
注:長文、写真多いですo(_ _)oペコッ♪
仕事柄参加が必要なセミナーが有る。全国各地で開催されているが、時期と場所も自由選択。何処にする?スケジュール一覧を見ると有るじゃありませんか、秋の京都に近い所が!取引先の社長さんに挨拶も出来るしと、8月中に速攻ホテルと共に予約。休みも合わせ紅葉ポイント夏の終わりから練り始める。
カメラ2機ぶら下げて公共交通機関移動は、しんどいので選択肢は車のみ。しかし紅葉の時期は只でさえ観光客で溢れている京都でも最も人気のシーズン。まぁ行くっきゃないと覚悟を決めて近隣の駐車場を下調べして↓のコースで多分今シーズン最後の紅葉写真。
先ずは「三井寺」
三井寺は、正式には「長等山園城寺(おんじょうじ)」といい、天台寺門宗の総本山です。
「大門(仁王門)」
京都東ICは本線上から渋滞となりR1に降りても殆ど動かない事も有るとの事前情報から大津ICで降り石山寺と三井寺と予定するも石山寺は既に落葉との情報で三井寺へ。
「弁慶鐘」

延暦寺と闘争状態っだ時代、武蔵坊弁慶らが三井寺に攻め入り戦利品として持ち帰ろうとし、引き摺った際に出来た無数の傷が有ると言われる鐘楼。
「一切経蔵」

一切経蔵は一切経を安置するための堂。写真は一切経を納める回転式の巨大な八角輪蔵。
手水鉢も錦織
R1経由で山科「毘沙門堂」
毘沙門堂は天台宗五箇室門跡のひとつで、高い寺格と鄙びた山寺の風情を伝える古刹です。ご本尊に七福神のひとつ毘沙門天を祀る。
創建は大宝三年(703)文武天皇の勅願で僧行基によって開かれた。当初は出雲路(上京区・御所の北方)にあったことから護法山出雲寺といった。その後、たび重なる戦乱から苦難の道をたどり、寛文五年(1665)、山科安朱の地に再建。後西天皇の皇子公弁法親王が入寺してより門跡寺院となった。(門跡(もんせき、もんぜき)は、皇族・貴族が住職を務める特定の寺院、あるいはその住職のこと。 寺格の一つ。 元来は、日本の仏教の開祖の正式な後継者のことで「門葉門流」の意であった(この場合は門主とも)。 鎌倉時代以降は位階の高い寺院そのもの、つまり寺格を指すようになり、それらの寺院を門跡寺院と呼ぶ。つまり文字のイメージから想像する本堂などが無くなり寺跡に門だけが残っていると言う意味ではございません)
だまし絵といわれる目の錯覚を活かした名画も同寺の魅力です。
宸殿(しんでん)の障壁画116面は、すべて狩野益信の作品です。
逆遠近法という、鑑賞者が中心となる手法で描かれています。
霊殿(れいでん)にある狩野永叔主信作の天井龍は、見る角度によって眼の向きや顔が変わり、ずっと睨まれている様な錯覚を覚えます。
円山応挙(まるやまおうきょ)が描いた板戸の衝立(ついたて)の鯉の絵や、庭園、晩翠園(ばんすいえん)も魅力です。分かり易い説明もしていただけますので、有料参拝をお薦めします。(撮影禁止ですので館内の画像は有りません)
参道で写真に興じるカップル。

イイですねぇ若いって。山科駅付近で見かけましたから往復2km、夜南禅寺でもこの二人を見かけたから、ギュウギュウ詰めの公共交通機関で、和装の草履長距離移動、いやぁ~恐れ入ります。尾根遺産にせがまれてもREOは絶対無理です。やっぱ鼻の下伸ばしてお付き合いしちゃうかも…。
「敷き紅葉」
「光悦寺」紅葉トンネル
「源光庵」
再興当時の姿を今に伝える本堂に、有名な丸い窓と四角い窓が並びます。窓にはそれぞれ「禅の教え」が込められた名前があり、眺め方があります。まずは「迷いの窓」と呼ばれる四角い窓の前へ。四角形は「人間の生涯」を象徴しており、窓越しにお庭を眺めながら、これまでの自分の人生を見つめる場。
そして、「悟りの窓」と呼ばれる丸い窓の前へ。円は「禅と円通」の心を表し「大宇宙」を表現しています。この窓と向きあうことで気付きが生まれ、悟りの境地へと導かれるという意味が込められています。

ほの暗い本堂のなか鮮やかさが際立つ紅葉は、心の奥にまで響きわたります。
又、本堂の天井は伏見城の遺構で、落城の悲劇を伝える血天井が残されています。
紅葉夜と言えばライトアップ
No1人気の永観堂目指すももの凄い人、3時間待ちとの事にて南禅寺、天授庵の30分待ちの列へ並ぶ。
夜の「水路閣」
天授庵ライトアップ紅葉越しの「南禅寺三門」
次に「高台寺」目指すも2~3時間待ち、「清水寺」も衝撃の混み方。
京都の紅葉ライトアップのハシゴは無理です。
諦めておばんさいにビールで夕食。ホテル帰って部屋呑みして爆睡。
翌日は社長さんと三条で11時半から昼食予定。
その前に「東福寺」へ。
月曜日だし人出も減っているだろうと8時半開門を9時に入るも激混み。

「東福寺(とうふくじ)」は臨済宗の東福寺派大本山。嘉禎年間に、摂政関白九条道家によって創建され、円爾弁円(聖一国師)により開山しました。山号を慧日山(えにちさん)と号し、京都五山の一つに数えられる、三百六十余ヶ寺を統括する大伽藍です。
特別拝観中の東福寺塔頭のひとつである「即宗院」

1387年(嘉慶元年)の創建、東福寺龍吟庵の東側に位置する。薩摩藩島津家の菩提寺で、法然上人および西郷隆盛のゆかりの寺として知られる。西郷隆盛と月照上人が密談したとされる茶室「採薪亭」跡や、西郷隆盛による東征戦亡之碑などがある。
こちらも特別拝観中の国宝「龍吟庵(りょうぎんあん)」現存する日本最古の方丈建築
「東福寺」の主要伽藍の東北、本坊庫裏の背後から「偃月橋(えんげつきょう)」を渡った正面。東福寺第三世住持、「無関普門(大明国師)」の住居跡で、東福寺塔頭の第一位に置かれる。
「無の庭」
「龍の庭」
「東福寺」へ戻って
婚礼写真撮影やってました。美男美女のカップル。末永くお幸せに。
「五色紅葉」
「通天橋」
昨夜おばんさい、昨日の昼はにしん蕎麦
でも、京都と言ったらREO的には「三嶋亭」のすき焼き
今春の京都桜ブログに書きましたので、写真のみ。
今回はこちらのお部屋、二間続きになっていて昔の茶屋の雰囲気のまま。
熱源は、電熱線。
にく~

藤原社長ゴチになりましたm(_ _)m
昼食頂いた後は、貧乏人の欲。一つでも多くの寺を巡ろうと先ずは、「建仁寺」
嬉しい事に全て撮影可。でも仏様のアップ撮影は、しませんよ。
建仁寺は建仁2年(1202年)将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立されました。元号を寺号とし、山号を東山(とうざん)と称す。京都五山の第3位に列せられている。
「豊臣秀吉の茶室」
国宝 俵屋宗達「風神雷神図」
「海北友松の襖絵」
「法堂の双龍天井絵」
「高台寺」日が傾き夕日色に染まりつつあります。
鷲峰山(じゅぶざん)高台寺(臨済宗建仁寺派)
東山霊山(りょうぜん)の山麓、八坂法観寺の東北にある。正しくは高台寿聖禅寺といい、豊臣秀吉没後、その菩提を弔うために秀吉夫人の北政所(ねね、出家して高台院湖月尼と号す)が慶長11年(1606)開創したお寺です。
万丈に掛かれた「夢」の文字を格子越しに
「圓徳院」
豊臣秀吉の没後、その妻北政所ねねは「高台院」の号を勅賜されたのを機縁に高台寺建立を発願し、慶長10(1605)年、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿とその前庭を山内に移築して移り住みました。それ以来、大名、禅僧、茶人、歌人、画家、陶芸家等多くの文化人が、北政所を慕って訪れたと伝えられています。これが今日の圓徳院の起こりだそうです。ねねは77歳で没するまで19年間この地で余生を送り、ここは北政所の終焉の地となりました。
「八坂の塔と夕陽」帰り際高台寺駐車場から
今回入念に駐車場を調べて行きましたが、たまたま1台のスペースが開いていたり、全ての駐車場で待つ事無くかなりラッキーに停めることが出来ました。早い時間には多少余裕が有っても紅葉のお寺さんは9時過ぎには何処も満車状態です。徒歩で通った清水寺の五条坂はビクとも動きませんでしたし、嵐山方面は車で入ると一切身動きが出来なくなるほどだそうです。車訪問も覚悟が必要です。
激混みを象徴する隣に並んだバスめちゃ込み画像。

永観堂、清水寺界隈では満員にて何十人も並んでいるバス停をバスは停まらずスルーしていました。渋滞に入れば当然バスも動きませんし、京都紅葉シーズンは距離を歩いても電車がベストでしょう。又、今回検討しましたが、地理的に不安だったので却下しましたが、レンタルバイクなんてのも狙い目かも知れません。
寺巡りは時間を掛けたい方でして今回の急ぎ(それでも最低1時間は滞在しましたが)参拝は本意ではありませんでしたが、今しかない紅葉の時期と納得させ改めて訪問をと思っています。今シーズンの京都紅葉は終わりつつありますが、行かれる方、又、来年以降訪問をお考えの方に僅かでも参考になれば幸いです。
紅葉ブログも今回で最終となります。多分…。
写真はデジ一(フルサイズ、ミラーレス)、
レンズ、スマホごちゃまぜ、JPEG撮って出し、
RAW現像無、センサー汚れ、手持ちのブレ、
甘ピン他はブログup用画像と
ご容赦くださいv(_ _)v
又、当方のPCに合わせてございますので、
スマホ再生ですとアンダー気味かと思います。
合わせてご了承ください。
Posted at 2015/12/01 16:34:22 | |
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