『炎のさだめ』を彷彿とさせるような
ブログの題名なのはナイショ。(いらんw
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今日のブログは長くなります。
お時間ある方はお付き合い下さい。
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↑:私の元を去ろうとしているスープラの姿
ウチの母が乗ってた70スープラですが、去年の10月に車検が切れた後、ずっとずっと
一時抹消もされるコトもなく、自宅の車庫に放置され続けていました。(爆
というのも、「どうせ解体屋に持っていくのなら、必要な人に部品使ってもらいたい―」という母の意向
もあり、使えそうな部品はフオクで100円出品する予定でしたし、借りたマインズのROMを返却する
ためにダッシュボード周辺、シート、トリムなどもバラした状態で、限りなく解体屋さんが解体しやすい
状態にしていましたし、自分の暇さえあればスープラから部品を外したり、写真を撮ったりして、
あとは面倒なフオクの出品をするのみ、の状態となっていました。
>フオクに出品するのが面倒なんだよなぁ
* * *
そして最大の問題が、税金逃れで祖父名義にしてしまっていたので、通常の抹消登録以上に
手続きが面倒でして、陸運局に抹消登録するために提出する書類もハンパなく多かったのです。
まず必要なのはスープラの「車検証」もさるコトながら
亡くなった祖父の、相続人であるコトを証明できる「戸籍謄本」、「除籍謄本」
相続人全員の「実印」と「印鑑証明書」と、スープラを誰の名義にするというコトを決めて実印を捺印
した「遺産分割協議書」など、、、。
書類代だけでも2000円を超える上に、提出した書類も8枚を超えました。
そして、除籍謄本は区役所でしか取るコトができないとキテいました。
一時抹消するだけでも大変だとは知ってましたが、手が開かない、面倒だと理由をつけて
とりあえず3月末までには解体抹消にしようと思って放置してました。w
* * *
そんな中、T&R繋がりの「桃花さん」のブログにコメント入れていた「大和魂」さんって
どんな方なんだろう~。と興味本意でクリックしてみたら
なんと!母と同じスープラに乗っているジャマイカ!!
早速、『2.5Rの部品余ってるんですが、貰ってくれませんか?』的なメールを送ったところ、、、
とんとん拍子で、、、、
「車体毎下さい」的なメールになって、、、、
Σ(- -ノ)ノ
木曜日の時点で
「今度の土曜日に伺います」的なメールになって、、、
(((((;゚Д゚))))ブルブル
慌てて金曜日の休みはオール・スープラデーとなってしまいました。(爆
・゚・(ノ∀`)・゚・。
* * *
長く乗るつもりでオイルエレメント9個が余っていた、スープラ純正パーツが余っていたのも
そうですが、「まさか車体ごと引っ張っていくだなんて、漏れとさきにしさんと鉄人ぐらいしか
そんな暴挙しねぇYO!w」「こんな熱い人が居たとは!」「是非ともお役に立ちたい!」「類は(ry」
などと思いながら、まさに嬉しい悲鳴。
金曜日は、仕事よりも早く朝の6時に起床、そっから破竹の勢いで飯を食って、
7時からタイムアタック的な要素で、スープラのトリム類を組み上げ、
9時には仮ナンバー申請に必要になる車検証を先方さんにFAXした後、区役所などに出向いて書類
を揃えて、空になったスープラに燃料を買ってきて給油して、久々にエンジン掛けたからアイドリング
安定してなかったけど、暫らく暖気してたら直ってきたので「これなら明日、乗って帰れるな」という実感を感じたあと、スープラからナンバー外して、陸運局にレッツゴーして、、、、
16時の受け付け終了ギリギリ直前で、申請通過!!
晴れてこの日、スープラが母の名義で一時抹消されました。(爆
喜び勇んで、先方の大和魂さんに、抹消の旨を報告するコトができましたが、
内心、この日はハラハラしっぱなしでした。w
* * *
翌日の土曜日は、約束の日。
私は、朝からスープラの洗車と室内清掃をしました。
それが私にできる最後の作業でもありました・・・。
掃除してる最中、自分のクルマでもないのに、母から幾度ともなくスープラを洗わされてブチブチ
言いながら洗車した休日の午前中などを思い出してきて、微妙な気持ちの錯覚に囚われてきました。
「嘗てダルマに乗れなかった母の気持ちの固まり」ではありましたので、私はその気持ちの可能な
限り、手伝ってやるコトが私の役目でもありましたが、しかし自分のクルマではありませんでした。
ですが母以上の愛着を、母のスープラのドコカに感じていたのも事実ではありました―。
そして積んでる1Jエンジンについて、
どこかのチューナーが「冷静と大胆」と形容していたのを常々に思い出していましたし、
あのエンジンのエキゾーストノートは天下一品だとも思っているぐらいです。
というのも、ドコとなく楽器が演奏者の表現力を伝えてくれるようなのと同じような感覚で
あのエンジンは私の気持ちが伝わる瞬間があったからです。
例え燃費が悪くても、味わえない感覚というか、日産にはない味だったというか、、、
それこそ「70スープラ」というクルマの醍醐味でもありますが、私と母と口を揃えて
「スープラに乗れて良かった・・・」と言いますが、
ホントは「ずっとずっと乗っていたかった・・・・。」
私はニッサン好きを自負している手前、そういったトヨタ的な要素でもってバランスを保っている
部分があったりするんでしょうが、現代にはないトヨタらしいスポーツカーは、今のクルマに感じる
コトはありません―。
ただ、スープラに乗れてなかったら、今自分たちが普通に感じているコト、思っているコトは
違っていたかも知れませんし、更に言えばスープラに乗ってきたという礎があった上で、
私達の生活が送れているのかも知れません。
一つが「小さなコトに囚われない」コト。
随分と母も大胆なコトを言うようにもなりました。(爆
しかし母は付き合った男の数より多い車歴の中でも多く、どんなクルマよりも最高に良かったと
感じている愛車を手放すという気持ちは、私も最高のラルゴを手放したというコトで理解している
つもりです―。
* * *
結果的に母は乗っていたスープラを、必要としてくれる方の元に譲れたコトに
私も母も大満足しています―。
浜松ICまでスープラを見届けている最中、スープラが見えなくなった瞬間、
感じたコトのないような感情が私の気持ちを支配しました。
嬉しいような、淋しいような、辛いような、、、、。
でもしかし「みんカラ」やってて良かったと思います。
必要としている方にスープラ渡せてよかった・・・・。
みんカラやってると、私は多くの時間を犠牲にしなければなりませんが、
クルマが通じて、私に与えてくれる要素は限りなく大きいモノなのです―。
今の私は、それが大きな財産の一つでもあります。
でなければ、手持ちのラルゴを処分してでもテラノ買いませんしね。(笑