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デビル14010のブログ一覧

2013年10月31日 イイね!

連載ブログを書き終えて。。。

連載ブログを書き終えて。。。
暇つぶし程度の感覚で、はじめたブログだったのですが、昨日のシリーズ最終回に対し、多くの反響を頂き、感謝しています。


また、昨日UPした最終回以前の過去のブログにもイイね!を付けて頂いたり・・・


更に驚いた事に、ファンが316名様になっていました・・・(大汗)


【大阪】走り屋伝説は全15話ですが、

1番人気は『環状・パレード編』・・・約400イイね! 

2番目は昨日UPの最終回 289イイね!・・・

そして、3番目が、第⒈話の『阪奈道路編』 275イイね!なんですよね。

まぁ 最終回は特別扱いと言う事で・・・

その2つに共通する事は、おそらく当時の大阪だけの流行って事だと思うんです。

分かりやすく言えば、数百台規模の台数で、単車や車が爆走するって話ですから。。。


箕面みたいな峠は全国各地にありますし、当時であれば、別に珍しい話でも無いかと思います。
まぁ 強いて言うならば、大阪の地域柄が反映され、多少は他の地方より行儀が悪かったのかもしれませんけど。。。(笑)

最近は箕面や六甲へ時々遊びに行くようになり、昔懐かしい気持ちでドライブ?をしています。

もちろん、通行禁止の時間とかでは無く、早朝の健全な時間なんですけど。

車の少ない早朝に軽く流すだけでも、楽しいもんですよ~
当然、法定速度遵守?で・・・

今週末の土曜日ですが、頑張って芦有まで行きたかったのですが、昼から用事があるので、近場の箕面に行く事になりそうですね。

箕面なら朝9時に駐車場が使えなくなるので、未練無く帰れるんですよね(笑)


この連休期間は六甲に行けないので、その代わり、連休明けの平日に鈴鹿ツインで軽く遊んできます。

やっぱり 遊ぶなら、ミニサーキットですよ!

人に迷惑がかかる公道で、暴走する行為は関心できませんからネ(笑)
(昔の仲間が聞いたら、苦情がきそうなセリフですが・・・)















Posted at 2013/10/31 22:52:20 | コメント(10) | トラックバック(0) | 日記
2013年10月30日 イイね!

【大阪】走り屋伝説 Part15 ・ 最終回 引退編

【大阪】走り屋伝説 Part15 ・ 最終回 引退編今回もたいそうなタイトルに反応し、ブログを覗かれた方には、あらかじめお断り申し上げますが、内容は大した事ありません。

何度も言いますが、大阪と言えども、かなり広域で、あくまで当時、自分が生息していたエリア、またその中での当時の交友関係の中で経験した『狭~い』範囲のみが記載内容となりますので、ご了承下さいませ。

また、内容に関しては一部不適切な表現もあると思われますが、あくまで個人のブログであり、架空の作り話? 等と、軽く流して頂ければ幸いです。


このシリーズはあの時代を駆け抜けた世代の方々と、当時の思い出を共有したいとの思いで書いています。

経験した人ならわかると思いますが、当時と同じ事は今の時代に絶対できませんから・・・


当時の思い出等、色々コメントを頂けると嬉しいです。

その地域や時代によっていろんなドラマがあったと思いますので・・・


最後まで前置きが長くなりましたが、前回のPart14では愛車『グランド・シビック』で
箕面や茨木サニータウン、環状だけで無く、中山サーキットの走行会にも行くようになり、更に充実した日々を過ごしていた時期の話をさせて頂きました。


最終回である今回は現役引退についての話をさせて頂きます。


まず、この時点で走り屋を止めるきっかけですが、大きな理由があった訳ではありません。

多分、細かな理由が重なり合って決意したんだと思います。

その理由は・・・

・昼間に車が使えない(捕まる)為、日常生活に支障が出る
・大きな事故を克服した様に思えるが、大きくテールがスライドした瞬間に恐怖が蘇る
・タイヤ代金や、ガソリン代金が続かない
・女性がらみのトラブル等にまき込まれる事がある(爆)
・交友関係が増えれば増えるほど、対人トラブルも急激に増えていく・・・

まぁ そんな感じでしょうか。。。

しかし、その頃は走り屋の数が更に増加した時期だったんです。

例えば、自分の中学の同級生でも、単車や走る車に全く興味が無かったヤツらが急に目覚めて車高調を入れたシビックを買いだしたり・・・

環状ブームの影響でシビック等を買っても、何処にも走りに行かない、見た目だけの走り屋が急に増えた時期でしたね。

街乗りしかしないのに、車高調にピロアッパーつけて、ロールバーとか・・・(笑)

もう少し続けても良かったのですが、そろそろ潮時かと思い、平成元年5月に引退を決意します。

その時点ではバイク時代から考えると3年半の期間、スピードに酔いしれる遊びを続けてきた訳なので、もう十分満足していたのです。

今の感覚で考えると、引退が早すぎる感じがしますが、あの時代は、みんな本当に毎晩走りに行ってたんですよ。

だから中身は超濃厚なんです。

しかし、この3年半の経験は自分の人生の中で貴重な経験となりました。

また、当時の走り屋の特徴として、個人が個別にモータースポーツを楽しむって感覚では無く、それぞれ団体に所属し、そして集団で行動し、そのメンバーの間で時には助け合い・・・
また場合によっては、仲間内であっても、容赦なく意図的に陥れ・・・(爆)
そして、団体行動ゆえに、更に余計なトラブルに巻き込まれる事も多くありました。

それに、人間って集団になれば気が大きくなりますからね。。。(汗)

それが良い事か悪い事かは、あえて書かなくても分かるとは思いますが、
当時の大阪はそんな傾向があった様に思えました。

集団と関わらず、個人として自由気ままに走りを楽しむ事が出来た時代であれば、もっと長く楽しめたのかもしれません・・・

けど、あの時代は個人で堂々と走れる時代では無かったんですよね。。。

特に環状なんか、何のつながりも無い人が自由に走り回れる場所でも無かったし、仮に頑張って走ってても、少し いちびった走り方をしただけで、カラまれますからね・・・(笑)

だから、真面目に車が好きで、健全なスポーツドライブが好きって人は、今の時代が合ってると思います。

昔は普通に走ってるだけでもシバかれる事があった時代でしたから・・・

確かにアツい時代でしたが、車好きの誰もが走り屋になれた訳では無く、それなりの覚悟がなければ走り続ける事が出来なかったんです。

そのへんは大阪だけの文化だったのかもしれませんけど・・・(汗)

さっきも書きましたが、平成元年に入り、新しく走り始めた人が増えたのですが、同時に止めた人も多かったんです。

自分が引退後、1年ぐらいで仲間の半数はヤメましたからね・・・

取り締まりが急にキツくなり、走りたくても走れない環境・・・
また、クラッシュして全損になったり。。。

良い思い出も、悪い思い出も多数ありましたが、この時点で走り屋の引退を決意し、グランドシビックを降りる事にしました。

もう少し続けていたら、運転が上手くなっていた可能性はありますが、
事故で死亡や大怪我をするリスクもありました。。。

そう言う意味でも、良いタイミングだったと思います。

以上で自分が知ってる『走り屋』の世界は全て終了です。

 
そして、引退後はこの世界から離れましたので、全く状況がわかりません・・・
(2年後にAW11やSW20に少し乗った時期もあったのですが、街乗り程度です)

 
また、当時の仲間も20年以上会ってませんので、その後の情報もありません。。。

ただ、風の便りによると、仲間の一人が走り屋時代の血の気の多さと運転技術が認められ、デリヘルの送迎運転手にスカウトされたとの事でしたが・・・(爆)

 
もし、この後の大阪・走り屋文化はどんな風になったのか・・・

その辺に興味がある方は、この漫画とか参考になりそうですよ。。。
ただし、漫画は自分が引退した後の話ですけどね。


 


 
自分がシビックを降りたのが平成元年の5月 この漫画のストーリーが始まる設定が平成元年の春ですので、時期的には見事にシンクロしますので、時代の流れは上手くつかめると思います。

 

 


但し、漫画の舞台は大阪南部の泉州方面、自分は北摂なので、大阪の端と端ですから、漫画には箕面とか全く出てきませんけどね。。。(笑)






 このブログを書き始めたきっかけですが、20数年ぶりに、少し走れる車に乗る事になり、昔を懐かしみながら走りに行く機会も増えてきました。。。

そんな中で感じた事は、自分の経験した時代と、現在とでは感覚的な違いがあるって事でした。

もし、自分があの全盛期の頃から継続して、サーキット等で遊んでいたのであれば、これほどの違和感は感じ無かったと思います。

恐らく、あの時期にキッパリやめたので、平成元年で時代が止まってしまってるんですよね・・・

言い換えれば、自分にとっては、昭和末期の時代が全てなんです・・・(笑)
※浦島太郎みたいな感じですよ

そんな中で自分が過去に経験した事をブログにしてみよう・・・ って思ったんです。 ただそれだけ。。。


もう最後なので、具体的にどんな違和感を覚えたのか、一例をあげておきます。
※今の若い方の感覚を批判している訳では無いですから、誤解なさらないでくださいネ

例・・・

『リアガラスの着色フィルム』

これは自分が現役の頃にはありえない行為でした・・・
最近はスポーツカーでもフィルム貼ってるのを見ますネ。。。

昔はセダン系の車ではフルスモークが基本でしたが、走り屋系の車に着色フィルムはダメでした。

理由は??? 

夜に外が見にくいから???   いやいや・・・

ちがいますよ!

車内を見て欲しいのに、フィルムなんか貼ったら、中が見えないじゃないですか!(笑)
見て欲しいが故に、ロールゲージを黄色や白や青に塗ってアピールしてるんですよ!

それと、当時の走り屋にとって1番大切な事は、いかに無用なトラブルを避けるかって事だったんです。

例えば、ガチガチの足回りの車が路面のギャップを拾い、車体が揺れた時、バケットシート上部から見え隠れする『パンチパーマ』のヘア♪は後方の車両に対し、最大の威嚇効果を発揮するんです!

だから、ガラスにフィルムなんて貼ってしもたら、威嚇効果ゼロなんですわ。。。(笑)

それに、リヤに貼るだけでも全体的に車内が暗くなって外から見えにくくなりますよね・・・

そんなん・・・

メンチ切っても相手に見えへんがな!(爆)


まぁ 違和感って言うても、この程度のしょうもないジェネレーションギャップですね。

え?

やっぱり、私の考えの方が変ですか?(笑)

すいません、浦島太郎状態になっている年寄りの戯れ言です・・・
寛大な心で接して下さいませ。。。(汗)


今回でこの走り屋伝説シリーズはこれで終了しますが、昔の思い出は書ききれない程、多数あります。

その辺は、今後も日常のブログにて、随時、語っていきたいと思います。

今まで、読んで頂き、ありがとう御座いました!


<平成元年 初春 最高の愛車 グランドシビックと共に・・・>
 

 

最後に、走り屋引退後の進路について、軽く書かせて頂きます。

 
興味が無い方はスルーして下さいね。
※走り屋とは全く関係ありません

自分は平成元年の5月に走り屋を引退し、セダンに乗る事になります。

 
もうすぐ20歳を迎えるので、今後の活動も視野に入れて、アダルトで落ち着いた雰囲気の車を選びました。

 
そして、服装もトラサルディやベンチューリー等のブランドから、先輩達が愛用していたPIA・SPORTS等のブランドに移行していきました。
※もちろん、腰にポケベル装備は必須です

 
当時、服装と自分が選んだ車(クラウン)は見事にマッチしていたと思いました。


 

 

このクラウン・・・

 
車の外見から上品さが滲み出ている為、対向車から良く道を譲って頂ける名車でした。
 

しかし、残念な事に、グランドシビック以上にナンパが難しい車でした。
こんな上品な車なのに、妙に警戒されるんですよね・・・(爆)



そして、自分自身の行動としては、今までの活動ステージであった箕面や環状から、完全に決別し、魅惑と欲望が渦巻く、夜の街 ミナミ(難波)へ本格的に進出する事になります。


 
 

 

そこには走り屋の世界と比べると数倍・・・

いや!

 
数十倍の刺激が待っていました。。。



平成元年 5月

当時、19歳・・・

 
走り屋時代に培った、行動力を武器に・・・

 
簡単に後戻りが出来ない『ダークサイド』へ向けて・・・

 
フルスロットル♪で突入して行く事になります。

 
 


 
【大阪】走り屋伝説   
Posted at 2013/10/30 14:35:00 | コメント(26) | トラックバック(0) | 【大阪】「走り屋伝説 | 日記
2013年10月26日 イイね!

【大阪】走り屋伝説 Part14 ・ 中山サーキット編

【大阪】走り屋伝説 Part14 ・ 中山サーキット編
今回もたいそうなタイトルに反応し、ブログを覗かれた方には、あらかじめお断り申し上げますが、内容は大した事ありません。

何度も言いますが、大阪と言えども、かなり広域で、あくまで当時、自分が生息していたエリア、またその中での当時の交友関係の中で経験した『狭~い』範囲のみが記載内容となりますので、ご了承下さいませ。

また、内容に関しては一部不適切な表現もあると思われますが、あくまで個人のブログであり、架空の作り話? 等と、軽く流して頂ければ幸いです。


このシリーズはあの時代を駆け抜けた世代の方々と、当時の思い出を共有したいとの思いで書いています。


経験した人ならわかると思いますが、当時と同じ事は今の時代に絶対できませんから・・・
 
当時の思い出等、色々コメントを頂けると嬉しいです。

その地域や時代によっていろんなドラマがあったと思いますので・・・


またまた前置きが長くなりましたが、前回のPart13では愛車『グランド・シビック』で毎晩の様に箕面や茨木サニータウン、また環状で遊んでいた頃の話の流れから、正月環状パレードの話を中心に書かせて頂きました。
 
そして、この【大阪】走り屋伝説ですが、ストーリーは既に終盤に入っています。
しかし、このまま環状や箕面の話題で終了してしまうと、

『走り屋と言いながら、公道で暴走行為をしていただけではないのか???』 

・・・等の批判が出る可能性もあります。(汗)

よって、今回の内容は少し視点を変えています。
・・・あれ? あまり変わってないかも?(笑)

当時、自分自身の運転技術は大した事無かったのですが、周りを取り巻く環境は比較的レベルが高かったと思います。

それゆえ、すごい運転をする方々の走りを自分自身の目で見てきました。。。

そんな恵まれた環境で遊んでいた頃のお話。
 
今回のテーマは、【中山サーキット】です。

時代は今から約25年前の平成元年3月。

当時、大阪では一人前の走り屋と認めてもらえる必要条件が『中山サーキット』走行経験だったんです。

それは四輪に限らず、バイクの世界でも同じ事が言えました。

その頃、皆が愛読していた雑誌は関西ローカルのカー雑誌『カーロード』でした。

その中にも必ず中山サーキットのNCHKは出てきましたからね。

そう言えば、当時、NCHKと環状を走るクラブとを間違えてる人もいましたね・・・
アルファベットの『C』『K』が入ってるからでしょうか。。。(笑)

当時、会話の中に、

『中山で○○秒やった・・・』
『来週、中山行くねん・・・』 
『中山でエンジンをイッてしもた・・・』

等の言葉が入れば、もう一人前の走り屋気取りだったんです!(爆)
まぁ ほとんど気分的なモンやと思いますが・・・(汗)

つまり、峠(ヤマ)を走る、多くの走り屋が目指した目標が『中山サーキット』だったんです。

だいたい、関西から行けるサーキットって鈴鹿か中山しか無かった時代ですからね・・・

しかし、誤解の無い様に補足すると、峠(ヤマ)や環状を走る事を止めて、活動の場をサーキットに移すって意味では無く、単に走行経験が欲しかっただけなんです。(笑)

みんなレーサーとか目指して走ってた訳では無いので・・・
※真面目にレーサーを目指してたら、料金所突破とかしませんよ(爆)

自分は、当時、ほんの数回程度、走行会に行っただけですが、今でも良い思い出となっています。

今回は、そのうちの1回を紹介します。

その日はいつも走ってた仲間が20台ぐらい集まったので、特別に良く覚えてるんですけどね。

走行会の当日は朝早く起きて夜明けの山陽道を飛ばし、岡山を目指しました。

当然、積車なんて贅沢なモノはありません! 基本はリスクを負って自走です。

爆音のシビックが連なり、山陽道を移動する訳ですが、感覚的には環状を走ってる気分になります。

しかし、1番大きな違いは後ろにナンバープレートを付けてるって事なんです。。。(笑)
つまり、ポリに追われると逃げる事はできません。
しかし、時間帯が夜明けぐらいだったので、取締りも無く、無事に中山へ入る事ができました。

あ・・・それと、山陽道の通行料金はちゃんと払いましたよ(汗)

これは、その日の中山サーキットの券です。
まぁ こんなん持ってる人おらんと思いますが・・・

いつかプレミアが付くかと思い、大切に持ってます(爆)
 

 

中山サーキットですが、自分達が走りに行く少し前にコース改修があり、距離が伸びたんです。

当時、流行った言葉が、『中山の旧コース1分切り・・・』でしたよね。(笑)


走行会ですので、午前中は各自、練習走行を楽しみました。
 


 
KP等、キャブ仕様の車はセッテイングを出しながらのタイムアタックです。
 

 

写ってる車を見て頂ければ分かりますが、KP61や310サニーが現役の時代なんですよ。


そして、午後にはクラス分けをして模擬レース♪

その日の模擬レースは予選が無かった為、自分が希望した位置からスタート出来ました。

コレが模擬レースのスタート前写真です。
 

 
どうですか? このスターティング・グリッド♪

自分の紫シビックの右に位置する白シビックはこの車・・・
ホリデーオート掲載のモデル車ですね。



 
左のシグナルオートのハチマキ付けたAE86は・・・
すいません! 誰か思い出せない!(笑)


そして、自分の左後方のワンダーシビックは普通のワンダーではありません。(大汗)

カラーリングとフロントガラスのステッカーでわかった人は当時の事情通です・・・

写真を拡大します。

わかりましたか?
 

 

そうです。
 
テクニカの『ワンダーシビック』 です。

テクニカ・カラーに塗った環状マシンではありません!(爆)

本物の鈴鹿の競技車両ですよ。

自分達の中で、シビックと言えば、テクニカだったんです。

まぁ とにかく早いんですわ。





 
もちろん、この漫画の中にもテクニカ・カラーに塗ったグランド(VTEC)が登場してますよね!





それぐらい大阪では有名で憧れ的な存在でした。
 
あ・・・

大事な説明が抜けてました。。。

このワンダーのドライバーは『前〇さん』でした。
車だけでなく、ドライバーも本物です。

ご存知ですよね?

昭和63年、平成元年の鈴鹿シビックレースでのご活躍は皆さんも記憶されてるとは思いますが。。。

この日もジェットヘルを装着されていました!(笑)

まぁ そんな方の前に堂々とシビックを停めて模擬レースに参加するって・・・
当時、自分がいかに無謀だったのか良くわかる写真ですね!(爆)

更に、スタート前の写真には写っていないのですが、最後尾に業界の大御所様が運転するS30Zが控えられておりました。

オ〇〇 セ〇〇〇 の 〇様です。。。

大阪の人なら〇が多くても分かりますよね?

そして、全く緊張感の無い、スタート前の一瞬。
 

 
そして、模擬レース スタート!

しかし・・・

いきなり スタート 失敗♪

あっさりAE86に前へ出られます・・・(爆)
 

 

そして、1コーナー進入の頃には自分の真後ろに、ワンダーがベタ付けです(汗)

なんとか振り切ろうと思ったのですが、バックミラーには『テ・ク・ニ・カ』の文字が大きく映し出されます!

もう、威圧感MAXですわ!(爆)
 
 
当時、シビック乗ってる人で、『テ・ク・ニ・カ』の黄色4文字が迫ってきて平気な人は少ないと思います。。。


そんな事無いわ!

お前が下手なだけで、俺なら勝てたよ~って人がいてたら名乗り出て下さいネ。(笑)
 

そして、1週目に。。。

 
あっさりと、ワンダーにチギられます。。。(爆)

 

 
もちろん、前○さん 本気で走られてた訳では無いですよ。 

遊び感覚で模擬レースに参加したものの、あまりにも自分のグランドシビックが遅く、走り方も危ないので、ゆっくり&安全にパスして行ったんだと思います。(笑)


更に、背後から迫る大御所様のS30Z・・・
 



その時の心境としては、映画マッドマックスの中で、インターセプター(追跡専用パトカー)に追われる、暴走族リーダー、トゥーカッターの気持ちでしたネ。(笑)
 

 


次の周回には、そのオーラにビビり、あっさり抜かれます・・・(爆)

 


 

けど、この環境の中を頑張った『意気込み』だけでも評価頂きたいと思います。(笑)

 

 

まぁ 箕面でそこそこ走れても、実際にサーキット行けばこんなモンですわ。。。
話にもなりませんでした(爆)

少しだけ言い訳すると、その日は、周囲のレベルも若干高かったとは思うのですが・・・
 

そんな訳で事故も無く、模擬レースも無事に終了しました。

 

 

PM3時過ぎ、中山サーキットを出て大阪へ帰還します。

しかし、自分達の様な自走組はこれから1つの難所を通らないとダメなんです。
その難所とは・・・

山陽自動車道『和気IC』です。

何故、難所なのか? 

それは、和気ICには兵庫県警高速隊の事務所があったんです。。。
そして、彼等は和気ICに侵入してくるサーキット帰りの車をビシビシと摘発しよるんです・・・
 

 
この日、自分の車もストレートマフラーでしたが、この写真のKPも爆音サイドマフラーだったんです。。。

このアドバンカラーKPのオーナーはこのシリーズ初回の阪奈道路編に出てくるCBXに乗ってた元暴走族なんですけどね。。。
(もちろん、暴ヤンは中学生時代の話ですが・・・)

あ! そうそう。 シリーズPart9に登場する、箕面のトンネル内で横向き2回をくらってKPを廃車にしたのと同じ人物です。 ロールバーで頭を切ったヤツですね。。。(笑)

まぁ そんな訳で、昔からの親友であるアドバンKPが先頭を走り、2番目が自分、その後にも仲間が順番に。。。って感じで和気ICへ向かいました。

和気ICの入口では、すごい緊張感が漂っています。

県警の高速隊は、マフラー音に反応して事務所から出てくるので、音は立てたらダメなんです。

ラッキーな事に、ICの料金所ブース周辺にはポリはいませんでした。

各車両は音を立てない様、慎重なアクセルとクラッチ操作でICへ接近します。

KPはフライホイールやクラッチも触ってたので、かなり辛そうでした。。。
時々、エンストしそうな音を出しながら徐行してします・・・

KPのツレが和気ICで通行券を受け取った直後でした。。。

KPからはキャブの調子が悪いのか『ガボッ・ガボッ♪』と苦しそうな音が聞こえます・・・

エンジンが止まりそうでアイドリングが安定していません・・・(汗)

その次の瞬間、 『ゴ・ゴ・ゴ・・・クォォ~ァ~ン♪』
とKPの爆音が響き渡ります・・・

最悪です。。。

アドバンKP、調子悪いのでアクセル踏み込みよったんですわ。。。(汗)

とっさに左側を見ると県警の高速隊の事務所から、ポリが『停まれ』の赤旗を片手に、笛を吹きながら、こっちに走ってくる光景が目に入りました。

残念ですが、しかたありません。  非常事態です。

自分のシビックも全開でその場をスクランブル発進♪
グランドシビックの爆音が和気ICに響き渡ります。

適度にダンロップ・フォーミラR76Jがホイルスピンし、トラクションがかかります。
絶妙のスタートです♪
さっきの模擬レースのスタートより、格段に上手い、ロケットスタートでした。(爆)

そして、すぐにミラーを見ましたが、後続車両は来ませんでした・・・(汗)

そうです・・・
皆、和気ICでポリに捕まったんです。。。(笑)

ツレのKPが悪いとは言え、仲間には申し訳ない事をしました。

この後、後続車両のメンバーからは『今後、お前らと一緒に中山は行かへんぞ!』等と、メッチャ怒られましたけどね。

まぁ 当時は良くある事ですわ(爆)

以上で思い出に残る【中山サーキット編】は終了です。

 
次はいよいよ、このシリーズ最終回となります。


次回のテーマは【走り屋 引退編】です。
 
 
 
 
Posted at 2013/10/26 15:10:36 | コメント(21) | トラックバック(0) | 【大阪】「走り屋伝説 | 日記
2013年10月12日 イイね!

【大阪】走り屋伝説 Part12 ・ 激走編

【大阪】走り屋伝説 Part12 ・ 激走編今回もたいそうなタイトルに反応し、ブログを覗かれた方には、あらかじめお断り申し上げますが、内容は大した事ありません。

何度も言いますが、大阪と言えども、かなり広域で、あくまで当時、自分が生息していたエリア、またその中での当時の交友関係の中で経験した『狭~い』範囲のみが記載内容となりますので、ご了承下さいませ。

また、内容に関しては一部不適切な表現もあると思われますが、あくまで個人のブログであり、架空の作り話? 等と、軽く流して頂ければ幸いです。


このシリーズはあの時代を駆け抜けた世代の方々と、当時の思い出を共有したいとの思いで書いています。

経験した人ならわかると思いますが、当時と同じ事は今の時代に絶対できませんから・・・

当時の思い出等、色々コメントを頂けると嬉しいです。

その地域や時代によっていろんなドラマがあったと思いますので・・・


またまた前置きが長くなりましたが、前回のPart11は自分が新しく手に入れた愛車
『グランド・シビック』誕生の話をさせて頂きました。
 

 
今回は長きにわたる入院生活を乗り越え、愛車グランドシビックに乗り、峠(ヤマ)へ復活した頃の話です。

時代は今から約25年前の昭和63年11月。

まず愛車グランドシビックにて、初めて箕面へ復活した日の話から始めたいと思います。

箕面での事故により、入院していた病院を退院した後も、ツレの車で箕面へは上がっていましたが、仲の良かった仲間でさえグランドシビックを買った事を話していませんでした。

もちろん、あの派手な色の事も・・・

理由は、急に復活して驚かせてやろう!って考えがあったんです。
 
その日は少し早めに箕面へ上がり、車に慣れる為、走り込みました。

初めてグランドで箕面攻めてみた感覚はCRXと全く別モンでした・・・
早いって言うか、コーナーでも安定感が全く違います。

テールの滑り出しもマイルドで、一瞬でケツが出るCRXの感覚に慣れていた為、少しモノ足らなさを感じるぐらいでした。

グランドに入れていたタイヤはCRXと同じく、フォミュラR76Jです。
同じタイヤなので、滑り出す感覚は似ていました・・・
 
入院のブランクはありましたが、5本も走ると完璧に以前のカンが戻りました。

もう準備はOK♪
あとは仲間が上がってくるのを待つだけです。

猿天の駐車場の奥にひっそりと停めて、仲間が来るのを待ってました。
そこに現れたのが仲間のKP61スターレット.♪

すかさず後を追います。

ギャラリーコーナーを通り、トンネルを抜け、S時・・・
やっぱりグランドは早い!

楽勝でKPを追いまわします。

折り返し後も車間距離30センチぐらいのベタ付けで、KPをアオリ倒しました。。。
パッシングしたり、高速コーナーで横に並んだりしながら・・・(笑)

KPのドライバーは、誰にアオられているか全く気が付いていませんでした。

かなり動揺していた様子なので、作戦は成功!・・・に思えました。

彼はまさか僕が復活してるとも思わないし、こんな色のグランドに乗ってる事も知らないですからね・・・

KPはたった一往復で走るのを止めて、猿天の駐車場へ車を停めます。。。

まぁ あの煽りでビビッたんやと思いました。 
かなり嫌がらせ的なアオり方をしましたからね~

彼は動揺して、かなりラインが乱れてたし・・・

僕もKPのすぐ横に車を止めました。
さぁ ヤツはどんな顔して驚くかなぁ?等 いろいろ考えて、ワクワクしてた時です。

KPのドアが開き、ツレが『オラァ~っ!』と叫びながら威勢よく降りてきました。。。

右手には木刀~♪

もちろん、僕は大慌てで車から降りて正体を明かしました。(汗)

ヤツは興奮してたので、しばらくは状況を把握できませんでしたけどね・・・

もう少し遅れてたら、せっかく全塗装したグランドシビックの天井がペコペコになるとこでした・・・(笑)

しょうもないイタズラはしない方が良いって事です。(汗)

折角の機会ですから、当時の文化?について・・・

車への木刀装備ですが、走り屋の車に限らず、当時は搭載率が高かったんです。
(僕のまわりだけかも知れませんが・・・)

本当に車種は関係無くって感じでした。

フルスモークのY30セドからミラターボ・TR-XXに至るまで・・・
その木刀ですが、観光地で売ってる『霧の摩周湖』とか『霊峰富士』等の刻印があるヤツはダメですよ(爆)

理想は鉄芯入りなんですけど、新品を調達する人は誰もいませんでした。
この手のグッズは、先輩から譲ってもらうのが基本でしたからね。。。

装着位置ですが、運転席シートとドアの間(通常は傘を置く場所)に置くのが
ベストです。

助手席側や後部座席では、緊急事態に対応ができません・・・
車を降りる時、同時に右手で持てるのが理想的な装着位置となります。

けど、それが箕面等を走る場合は、けっこうジャマになるんです・・・(汗)

フルブレーキングで、木刀がスルスル~♪っと前方に滑り出て、先ッポがアクセルを
微妙に刺激するんですよネ・・・(爆)

あっ!・・・

変な方向に話がソレてしまいました・・・(汗)

実は、当時の文化と比較して良く思う事があるのですが、
時々、走り屋の漫画あたりで見かける、前方の車へパッシングし、相手がハザードで返せばその時点で全く知らない者同士でもバトルスタート♪って話。。。

お互い、車の性能と運転技術を真面目に競う合う???

まぁ この時代の大阪に関して言わせて頂くと、僕の回りではそんな文化はないですよ。

知らない車がパッシングして必要以上に煽った時点で、別の意味でのバトルが始まる可能性が高いんです。(爆)
 
こんな感じで終わった箕面復帰デビュー戦ですが、車のコンディションは最高でしたネ。

しかし、余計な事をした為に変な汗をかきました。(笑)

 
そんな華やかな?デビューを終えたシビックですが、その後は毎晩の様に箕面へ上がり、走り込んでました。

今、思えば一番ノッてた時期でしょうか・・・

そして更なる進化を狙ってノンスリを入れる事にしました。

ノンスリは当時、FF車に多かったクスコの1WAYでは無く、無限の機械式2WAY・・・

結構、バキバキに効きました。

その時期、箕面でグランドにノンスリを入れてたのは僕の車を入れて2台だけでした。

やっぱり入ってるとコーナーでの動きがあきらかに違うので、すぐわかるんですよね・・・

もう1台のノンスリが入ってるシビックのすぐ後ろに付くと良く挙動がわかりました。
足回りは2台ともビジョン、それに同じ無限のノンスリが入ってたんです。。。

 


 

このコーナー(折り返し点から1つ目のヘアピン)ですが、2速全開からフルブレーキング・・・

右のフェンダーを山側に当てるぐらいの感覚でステアを切り込んだ瞬間、リアのフォーミュラR76Jから白煙があがるのと同時に、テールがスライドし車の向きがスパっと変わるんです。

その後、右後輪はインリフト状態になり、前輪は路面をガンガン掻きながら立ち上がります・・・

ノンスリ入ってると立ち上がりの速度は全然違いましたね。 

ただし、コーナーを曲がりきれないと思い、アクセルを抜いたら、アンダーで怖い思いをしましたが・・・
 
この時期もグランドシビックの性能&タイヤの性能&ノンスリ等の効果もあり、かなり快適に走れました。

箕面の峠は高低差も無く、シビックにはかなり有利なコースだと思います。
やっぱりFFは早いと痛感した時期でもあります。

当時は4駆って基本的に無いですからね。
唯一、思い付くのはギャランVR4ぐらいです・・・  

真ん中のヘアピンで刺さってるのを1回見ただけで、攻めてるシーンは記憶に無いです。

じゃ FRは遅いのか?って言えば・・・

もちろん、そんな事は無いです。 ドライバーしだいですね。
だだし、ノーマルエンジンで比較すれば、4AGは非力だったので、不利でした。

けど、仲良しのAE86でも早い人はいましたよ。

車高調に当時流行った?ピロ足・・・
あとARCの中空スタビ・・・

タイヤは流行りの76Jでは無く、あえてSタイヤでもアドバンのHFR-タイプDを選択していました。

76Jの初期のネバリ感が苦手とか言うてましたね・・・。

そのAE86トレノがテールをバンバン振りながら、箕面を疾走するシーン・・・
今でも目に焼きついています。

シビックで後ろに付くと白くて太いスタビが妙に主張しよるんですよネ・・・(笑)

けど、いくら腕があっても事故をするのが峠(ヤマ)なんです。

その日も大勢で箕面へ上がっていました。

このAE86の方とも毎晩のように仲良く遊んでいた時期やったんですけどね。
所属は自分と違い、某環状チームでしたが・・・・

事故現場は、高速コーナーが続くこの区間です。
 

 

原因はCRXが制御不能になり、センターを割ってきたとか・・・

高速コーナー区間であり、AE86が止まれず、CRXを突いたらゴロゴロ♪と横転・・・
横だけで無く、縦向きにも1回ったみたいです。


猿天の駐車場で遊んでいた自分達に連絡が入り、現場に駆けつけると、こんな感じでした。
 

 
 

このCRXのドライバーは車内で中吊になったものの、無傷で車から脱出できたらしいんです。

しかし、不思議な事に自分達が現場に行った時には、少し顔の形が変わってガードレールに寄りかかってました。。。(謎)

その現場を見て無いので、何とも言えないのですが、多分、事故の後でAE86さんにシバかれたんやと思います。(汗)

写真の中でCRXの右横に立ってるのが私です。

偉そうにひっくり返った車に手をついてますが、このCRXのオーナーの方とは全く面識ありません。(爆)

CRXは単独で走りに来られていた方の様でしたが、当時は一人で峠(ヤマ)を走るには大きなリスクがあったと思います。

車同士で接触事故があった場合やトラブルが起こった時に誰も助けてくれませんからね・・・(汗)

ホリデーオート臨時増刊号での箕面特集の影響もあり、この時期が1番盛り上がってた様に思います。

平日でも猿天の駐車場は満車状態でしたから・・・

箕面の台数が多く、走りにくい日は茨木サニータウンや阪奈へ行ってました。

けど残念な事に、2年前のバイク時代には盛り上がった阪奈ですが、この頃にはメインコーナーの『サブロク』等に減速帯が出来てしまい、攻めにくいコースになってしまってました・・・(汗)
 

 

あと、ココは覆面が多く、ナンバー付き車両で攻めるのは非常にリスクのある道路でした。
 
今回もダラダラと書いてしまいましたネ・・・

なんせ、当時より25年も経ってますから、細かな記憶が欠落しており、一部は事実と若干異なる箇所があるかもしれません。
 

また、今回は特に内容的に不適切な表現が含まれている為、【フィクション】として読んで頂きたく思います。


このシリーズ、あまり長く引っ張ると、話も間延びして面白くなくなる為、あと2~3回で終了の予定です。

それに、単なる昔話って言っても今の時代とGAPありすぎて、あまり続けていると、そのうち怒られそうですから・・・(爆)

まっ、このへんが潮時かと・・・

ですからもう少しだけ辛抱して下さいネ。


次回は・・・

クライマックスに相応しく、【 平成元年 正月・環状パレード編 】です。
Posted at 2013/10/12 12:33:23 | コメント(11) | トラックバック(0) | 【大阪】「走り屋伝説 | 日記
2013年10月08日 イイね!

【大阪】走り屋伝説 Part11 ・ 復活編

【大阪】走り屋伝説 Part11 ・ 復活編今回もたいそうなタイトルに反応し、ブログを覗かれた方には、あらかじめお断り申し上げますが、内容は大した事ありません。


何度も言いますが、大阪と言えども、かなり広域で、あくまで当時、自分が生息していたエリア、またその中での当時の交友関係の中で経験した『狭~い』範囲のみが記載内容となりますので、ご了承下さいませ。

 
また、内容に関しては一部不適切な表現もあると思われますが、あくまで個人のブログであり、架空の作り話? 等と、軽く流して頂ければ幸いです。

このシリーズはあの時代を駆け抜けた世代の方々と、当時の思い出を共有したいとの思いで書いています。

経験した人ならわかると思いますが、当時と同じ事は今の時代に絶対できませんから・・・

当時の思い出等、色々コメントを頂けると嬉しいです。

その地域や時代によっていろんなドラマがあったと思いますので・・・


またまた前置きが長くなりましたが、今回の話は自分がサイバーCRXに乗り始めて8ヶ月。。。


箕面で大クラッシュし、入院したのが前々回のブログ Part9の話。
 

 

Part10は少し気分転換に『ナビオ前』の話を少々・・・

今回は愛車CRXが廃車となり、新しいマシンを手に入れる時の話です。

時代は今から25年前の昭和63年11月。

 
箕面ドライブウェイでの大クラッシュにより箕面市立病院への入院を余儀なくされた訳ですが、反省の様子は全く無く、毎晩のように病院を抜け出して仲間の車で箕面へ上がっていました。

松葉杖を突きながら深夜に猿天の駐車場で遊ぶ事が日課になってたんです。

不自由な足の為、困った事もありました・・・

それは、猿天へポリが来た時です。

皆が一斉に車に乗り込み逃げる訳ですが、自分は松葉杖の為、車まで走れません。。。

平日でも仲間の車は常に10台ぐらい上がってたのですが、そんな時に限って周りに誰もいない・・・(汗)

1回、猿天の駐車場に置いていかれた事がありました。

その時はツレが戻って来るまで汚い便所の裏に隠れてましたけど・・・(爆)


入院生活も2ヶ月が経ち、日々のそんな健全?な生活サイクルが神様に認められたのか?

奇跡的に砕けた膝関節が治りかけていました。

一時は2本足での歩行を諦めた時期もあったのですが・・・

2度の手術も無事に終わり、無事退院して自宅にてリハビリをしていました。
そうなると当然、NEWマシンが欲しくなります・・・

事故でCRXは全損になった為、車両保険は満額出ました。

この時に『車両保険は無理しても絶対に入っとけよ・・・』って車を買った頃に先輩が言ってた意味がはじめて分かりました。(汗)

もう次に乗る車は入院中から決めてたんです。

もちろん  当時人気ナンバー1のグランド・シビックです。

しかし、丁度その時期に妙な噂が飛び交います・・・
それは、来年のマイナーチェンジで160馬力仕様が出るとの噂なんです。

初めて自分達が聞いた時は、そんな事、絶対にありえん話や!とみんな笑ってました。

4AGにスーパーチャージャー付けても145馬力の時代に1600のNAで160馬力も出る市販車が簡単に発売される訳ないやん・・・って思ったんです。
 
その時はグランドシビックがフルモデルチェンジにより新車発売されて1年ちょい・・・
現行のZCエンジンでも十分早いのに、160馬力仕様なんて・・・
まぁ、ありえん話やわ・・・  って思ったんです。

しかし、当時、鈴鹿のシビックレースに常時参戦してるSHOP筋は違いました。

160馬力仕様のシビックは来年には確実に発売されると、この時点で断言されてましたからね。

まぁ 結果的には見事に僕の予想を裏切ってくてれた訳でして、160馬力仕様のグランドシビックはこの10ヶ月後に発売されるんですよ。 
それが後の『ブイテック』です。

少し話しがそれましたが、その時点では夢みたいな160馬力仕様のシビックの発売を待つはずが無く、退院後は早くシビックを購入したい気持ちが強まり、ある日、ホンダのディーラーへ契約に行きました。

ホンダプリモ店に向かう途中で、良く遊びに行ってたシビック系某有名SHOP前を通ると、知ってる車が数台・・・

店には用事なかったのですが、中に入ると友達の顔が数名。。。

話の流れで新車を買いに行く話しをすると、仲が良かった店のメカニックの子が『俺の車、買わへんか?』との事。

仕様は、無限アルミ・Sタイヤ・車高調・マフラー・バケット・前後タワーバー・ロールバー・ブレーキ等、フル装備。

しかも、足回りとマフラーは当時、憧れたビジョン!

※本シリーズPart7 ホリデーオート取材編に載ってた車(青塗りブラックレーシングのグランド)です
 



 
結構、安い値段を提示してくれたのですが、少し悩んでいると、店長さんの悪魔のささやき・・・

戦線復活祝いとして、『5万で全塗装したるわ・・・』との事。

ココまできたら買うしかありません。(笑)

即時、購入を決断しました。 そして、その場で色を決めます。。。
シビックの色は塗装見本の本を皆で囲んで意見を出し合いました・・・

皆、自分が乗る車では無いので好き放題言います。。。(汗)

『これからの環状は、コレぐらい派手でないと目立たんぞ!』
『ビビらんと、気合いれて派手にいけや!』


まぁ そんな意見が多数です・・・   
人の車やと思ってメチャクチャ言いますわ・・・

だいたい、僕はそんな頻繁に環状へ行って無いし、しかもあそこで目立つほどの度胸もありませんからね・・・(笑)

しかし、結局はみんなの意見に押し切られるような雰囲気で決まった色が『マゼンタ』(汗)

最後に店長さん 塗装見本を指指し、何度も僕に確認します。。。

ホンマに、この色でええんか???』・・・(爆)


そして、1週間が経ち、車の納車日となります。

塗装はSHOP経由で京都の板金屋さんに出してたので、京都から自走で店まで持ってくるとの事でしたが、ギリギリになって納車の時間帯を早朝にして欲しいとの連絡が入ります。
※その理由は、納車時に車を見た瞬間に分かるんですが・・・

楽しみにしていた納車日を迎え、朝早くSHOPへ向かいます。

店の前に駐車された我が愛車、グランドシビックを見た瞬間。。。

大失敗したと思いました。。。(汗)

塗装色見本の小さなサンプルでは思わなかったのですが、車のサイズになると・・・

メッチャ下品な色やったんです(爆)

店の皆さんは『最高にカッコええ色やんけ!』等と言いながら、顔がおもいっきり笑ってました。(汗)

更に嫌な予感がしました・・・

別に色が変でも車を走らせる事には影響出ませんよね?
けど・・・

それが、大きく影響したんです。

納車の時間が早朝に変更されたのも、この理由でした。。。

そうです・・・

ポリに捕まるんですわ!(爆)

当時は車高が下がってるだけでも違法改造だったんです。
マフラー交換もダメ・・・ このグランドみたいに、ストレートマフラー等、論外・・・
公認車検が流行るのは、この1年後ですから、日中は少しでも目立てば一瞬でポリの餌食でした。。。

しかも、シビックと言うだけで、ノーマル車でもポリに止められた時代ですからね・・・

つまり、こんな派手な車は・・・

『捕まえてくれ!』と主張してるようなモンですわ(爆)


分かりやすく言えば・・・

昼間に中環や内環も走れない車を買ってしまった訳ですよ。(汗)

京都の板金屋さんも納車時に白バイの餌食になって免許の点数を失うのを避ける為、白バイが活動を始める前の時間に大阪入りしたかったらしく・・・(爆)


これが、我が愛車『グランド・シビック』です。





 
 
  

当時、グランドシビックが新車で発売されて1年ちょいの時期・・・

まだこの時期は一般的にホイールを蛍光色に塗ったり、部分的なカッテイングシートでの演出が主流でした。

比較的、新しい車だったので、この時期に全塗装って少なかったんですよ。
街を走るシビックが派手になっていくのは平成元年以降ですね。
 

 
 

この前後に付けられた牽引フックに注目頂きたいと思います。
もちろん素材は当時主流のアルミ製・・・!

比較的、使い込んだように塗装が剥げかけてる様な演出がポイントです。
※アルミなので、本当に使うと壊れますが・・・

このフックは当時、流行りました。
自分の上の世代にはこんな文化は無かったのですが・・・
特にグランドでの装着率は高かったです。

けど、そんな牽引フックで車をレーシーに演出する文化が今でも続いてると思うと、
面白いですよね~

流行ったのは25年前やのに・・・(笑)
  

この上の写真は曇り空での写真なんです。

曇りの日なら、まだ見れますわ・・・
 
 

このグランドに直射日光が当ると、どうなるか・・・・



 
 

どうですか?

最高の煌きと思いませんか?

目が痛くなるほどのギラギラ感です!

一度見たら、忘れられないようなカラーです・・・

このシビックとスレ違ってUターンしない白バイ隊員は当時の大阪府警にいませんよ!(爆)

まぁ 今の時代はピンク色のクラウンが発売され、人目を引く色の車も走っていますよね。

それに規制緩和の恩恵で車高を下げた車やマフラーを変えた車でも街中を堂々と走れます。

しかし、25年前の昭和63年は状況が違うんですよ。

当時、現役で走ってた人は、誰もが1度は白バイに捕まり、強制ジャッキUP経験を持ってますからね・・・

まぁ この紫シビックですが、自分はこの車の為に6点の点数を失いました・・・
※もちろん、全て整備不良♪

3回目に捕まった時点で、昼間は絶対に走行しない事を心に誓ったんです。

しかし、えらい車を買ってしまいました。。。

 
ただ、このシビックですが、箕面では最高のパフォーマンスを発揮したんです。
つまり、メッチャ早いんですわ。


そのあたりの話は次回に・・・

















Posted at 2013/10/08 00:59:54 | コメント(9) | トラックバック(0) | 【大阪】「走り屋伝説 | 日記

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