
今回もたいそうなタイトルに反応し、ブログを覗かれた方には、あらかじめお断り申し上げますが、内容は大した事ありません。
何度も言いますが、大阪と言えども、かなり広域で、あくまで当時、自分が生息していたエリア、またその中での当時の交友関係の中で経験した『狭~い』範囲のみが記載内容となりますので、ご了承下さいませ。
また、内容に関しては一部不適切な表現もあると思われますが、あくまで個人のブログであり、架空の作り話? 等と、軽く流して頂ければ幸いです。
このシリーズはあの時代を駆け抜けた世代の方々と、当時の思い出を共有したいとの思いで書いています。
経験した人ならわかると思いますが、当時と同じ事は今の時代に絶対できませんから・・・
当時の思い出等、色々コメントを頂けると嬉しいです。
その地域や時代によっていろんなドラマがあったと思いますので・・・
またまた前置きが長くなりましたが、前回のPart11は自分が新しく手に入れた愛車
『グランド・シビック』誕生の話をさせて頂きました。
今回は長きにわたる入院生活を乗り越え、愛車グランドシビックに乗り、峠(ヤマ)へ復活した頃の話です。
時代は今から約25年前の昭和63年11月。
まず愛車グランドシビックにて、初めて箕面へ復活した日の話から始めたいと思います。
箕面での事故により、入院していた病院を退院した後も、ツレの車で箕面へは上がっていましたが、仲の良かった仲間でさえグランドシビックを買った事を話していませんでした。
もちろん、あの派手な色の事も・・・
理由は、急に復活して驚かせてやろう!って考えがあったんです。
その日は少し早めに箕面へ上がり、車に慣れる為、走り込みました。
初めてグランドで箕面攻めてみた感覚はCRXと全く別モンでした・・・
早いって言うか、コーナーでも安定感が全く違います。
テールの滑り出しもマイルドで、一瞬でケツが出るCRXの感覚に慣れていた為、少しモノ足らなさを感じるぐらいでした。
グランドに入れていたタイヤはCRXと同じく、フォミュラR76Jです。
同じタイヤなので、滑り出す感覚は似ていました・・・
入院のブランクはありましたが、5本も走ると完璧に以前のカンが戻りました。
もう準備はOK♪
あとは仲間が上がってくるのを待つだけです。
猿天の駐車場の奥にひっそりと停めて、仲間が来るのを待ってました。
そこに現れたのが仲間のKP61スターレット.♪
すかさず後を追います。
ギャラリーコーナーを通り、トンネルを抜け、S時・・・
やっぱりグランドは早い!
楽勝でKPを追いまわします。
折り返し後も車間距離30センチぐらいのベタ付けで、KPをアオリ倒しました。。。
パッシングしたり、高速コーナーで横に並んだりしながら・・・(笑)
KPのドライバーは、誰にアオられているか全く気が付いていませんでした。
かなり動揺していた様子なので、作戦は成功!・・・に思えました。
彼はまさか僕が復活してるとも思わないし、こんな色のグランドに乗ってる事も知らないですからね・・・
KPはたった一往復で走るのを止めて、猿天の駐車場へ車を停めます。。。
まぁ あの煽りでビビッたんやと思いました。
かなり嫌がらせ的なアオり方をしましたからね~
彼は動揺して、かなりラインが乱れてたし・・・
僕もKPのすぐ横に車を止めました。
さぁ ヤツはどんな顔して驚くかなぁ?等 いろいろ考えて、ワクワクしてた時です。
KPのドアが開き、ツレが
『オラァ~っ!』と叫びながら威勢よく降りてきました。。。
右手には木刀~♪
もちろん、僕は大慌てで車から降りて正体を明かしました。(汗)
ヤツは興奮してたので、しばらくは状況を把握できませんでしたけどね・・・
もう少し遅れてたら、せっかく全塗装したグランドシビックの天井がペコペコになるとこでした・・・(笑)
しょうもないイタズラはしない方が良いって事です。(汗)
折角の機会ですから、当時の文化?について・・・
車への木刀装備ですが、走り屋の車に限らず、当時は搭載率が高かったんです。
(僕のまわりだけかも知れませんが・・・)
本当に車種は関係無くって感じでした。
フルスモークのY30セドからミラターボ・TR-XXに至るまで・・・
その木刀ですが、観光地で売ってる『霧の摩周湖』とか『霊峰富士』等の刻印があるヤツはダメですよ(爆)
理想は鉄芯入りなんですけど、新品を調達する人は誰もいませんでした。
この手のグッズは、先輩から譲ってもらうのが基本でしたからね。。。
装着位置ですが、運転席シートとドアの間(通常は傘を置く場所)に置くのが
ベストです。
助手席側や後部座席では、緊急事態に対応ができません・・・
車を降りる時、同時に右手で持てるのが理想的な装着位置となります。
けど、それが箕面等を走る場合は、けっこうジャマになるんです・・・(汗)
フルブレーキングで、木刀がスルスル~♪っと前方に滑り出て、先ッポがアクセルを
微妙に刺激するんですよネ・・・(爆)
あっ!・・・
変な方向に話がソレてしまいました・・・(汗)
実は、当時の文化と比較して良く思う事があるのですが、
時々、走り屋の漫画あたりで見かける、前方の車へパッシングし、相手がハザードで返せばその時点で全く知らない者同士でもバトルスタート♪って話。。。
お互い、車の性能と運転技術を真面目に競う合う???
まぁ この時代の大阪に関して言わせて頂くと、僕の回りではそんな文化はないですよ。
知らない車がパッシングして必要以上に煽った時点で、別の意味でのバトルが始まる可能性が高いんです。(爆)
こんな感じで終わった箕面復帰デビュー戦ですが、車のコンディションは最高でしたネ。
しかし、余計な事をした為に変な汗をかきました。(笑)
そんな華やかな?デビューを終えたシビックですが、その後は毎晩の様に箕面へ上がり、走り込んでました。
今、思えば一番ノッてた時期でしょうか・・・
そして更なる進化を狙ってノンスリを入れる事にしました。
ノンスリは当時、FF車に多かったクスコの1WAYでは無く、無限の機械式2WAY・・・
結構、バキバキに効きました。
その時期、箕面でグランドにノンスリを入れてたのは僕の車を入れて2台だけでした。
やっぱり入ってるとコーナーでの動きがあきらかに違うので、すぐわかるんですよね・・・
もう1台のノンスリが入ってるシビックのすぐ後ろに付くと良く挙動がわかりました。
足回りは2台ともビジョン、それに同じ無限のノンスリが入ってたんです。。。
このコーナー(折り返し点から1つ目のヘアピン)ですが、2速全開からフルブレーキング・・・
右のフェンダーを山側に当てるぐらいの感覚でステアを切り込んだ瞬間、リアのフォーミュラR76Jから白煙があがるのと同時に、テールがスライドし車の向きがスパっと変わるんです。
その後、右後輪はインリフト状態になり、前輪は路面をガンガン掻きながら立ち上がります・・・
ノンスリ入ってると立ち上がりの速度は全然違いましたね。
ただし、コーナーを曲がりきれないと思い、アクセルを抜いたら、アンダーで怖い思いをしましたが・・・
この時期もグランドシビックの性能&タイヤの性能&ノンスリ等の効果もあり、かなり快適に走れました。
箕面の峠は高低差も無く、シビックにはかなり有利なコースだと思います。
やっぱりFFは早いと痛感した時期でもあります。
当時は4駆って基本的に無いですからね。
唯一、思い付くのはギャランVR4ぐらいです・・・
真ん中のヘアピンで刺さってるのを1回見ただけで、攻めてるシーンは記憶に無いです。
じゃ FRは遅いのか?って言えば・・・
もちろん、そんな事は無いです。 ドライバーしだいですね。
だだし、ノーマルエンジンで比較すれば、4AGは非力だったので、不利でした。
けど、仲良しのAE86でも早い人はいましたよ。
車高調に当時流行った?ピロ足・・・
あとARCの中空スタビ・・・
タイヤは流行りの76Jでは無く、あえてSタイヤでもアドバンのHFR-タイプDを選択していました。
76Jの初期のネバリ感が苦手とか言うてましたね・・・。
そのAE86トレノがテールをバンバン振りながら、箕面を疾走するシーン・・・
今でも目に焼きついています。
シビックで後ろに付くと白くて太いスタビが妙に主張しよるんですよネ・・・(笑)
けど、いくら腕があっても事故をするのが峠(ヤマ)なんです。
その日も大勢で箕面へ上がっていました。
このAE86の方とも毎晩のように仲良く遊んでいた時期やったんですけどね。
所属は自分と違い、某環状チームでしたが・・・・
事故現場は、高速コーナーが続くこの区間です。
原因はCRXが制御不能になり、センターを割ってきたとか・・・
高速コーナー区間であり、AE86が止まれず、CRXを突いたらゴロゴロ♪と横転・・・
横だけで無く、縦向きにも1回ったみたいです。
猿天の駐車場で遊んでいた自分達に連絡が入り、現場に駆けつけると、こんな感じでした。
このCRXのドライバーは車内で中吊になったものの、無傷で車から脱出できたらしいんです。
しかし、不思議な事に自分達が現場に行った時には、少し顔の形が変わってガードレールに寄りかかってました。。。(謎)
その現場を見て無いので、何とも言えないのですが、多分、事故の後でAE86さんにシバかれたんやと思います。(汗)
写真の中でCRXの右横に立ってるのが私です。
偉そうにひっくり返った車に手をついてますが、このCRXのオーナーの方とは全く面識ありません。(爆)
CRXは単独で走りに来られていた方の様でしたが、当時は一人で峠(ヤマ)を走るには大きなリスクがあったと思います。
車同士で接触事故があった場合やトラブルが起こった時に誰も助けてくれませんからね・・・(汗)
ホリデーオート臨時増刊号での箕面特集の影響もあり、この時期が1番盛り上がってた様に思います。
平日でも猿天の駐車場は満車状態でしたから・・・
箕面の台数が多く、走りにくい日は茨木サニータウンや阪奈へ行ってました。
けど残念な事に、2年前のバイク時代には盛り上がった阪奈ですが、この頃にはメインコーナーの『サブロク』等に減速帯が出来てしまい、攻めにくいコースになってしまってました・・・(汗)
あと、ココは覆面が多く、ナンバー付き車両で攻めるのは非常にリスクのある道路でした。
今回もダラダラと書いてしまいましたネ・・・
なんせ、当時より25年も経ってますから、細かな記憶が欠落しており、一部は事実と若干異なる箇所があるかもしれません。
また、今回は特に内容的に不適切な表現が含まれている為、【フィクション】として読んで頂きたく思います。
このシリーズ、あまり長く引っ張ると、話も間延びして面白くなくなる為、あと2~3回で終了の予定です。
それに、単なる昔話って言っても今の時代とGAPありすぎて、あまり続けていると、そのうち怒られそうですから・・・(爆)
まっ、このへんが潮時かと・・・
ですからもう少しだけ辛抱して下さいネ。
次回は・・・
クライマックスに相応しく、【 平成元年 正月・環状パレード編 】です。