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2013年08月31日 イイね!

【大阪】走り屋伝説 Part5 ・ 箕面 入門編

【大阪】走り屋伝説 Part5 ・ 箕面 入門編
今回もたいそうなタイトルに反応し、ブログを覗かれた方には、あらかじめお断り申し上げますが、
内容は本当に大した事ありません。


何度も言いますが、尚、大阪と言えども、かなり広域で、あくまで当時、自分が生息していたエリア、
またその中での当時の交友関係の中で経験した『狭~い』範囲のみが記載内容となりますので、ご了承下さいませ。

また、内容に関しては一部不適切な表現もあると思われますが、あくまで個人のブログであり、
架空の作り話?? 等と、軽く流して頂ければ幸いです。

このシリーズはあの時代を駆け抜けた世代の方々と、当時の思い出を共有したいとの思いで書いています。

経験した人ならわかると思いますが、当時と同じ事は今の時代に絶対できませんから・・・
当時の思い出等、色々コメントを頂けると嬉しいです。
その地域や時代によっていろんなドラマがあったと思いますので・・・


またまた前置きが長くなりましたが、今回の話は自分が車を購入し、実際に走り始めた時期の話です。

時代は昭和63年1月・・・
発売されたばかりのサイバーCRXが納車されました。

納車の翌日に環状の強烈な洗礼を受けたのが前回のお話です。

今回は、その後、CRXにて峠を走り込みながら、車も徐々にイジっていく話です。

CRX購入後、いきなり環状でポリにワイパーのゴムを燃やされた為、少しテンションが下がり、
環状より安全?な近場の箕面で練習する事にしました。

車は完全にフルノーマルで13in鉄チンのホイール、タイヤのブランドは忘れましたが、175の70が入ってたと思います。

そのノーマルのCRXで毎晩、箕面へ上がり、約1ヶ月でタイヤのショルダーが文字の部分までボロボロになるまで走り込みました。


当時の70扁平のタイヤは攻めたらタイヤサイドにダメージ受けるんですよね・・・(汗)
キャンバー付けてたらそんな事も無かったと思いますが・・・


タイヤの山が無くなった為、新しいタイヤとホイールを買う事にしました。

当時、流行のブラックレーシングが欲しかったのですが、お金が無かった為、同じようなデザインの14inブレイズにしました。

また同時に足回りも強化し、タイヤはポテンザRE71を入れました。
14inの185-60扁平です♪

当時はCRXが発売直後で車高調も出てなかったので(車高調自体も完全には普及して無かった時代)、無限のショックとサスをセットしたストリート仕様の足回りを入れました。

購入したお店は当時、八尾の外環沿いにあったホンダ系のショップだったと思います。

しかし、この無限のストリートサスセットが大失敗でした・・・
バネレートもほとんど純正と変わらず、車高は全く純正と同じ・・・(汗)
ショックには減衰力調整も付いていない・・・(汗)

そこで、中環の摂津にあったM○○・ガレージハウスで相談したところ、
車高落としたいん? それならバネ切ったらええやん! との事で、バーナーでサスを2巻カット♪ 

車高は少しだけ落ちてくれました! (もう少し切っても良かったかな???)
当時はアライメントって感覚は無かったですね(笑)

しかし、サスカットの荒技をほめてくれた地元の先輩は1名だけでした・・・
その先輩はマンハッタンカラーのS130Z(2by2)に乗っており、ホイールはロンシャンと、
まさに歩くヤングオートみたいな人やったんですけどね・・・(爆)


それから2ヶ月ぐらいの期間はこのサスカット仕様のCRXで箕面を走ってました。




しかし、少し攻めるとすごいロールがあります(汗)

けど夜間通行禁止になる22時前であれば、本気で走る車は少なく、こんな中途半端な足でも楽しめました。




昭和63年4月・・・


この頃、地元の先輩達は走り屋をすでに引退しており、自分は箕面での仲良しグループと行動する様になっていました。


その頃、箕面の仲間内では雨の日に攻めるのが流行ってたんです。。。


元々、ダートラやってた人もいてたので、皆、メッチャ早いペース(汗)

KP61、AE86、ワンダー、バラードCRX・・・

皆、雨の中をガンガン踏んで走っていきます。  
まさにスリックカート状態です(笑)

当時、雨降ってる夜中に箕面を攻めてたのは自分達だけだったと思います。

ある日、僕は大した腕も無いのに無理して皆に追いつこうと思い、大雨の中、
スピンし、山側へ車を当ててしまいました。

※バンパーと足回り破損



※当時の60タイヤは角がツルツルになるんですよね (ポテンザRE71)





雨の日って、タイヤが滑っても簡単には止まらないんです・・・(汗)

結果、このクラッシュによって足回りも本気な車高調を導入し、車高もベタベタになるのですが、
その話は次回以降に・・・


少し余談ですが、自分達が密かに練習してた場所は箕面以外にもあったんです。



その頃の行動パターンは平日、週末に関わらず、夜11時頃、猿天に上がります。

それからAM1時頃まで箕面を走りまくり♪

で・・・

その後に練習会があるんです(汗)

皆で箕面を降りて練習場まで移動する訳ですが、 練習会は、ほぼ強制参加やったような記憶が
あります。。。(笑)


その会場とは・・・

万博(エキスポランド遊園地)の駐車場でした。

昼間は車がいっぱいですが、夜はガラガラで調度良い練習場でした。




練習場への行き方は万博外周から一方通行を約200メートル逆行し、出口から進入します。

当然、駐車場出口にはチェーンがしてあったと思うのですが、どうやって入ったのか記憶にありません(笑)

多分、メンバーの誰かが破壊したんだと思います。。。(汗)

今、思えば当時の仲間には結構、大胆な事をする人がいましたネ。

特に自分の所属団体の先輩は天ぷらナンバーのKP等に乗ってたんで、やりたい放題・・・
例えば、追いかけて来るパトカーにKPで体当たりして逃走したり・・・(汗)

同じように行動してても自分は基本的に本物のナンバープレート付けてましたから,
本当にヒヤヒヤした事がありました。

天ぷらナンバーって封印とナンバーを接着剤で固定させてるですよね・・・
だから見ただけでは普通のナンバーにしか見えません。
(封印もちゃんと付いてる様に見えるんです)

けど、ナンバーを手前に引っ張ると、封印の部分は車体に固定されておらず、ナンバーと連動して動くんです(笑)

まぁ見た目はナンバーをアルミやガムテープを貼って隠すよりスマートでしたよ~

ただ、捕まった時にはタダで済みませんので、当時でもそれなりの覚悟が必要な行為でしたけど・・・


またまた話がそれたので、元に戻すと、
そこでAM3時過ぎまでサイドターンの練習やノンスリターン(アクセルターン)の練習をしていました。

車の台数は平日は10台弱ぐらいでしたが、通報する人もいないので、ポリも来ませんでした。。。

このエキスポランド駐車場でのサイドターン練習は8ヶ月後の昭和63年12月・・・
たくさんの人でにぎわう年末のナビオ前で活かされる事になります。。。(爆)

昭和63年4月♪

まだまだ走り屋を始めたばかりですが、この様な地味な?下積み期間があって少しずつ運転技術?を学んでいきます。






次回はCRXに車高調を入れて本格的に?少しマシに?走れるようになった頃のお話です。














Posted at 2013/08/31 13:40:07 | コメント(4) | トラックバック(0) | 【大阪】「走り屋伝説 | 日記
2013年08月27日 イイね!

【大阪】走り屋伝説 Part4 ・ 環状にて捕まる編

【大阪】走り屋伝説 Part4 ・ 環状にて捕まる編今回もたいそうなタイトルに反応し、ブログを覗かれた方には、あらかじめお断り申し上げますが、
内容は本当に大した事ありません。

何度も言いますが、尚、大阪と言えども、かなり広域で、あくまで当時、自分が生息していたエリア、
またその中での当時の交友関係の中で経験した『狭~い』範囲のみが記載内容となりますので、ご了承下さいませ。

また、内容に関しては一部不適切な表現もあると思われますが、あくまで個人のブログであり、
架空の作り話?? 等と、軽く流して頂ければ幸いです。

このシリーズはあの時代を駆け抜けた世代の方々と、当時の思い出を共有したいとの思いで書いています。

経験した人ならわかると思いますが、当時と同じ事は今の時代に絶対できませんから・・・
当時の思い出等、色々コメントを頂けると嬉しいです。

その地域や時代によっていろんなドラマがあったと思いますので・・・


またまた前置きが長くなりましたが、今回の話は自分が車を購入し、実際に走り始めた時期の話です。


時代は昭和63年1月・・・
発売されたばかりのサイバーCRXが納車されました。




自分の周りはKP率が高かったのもあるのですが、初めの車が新型のCRXってかなり贅沢だと皆から言われました。。。(汗)


納車の翌日、慣らし運転を兼ねて、ギャラリー目的で環状に上がる事にしました・・・

慣らしとは言え、無駄に長距離をダラダラ走るより、ギャラリーを楽しみながら慣らし運転が出来るので、その時は良いアイデアだと思ってました。


その日は予め先輩が走る時間も聞いてたので、その時間に合わせて環状をゆっくり周回していました。

横には同じ年のツレを乗せて・・・


まだ時間帯が早く、一般車も多い為、走ってる車は少しだけでしたが、
夕陽丘も検問しておらず、ロングでもショートでもOK♪ って感じで、快適なドライブでした。






まっ 万一、検問していても昨日納車のフルノーマル車両!
全く恐れる事はありません!


・・・???


の、ハズでした。。。(汗)


5周を回ったぐらいでしょうか・・・・・・


堺線のショートコース周回中、難波プランタン先の環状への分岐路にパトカーが止まっており、火のついた発炎筒を片手にポリがこっちを見ています。

※この場所ネ ↓




嫌な予感はしたのですが、こっちはフルノーマル車両♪ 恐れる必要は全くありません。
堂々と分岐を四ツ橋方面へ進みます・・・


すると、そのポリが笛を吹き始め、車を止めろとの合図。。。

もちろん、逃げる理由も無いので分岐路横へ車を止めます・・・

自分が乗ってるのはフルノーマル車両♪なので強気でした!(笑)

しかし、少し様子が変やぞ???って思ったのはその時でした。

発炎筒片手にポリがCRXへ寄って来た訳ですが、何やら大声で叫んでいます。。。


近くまで来ると、普通で無い事がわかりました。
そのポリ・・・
完全に目がイッてました・・・(汗)

奴は・・・

『おい! ワレ! ココ(環状)、 何周、回っとるんじゃい!』
『俺はお前の周回数を数えとったんじゃ!』
『こんな車、燃やしてしもたるからな!』

等と叫びなから、火のついた発炎筒を車の上で振りかざします。。。
すると火の粉が車に落ちて、ワイパーゴムから煙が・・・(汗)

その事に対して文句を言うと、ポリは更に叫びまくります(大汗)


その後、態度が反抗的やとの理由で、止めてあったパトカーの中で取り調べを受けました。

その時、初心者マークを貼っていない事が発覚し、ポリは勝ち誇ったように・・・

『ココ(環状)で交通違反したら、家に帰れると思うなよ!』
『俺がお前の勤め先に連絡して、そこで働かれへんようにしたるからな・・・』
『お前は仕事もクビになるんじゃ・・・どうや? 気分は・・・?』


等と、嬉しそうな顔をして語り始めました。。。

その間、パトカーの横を走り抜ける環状マシン達・・・

爆音の車両が通過する度に、ポリのテンションが上がります。。。

『今のチームはお前の仲間やろ!!!?』
『メンバーの連絡先を教えろ!』
『お前が助手席に乗せてたツレはもう自供しとるぞ・・・』
『お前もエエ加減に知ってる事しゃべって楽になれや・・・』
『素直にしゃべったら家に帰れるんやで・・・』


まぁ パトカーの中ではそんな会話が続きます。

ツレが自供したとの事ですが、初めて環状に連れてきた子なので、チームとか知ってる訳無いんですけどね・・・

その時点でポリがカマかけてる事は直ぐに分かりました(笑)

しかし、1時間以上、説教されると疲れてきます。

さすがにポリも怒鳴るのに疲れてきたみたいで、帰れそうな雰囲気になってきた時に、遠方より地響きの様な鈍い音・・・

パトカーのミラー越しにチェックすると、激しく上下するヘッドライトの光軸と左右への動きが半端なく・・・(汗)

しかも、すごい台数・・・(大汗)

しかし、折角、帰れそうなこのタイミングに、ポリに余計な刺激を与えて欲しくありません・・・

私は心の中で祈りました・・・


せめて、【おとなしく】通過してくれ・・・・と・・・

先頭の数台がパトカーに並びます。。。

某有名チームでした・・・

その瞬間・・・


バッ・バッ・・・ 

ヴゥオ~ン  ブォン! 

ヴァァ~ン!! バァ~~~ン!!!



私の祈りも虚しく、各マシンが一斉にエンジンをフカしまくります。。。

しかも、ポリにメンチ切りながら・・・(爆)
 

当然、ポリのテンションは・・・・・


ウルトラ MAX!!!


通過した後も、奴はパトカーの中で吠えまくっていました。。。
しかも、それは爆音を聞く度にヒートUPしていきます・・・・

結局、解放されたのはその2時間後。。。

つまり、初心者マークで捕まっただけで、3時間コースですわ。。。(大汗)

恐るべし、『環状♪』

もし車を改造してたら、没収 ⇒ 強制廃車コースでしたからね(汗)


先輩達からの噂では聞いていましたが、これほど強烈とは思いませんでした。

同時にココは堂々とナンバーを付けた車で走るような場所では無い・・・って事を勉強させてもらいました。

つまり、箕面以上に走るなら、それなりの『覚悟』が必要な場所なんです。。。
当時は走る方側も気合入ってましたが、捕まえる側もかなり気合入ってました。。。
大げさに話をしてる訳では無いですよ~

実際に環状のポリに捕まった人はエライ目にあってますからね。
当時、言われた事は、『とにかく逃げろ』でした(笑)




まっ こんな感じで自分のCRXでのデビュー戦は、何とも情けない形でスタートした訳なんです。。。(汗)

今、考えると、もっと自慢できる様なカッコええ捕まり方が良かったのですが、現実はこんなモンですわ(爆)

しかし、環状で捕まったのはこれが最初で最後でした。。。
間一髪って事は何度かありましたが・・・(笑)


次回は愛車CRXを走れる仕様にすべく、足回りを中心に手を入れ始めた頃の話です。


長文、読んで頂き、ありがとう御座いました。


Posted at 2013/08/27 16:17:21 | コメント(14) | トラックバック(0) | 【大阪】「走り屋伝説 | 日記
2013年08月20日 イイね!

【大阪】走り屋伝説 Part3 ・門真サーキット 準備編

【大阪】走り屋伝説 Part3 ・門真サーキット 準備編今回もたいそうなタイトルに反応し、ブログを覗かれた方には、あらかじめお断り申し上げますが、
内容は本当に大した事ありません。

特に、今回は具体的な車の話でもありません・・・(汗)

何度も言いますが、尚、大阪と言えども、かなり広域で、あくまで当時、自分が生息していたエリア、
またその中での当時の交友関係の中で経験した『狭~い』範囲のみが記載内容となりますので、ご了承下さいませ。

また、内容に関しては一部不適切な表現もあると思われますが、あくまで個人のブログであり、
架空の作り話?? 等と、軽く流して頂ければ幸いです。

このシリーズはあの時代を駆け抜けた世代の方々と、当時の思い出を共有したいとの思いで書いています。

経験した人ならわかると思いますが、当時と同じ事は今の時代に絶対できませんから・・・
当時の思い出等、色々コメントを頂けると嬉しいです。

その地域や時代によっていろんなドラマがあったと思いますので・・・


またまた前置きが長くなりましたが、今回の話は自分が車での『走り屋』を夢見ていた時代・・・
車種決定に至るプロセスはPart2で書いた通りであり、今回はその続きの話です。

時代は昭和62年秋・・・

購入する車は来年1月に発売のサイバーCRXと決めおり、その資金を貯める為に仕事を頑張っていました。

それと同時に、車の運転テクニックも徐々に学んでいく事になります。

まず、自分がヒール&トゥをマスターした車・・・

それは『サニー・トラック』でした。




何故、サニトラ?って思う人もいると思いますが、当時の職場であるガソリンスタンドで灯油の配達に使われてたんです。

有難い事に、下っ端の私は灯油の配達係に任命されており、仕事中は良くサニトラを乗り回していました。

サニトラのエンジンであるA12は軽快に回り、アクセルレスポンスも良く、単車でミッション操作になれていた自分がヒール&トゥをマスターするまでに大して時間はかかりませんでした。。。

ただ、ブレーキとアクセルが離れており、仕事中の長靴で操作するのは難しかったですけど(汗)

しかし、ある程度。サニトラの運転に慣れると、欲が出てくるもので、交差点でコーナリングの練習ができないか?等、大胆な事を考えるようになります。。。

もちろん、ノンスリ等は入っていない為、上手く出来る訳ないのですが、ある程度 高回転でクラッチをミートし、ホイルスピンをさせた状態で交差点を曲がったりして遊んでいました。

しかし、そのサニトラは荷台に灯油のローリーを積んでいる為、横転しそうな変なゆれ方するんですけどね・・・(笑)

サニトラのタイヤはタクシーみたいに細いのが付いていて、ホイルスピンさせると、『キュル♪キュル♪キュル♪』と高い音を立ててくれました。

そんなある日、いつもの灯油配達中、女子高生の視線を意識し?信号待ちから派手にスタート♪
そして、タイヤを鳴かせながら交差点を華麗に?曲がったとこで、対向車に見覚えのある車・・・(汗)

それは集金中の所長が乗る軽トラでした。。。(大汗)

スタンドに戻ると所長は激怒しており。。。(激汗)
結局、その日から、自分は灯油配達禁止になってしまい、運転の練習が出来なくなってしまったのです。(泣)

しかし、しばらくして、運良く??? コーナリングの練習場所が見つかる事になります。

それが 『門真サーキット』 です。

門真サーキットとは、当時、一世を風靡したスリックカートで、場所は中環沿いの門真エリアにありました。

当時は中環を走ってると大きな『門真サーキット』って看板が目に入ったんですけどね。。。
この場所です。





今ではココに門真サーキットがあったとは思えないですね(笑)

そのスリックカートですが、はじめは先輩達に連れて行ってもらいました。

そこは中環の側道で駐車場が無い為、営業終了後のスタンドに皆の車を置いて1台に乗り込み、移動します。。。

5人乗車なので、広い車が良いとの事で、フルスモークの430セドリックで良く行きました。
シートには当然、ムートン1.5匹モノを装備・・・
ホーンはミツバの電子ホーン・・・
鳴らすと、『プァ~~~~~~~ン♪』と派手な音が出ます(笑)
更に当時の必需品 【パーソナル無線機】 ナショナルPQ10装備♪

少し余談ですが、昭和62年の頃は携帯電話どころか、ポケベルも普及して無かったんです。
自分達も誇らしげに腰にポケベルを付けはじめたのは昭和63年に入ってからですからね。
だからパーソナル無線は仲間と連絡を取る為の重要アイテムでしたし、当時は流行ってたんです。

このパーソナル無線の世界は少し非日常的な側面もあり、自分自身も深く入り込んだ時期も
あったのですが、当時は走り屋の世界以上に刺激的に思えました。
まさにメリット5~♪って感じです(爆)

まぁ ツレや先輩が大型ダンプやトラックに乗ってたので、その交友関係の延長なんですけど。。。

今で言う、オフ会みたいな会合をサミット等と呼んでたんですが、上の人はベンツの560SELや
ベントレーで来られてましたからね。

とにかく、無線は他の団体と揉め事が多い世界でした。 (笑)


って話がメッチャ反れたので、元に戻すと、早い話がその先輩の430セドでスリックカートへ連れて行ってもらったって事なんです。

で、分かりやすく言うと、その先輩等は絵に描いたようなヤンキーやったって事です(笑)

そんなメンバーで門真のスリックカートに行くと、かなり高い確率でモメ事に巻き込まれました・・・
まぁ 喧嘩にまでならなくても、他のグループとメンチの切り合いになったりして、コーナリング練習どころではありません(爆)


そこで、行くメンバーを変更し、先輩達では無く、中学の同級生と良く行くようにしました。
今、思い出すと門真サーキットは車を購入する前に結構通いましたねぇ・・・




確か、門真サーキットは2年弱で閉店したと思います。
南港は長く営業してたみたいですけど・・・・

しかし、今になって考えると、実際の運転で使えたスリックカートの技は一切ありませんでした・・・(汗)
スリックカートって、一定のドリフトアングルを維持して、慎重に曲がってても、背後から車を当ててくる奴が確実にいましたからね・・・(爆)


今回もまだ自分が車を手に入れる前の話でした。


別にじらしている訳では無いですが、当時の時代背景を理解してもらう為に書いています。。。(笑)

今の世の中の常識では考えられない様な事も多かったので。。。

次回はいよいよ愛車、CRXの登場となります。
少し内容はマシになると思いますので、宜しくお願いします。


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Posted at 2013/08/20 18:52:49 | コメント(7) | トラックバック(0) | 【大阪】「走り屋伝説 | 日記
2013年08月15日 イイね!

【大阪】 走り屋伝説 Part2 ・ 箕面 準備編

【大阪】 走り屋伝説 Part2 ・ 箕面 準備編今回もたいそうなタイトルに反応し、ブログを覗かれた方には、あらかじめお断り申し上げますが、
内容は本当に大した事ありません。

何度も言いますが、大阪と言えども、かなり広域で、あくまで当時、自分が生息していたエリア、
またその中での当時の交友関係の中で経験した『狭~い』範囲のみが記載内容となりますので、予めご了承下さいませ。

また、内容に関しては一部不適切な表現もあると思われますが、あくまで個人のブログであり、
架空の作り話?? 等と、軽く流して頂ければ幸いです。

このシリーズはあの時代を駆け抜けた世代の方々と、当時の思い出を共有したいとの思いで書いています。

経験した人ならわかると思いますが、同じ事は今の時代に絶対できませんから・・・

当時の思い出等、色々コメントを頂けると嬉しいです。
その地域によっていろんな違ったドラマがあったと思いますので・・・

自分は既にエエ歳になってるので、思い出を語り合うだけでも十分楽しいのですが、それだけで終われば単なる懐古主義の親父みたいですので、少しぐらいは現在進行形の話題も必要かと思い、
今は86に乗って、時々お山へ通い、人様の迷惑にならない程度に安全運転で走っています。


前置きが長くなりましたが、今回の話は自分が車での『走り屋』を夢見て17歳でバイクを売却し、車購入資金を貯めながら、車種決定に至るまでの期間のお話です。

当時、(昭和61年~62年頃) 大阪には大きく分類すると4つの車遊びがありました。


1つ目は、南港等のゼロヨン 2つ目は阪神高速環状線 3つ目は箕面、阪奈等の峠攻め 4つ目は・・・・・ナビオ前でのナンパ(爆)


細かく挙げればキリが無いですが、雑誌の取材等の影響もあり、知名度が高かったのはその4つかと思います。

自分の場合、仕事が大阪市内のガソリンスタンドであった為、その4ジャンル全ての愛好家?が連日の様に集結しており、いつでも好きなジャンルの車の横に乗せてもらえる恵まれた環境でした。

環状は確かに刺激的でしたが、当時ですら検問が多く、走れない日もあったので、
雨が降らない限り、確実に走れた箕面に連れていってもらう機会が自然と増えてきました。

その箕面を走る一人の先輩は当時、新車のAE86レビンGTV(後期)に乗っており、スタンドの仕事が終わってから横乗りで猿天に上がる日々が続きました。


当時、そのAE86でケツを振りながら猿天を走る先輩の横で思った事ですが、GSX-R400で峠を攻めていた自分とって、車の加速はダ~ルく感じました。

しかし、コーナーを抜ける速度はバイクより早く、タイヤが限界を超えた時でもある程度の修正余地がある事がわかりました。


バイクの場合、無理してハイサイド食らうと、凡人は飛ぶしかありませんからね・・・(笑)


ココだけの話ですが、その先輩は当時は早く感じましたが、猿天のコースで速度警告のチャイムは1回しか鳴っていませんでしたけどね・・・(笑)

って・・・悪口書いてる事がバレたらシバかれるかもしれません。。。
その頃は地元でかなり怖い先輩やったんですよ(汗)


その先輩ですが、来年に結婚する為、引退するとの事やったので、
この時点では免許を取ったら、その先輩のAE86を売ってもらう事になっていました。

その車は62年式の白黒のGTV、手入れも良くピカピカ・・・(僕が仕事で洗車してました)
ホイールはRSワタナベが入っており、TRDの足回りとTRDのノンスリが入ってました。
しかも無事故車・・・  それが車検1年付きで80万で良いとの事でした。

最終的にこの車は買わなかったのですが、高年式のAE86が高値で取引される時代が数年後に
来るとはこの時点では夢にも思いませんでした。

この時代の話ですが、当時、箕面の猿天で目立ってた車と言えば何やと思いますか?

TE71? 310サニー? AE86? ワンダーシビック? KP61?EP71?SA22C?とか思い浮かべる人が多いと思いますが、自分的には違いました。


当時、自分が一番印象に残ったのはジェミニなんです。

同じ時代に箕面に上がってた人なら、良くわかると思いますが・・・・・

ジェミニって・・・TVコマーシャルで有名なFF時代の『街の遊撃手』ちゃいますよ~
FRのジェミニです。



知ってる方も多いと思いますが、当時、ジェミニに力を入れていた有名SHOPさんがこっちエリアに
あったんです。
 
その関係で箕面にジェミニが多かったんですけどね。
 
まぁ そのジェミニですが、いつも5,6台ぐらいで走られていたと思います。
華麗な走りでギャラリーを魅了していました。 また走るの早かったし・・・

ジェミニって、元々はすごいアンダー傾向の車らしいですが、オリジナルのサスセッティングで上手くその特性を消してたんだと思います。
※実はこの3年後にAE86に乗る機会があり、僕もそのSHOPで足回りを組みました。


この箕面のジェミニ軍団の影響を受けて、良く一緒にギャラリーをしていた自分のツレが、ジェミニの中古を買ったとの噂を聞きました。

まだ免許を持っていなかった僕は、早速、『横に乗せろ!』とせがみ、ツレも嬉しそうにOKを出しました。

約束の日、ツレは僕の職場であるガソリンスタンドへ迎えに来ました。。。
買ったばかりの愛車、『FRジェミニ』で・・・

車好きの先輩達が見守る中、ツレが乗る黒のジェミニが現れました。。。

ガソリンスタンドの明るい照明に、新品と思われるアルミが反射して光ります。

しかも、彼はいきなり当時の花形であるポテンザのRE71を履いていました。。。(驚)
初心者のくせに気合が入っていました!!!
しかも、贅沢に扁平率60でした。
箕面を走ってた半分ぐらいの車が、タイヤ代が高いので、60では無く、70履いてた時代に、超初心者でいきなり60のポテンザでしたからね・・・


その時です!


ジェミニの後方に立ってた一人の先輩が小さくつぶやきました。。。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『えっ? ターボぉ?』


そのつぶやきを聞いて場は一瞬にして、静まりました・・・・



唯一聞こえるのは、黒ジェミニのアイドリング音・・・・

しかし・・・ その音は・・・・・・ 何か違う・・・・(汗)



そうです。 





ツレが買ったのは『ディーゼル』だったのです。(爆)



まぁ 彼はジェミニのZZより、ターボが付いている方が早いと思い込んで購入したとの事。。。(大汗)

奴はバイク時代にでも、プラグにガンスパーク着けたら本気で早くなると思い込んでたぐらいですからネ・・・


その1ヶ月後の話ですが、悲しい事にツレのジェミニ(ディーゼル)は全損となりました。。。

彼は皆に車をバカにされてたので、ムキになったのでしょうか?

車を購入後、連日、執念のごとく箕面を攻めてました。
ディーゼルターボの実力を皆に認めさせる為だったのでしょうか???
そのあたりは定かではありませんが・・・

その日の彼は大勢が見守るギャラリーーコーナーへ高速で接近~♪



●このギャラリーコーナーには、週末になると大勢のギャラリーが詰めかけた


そして、ギャラリーの視線を感じながら、すばやく、ヒール&トゥ♪

軽やかなシフト操作で3速から2速♪・・・ の予定が、悲しいかな、そこはディーゼル・・・
回転のピックアップが良くありません。。。

つまり回転数が上がらない状態で、急にクラッチを繋いだのでシフトロック状態に・・・


一気にテールが流れ、対処できない彼はそのままジェミニと共にギャラリーコーナーへ突っ込みました。。。


後からその場にいたギャラリーから聞いた話によると、彼が猿天の駐車場からギャラリーコーナーへ向かって後続車へ煙幕のごとく黒煙を吐きながら突進してくる様子は気迫に満ちていたとの事でした。(爆)


まぁ ツレの事を笑い話にしていますが、自分も初めの車を選ぶのに失敗したと思っています。


先輩のAE86(車検残1年付き)を80万で購入する事がほぼ確定していたのに、
急に気が変わる出来事が起こります。。。


あれは、平日の深夜2時頃でした。
時間も遅く、攻める車も少なくなった頃・・・

猿天の駐車場には当時、売店があったのですが、その自販機でコーヒーを買ってた時です。

1台の車が下から上がってきます・・・
ものすごい爆音でトンネルを抜ける音まで響いてきました。


その車、猿天の駐車場が近づいても減速せず、すごい勢いで突っ込んできます。
ライトの形状でワンダーかな?って思ったんですが、売店の照明に照らし出された車は違いました・・・


バラード(CRX)でした。 しかも、色は鮮やかに全塗装されたレイトンカラー♪

コーナーの入り口でCRXはすごいスキール音を伴い、リアタイヤが流れ横を向きました・・・
スピンするのか?・・・と思った瞬間、カウンターを当てる訳でも無く、そのままの角度を維持しながら、コーナーをすごい速度で駆け抜けていきました。。。
サイドマフラーからの爆音を残しながら・・・




●当時、このコーナーの横には売店とトイレがあり、駐車場との間に塀は無かった



その瞬間、何とも言えない衝撃が走ったんです。

それは先輩のEA86の動きには慣れてたのですが、FFの攻めた走り方を見た事が無かったからなんですけどね・・・


自分もシビックに機械式2WAYのノンスリを入れて走るようになってから、あのCRXの動きを理解できるようになりましたが、当時はそんな知識も無く、コーナーの進入時点で完全に向きを変えてしまうFFの本気なタックインを見た瞬間、是非やってみたい! と思う様になったんです。

後になって考えると、この考えが最大の失敗でした。

当時、他の先輩も、環状ではAE86が頑張ってもワンダーに勝てない・・・と言っていました。
つまり、4AGよりZCエンジンの方がええんやな!って解釈したのです。

結果、先輩のAE86を断り、噂になっていた新型のCRXの発売を待ちました・・・
そして、サイバーCRX発売と同時に契約・・・
パワステも付けず、やる気マンマンでした。

あのレイトンカラーのバラードのコーナリングを見た影響で、CRXを選びましたが、この時に同時に発売されたグランドシビックを買わなかったのも失敗の一つでした。。。

結果的にはサイバーもグランドも両方乗りましたが、この2台はエンジンは同じでも全く違う車です。

特に、限界を超えた時の挙動が全く違いました。。。

ある程度までの走りなら、CRXの方がテールも振りやすく、クイックに曲がりました。。。
しかし、やりすぎると・・・・(汗)


そのへんは、身をもって体験させて頂きました。。。


まぁ 結局は乗りこなせ無かったって事ですね。


その後、CRXでどんな運命が待っていたのか・・・?


時代は昭和末期・・・・・


ここ 箕面や、環状・・・・・ 


またナビオ前の賑わいは全盛期を迎えます。


自分が車を購入したのは昭和63年の1月。。。

そこから実質的に走るのを止める平成元年の夏までの期間には刺激的で楽しい事もありましたが、
いろんなトラブルにも巻き込まれる事になります。


走ってた期間は短いですが、振り返ってみると、あれ以上続ける事は不可能でしたネ。
いろんな意味でリスクがありすぎました。


それでは続きはまた次回。。。

気が向いた時に・・・




土曜日は六甲に行きまっせ~♪







Posted at 2013/08/15 23:16:03 | コメント(8) | トラックバック(0) | 【大阪】「走り屋伝説 | 日記
2013年08月03日 イイね!

【大阪】 走り屋伝説 ・ 阪奈道路編

【大阪】 走り屋伝説 ・ 阪奈道路編たいそうなタイトルに反応し、ブログを覗かれた方には、あらかじめお断り申し上げますが、
内容は本当に大した事ありません。(汗)

しかも、今回はバイク中心の話となっております。

自分が10代の頃、どっぷりハマったこの世界について、最近は良く思い出す事が多く、
記憶が残っているうちに語っておこうかな・・・って感じです。


尚、大阪と言えども、かなり広域で、あくまで当時、自分が生息していたエリア、またその中での
当時の交友関係の中で経験した『狭~い』範囲のみが記載内容となりますので、ご了承下さいませ。


同じ時代であっても、全く違う遊び方をされていた方々もおられると思いますし・・・


また、内容に関しては一部不適切な表現もあると思われますが、あくまで個人のブログであり、
適当な妄想話?? 架空の作り話・・・?? 等と、軽く流して頂ければ幸いです。


まず、車の話を語る前に、順番的にはバイクの話からスタートしなければなりません。

時代は今から27年前の昭和61年(1986年) 
この時代の大阪は暴走族が流行らなくなり、『走り屋』と言われるスピードを楽しむ若者が
増えつつありました。


またレーサーレプリカと呼ばれるバイクが各メーカーから発売されていました。
GSX-R CBR FZ・・・ RGガンマ、NS・・・
月刊誌『オートバイ』の巻末には、コーナリング写真の投稿コーナー『俺たちのサーキット』があり、
読者が投稿した自慢の写真が載っていました。

レベルの高いハングオン写真には『俺・サ・A級』の称号が与えられていました。

そんな走り屋ブームの中で生まれた漫画が『バリバリ伝説』でした。
しかし、内容は『漫画』そのもので、あのクソ重いはずのCB750Fが峠でメッチャ早いって話でした。。。(笑)

そんな漫画の影響では無いのですが、当時の私はGSX-R400に乗り、峠を走り込んでいました。
平日は茨木サニータウンをホームとしており、週2回程度は六甲の芦有道路まで遠征していました。

当時の芦有は様々な峠の中でも路面状態も良かったので走りやすく、平日でもかなりのバイクが集まっていました。

で・・・・

前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。

伝説の『阪奈道路』ですが、自分達は日曜日の早朝(明け方)のみ走っていました。
それ以外の日、時間帯には一切走っていません。。。

阪奈は六甲(芦有)や清滝、茨木サニータウン、妙見、逢坂峠と全く違う『別格』でした。
おそらく、当時、全国的にブームであったバイクでの峠攻めですが、阪奈の独特な雰囲気は他の地域では無かったと思います。


で・・・


阪奈道路の雰囲気を説明する前に、阪奈の特徴を書いておきます。

まず、阪奈道路とは、片側2車線の道路で一方通行、道幅が非常に広く、大阪と奈良を繋ぐ幹線道路。。。

当然、深夜でもかなりの交通量で、昼間は白バイ、覆面も多数って感じの道です。。。
この時点でわかると思いますが、いわゆる山間部の『峠』では無いです。

また、大阪市内からすぐ行けるアクセスの良さ。(コレが台数増の原因でした)

コースは、長いストレート(スピードメーターが振り切れる。。。)の先に超タイトな第一コーナー
があったり、S時があったり、高速コーナーがあったり、まさにサーキットでした。

しかし、大型トラックやダンプの通行も多く、路面が荒れており、まともにバイクを寝かせて攻めれるコーナーは少なかったです。

また、最大の特徴は、片側2車線の一方通行・・・ それに一般車両の通行も多いので、
コーナーを攻める為のコーナリング技術よりも、一般車両である車の間を縫うように走る技術が必要でした。

まさに動くシケインをかわしながら走るってイメージです。

これは他の峠には無い特徴で、この2年後の昭和末期に大ブレイクする、阪神高速環状線の
一般車両スリ抜けと完全にオーバーラップします。


環状でも、阪奈のバイクのスリ抜けでも同じなんですが、背後から爆音の車両集団が接近してくると、驚いたドライバーの多くは避ける為に、急にハンドルを切るんです・・・

だから当時は接触事故が時々発生していました。


元々、そんな状況の阪奈でしたが、ある時、バイクの走り屋雑誌、『バリバリマシン』が創刊されました。

確か、その創刊から5ヶ月目あたりで、阪奈道路が雑誌に特集されました。
地図とイラスト入りで詳細に各コーナーが紹介されたのです。

当たり前の流れですが、雑誌掲載直後からは大阪中からバイクが集まり、日曜日の早朝は200台? いやいや。。。 もっと多かったかな??? 
原チャリ入れたら300台近く?のバイクが集まり、毎週日曜日が祭り状態になりました。

しかも、自分の中学時代のツレ達ですら、BEETのアルフィンカバーを付けてるCBXで新御堂を暴走してたのが、この阪奈ブームの噂を聞き、突然CBRに乗り換え、皮つなぎを着て阪奈へ上がるようになりました。。。(笑)

もちろん、暴ヤンの彼等は阪奈を攻めるようなテクニックがある訳が無く、コーナーを攻める事に関しても大した興味を示さなかったのですが、毎週のように阪奈へ参加していました。
その理由は・・・ 『ただ仲間で騒く事が楽しい・・・』との事でしたけどネ。。。(大汗)


まぁ そんな感じの阪奈ですから、非常にマナーが悪い!(笑)


コレが当時乗ってた他バイクの写真です。
阪奈で転倒し、カウルが割れた為、この阪奈スペシャル仕様となりました。



見ればわかると思いますが、マフラーは音の大きさ&下品さを重視し、RPMの直管です。
純粋な走り屋はこんな暴ヤン仕様マフラーを選びません(笑)
※多分、GSXの場合、一般的にはヨシムラ・サイクロンあたりを撰ぶのかな~?

今、改めて見てみるとセンスのカケラも無く、恥ずかしいですね(笑)

阪奈の走り方ですが、走るのは日曜日の早朝です。

土曜日の深夜3時頃から集まり始めますが、走るのは薄明るくなってからです。
理由は、当時はヘルメットのスモークシールドが流行だったんです。
だから夜は何も見えないので怖い。。。(笑)

当時はバイクが走らない夜間は車が走っていました。。。
昭和61年~62年頃はS30ZやSA22C、R30等が多かったのですが、台数も週末ですら20台前後しか走って無かったと思います。 

深夜に阪奈に到着し、夜が明けるまでは車のギャラリーをします。。。
で、夜明け直後の薄明るい時がバイクの出番になります。

阪奈コースのスタートは下のバイク屋(RSタイチ)前のラブホテル(夜間飛行など)の前あたりです。



そこには常に50台ぐらいのバイクがホテル夜間飛行の前でスタンバイしていました。
そして下の道路から3分間隔ぐらいで爆音で駆け上がって来る20台から30台の集団に上手く合流するように、RSタイチ前からロケットスタートします。

自分の知り合いでは無かったのですが、その走ってる集団に合流すべく、慌ててRSタイチ前からスタートしたのは良いですが、サイドスタンドを出したままであった為、1つ目の左高速コーナーでバイクごと飛ばされ、側壁に激突し、即死って事故もありました。

阪奈は全般的に上りはタイトなコーナーも多く、楽しいコースでした。
しかし、阪奈で怖いのは下りです。

とにかく、異常なほどスピードが出ます。

下りで1つ目の有名コーナー『赤橋コーナー』ですが、入り口に橋の継ぎ目があり、進入ラインが悪いとバイクが跳ねます(汗)



この赤橋コーナー進入では速度も軽く100キロを超えている為、転倒すれば即死って感じでした。



次に阪奈で1番有名なコーナーと言えばこの『サブロク』です。
名前の通り、360度周るイメージのコーナーです。

◆サブロク手前




◆サブロク




当時は大ギャラリーコーナーとなっており、常に50人以上のギャラリーがいました。
また減速帯も無かった為、非常に攻めやすく、このコーナーで華麗に膝を擦りながらハングオンを決めるのが、最高のステイタスと言われていました。

その分、事故も多く、バイクだけでなく、車も側壁を乗り越え、50メートル下の崖下まで落下したシーンを幾度も見てきました。。。

当時、普通に通行している一般車両や近隣の住民は大迷惑だったと思いますが、なんせ数が多すぎて、
警察も取り締まれない状況が続いていました。

ただ、そんな日も長くは続きませんでした。。。

ある日、いつもの様に地元の仲間、約10名で阪奈を攻めに来ていました。
仲間とはぐれた為、ホテル『夜間飛行』の下で待っていると、大きなバスが2台、目の前をゆっくりと通過しました。。。

しかし、そのスピードが異常に遅かったので、もう一度良く見ると、バスの窓には金網・・・
その時、嫌な予感がしました。。。

自分の前をゆっくり通過した2台のバスは向きを替え、前方で阪奈道路を完全に塞ぎました。
同時に、バスの中からフル装備の警官隊が飛び出してきます。。。。
これはヤバいと思い、前方の道路がバスでふさがれた為、阪奈を降りようとUターンした瞬間、
目に飛び込んだ光景は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・









まさに、『西部警察』のエンディングでした。。。






しかし、ここで捕まる訳にいかず、脱出ルートを探していたら、RSタイチの横に、幅2メートルぐらいの細い道を発見♪

そこをバイクで一気に駆け下りました・・・

しかし! 20メートルぐらい先で痛恨の行き止まり!
その後は背後から走り迫る警官隊に囲まれ、キーを抜かれて御用となってしまいました。。。

警官の指示でRSタイチ前にバイクを移動させると、軽く100人以上が捕まっていました。。。
そして、自分のバイクは四条畷警察に没収され、この時点で私のバイクライフが終了したのです。。。

最後に当時の顔出し写真♪
27年も経てば容姿も変わるので、隠す必要も無いかと・・・




しかし、こんな髪型の子、今の時代にはいませんよね(爆)


時代は昭和62年 年齢は17歳。 

まだバイクで走りたい気持ちはありましたが、ノーマルに戻したバイクを後輩に売り、
車で峠に参戦する準備に入ります。

頑張って車の資金を貯める為、毎晩遅くまでガソリンスタンドで働きました。

走るバイクが無くなったので、この頃から先輩のAE86の横乗りで箕面の猿天に良く出没する様になりました。

またある時は別の先輩のS30Zで環状に上がっていました・・・
それは全て自分が来年、免許をとった後で乗る車を決める為の勉強のつもりでした。

いよいよ車時代の幕開けです。。。

まぁ こんな感じで今回は終了~。
また機会があれば続編を書いてみたいとは思いますが・・・
















Posted at 2013/08/03 01:58:40 | コメント(18) | トラックバック(0) | 【大阪】「走り屋伝説 | 日記

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