2014年10月18日
ももいろクローバーZのこと(3)
先週末から今週にかけてBDを見ていた、ももクロの国立競技場でのライブは、演出は直球ど真ん中という感じだったし、ゲストの扱いも大きくなかったし、ほとんど楽曲とパフォーマンスで勝負したような内容だった。それなのに心底楽しめ、その世界に引き込まれっぱなしだった。以前に比べると、エンターテインメントとしてのレベルが本当に高くなっていると思う。これなら、ももクロのことを知らない人にも楽しんでもらえるんじゃないだろうか。ただ、エンターテインメントの部分以上にメンバー自身に魅力があり、私もその落とし穴にはまってしまった。
・メンバー5人の人柄
ステージの上での5人は、いつ見ても、その歌の世界を伝えようというエネルギーというか気迫にあふれていて、一度ライブの現場に足を運んだだけで、すぐにその魅力に取り付かれてしまった。また、エンターテインメントに関する部分に関しては、5人とも、人一倍負けず嫌いで努力家なのは間違いなく、その一端が伺える、クイック・ジャパンの長いインタビュー記事は毎回楽しみになっている。まあ、そうでなければ、路上ライブから始めて、満員の国立競技場を熱狂させるなんて出来なかっただろう。それくらい、YouTubeに動画がある初の路上ライブと今とでは、隔世の感があり、どれだけ努力と失敗を重ねてきたんだろう、と思わせるものがある。
その一方では、笑いを取る場面でも全力で、変顔なんか朝飯前だし、自虐ネタとかメンバー同士で弄るところなど、「何もそこまで…」と思ってしまうくらいだ。
これらのすべては、リーダーの百田さんが国立でのライブの2日目の挨拶で語った「笑顔の天下」につながっているはずで、たぶん、5人とも、本当にそう思っているんだろう。そういえば、昔から「男は度胸、女は愛嬌」というけれど、両方持っているんだから、笑顔の天下は絶対間違いないよ、と思う。
あと、24時間Ustreamとかで見られるような素顔の部分の、わちゃわちゃした感じやグダグダなところは、それだけ見ていても楽しい。それから、ラジオの冠番組などで、5人の中からどの組み合わせの2人であっても、それぞれに全く違う面白さがあるというのも、本当に不思議ではある。
最後に、ももクロは礼儀正しい、というのはよく聞くけれど、それだけじゃないような気がすると思って、いろいろな曲の歌詞を見ていたら、「PUSH」に「心を込めて正々堂々 五つの願い 仁・儀・礼・智・博愛」とあるのに気づいた。これこそが運営陣がももクロに託した願いというか行動規範じゃないかと思っていて、実際にもそれを体現しているように見え、そんなところにも惹かれている気がする。
と、かなり省略したつもりでも長々と書いてしまったが、一言でいうと、「こんないい子たち、ちょっといないよ」という話である。
・お祭り
父親が転勤族で、自分でも引越しを十回以上繰り返し、地域のお祭りに思い入れを持つことが無かった私にとって、ももクロのライブこそが、日常から解放されて思いっきり騒げる本当のお祭りで、こんな日がやっぱり必要なんだ、というのに遅まきながら気づいたのは、7月に日産スタジアムで行われたライブ「桃神祭」でのことだった。そういえば、ももクロのライブに初めて参戦する前、最後に何かを思い切り叫んだのは、いったいいつのことだったか、思い出せない…
・全部
ももクロがイイと思う理由をこれだけ書いても、まだ核心に触れることが出来ていないような気がして、要は「全部」というのが正解らしい。その全部の中で、今までに出てない部分を思いついた順に書き出していくと…
1.「ピンキージョーンズ」の歌詞「気合い 根性 満開 覚悟 情熱 全開」にあるような体育会系のノリ
2.わざとダサくしたような演出や衣装がときどきあること
3.少しヤンキーっぽい演出があること
こうして書いてみると、日本人というか、日本の芸能文化のもっともコアな部分を、良くも悪くも特徴づけている点であるように見えてきた。この中で、体育会系のノリは私にはほとんど無いが、自分に無いからこそ惹かれているような気がする。というのも、「走れ!」を初めて歌詞を意識して聴いたとき、「いつだって踏み出す前に 言い訳ばっかり考えて 時間が過ぎて 忘れていくことに慣れてた 僕のココロが走りはじめた」の部分で、まるで自分の心の中を見抜かれたような気がしたからである。それ以来、気合いとノリで突っ走れ、というパワーを、少しずつ分けてもらえているように思う。
あと、ヤンキー志向も私には無いと思っていたが、以前は「これはちょっと…」と思っていた、公式グッズの法被のデザインが、最近はイイかもと思えてきてポチってしまう寸前なので、人の好みも変われば変わるものかもしれない。
と、これだけ書いてもまだ全然言い尽くせていない。仕方がないので、最後は「GOUNN]の歌詞から引用して終わりにする。
「ちぎれそうな想いに もう名前はつけないよ 恋とか友情だとか 全部を超えてる 全てがある」
・最後に
ももクロが6年前に結成されたことから始まり今に至るまでのすべての出来事や、その旗の下に集まった運営陣やアーティスト、ファンに至るまで、関わるすべての人たちは、カール・ユングが言う「集合的無意識」の働きで、同じ波長を持つ人が反応した結果なのではないか、そして自分もその一人だったのでは、と思えてならない。そう考えなければ説明がつかないほど、ももクロの周囲には、奇跡と呼ばれたり、偶然では起こり得ないような話が多すぎる。そういえば、「GOUNN」の歌詞は、仏教の世界観を元にストーリーを語っているのに、唐突に「シンクロニシティ」という単語が出てくる。これは、仏教で言う「阿頼耶識」は、ユングの言う集合的無意識と同じものであることを言っているのだろうか!?だとしたら、本当に、かなりすごい領域まで踏み込んでいる話だと思う。
と、最後はかなり妄想気味になってしまったけれど、今回いろいろ考えて、ようやく少し自分の考えが整理できたように思う。その結果、2つ前のブログで、「なぜももクロなのか」の答えとして書いた「聴くと元気が出るから」は、間違ってはいないものの、全てではないのも分かった。今後は、次のように答えることにしよう。
「1.エンターテインメントとして楽しめるから、2.楽しい時にもっと愉快な気分になれるから、3.前を向く力を自分の中に呼び起こせるような気がするから、4.同じ方向を向いて生きている人たちとのつながりを感じられるような気がするから」
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MCZ | 日記
Posted at
2014/10/18 00:33:22
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