春なお浅く、朝夕の冷え込みもまだ厳しい昨今ですが、皆様お元気でいらっしゃいますか。
昨年の「信州オフ忘年会」ブログ以来の3カ月ぶりの投稿となります。ムショに世話になっていたとか、SNSの人間関係に嫌気がさしたとかじゃ無く只のさぼりです。
又、久しぶりの投稿が奈良旅ログとは、REO吉の野郎、尾根遺産にふられ古都傷心旅行か?と色めき立ったあなた!!!ハズレです。年一の仕事仲間の旅行です。
一日目はゴルフ組と観光組に分かれて観光コースは「信州オフ」のルート設定で定評の有るREO。
先ずは法隆寺
法隆寺は聖徳太子と推古天皇が創建した寺。寺院としての法隆寺そのものが1993年12月に世界文化遺産に指定。
斑鳩は梅が見頃
夢殿
敷地内に建つ125棟の建造物のうち、国宝が18件、重要文化財が35件を占めています。なかでも法隆寺五重塔は築1300年以上、木造建築としては、世界最古の建築物です。
仏像含む工芸品の国宝は20件(四天王立像でも4体で1点の国宝指定としますので、1体ずつ数えると、100件を軽く上回ると言われています)
今回の奈良で拝見した仏像は100体以上でして全て紹介する訳にはいきませんので、各寺の印象に残った仏像画像を張りますが、仏像及び堂内は撮影禁止ですので画像はweb引用です。又、説明文にもweb引用がございます。
釈迦三尊像(国宝)
観音菩薩立像(百済観音、国宝)
唐招提寺
唐招提寺は唐僧鑑真和上が759年に創建した寺。国宝の「金堂」や「講堂」御本尊の「乾漆廬舎那仏坐像」「木心乾漆薬師如来立像」「木心乾漆千手観音立像」「鑑真和上像」が有名で、他にも「鼓楼」「宝蔵」「経蔵」が国宝に指定されています。
境内の北東の奥まった静かな場所、この土塀の内側、苔むした庭の奥に鑑真和上の墓所がございます。
中心の御本尊の乾漆廬舎那仏坐像(国宝)
右横、木心乾漆薬師如来立像(国宝)
左横、木心乾漆千手観音立像(国宝)
千手観音立像は奈良時代末期の作品で高さ535.7㎝。千手観音の手は40手で表現されることが多いのですが、こちらの像では手が実際に1000本作られています(現存953本)。
その膨大なパーツの嵌めこみ方も圧巻(解体修理画像)
鑑真和上像(国宝)は763年頃に作られた日本最古の肖像彫刻。現在御影堂に保管されていますが年3日しか開扉されないため、開山堂にレプリカを展示してあります。
薬師寺
薬師寺は、藤原京に天武9年(680年)天武天皇が皇后(持統天皇)の病気回復を願って建てられ、天武天皇の死後、その遺志をついで持統天皇が文武元年(697年)に完成。
長野県人としてちょっと誇らしく嬉しくなりました。
薬師如来三尊立像
元々は銅(破片の含有量分析では99.9%が銅)で鋳造後、鍍金が施され金色のお姿でしたが、享禄元年(1528)の兵火による火災で表面の塗金が溶け漆のそれよりさらに黒光りしています。その肌は息を呑むほどに美しい黒肌です。
ゴルフ組と合流し16:30夜の奈良を楽しむ為、早目のチェックイン。
お宿は、古都・奈良を一望できる若草山の中腹に有る「奈良 万葉若草の宿 三笠」。ここは「ミシュランガイド関西」にも紹介されたことがある高級旅館なんです。

夜観光の為17時から夕食。流石の銘旅館。朝夕食とも絶品。タラの芽、筍、菜の花、ふきのとう他、春を感じさせる食材をさり気なく散りばめ、薄味でお出汁の利いた椀物に絶品の伊賀牛。味、見た目に感動する半面、信州のみそ、醤油、塩が前面に出てくる濃い味の食文化との違いに愕然。関西の食文化に触れる度、信州人は何故味音痴なのかが分かる気がします。
今回の旅の主目的の一つは、奈良街尾根遺産夜遊びではなく、古都・奈良に春を呼ぶ「お水取り」で知られる東大寺二月堂の伝統行事「修二会(しゅにえ)」旧暦2月に行われることから、この名前がついており、二月堂の名前もこれに由来します。
https://www.youtube.com/watch?v=RQvRm6AHkyI
お松明は、練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる僧侶を二月堂に導くために足元を照らす道灯。19時に大鐘が撞かれるとお松明開始の合図。練行衆10人がそれぞれ世話役の童子(どうじ)が担ぐお松明の炎に導かれて二月堂へ上堂します。(籠松明と呼ばれる12日だけは、全ての練行衆が上堂するので11本の大きな「籠松明」があげられます)
舞台に現れたお松明から火の粉が降り注ぐと、その迫力に参拝者から大きなきがどよめきが起きます。奈良時代に始まった修二会は1266回目。13日未明には全体の通称となった二月堂下の井戸から本尊・十一面観音に供える香水(こうずい)をくむ儀式「お水取り」があり、15日未明に満行を迎えます。
修二会には、東大寺を建立した聖武天皇に始まり、ゆかりの深い人たちの名前を読み上げる「過去帳」と呼ばれる法要があります。鎌倉時代、承元年間のある年、僧集慶が、「過去帳」を読み上げていると、女人禁制の荒格子の内に青い衣をつけた女官風の美しい女性が、現われて恨みがましい眼差しで「なぜ我が名を読み給わぬぞ」と言ったという。とっさに集慶は「青衣の女人」と読み上げた。すると、その女の人は満足そうに笑うと、そのまま姿を消してしまったという。それ以来、「青衣の女人」は過去帳の中に書き加えられて、源頼朝から数えて18人目に「青衣ノ女人」と書かれ、今日も練行衆によってその名が読み上げられています。青年僧の、連日のきびしい練行の疲労からきた幻影ではなかったのか、とか、壇の浦で死んでいった平家の女官の中で、東大寺と縁のあった女人の霊であろうとか言われていますが、定かな事は分かっていません。
ホテルに戻り、風呂に向かうと宴会場から同泊の○○商工会の皆様のコンパ尾根遺産とのどんちゃん騒ぎの声。其々の奈良の楽しみ方が有るなぁと苦笑いで風呂へ
部屋から奈良の夜景
翌朝は朝一に春日大社へ

春日大社は神護景雲2年(768)、平城京の守護と国民の繁栄を祈願するために創建された神社。 春日山原始林に続く御蓋山の西麓に鎮座する藤原氏の氏神を祀っています。神が白鹿に乗って 奈良の地に降りて以来、鹿は神の使いとされています。
春日大社で毎朝行われる朝拝(ちょうはい)に参加しました。
web引用画像
御本社で「大祓詞」という祝詞を唱え、お参りの後、若宮神社を始めとする各神社を順次お参りします。朝拝は、神職はじめ神社職員のみで行われていましたが、遷都千三百年を記念して、一般参拝者も参加する事が出来るようになりました。厳かな雰囲気、空気感に凛としますよ、春日大社お参りの際には是非参加してみてください。
8月と2月、年に2回だけ行われる、「中元万灯篭」「節分万燈籠」。
万燈籠は、神様に浄火を献じて様々な願い事を祈願する行事。

この日は3,000基もの燈籠に火が灯もされます。中々そのタイミングで訪れる事は難しいので境内に雰囲気だけでも楽しめるようにと暗幕が張られ再現されています。

特に案内はございませんので多くの参拝者がいるにも関わらず訪れる方が少ない穴場です。
興福寺は、法相宗の大本山の寺院。南都七大寺の一つ。
藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇りましたが、明治政府の神仏分離令により興福寺は大きな打撃を受けました。寺領は1871年(明治4年)の上知令で没収。一時は廃寺同然となり、現在国宝の五重塔は250円で買い手が付き燃やされる寸前でした。
国宝館は耐震工事の為、休館中。目当ての阿修羅像には逢えず仕舞い。
「銅造仏頭」(国宝)破損仏にも関わらず国宝指定を受けています。端正な顔立ちで、微笑んでるような眼差しは大変美しく仏像ファンならずとも思わず見つめてしまいます。
東大寺は大仏で知られる奈良時代の代表的な寺院で大仏殿は世界最大の木造建築物。
天平15年(743)に聖武天皇が盧舎那大仏(るしゃなだいぶつ)建立の勅願を発令し、その大仏を安置する寺として国力を挙げて造営されました。
東大寺昼間の参拝主目的はこれ↓

お松明の燃えがらの枝を持ちかえり、自宅の屋根に投げ上げたり玄関先へ飾ると火事にならないと言われています。REOも大きいのを見つけ持ち帰りました。
流石に2日で3万6千歩も歩くときついです。東大寺のベンチに腰掛けると傍らに雌鹿

「鹿社会にも格差が有る事を知っているか?信州の鹿は食べ物が無く樹皮を食べ木を枯らしてしまうので、有害と駆除されているのにお前は、神の使いと言われ鹿せんべいや餌を与えられ優遇されていてイイことだね。」と思わず話しかけるも鹿耳東風知らん顔でそっぽを向いた。そっかぁ最近は鹿せんべいをくれるのが大陸人ばかりで、中〇語は理解出来ても日本語は忘れちまったんだなぁ...ヽ( ´_つ`)ノ ?
奈良も多かったですよ大陸系の方々。政府は海外からの旅行客が過去最高、今後も増やす動きを展開だとか…。UFJに行った友人は大陸系ばかりで日本人を探す方が難しい位と、更に割込み等マナーの悪さに閉口し2度と行かないと。黒部ダムでも日本語殆ど聞かなかったし…。富士山五合目、京都、箱根、妻籠等に溢れ無礼三昧で日本人が行くのを躊躇い旅行しなくなり観光業内需が冷え込んでるんだよなぁ
アベミクで経済効果出ず苦肉の策のプレ金。数時間早く上がるだけで消費上がるのかよ!って感じ(__!)?(!__)大手やITの極一部だけ田舎じゃ全く関係無い。とても定着するとは思えない。目標装着割合達成した途端に詐欺の様に終了したETC休祝日50%OFF復活の方が観光地等消費上がると思うが、観光地集客は外国人数upしか考えていゃーしねぇ!
長々お付き合いありがとうございました。
これでREOの奈良旅ログは終了します。
皆様の奈良旅行の参考に少しでもなれば幸いです('-'*)♪