
上司のお父様が亡くなられたので、
お通夜に行ってきました。
岡崎は「三河の一向一揆」が家康を悩ませたくらい、
浄土真宗が根づいた地域です。
今日のお通夜も、真宗の方式で行われました。
お経のことはよくわかりませんが(^^;
さすがに「あ、聞いたことがある」という感じですね~。
読経が終わった後、おっさま(お坊さんのことをこう呼びません?)が、
長々とスピーチをされました。
普通なら法話っていうんでしょうが、
故人と面識が深かったようで、
法話というより思い出話になってましたね(^^;
故人を知らない私としては、よくわからない部分が多かったんですが、
その中で、ひとつだけ心に残ったことがあります。
震災で亡くなった方々で、
『自分がいまから死んでしまうんだ』
と思って死んだ人は、とても少ないはずです。
私たちは、生きていることを『当たり前』だと思っています。
震災で亡くなった方々もそうだったでしょう。
でも、人間はいつ死ぬかはわかりません。
仏様のお蔭で、生きて、修行をさせていただいている、
『お蔭さま』、ありがたいなぁ、と思わなければならないのです。
信心の薄いさくらさくですが、
なんだか、ストンと胸に降りてきました。
生きていることを「特別なこと」と思ったことはありません。
生きている以上、生きなければならないとは思いますが、
自分がいつかは死ぬとわかっていても、
あんまり意識したことないなぁ、というのが正直なところです。
でも、「いつか死ぬ」ということは、
「いつ死んでもおかしくない」ということでもありますよね。
じゃあ、いつ死んでも悔いがないように生きているか?
いつ死んでもおかしくないのに、生きていられることに感謝しているか?
と訊かれたら・・・・(^^;
所詮凡人ですので、悔いがないように生きるなんてできませんし、
ワガママな煩悩の塊のようなものですけれども(--;
「お蔭さま」ってのは、なんだかいいなぁ♪ と思いました。
そして、普段なら絶対考えない、そんなことを考えられただけでも、
今日はおっさまのお話が聞けてよかったな、と(^^)
珍しく、そんなことを考えました。
Posted at 2007/01/19 00:34:46 | |
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雑多 | 日記