タイトル画像はweb引用
仕事絡みで岐阜県中津川市へ
業務は適当に片付け昼食何食べよう
そうだ!此処まで来たのなら瑞浪(みずなみ)
そう瑞浪名物「あんかけカツ丼」。
加登屋食堂のカツ丼はだし汁の中に
卵を溶いた「あん」をかけたもので、
この店のオリジナルメニュー。
「秘密のケンミンショー」では、
「岐阜県瑞浪市でカツ丼と言えば
“あんかけカツ丼”!」と放映。
実際瑞浪の知人は、高校時代までカツ丼は
日本中どこでも「あんかけカツ丼」だと
思っていたらしい。
「あんかけカツ丼」食べにだけ寄るつもりだった瑞浪市
なんと「瑞浪美濃源氏七夕祭り」の真っ最中
祭り好きREO楽しむっきゃないでしょと!
バサラ演舞と呼ばれるヨサコイに似た踊りが街の至る所で繰り広げられている。
「バサラ」とは何かを祭り本部へ行って尋ねると
鎌倉時代に美濃国に土着した源氏の流れを汲む一族の事を美濃源氏(土岐氏)と言い
バサラは同一族の「何者も恐れず自由大らかに振る舞う心意気」を表現した言葉だそうで、
その意気込みに彩かってバサラ演舞を行うという事らしいです。
ステージライブ(歌謡ショー?)
確か「だいちゃん」さん
アンドクレージー
(芸能活動されていますので、画像転用などされない様にピントズレ画像を使用していますってかピンボケなだけだろ!!!)
きゃわいいじゃん
レンズ越しだけど見つめられて
REOオジサンドキドキ
白バズーカレンズ持ってりゃ
ステージ上からも目立つわな
帰路途中の女城主と
日本三大山城で有名な岩村城址へ
web引用画像
そしたら其処で悲劇…>_<…
オーバーヒート
web引用画像
ホンダのバモスターボに頻発してて、
NAは無いと思い込んでいたヘッドガスケットご臨終。
出入りディーラーへ問い合わせたらエンジンヘッドが、
歪むからと自走不可。
WEB引用画像
保険屋通じてレッカー依頼も3t車入れ無い山の中。
地元レッカー屋には拒否られて連絡から
2時間半以上して要約、三つ市を隔てた
レッカー屋来てくれた。
人生初の積車のお世話になりました。
土砂降りで画像有りません。
2時間半も有るならとゆっくり城散策も
途中からゲリラ豪雨。
誰もいない山ん中の駐車場で一人待ってて
心細いやら怖いやら(ーー;)
ど疲れました(-_-;)
ディーラーには同症状のバモスが、
3台入庫していてNAにも出ているとの事、
ヘッドが歪んでいなければ、無償修理らしいが、
歪んでいればビルト品で5万仕事とか、
無償修理って何よ!逝く前に対応しろよ!
10年or10万k近い車に無償修理って
リコール隠しかい?
盆休み絡みでお帰りは9月になるらしい
気を紛らす為に土砂降りの車中で
岩村城調べちゃいました。
歴史好きの方、お付き合いください。
岩村城とは
岩村城は鎌倉時代(1185年)に源頼朝の家臣、加藤景廉によって築城され、二代景朝より名字を遠山と改め、以後戦国時代まで400年間遠山家が統治しました。山頂からは立ち並ぶ城下町が、また、四方の山々も一望することができます。
岩村城は天然の峻険な地形を利用した要害堅固な山城で、奈良県の高取城・岡山県の松山城と並ぶ日本三大山城の一つです。
鎌倉時代から800年余一度も落城しなかったのは、岩村城のみ。又、日本で唯一、女城主が存在した城なんです。
女城主の由来
戦国時代には鉄壁の守りを誇る天下の名城として、武田氏と織田氏の間で争奪戦が繰り広げられました。岩村城のある美濃の国を武田信玄の領地である、甲斐への入り口として注目した織田信長は、岐阜城を手に入れた後、遠山氏と同盟を結び、遠山景任に自分の叔母である「おつや」の方を嫁がせました。この絶世の美女「おつや」の方が、未亡人となり岩村城を治めたことで、日本で唯一とも言われる女性城主誕生となった訳です。
おつやの方の悲運
織田信定の娘で信長の叔母(年齢は信長の方が上)にあたる。
絶世の美女であったという。
美濃岩村城(現・岐阜県岩村町)の城主遠山内匠助景任に嫁いだ。
元亀二年(1571)、遠山景任が病没、子供が無かったため織田信長の五男坊丸を養子に迎え入れる。
だが坊丸は未だ幼少のためおつやの方が、事実上女城主として采配を振る事となる。
翌年11月、武田信玄の将・秋山信友が東濃に侵入、岩村城に迫った。
堅固に守りを固める岩村城に対し兵糧攻めを仕掛け、兵糧尽きたころ
秋山信友が和議を申し入れるが、その条件の一つに婚姻があった。
おつやの方はこれに応じ開城。坊丸は武田の人質となる。
長篠の戦いで武田勢に圧勝した信長は岩村城奪回を謀る。
信長の嫡男・信忠を大将として岩村城を攻めたてるがなかなか落ちない。
業をにやした信長は直接出陣し陣頭指揮をとる。
信長は謀り事で城を落とすこととした。
和議を申し入れたのである。
武田の援軍は無く、兵糧も乏しく飢えと寒さに城兵は苦しんでいる。
「叔母の城の城兵にて兵火にさらすのは忍びない。」
との開城を持ちかけに秋山信友・おつやの方は応じた。
しかし信長は甥である自分を裏切り、さらに我が子までも人質に差し出したおつやの方を、 赦そうとは思っていなかったようだ。
和議結び城を開けた秋山信友以下の城将を皆殺しにし、おつやの方も捕らえ逆磔刑に処した。
過酷な仕打ちに おつやの方は
「敵方であった秋山信友は開城に際し約束を守ったのに、
身内である信長は和議の約束を反故にするのか。」
と嘆き、恨んだという。
逆磔刑に際し「かかる非道のふるまい、わらわがその罪を赦すとも天が赦すまじ。
追っつけ因果はめぐりて、苦しき死に遭うべきよ。」と、
怨嗟の声をあげながら泣き果てた。
信長はこの要塞の様な山城を大層気に入っていたようで
何度も訪れ連れている。
本能寺で討たれる僅か10日前にも…。
岩村城取り壊し
城は明治維新まで存在していたが、明治6年政府の廃城令により全て取り壊され、現在は城壁のみが残る。
明治政府は富国強兵思想を国民に浸透される為、寺や城と言う国宝、いや世界遺産を端からぶっ壊した。
岩村城現存したら鎌倉時代からの様式もを持つ歴史的建造物、資料の意味からも重要だった筈。
岩村城は2度の開城も攻められたものでは無く条件降伏。鎌倉時代から続いた城で、攻められて落城しなかった城はこの岩村城だけ。
800年間に及ぶ歴史を持つ城は、日本の城史にも例を見ません。
正に名城です。
最近お流行だが、
これは何か違うと思う
web引用画像
飛騨高山「鬼ころし 原酒 純米大吟醸」と
娘が送ってくれた浜松鰻で一人反省会

Posted at 2015/08/09 21:27:15 | |
トラックバック(0) | 日記