私がバロック音楽を聴くのは久しぶり。
ここ数日、車の運転中に聴いている。
ヴィヴァルディの「春」は有名だ。
しかし、「へそ曲がり」の私はマイナーな曲を好むのだ・・・(^_^;)
特にこの時季は、タイトル通りの「冬」に耳を傾けたくなる。
そして、このタイトル画像の演奏・・・
一聴すると破天荒だが、妙に心に響いてワクワクするのだ。
まるでロックのように刺激的でダイナミック。
300年以上も前に作られた曲とは思えないほど、現代的で刺激的な演奏が繰り広げられる。
作曲 : アントニオ・ヴィヴァルディ(1678年-1741年)
曲目 : 和声と創意への試み 作品8(1725年 出版) より
協奏曲第4番 ヘ短調 (通称:四季から「冬」)
演奏 : ネマニャ・ラドゥロヴィチ (ヴァイオリン)
【「冬」は、13分10秒から】
ラドゥロヴィチの演奏は、一般的なヴィヴァルディの演奏とはかなり異質な存在だ。
次のオーソドックスな演奏と比較すると、その異質感がよくわかる。
演奏 : ジュリア・フィッシャー
(ヴィジュアル的にはこちらの方がいいんだけど・・・(^_^;))
「冬」は3楽章構成だが、3曲ともラドゥロヴィチの演奏には凄まじい緊張感がみなぎっている。
第1楽章は、冬の冷たい空気感と時折吹く肌を刺すような風を表現しているかのようだ。
第2楽章は、本来なら家の中で家族が暖炉を囲んで語り合っているかのような雰囲気。
しかし、ラドゥロヴィチの演奏は、雪の中で楽しげにそり遊びをしている子どもたちの様子のように感じる。
第3楽章は、雪雲が広がる空の一角から、日の光がのぞき、春を待ちわびながら寒さに立ち向かう力強さを感じる。
ラドゥロヴィチの演奏は野性的かつ刺激的でありながら、時折みせる聡明な響きが特徴だ。
強弱を大胆につけて立体感を生み出し、非常にリズミカルに曲を進める。
チェリストの女性との緊張感あるセッションや、奏者全員の一糸乱れぬリズミカルな演奏に、ある種のカタルシスを覚える。
「四季」をこの演奏で初めて聴く人は、他の演奏は退屈に感じてしまうのかもしれない。
(上の動画を最初から聴くと、春→冬→秋→夏の順で演奏されているのも、ラドゥロヴィチの面白い演出だ)
それにしても、ヴィヴァルディの音楽は驚異的だ。
300年以上も前に、このような劇的な曲を作ったのだから。
曲調も和声もソロの旋律も・・・およそバロック時代の音楽とは思えないほどの革新的な音楽だと思う。
このような斬新な曲だからこそ、当時は大ヒットしたのだろう。
それが、現代の鬼才・ラドゥロヴィチによって、時空を超えて新たなエネルギーを得た曲となって蘇ったのがこの演奏なのだ。
このような斬新な解釈の演奏には、目をしかめるクラシック音楽ファンもいる。(←頭が固い!)
しかし、音楽というものは時代とともに変化していて、その時代に合った演奏や解釈が取り入れられている。
だから、ラドゥロヴィチの演奏も大いにありだと私は思う。
決して、クラシック音楽は退屈な音楽ではない。
作曲者がインスピレーションを得て、持てる技法の限りを尽くして創り上げた芸術。
それを演奏者は曲を研究して、テクニックを駆使して音楽の真髄を表現する。
美しさ・力強さ・優しさ・悲しさ・楽しさ・・・あらゆるものを音を媒介として伝えてくる。
心が震える感動を味わえる音楽なのだ。
曲から何を感じて、どれほど心が動かされるか・・・
それは、曲だけはなく演奏者の力量にも左右される。
解釈と演奏の仕方次第で感動と魅力は何十倍にも増加する。
そうした音楽だからこそ、何百年も演奏され続けてきた。
みんな同じような演奏では、面白味がなくなり、忘れ去られる。
音楽は時代を創る。
時代が音楽を創る。
素晴らしい音楽は時代を創り、時代を超えて連綿と受け継がれていくのだ。
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クラシック音楽 | 音楽/映画/テレビ
Posted at
2017/01/14 22:19:07