2013年11月20日
行く予定ではなかった。掠れた声のポールが歌うなつメロ大会には興味が無かった。でも前週に偶然にも、みんカラで知り合ったやんぢさんが“自分のために買っておいたのだけれど、仕事の都合でどうしても行けなくなったので譲ります”というチケットが舞い込んできた。
なつメロ大会どころではなかった。
月曜日の夜、東京ドームでポール・マッカートニーがエイト・デイズ・ア・ウィークを歌い始めた瞬間、私の目から涙が溢れ、2時間40分後に二度目のアンコール最後のゴールデン・スランバー~キャリー・ザット・ウェイト~ジ・エンドのメドレーの最後の一行を歌い終わるまで、目から涙が零れ続けた。2時間40分もの間、泣き続けたことは、人生で初めての出来事だった。
ビートルズの音楽に意識的に接したのは中学生の頃。ビートルズは既に解散し、ジョンは育児休業中。ポールはウィングスを率いてアメリカをツアーしていた。その時ですら、多くの曲は“どこかで聴いたことがある”という印象だった。それくらいビートルズの音は世の中に溢れていたのだろう。私はビートルズの音楽を意識的に聴くようになってからも、決してビートルズ・マニアという訳ではなかったし、ビートルズの中ではポールよりジョンに傾倒していた。ましてやエイト・デイズ・ア・ウィークという曲は、特に好きな曲ではない。
それなのに、その曲をポールが目の前で歌い始めた瞬間に、私の目からは涙が溢れた。
音楽は記憶を呼び覚ます。
呼び覚まされる記憶は、その曲を聴いた“いつか”の瞬間の記憶ではない。かつてその曲を聴いた遠い昔と、今目の前で同じ曲をポールが歌っているその瞬間を結びつけ、その間に蓄積された“思い”に被せられていた蓋を抉じ開ける。中学生の頃から今まで、40年近く歩んだ人生の間に自分の中に積もった心の澱。普段は蓋をした心の奥底に沈んでいる澱。音楽はその澱を溶かし、それを涙に変えて溢れ出させた。
10代の頃、人生は出会いの連続だった。夢は未来を実現するためにあった。ビートルズの音楽を聴き始めた頃の自分も、出会いの連続の中でビートルズと出合った。でも年齢を重ねるにつれ、出会いと別れが錯綜し、そして次第に二度と会えない別れが増える。多くの人は、夢は夢として現実と戦っている。
音楽は思いを鼓舞する。
だから1965年にシェアスタジアムを埋めた平均年齢20歳くらいと想像される5万人の記憶の総量と、2013年に東京ドームを埋め尽くした平均年齢50歳を超えるであろう5万人の記憶の総量は、比較にならないほど違う。そこにいる人々の思いの濃密さも、比べることも出来ないほど違う。
ポールも当日、これはジョンのために歌います、これはジョージの曲です、これはリンダのために書いた曲です、と紹介しながら歌っていた。ポールの人生にとってかけがえのない存在で、でももう既にこの世を去った人々への思い。
だからと言って、彼らに対するセンチメントで歌っているようには聞こえない。生き残ったポールが、大切な人を失っても、声が出なくなっても、前を向いて歌っている。ジョンやジョージやリンダの代わりに、ポールは歌い続けている。
1967年にジョンの息子のために歌ったヘイ・ジュードと、2013年に東京ドームで歌われたヘイ・ジュードでは、観賞用の音楽としては1967年のほうが完成度は高いであろうけれど、そこに込められたポール自身の思いは、2013年の掠れた声のヘイ・ジュードのほうが比較にならないほど深く優しい。そして後半のコーラス部分の5万人の大合唱。ポールの音楽に聴衆が応えているのではない。5万人の大合唱自体が壮大な一つの音楽になっていた。
そして開演前のジングルに引用された一行と、2度目のアンコールの三曲目の最後の一行は、全く同じ言葉で繋がれていた。
And in the end, the love you take is equal to the love you make.
Posted at 2013/11/20 14:07:37 | |
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