ネットで動画を閲覧していて、湾岸ミッドナイトのアニメのOP曲を聞いて思った。
(今回はかなり独断と偏見になってます(^。^;))
僕は今では、主に峠を走る走り屋をしているけれど、「頭文字D」と「湾岸ミッドナイト」にはとても多くのことを教わった。
なにしろ、僕がクルマに興味を持ち、実際にクルマを手に入れるまでには6年ほどかかっているため、その間の走り屋予備軍としての毎日は、雑誌や漫画、動画がすべてをほば占めていたからだ。
(最後の方はレンタルカードやGTをハンコンでやり少しでも練習になればと思っていた。)
今回は、この2つのマンガについて考察してみようと思う。
連載当時、この2つの車を題材にしたマンガはともに雑誌ヤングマガジンに掲載されている定番マンガで僕が読み始めたとき、もうすでに両作品とも連載が始まってから10年以上が経過していた。
車を題材にしたマンガと表現したが、僕は正確にはこの2作品はともに「走り屋」を題材にした作品だと考えている。両作品の決定的な違いは走るステージで頭文字Dは峠、湾岸ミッドナイトは首都高というところである。
車を扱ったマンガはほかに月刊少年マガジンで連載していた「Capeta」を知っているが、こちらは本格スポーツロマンと釘うち、正当派なモータースポーツを題材にしている。(カートからフォーミュラに乗り、レーシングドライバーになるという)
頭文字Dと湾岸ミッドナイトがそういった正当派のモータースポーツではなく、アンダーグラウンドで日の目の当たらない「走り屋」という世界を描いていたのはとても意味のあることだと思うし、ある意味、日本の車社会を象徴しているように思う。
なぜなら、日本において、モータースポーツは欧州などと比べ、人気がなく、車で攻めるということ自体危ないイメージや悪いことしているイメージがどこかあり、一般的にモータースポーツは趣味としての地位が理解されづらいように思うからだ。また、カートなどを本格に始めるのはとてもお金がかかる。
そうなると、好きなモータースポーツをやるには夜の闇の中こっそりと。というのが一番身近でてっとりばやい。
現に僕が、最初に「走り屋」に興味を持ったのは、自分でも地元で最速になれるかもしれないっという身近さから来るものが大きかった。
F1などは確かに世界1速いかもしれないが、乗れるのは一握りの人間。僕は観るではなくやる(乗る)ほうがしたい方なので、やはり実際に走れる「走り屋」の世界はまさに夢のようだった。
その世界のことを教えてくれるのが正に上記の2作品だった。
しかし、この2作品はそれぞれ異なるアプローチから、走り屋という世界を描いている。
頭文字Dはざっくり言って、峠というステージをいかに速く走るかをストイックに描いた作品であると思う。
そして、湾岸ミッドナイトは首都高を走るためのテクニックも描いているが、どちらかというと、チューニングカーとドライバーとの関わりを通じて、走り屋の感性、考え方、世界感を描いているように思う。
今現在連載している「車で走ること」を題材にしたマンガはoptionで連載中の「rpm」しか知らない。
まるで、僕が、クルマを手にしたと同時に上記2作品は終わってしまったように感じていた。
でも、この2作品があの時期、両方リアルタイムで読める状況にあったことが素晴らしいことだったと今ふりかえってみて思う!
しかも、同じ雑誌で。
僕の公道ランナーとしての日々は始まったばかりですが、頭文字Dや湾岸ミッドナイトのように車が持つたくさんのことを実際に学び、そしてそれを次の世代に伝えていきたいなっと思います(^_^)
願わくば、いいクルママンガがまた出て欲しいなぁ(*´∀`)
今回は小説(?)調でしたが最後まで読んで頂きありがとうございました(^o^)
Posted at 2014/01/10 02:52:39 | |
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