
「なぜ、危険を犯してまで、車の限界を引き出して走るのか?」
当たり前だが、モータースポーツに接しない一般の人からしたら、それは危ないことでしかないっと思われる。
例え、サーキットであっても、危険がないわけじゃない。
では、そこまでして、なぜ走るのか?
これに関してはとても答えることが、難しいと思う。
その人その人、また、時によっても変化するものだと思われるからだ。
でも、もしそれに近い答えがあるとしたら…
僕が走る理由の一つを書き記したいと思う。
それは「感覚で生きたい」からだ。
僕は周りのひとからは、車について、スポーツ系に関わらず、すごく知っているね。っと言われるが、それは感覚で走るために必要なだけで、目的じゃない。
(僕が、キョーミのある知識は「どんな車でも乗りこなせるようになる」ための知識)
生きていれば、思い通りにいかないことなんて、たくさんある。
欠点だって、すべてが改善できるわけじゃない。
だから、ただ生きているだけでも、そこには苦痛や忍耐、妥協が必要になる。
そんななかで、車を限界領域で気持ちよく(まるで、自分の手足のように)走らせているときは、すべてを忘れて没頭できるっというか、ある意味過去も未来もどうでもよくなる。
これは説明しづらいことだけど、ドリフトをしているときや、車が滑るか滑らないかってところをコントロールしているとき、もうなんというか「理屈抜きでおもしろい」んだ。
「自分の思ったとおりに車が動くから」からもしれない。
僕のなかでは、理想は「感覚的に車を走らせる」ことが、理想だ。
そうしているとき、ある意味現実のいろいろなことをすっとばして、「心地よさ」を感じることができるんだと思う。
だからこそ、自分が思い描いた走りを実現するため、高いお金をだして、車をチューニングし、例え車の寿命が減ると分かっていても、パワーを上げたりしようとするのだと思う。
(↑まだ僕はイジってないけど、今の気持ちです。また、冒頭にも書いたように、車を楽しむ理由は人それぞれで、これは僕の個人的に思ったことですm(_ _)m)
うまくつたえきれなかったところは多いですが…(^。^;)
僕は、車をそれなりのレベルで走らせることの楽しみは理屈を突き抜けたところがあると思います!
(確かに走らせるのに理屈は必要ですが、それだけではないと思うし、僕のなかでは感覚的に感じることのほうが大きいのでは?っと思います。)
Posted at 2014/03/09 14:18:36 | |
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