平成最後の信州飯田の桜は、ソメイヨシノは例年より少し早めの4月初旬に咲きましたが、信州は山深く今満開を迎えている桜も有ります。天竜峡八重桜街道は今まさに満開GWに阿智の花桃と合わせお越しください。
平成最後の桜 忘備録(*・.・)ノ ヨロシクニャン
「恵那峡」(岐阜県恵那市)
「苗木城 桜公園」(岐阜県中津川市)
「西丸尾のなまこ壁蔵と枝垂桜」
「茅葺屋根と桜」
曇り空が悔しくて翌々日訪ねるも2日続きの25℃越で散り桜。残念。
「与田切公園 桜のトンネル」 この日は未だ3分咲
それでも多少花が有る場所で、オープンから見上げたイメージ。
「満開の与田切公園 桜のトンネル」 N-Boxは母の愛車。
🚗諏訪~東御~小諸 桜巡り ドライブ🚘
「慈雲寺」白華山(はっかさん) 慈雲寺(じうんじ) 本尊「千手千眼観世音菩薩」
自然光が入り参道には天然の苔がいきいきと群生。
山門の奥には樹齢400年を越える赤松の一種である天桂松(てんけいまつ)が顔を覗かせます。
「北向観音堂」

北向観音は北向に建立され 千手観音様を御本尊として現世利益を願い、また善光寺様は南向きに建立され阿弥陀様を御本尊として未来往生を願います。現在と未来の片方だけですと片詣りと言われおり、向き合ってる両方をお詣りしたほうが良いと言われるようになりました。本堂が北に向いているのは、わが国でもほとんど例がありません。
「中禅寺」塩田平の南方、独鈷(とっこ)山の麓に中禅寺が有ります。中禅寺の創建は天長年間(824~34)空海が雨乞いの祈祷をする為に草庵を結んだのが始まりと伝えられています。
本堂前には、ほうき桜と言われる珍しい桜が満開です。
花弁が2輪ずつ寄り添う様に並んで咲くので、夫婦桜とも呼ばれています。
「中禅寺薬師堂」は、中部日本最古の木造建築物で、鎌倉時代初期の創建とされています。本尊の薬師如来座像、神将像とともに国の重要文化財に指定されています。鎌倉初期の創建とされ「方三間宝形作り」という様式で建築されています。
「前山寺」(ぜんさんじ)山号は獨股山又は独鈷山。本尊は大日如来。独鈷山の山麓にあり、塩田城の鬼門封じ寺。
「薬医門」
「三重塔」

国の重要文化財。和様・禅宗様の折衷様式。建立年代不明ですが、様式から室町時代と推定されています。三間三重で高さ19.5メートル、屋根は杮葺き。塔は人が登る建築ではないのですが、勾欄(飾りの手すり)を付けるのが普通ですがそれは無く、更に窓や扉、廻縁も無く長い胴貫が四方に突き出ただけで調和させています。つまりこの塔は、未完なのです。未完だからこそ、すっきりしてかえって美しいと古建築ファンの間でも人気の塔で、「未完の完成塔」とも呼ばれています。
「茅葺の本堂と紅枝垂れ桜」
「大法寺」
薬師堂と国宝三重塔
「国宝三重塔」
高さ18.56m。正慶二年(1333年)鎌倉時代から南北朝時代に造営。「見返りの塔」と呼ばれるほど何度も振り返って見てしまうと言われる美しさの秘密は、塔の作りにあります。
初重が特に大きいのが特徴で、これがこの塔の最も大きな特色で二重、三重で組物を三手先という一番正規な組み方としています。初重だけは、少し簡単な二手先にしたので、その分だけ平面が大きくなっていて、形に変化がつき落ち着いた感じになっています。この手法はこの塔のほかは奈良の興福寺三重塔があるだけで、きわめて珍しいとのことです。

この塔の美しさには、ホント何度も振り返ってみて居たい気持ちになります。
「海野宿」
延長650 m、幅10 mの旧北国街道の両側には、旅籠屋造り、蚕室造り、茅葺屋根など当時使用された約100棟の歴史的な建物が残ります。
「白鳥神社」海野宿の産土神。けやきの御神木は樹齢七百年を超えています。
家並みの特徴は、表に格子戸(海野格子)がはまった家並みが続いており、屋根に防火用の壁である「うだつ」(富裕な家でなければ造れず、うだつが上がらないの語源となった)が見られ、2階格子の持送りや出桁(だしげた)に彫刻が目を引きます。
「懐古園」明治の廃藩置県により小諸城は、本丸跡に「懐古神社」を祀り「懐古園」と名付けられました.
小諸城址に残る「三の門」や苔むした野面石積の石垣、樹齢500年といわれるケヤキの大樹の中、四季折々の風情が楽しめる公園です。
小諸城は、武田信玄のころ山本勘助らにより現在の縄張りとし、豊臣秀吉天下統一のとき小諸城主となった仙石秀久により完成された城です。
城下町より低い位置に城を築いた「穴城」は全国でも珍しい城で「日本100名城」です。
野面石積みの石垣は400年前のまま当時の姿。石垣奥に見えるのは、小諸固有の桜「小諸八重紅枝垂桜」
桜越しの絵馬。願い事に花よ咲け。
「上を向いて歩こう」は永六輔氏が戦時中の小諸疎開時代、この懐古園での悲しい思い出から作詞されたということです。
「釈尊寺」(しゃくそんじ)は、長野県小諸市にある天台宗の寺院。山号は布引山。布引観音とも呼ばれる。信濃三十三観音霊場の第29番札所。「牛に引かれて善光寺参り」伝説発祥の地。本尊は聖観世音菩薩。
京都の清水寺同様に懸崖造り(けんがいづくり=崖造り)の観音堂が山中に建っています。
「護摩堂」

木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、妻入り、桁行き3間、外壁は真壁造り素木板張り、正面左右に花頭窓付、建物が半分岩窟に納まっている特異な形式、岩肌からはみ出した側面欄間部には牛を模った精緻な彫刻が施されています。護摩祈祷所だったのでしょう。釈尊寺は断崖絶壁や滝などの風致に富む境内を有している事から修験道の寺院だったのかも知れません。
「太子堂」

本堂から布引観音堂へ続く参道の岩肌に建立されています。略岩窟内部に建てられ、建物の正面外壁面と岩壁の岩肌が同一面にあるような印象を受けます。高さ170cm弱、手掘りのトンネルの先に布引観音堂が有ります。
「観音堂」

布引観音堂は安土桃山時代の天正20年(1592)に建てられたもので懸造、入母屋、銅瓦葺き、正面1間軒唐破風向拝付き、外壁は真壁造り板張り木部朱塗り、2方は大きく解放し残りの2方は岩壁に接しています。内部に安置されている宮殿(釈尊寺観音堂宮殿)は案内板によると「この観音堂の岩屋内に安置されており、正嘉2年(1258)に建立。和風建築のひな形とも云うべきもので、鎌倉時代の様式をよく現した重要な建築物である。昭和11年9月国宝に指定、現在は重要文化財となっている。」とあります。又、梅鉢懸魚は日本唯一とされ大変貴重な存在とされます。
手すりも低く高所恐怖症者はへっぴり腰で20m高さから下を覗く。
布引観音堂から本堂を望む。
本堂前から布引観音堂。遠くに冠雪の浅間山も見えます。釈尊寺は一日居ても飽きませんねぇ。
「高島城」 昭和 45年 5月に天守閣が復興

高島城は別名「浮城」とも呼ばれ、400年ほど前の慶長3年、豊臣秀吉の家臣「日根野織部高吉」により築城され、諏訪氏の居城としてその威容と要害堅固を誇ってきました。
現在は諏訪湖の湖畔にございませんが、築城当時は、高島城は諏訪湖の湖畔に設けられ、その周辺は湿地帯であったことから、まるで湖に浮いているように見えたため、通称“諏訪の浮城”と呼ばれたそうです。
現在は埋め立てなどで内陸部に存在しますが、湖の湖畔に建造された城としては島根県松江市の宍道湖畔につくられた松江城や、滋賀県大津市の琵琶湖に突き出た膳所城と一緒に、日本三大湖城に数えられているそうです。
本丸を取り囲む堀は今も水をたたえて残されており、浮城の名残を感じられます。
前回ブログ以降に寄った桜の忘備録。ご紹介した各地は桜の時期以外にも新緑、紅葉、雪景色とも素晴らしいので皆様の信州ドライブのご参考になれば(^o^)/