚栄の毒を仰いで斃れた。
花に相手を失った風は、いたずらに亡き人の部屋に薫り初める。
Posted at 2013/05/11 02:07:55 | |
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