
かれこれ4ヶ月ぶりぐらいに
親のコペンに乗ってみました。
一応、名目は「コペンにガソリン入れにGSまで」というコトなんですが、
もう4ヶ月も乗ってないと、コペンの感覚を忘れるのに充分なほどw
親のコペンに乗らなかったのは、単純に所有権が親にあるからというコトも一利ありますが、
僕自身、「テラノ」と「セロー」さえあれば、日常生活的にも、趣味的にも、何ら困るコトも
不満がたまるといったコトもないからに他なりません。
通勤はセロー。
雨ならテラノ。
荷物と人を乗せるときはテラノ。
知らない浜松をするにはセロー・・・。
オフ走るならセロー、ときどきテラノ、といった使い分け、使い方をしているから。
SUVとオフ車なんて、キャラが若干カブっていたりしていますし、
双方に“泥を匂わせる部分”がありますが、キャラクター方向性は違うトコロにあると
僕は思っていたりしています。
しかし季節は巡り、オープン走行するに最適な季節になってきました。
同じ5速MTコペンに乗っている「あっきー」さんのブログで夜走してきた、というブログを見て、
「僕もコペンで夜走したい!」と思ったのは、やっぱりコペンに乗りたい!というコトなんですw
それこそ、数ヶ月ブリに。(w
* * *
車庫で暖気中、電動の屋根を開けて、
T-SQUAREのアルバム「WAVE」を読ませて、気持ちは何故だかワクワクしてました。
コペンはまるでレーシングカートのようなステアリングです。
むしろ尋常じゃないほど鋭いんで、幹線道路までは戸惑うぐらいでしたたが、
久々のマニュアル車に、忘れかけてても、ちゃんと出来ていたヒールエンドトーはできました。w
でも何故だか交差点でサイドブレーキレバーに手が伸びてしまうのは・・・?
テラノもSUVにしたら、ちょっと驚くハンドリングをしていますが、
もう根本から違う。
そう言えば母が漏れをテラノを運転して、
「アクセルもハンドルも軽い!」と言っていたコトを思い出していました。
母がそう言った理由が、なんとなくでも理解できたぐらいでした。
そしてコペンを運転しながら、以前そういえば、、、
「母さんが乗ってたスープラ、ガソリン高騰とエアコン故障と、車検のタイミングが揃わなかったら
まだ乗ってた?」と聞いたコトを思い出していました。
そうしたら母が
「乗ってたカモね・・・。(*´ω`)」
と、ボソっと言ってました。
スープラ替え替えのとき、R33型GT-RのVスペ、GDB型インプのWRX、、、
いろいろと見てきましたが、やっぱり母にとってスープラとセリカXXは“特別・度外視”だったんだと
母の気持ちを見通していましたが、今でもやっぱりスープラ熱は覚めてないみたい―。
故障のタイミングと、ガソリン高騰の折、エアコン稼動4km/L台というヤバイ燃費もあって
車検切って、庭のオブジェに2,3ヶ月ほどなってて、手放す段階になって、
同じスープラ乗りの大和魂1220さんとお友達になって、みんカラ上や、WEB上の繋がりを知りました。
実は母に70スープラ乗せてあげれたかも?
漏れが、そういった手伝いをするコトができたかも?
漏れがもっと、70スープラの内燃機関を手入れしてあげれば・・・?
漏れがもっと、70スープラに大事にしていれば・・・?
漏れが自分の愛車のように管理していれば・・・・??
そういう疑問を、失って始めて感じていました。
そしてそんなコペンも、母は乗りっぱなしの状態です。
「自分のクルマなんだから、自分で管理して」と言っていますが、
正直、エンジン終ったらコペンも終らせてしまうかも知れません―。
かつての母の愛車、L200S型ミラ・アバンツァート5MTのように
漏れがダッシュボード剥がしてエアコンガスのリーク場所を探したり、、、、
数え切れたら判らないぐらいの修理と、モディファイを限られた予算でやりくりしつつ乗っていて
最後は、エンジンとミッションとドライブシャフトの寿命ギリギリ、という部分まで乗りました。
が、実はそれら総て50万円の予算組んでリビルトに交換して、乗り続けるつもりでした。
「でも50万円あったら頭金になるよね」と言いつつ、準備してる段階だったんですが、
どういう縁なのかスープラが我が家にやってきて、母を完全に虜にしてしまったのです。
ミラに乗らなければ、母はスープラに乗らなかっただろうし、
スープラを手放さなければ、母はコペンに乗らなかっただろうし、
僕がミラを母以上に気に入って、セカンドカーのようにイジリ倒していなければ、
20万キロ間近まで、走れなかったでしょう。
そして、
鉄人氏がミラを納車しなかったら、
僕は教わりながら、資料見ながらミラのタイベル交換を自分でやることもなかったでしょうし、
イジりながら、ニッサン車にはないダイハツ車の本気っぷりを知ることもなかったでしょう。
こうやってみんカラやってて、結果的に僕は僕自身のカーライフの変化を齎すことができました。
その延長線上であっても、やりかた次第には母親のカーライフを、もっと快適なモノにすることが
可能であるハズですが、僕はそこまで深くみんカラをやっていません。
その証拠に、コペン乗りのお友達は一人もいません。
もっと僕自身がコペンについて知ろうとしたり、情熱を傾けてみたり、
コペンについて情報を集めたりすれば、
なにかしら、母のコペンに反映できるモノがあるのではないだろうか?
そういう風に思ったんですわ。w
でも、テラノとセローとコペン3台に均等な愛情を注ぐ器用なコトが
僕にはできなかったりするのが、最大にしてどうしようもない理由ww
今日もうだうだ、長いブログになってスミマセン。