2010/08/13 北九州・灯台巡り。
投稿日 : 2010年08月14日
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まずは、先行ブログの答え。
《僧 清虚(そう せいきょ)の像》
部埼灯台の下の海岸にタイマツを右手にもった立像が建っています。この人は清虚(せいきょ)という人で、今の部埼(へさき)灯台が無い時代に灯台の代わりに燈明を焚き続け船の安全を図った人です。現地の説明文には下記のように書いてありました。
この部埼(へさき)はその昔、狐埼、念仏埼と呼ばれた航海の難所でした。天保7年(1837年)大分県国見市の竹田津港から下関経由で高野山に向かう途中、便船に乗りあわせた旅僧清虚(俗名 太兵衛…大分県国東市国見町出身)は船客が数珠を手に念仏を唱えるのをみて何とかこの難所から多くの人命を救おうと燈明台を建て火を焚き続けることを決心。船頭に頼んで青浜に上陸しました。山の中腹にて13年間の長い間、雨の日も風の日も読経とともに燈明の火を絶やさず焚き続けたのです。
清虚(せいきょ)は日中の托鉢で得た糧は焚料にし、1日1食の生活を続けました。これを見た人々は一食坊主、乞食坊主とさげすみましたが、それもいつしか村人の心を動かしはじめ、舟人達も協力するようになりました。
清虚(せいきょ)は74歳で村人達が見守る中で世を去りましたが、村人の利三郎により燈明の火を焚くことは、その後も11年間続けられました。その後、さらに庄屋に受け継がれ、明治5年に洋式灯台ができるまで火は焚き続けられました。
この僧清虚(そうせいきょ)の立像は清虚(せいきょ)の偉業を後世に伝えるために、昭和47年に有志により建てられたものです。なお、清虚(せいきょ)の墓は青浜の墓地にあるようです。
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日本の灯台50選。
部埼灯台。
九州から周防灘に向かって灯りを照らしてます。
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併設されている部埼潮流信号所。
アノ近くを通ったことのある人なら、矢印を見たことがあると思います。
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続いて、玄界灘方面に移動して、日本の灯台50選・白州灯台。
響灘の沖合い、5キロの島に建てられた灯台。
間近には寄れませんが、一応、見てきました、灯台守としてw
もう少し、晴れていれば、ハッキリ見えたかも・・・
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解り辛いので、周辺の略図にて、白州灯台を紹介w
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白州灯台を見るには、ココ、響灘にある公園が最適♪
クルクル~風力発電☆
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千畳敷。
泳いでる方もいました!
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