初夏を思わせる天気の中、遠州迄日帰りドライブへ行って来ました。皆さんの遠州ドライブの参考になれば…。
先ず訪れたのは、森町の極楽寺さん、此処は、紫陽花寺としても有名。
養老年間(712年ごろ)行基菩薩によって開創、ご本尊阿弥陀如来。
寺を開創した行基菩薩が詠んだ歌にちなんで、紫陽花が植えられ、あじさい寺の愛称で親しまれるようになったそうです。現在は境内には50種13000株の紫陽花が植えられています。
あじさい園拝観料500円(紫陽花祭りの期間だけ有料)を払うと入場券代わりの絵馬を頂けます。
手水も紫陽花が満開。
例年20日前後が、満開ですが、今年は咲きが早く既にピークは越えているとご住職が仰っておられましたが、ぐるりと裏山を巡るルート等、まだまだ見ごたえ十分。色付き前の紫陽花の淡い色は可愛いですね。
本堂内からガラスに彫られた五三ノ桐越しの紫陽花。
昼食は、袋井の名物「たまごふわふわ」を食べる為に選んだ「山梨屋寿司店」さん
上寿司1940円+たまごふわふわ350円をセレクト。
「たまごふわふわ」メインで寿司には期待していなかったけど、輪郭のはっきりした米と爽やかな米酢(白酢)による艶々なシャリは大きめな握り、ネタもいかの歯切れもいいし、えびも身厚でしっかり甘いし鮪も旨い。予想外の寿司の味に大満足。
「たまごふわふわ」は、深い土鍋に出汁を張り、泡立てたメレンゲ状の玉子を乗せ火に掛けた物フワフワで美味い!こんな食感は初めて!多くの方がオーダーすると言う「たまごふわふわ&握り寿司(並)」は吸い物が付かず、これが吸い物代わり。袋井お訪ねの際はお試しあれ!
「たまごふわふわ」の起源は江戸時代まで遡り、弥次喜多の「東海道中膝栗毛」に登場し、新撰組の近藤勇の好物だったとか。江戸時代当時は高級料理として認識され一部の人しか食すことのできなかった江戸時代の名物料理らしい。袋井宿大田本陣で朝食の膳(高級ホテルの焼き立てフワフワオムレツ的な?)に出されていたとの記述から、平成18年、袋井市観光協会は袋井の新名物にと江戸時代の料理本を元にこれを再現した。袋井市内では16軒のお店が展開中で様々な「たまごふわふわ」を味わえるとのこと。
お腹も満足になったところで向かうは、「風鈴祭り」がおこなわれている「遠州三山」
「風鈴祭り」なんとも涼し気で風流、ロマンチックなお祭りですよね。
風鈴が伝わったのは、仏教伝来と同時期西暦538年頃で、始めは風鈴では無く、お寺の「風鐸(ふうたく)」で、風鐸の音は厄除け・魔除けになると考えられていました。それが庶民に広がったのが風鈴と言われています。
先ずは厄除け観音で有名な「法多山尊永寺」高野山真言宗別格本山の寺院、本尊は聖観音、神亀2年(725年)建立。
仁王門と新緑が綺麗でした。
法多山では、木の短冊に願い事を書く「願かけ風鈴」(200円)もご奉納できます。
細い小道に連なる赤い鳥居をくぐると現れる小さなお社が「二葉神社」
戦前、浜松市の鴨江二葉町にあった「二葉遊郭」に祀られていたもの。 当時、二葉町は浜松一の歓楽街。「二葉遊郭」は花魁以外の店員もすべて女性という全国的にも珍しい遊郭。このお社は、そんな「二葉遊郭」で働く花魁や芸妓、女給たちがお金を出し合い建立したものです「二葉遊郭」「二葉神社」共に昭和31年に解体されますが、その後法多山に移されました。「二葉神社」の脇には、色とりどりの帯が風にたなびいています。この美しい帯での願掛けが「結縁乃帯(けちえんのおび)」。かつて流行の最先端であった芸妓など風流を愛する女性たちの間では、恋する人の名前や願い事をしたためた紙や布をお寺や神社の境内に結ぶ願掛けが流行していたそうです。そんないにしえの風流な願掛け「結縁乃帯」が、女性の守り神である「二葉神社」のもとで今も続けられています。「縁結び」という言葉は仏教に由来するもので、もともとは「結縁(けちえん)」といい、仏様が我々に救いの手を差し伸べてくださることを意味し、転じて私たちが仏縁を得ることでした。「仏縁を頂く=ご利益を得る」に変じ、恋愛の縁を結ぶという「縁結び」を意味するようになったと言われここ「二葉神社」にも多くの女性が訪れて「結縁乃帯」思いを綴っているようです。
法多山名物「厄除団子」を境内の茶店で
五本の串にさした団子は、頭・首・胴体・手・脚を表しており、団子に厄除けの意味を込めた事だと伝えられています。多くの方が数箱ずつお求めになっていたので地元ではかなりの人気商品の様です。
ごりやくカフェでは「氷室さまの氷甘酒」250円
甘酒が苦手なのに暑さに釣られて頼んじゃいました。実際は器が可愛くなかったので画像はweb引用。
「医王山油山寺」さん
大宝元年(701年)に行基が創建し、油が湧出した所から「油山寺」の名が付いたという。本尊は薬師如来。目や足腰にご利益があると、親しまれています。
立派な山門は、掛川城の大手二之門を明治初期に移築したもの
静かに佇む三重塔。この塔は、源頼朝公が眼病平癒のお礼として薬師本堂と共に建立。安土桃山期の三名塔の一つに数えられ、国の重要文化財。
山頂にある薬師本堂。眼の守護や病の平癒、足腰の守護を願い、多くの人が訪れるという。腰痛持ちのREOもしっかり足腰の守護願い。
こちらは「南部鉄器の風鈴」良い音色です。風鈴越しの宝生殿
「可睡斎」
創立は応永八年(1401年)。本尊は聖観世音菩薩
徳川家康が、幼い頃武田信玄の軍から逃れ父と共に匿われた礼に訪れた際、席上で居眠りをする仙麟等膳和尚(第11代)を見た家康は「和尚我を見ること愛児の如し。故に安心して眠る。われその親密の情を喜ぶ、和尚 、眠るべし」と言い、以来和尚が「可睡和尚」と呼ばれたことから、いつしか本来東陽軒であった寺の名も可睡斎となった。
尾根遺産インスタ映え撮影に夢中
「秋葉総本山三尺坊御真殿」
明治政府神仏分離令により秋葉山は秋葉神社となり追い出された形になった秋葉三尺坊大権現は、明治の時代に可睡斎の敷地内に移された。
「可睡ゆりの園」
150種類・200万本のゆりが、今盛りと咲き誇っています。
来たかった「秋葉総本山三尺坊御真殿」で時間を忘れ慌てて入場受付へ向かうも閉園35分前。池の周りを回るだけで30分と…。写真撮ってられないじゃん帰る?ここまで来たんだから帰る手は無いでしょうと小走り気味に園内散策。
カラスアゲハが、舞い立つ瞬間をと思った瞬間に閉園アナウンス
長々とお付き合いありがとうございました。
皆様の遠州ドライブの参考になれば幸いです。
Posted at 2018/06/24 16:12:49 | |
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