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2012年02月08日 イイね!

人生の節目の「予知夢」

人生の節目の「予知夢」2012年2月8日で、私が「みんカラ」にエントリーしてちょうど6年です♪

憧れの「KA3型レジェンド」を手に入れてから、このクルマとの暮らしをどのようなものにしていくか、いろいろ思い描いていました。
思い描くというのは、夢を持つということと近いかも知れませんね。とりあえず「夢」としておきましょう。


その「夢」についてですが、対義語はなんでしょうか? 私は「現実」だと思います。
「夢」の付く動詞句を考えてみましょう。
「夢が叶う」と「夢から覚める」が、すぐ思い浮かびました。
上記の二つはともに、結果として、ある「現実」に到達することを示しています。

しかし、以前から疑問に思っていたのですが、思い憧れて描く「夢」と、眠っている時に見る「夢」とが、なぜ同じ「夢」という言葉なのでしょうか?

さらには、英語でも両方を「Dream」というのも、昔から不思議でした。思い憧れる「夢」と眠っている時の「夢」とは、私のなかではかなり違う概念なので、思い憧れる「夢」と、眠っている時の「夢」は、少なくとも英語では別の単語であってもよいのに、何で両方「Dream」なんだろうと、ずっと思っていました。

先ほど書いたように、「現実」の対義語として、逆から考えれば、同じでオッケーなのかも知れませんが、未だに、前述の二つの「夢」が、同じ「夢」というのが、納得できていません。それは私だけ? みなさんは、そのように思ったことはないでしょうか!?



イキナリですが、両者を結びつけるようなこととして「予知夢」を挙げてみたいと思います。

私は、はっきり言って、今まで何度かUFOを見てきましたが、「予知夢」も見てきました。「予知夢」を見たのは、転職や転勤など、人生の節目に当たる事柄が起きる少し前、というのが多いです。何か印象深い光景やシチュエーションが含まれている「夢」を見て、それからだいたい数ヶ月後以内位に、「現実」の世界で、仕事や生活の節目となるような変化があり、その後に、その「夢」のなかで見たものとそっくりな光景やシチュエーションを見たり体験したりする、というパターンが、少なからずあったのです。



その一例をご紹介しましょう。

1995年の梅雨明け頃だったと思います。当時勤めていた会社の本社(京都市)の営業部の先輩と、どこか(少なくとも関東地方ではない)の、海が近い都市の鉄道の駅で待ち合わせをし、そこから先は、その先輩のクルマ(営業車)で、一緒に得意先を訪問する、という「夢」を見ました。

駅からその得意先への道のりは、単純ではありませんでした。右へ曲がって左へ曲がって、また右へ曲がって、また左へ曲がる。そうすると、急にぱっと視界が開けて、何か史跡があるような広場へ突き当たるのです。訪問先は、そのすぐ近くにある、という設定だったと思います。



実際、その年の9月に、私は京都本社に転勤になりました。営業担当地区は、奈良県全県と、大阪府の東大阪市・八尾市周辺と、少し離れて岸和田市から南の「泉南」と呼ばれる地域でした。
初めて岸和田に行ったのは、着任してすぐでした。重要なお取引先がありました。そこへはたぶん、京都からクルマで行ったんだと思いますが、前任の、先輩に当たる営業マンと同行でした。運転は彼がしていたと思います。

「ええか、この喫茶店の角を曲がるんや」てな感じで、引き継ぎのための同行営業なのですが、「夢」で見たのと全く同じではありません。「夢」に登場した京都本社の先輩が、はっきりその人だったかどうかは、「夢」の方がおぼろげだったので、特定は出来ませんでした。また、その晩は岸和田のホテルに同宿して、駅の方に飲みに繰り出しはしましたが、駅での待ち合わせではありませんでした。駅やその周辺には、その翌週に行われる「だんじり祭り」の交通規制の看板が、いたる所に立っていたのを思い出します。



ここまで読んで「なんや、予知夢と違うやんか」と思われる方も多いと思います。確かに、両者は細部では違っています。しかし、私が確信を持って「予知夢や」と言えるのは、史跡のそばにある広場(岸和田城趾に接した大阪府立岸和田高校のグラウンドと判明)と、そこまでの行き方です。「右へ曲がって左へ曲がって、また右へ曲がって、また左へ曲がる。そうすると、急にぱっと視界が開ける」というところがポイントです。

「なんや、そんなとこ、どこにでもあるやろ」と思われる方も多いかと思います。しかし、近畿地方と関東地方の地図がありましたら、見比べてみてください。私が、転勤の直前に主に担当していたのは、茨城県の南西部でした。道路の様子を模式的に言えば、茨城県というか、東日本ではたいがいそうなのですが、都市の中心部からは放射線状に道路が何本か延びていて、神経細胞が、伸ばしたニューロンを結合するように、それぞれ隣接する都市へとつながっていく、という感じになると思います。ところが、近畿地方では、丘陵地に新しく開発されたニュータウンのようなところを除いて、平野部では、基本的に道路は「縦横」のイメージです。



「縦横」とは、必ずしも京都市のような東西と南北の道路という意味ではありません。岸和田辺りでは、大阪湾の海岸線が基準になります。あくまで「模式的にすれば」という程度ですが、北東ー南西方向に走る海岸線を基準に、それにほぼ平行して走る幾筋もの道路と、海岸線から遠ざかるように、それらと直交する道路により、街が構成されています。

つまり、ある地点からある地点へ、最短距離で行こうとすれば、一直線上にない限り、必然的に「右へ曲がって左へ曲がって、また右へ曲がって、また左へ曲がる」という具合に、交差点を直角に右・左に曲がるということを繰り返していく訳です。そのような運転の仕方をしたことは、関東圏ではほとんどありませんでした。

経験していないことを、「夢」のなかで経験し、その後に「現実」の世界で経験した。「ぱっと開けた」岸和田高校のグラウンドの光景(「ああっ、ここはっ!」と叫びそうでした)と合わせて、あれは「予知夢」だったと思っています。また、その会社は、当時は営業拠点間の人事交流の無いシステムでした(その秋から転勤が始まり、私はその一期生でした)から、京都本社の先輩と同行営業をしているということで、そんなシチュエーションは、「夢」を見た時点での「現実」の世界では、ちょっと考えにくいことだったことも、少なからず傍証になると思います。

私は、特に仕事に関しては、よく「現実」世界で立て込んでしまうと、それを、眠っている間の「夢」にまで、まるで宿題のように持ち込んで、うなされること(残業手当が欲しいですね)もしばしばあるのですが、これから起きるこをと「夢」のなかで見てしまうことも、このように幾度となくあったのです。



さて、冒頭部分で「夢」には二つの概念がある、という話を振ったままでしたが、眠っている間に見る「夢」は、起きると「覚め」て「現実」の世界へ戻ります。

憧れて思い描く「夢」は、私がよく見る「予知夢」のように、好むと好まざるに関わらず「現実」の世界に具現するようなものもあるかも知れませんが、述語としては、残念ながら興味が失せて「醒め」て「現実」に引き戻されてしまうか、あるいは、めでたく念願が「叶っ」て「現実」のものとなるか、の二つが続き得ると思います。



前振りがあまりに長くて申し訳ありませんでしたが、私の場合、憧れだった「KA3型レジェンド」に関しては、まったく「夢」は「叶っ」ていません。ご存知の通り、放置プレイです。

一方、仕事に関してですが、私事で恐縮ですが、今までは転職により「叶っ」てきた部分もありますが、いよいよ最大の節目を迎えようとしています。業界が急速に縮小の方向へ向かっていて、マジで今が考え時の難局です。希望がさすような「予知夢」を見たいところですが、あいにく見ていません。それは歳を取って感覚が鈍感になってきたのでしょうか? それは困りますね、そんなことでも老化しているのなら。夏至男はもう終わりなのか!?


ここで、いくつか見た「予知夢」のうち、岸和田のものを取り上げた理由を語らせてください。

前任者と市内の有力な販売店を訪問した時の話の続きへ戻ります。前任者が「先週、東京から転勤したばかりでして」と私のことを紹介したとたん、その店長の目が鋭く光りました。口からは「ほうけ、東京から来たんけ」と、ボソッと聞こえただけで、「何〜ぃ、東京!? こいつは好かんわ! 東京もんには、ほんまの商いっちゅうもんを、イロハから叩っ込んだるで!」などと、「現実」には言われはしませんでしたが、光った目が間違いなくそう言っていました。また、だんじり祭りの準備で日焼けした顔にもそう書いてありました。
「目が言う」と「顔に書いてある」の両方というのは、これはなかなか体験できません。

この店長の教育がよろしかったせいか? 2年間の関西生活で、関西の商業哲学についてはいろいろ勉強させてもらいました。どんなことが? と言われると、また長くなりますので、よく言われることで代えさせてもらえば、最初は厳しが、仕事をきちんとやりさえすれば、あとは人柄で信用してもらえる、というようなことでしょうか。「合理性のなかにも人情がブレンドされている」みたいな。もちろん、信用される人柄を維持していくのは大変なことなのですが。

有名なのは、家電売り場での値付けの話がありますよね。関東では、最初から限界値を表示しておかないと、それが高いと思えば、客は何も言わずに他店へ行ってしまう。一方、関西では、値切るの前提なので、あらかじめ限界値より高めの値段を表示しておく。関西では、「値切る」という行為は、単に安く買いたい(もちろんそれだけが目的の場合もあると思いますが)からというより、「値切る」過程で相手の人柄をみることでもある。信用するに足りたなら、次回もその人(店)から買う。これに関連したことでは、それまでの私の体験でも、関東では、最初はあたりが柔らかくても、値引きに関しては、あとからねちねちと要求がきつくなってくる、ようなことをよく経験していました。

さて、この店長も、最初の出会いは、関西人らしい厳しい感じでしたが、1年くらい経ってからは、最終納品先(うちの業界は流通形態が複雑なのです)とトラブルになりそうになった時に「わいがやっちゃる!」と助けてくれたこともありました。

八尾でも、ある店長には、最初に訪問した時は、「わしは忙しいんや! あとで聞いたるから品出ししとけや!!」と、品出しの手伝いをさせられたことがありましたが、この店長は、2年目のあるとき、会社が、それまでと異なるカテゴリの商品を出した時に、販路についていろいろ親身にアドバイスしてくれたりしました。



そんなこんなで、いろいろ頑張ったので、転勤して2年目くらいには、かなり濃い関西弁をしゃべっていました。会社を辞める時の挨拶でも、次はどうするの? と訊かれて「東京へ帰るんで」と話すと、「ええっ、●●さんって、関東の人やったん? 全然わからへんかったわ」と一様に言われました。関西でも、地域が少し違うと、方言が変わってくるので、「うちとこちゃうけど、関西圏のどこかから来た人やろうな」くらいには思われていたんやと思います。英語のTOEICみたいに「関西弁検定」があったら、当時なら、かなりのハイスコアが取れたはずと思いますが、そういうのはなくて、今から思うと非常に残念です。

東京へ戻ってからも、関西弁は、数ヶ月は抜けませんでした。今でも、関西の人と話すと、ついつい語尾とかがつられてしまいますが、イントネーションは関東弁のままなので、相手には「きっしょい話し方する奴やな」と思われてるかも知れませんが。



それで、やっとこさ結論ですが、当時勤めていた会社を辞める時、それは、関西暮らしが嫌だったからじゃなくて、先日も書きましたが、クルマで営業するのが、自律神経の問題とかでちょっとしんどくなって、同じ業界でも、違う職掌に移りたいと思うようになりました。しかし、人事に申し出ても、職掌の異動どころか、東京勤務に戻るにも、「あと5年は頑張ってもらわないと」という返答でした。そうなると、転職を考えざるを得ませんが、うちの業界は、圧倒的に東京に集中している業界なので、転職活動をするなら、東京に戻る必要があったのです。

当時は、新卒で就職して以来、初めての転職だったので、相当に悩みました。自分の中でだいたい答えが出てからも、正式に辞表を提出するまで、1年近くかかったように思います。
岸和田の少し南の泉佐野の、関西空港の対岸の「りんくうタウン」というショッピングモールの駐車場にクルマを停めて、荷台のサンプルを整理していた時、大阪湾に沈む夕日を眺めながら、最終的な決断をしたような気がします。「いろいろ思い出もあったけど、もうこの職掌には戻らない。他の職掌で、自分の可能性を試したい」と。



それから転職を繰り返して、4社目の勤務先として2001年に、現在勤めている会社に入りました。部署のリストラとかいろいろあって、社内での職掌はめまぐるしく変わりましたが、やがて、この会社が、新卒時に勤めていた会社のライバル社を買収しました。このブログは公開されているので、あまり詳しくは書けませんが、いろいろあって、人員が大きく減るようなことがあって、2008年の秋から、こともあろうに、大阪湾の夕日に「もうここには戻るまい」と誓ったはずの職掌に回されいます。



異動を打診された時には、「新卒以来勤めていた会社を辞めたのは、クルマ営業の負担で、自律神経の問題とかが出て、実際に出張先のホテルで気絶したこととかもあって」ということを説明し、「長距離の運転が必要なエリアの担当にはしないで欲しい」旨も伝えました。

自分としては、あくまで、一気の人員減で未経験者が配転されるよりは、という善意の気持ちというか、軍隊で言えば予備役のようなものだから仕方が無いという気持ちもあり、野球で言えば中継ぎリリーフで、というつもりだったのですが、いつの間にか先発ローテーション入りさせられています。

初年度は遠方も担当させられ、歩く営業から、久々にクルマ営業をしたせいで、労災を請求するほどの因果関係は認められませんでしたが、首のヘルニアとか、身体的にもいろいろ辛い状況を経験しました。何より、平日にメイチで仕事の運転していると、休日に自家用車で出掛けようという気持ちも起こりません。愛車が放置プレイされてしまうのも仕方がない、というものです。



すみません、結論と言い出してから何文字使ってんねん、ですよね。
習い事でご一緒させていただいている方が、やはり「夢」について書かれたブログで使っていらっしゃった「目標」という言葉をお借りすれば、「夢」を「叶える」、つまり「現実」のものにするということは、「夢」を「目標」として捉え直すことであり、また、それを行動に移していく過程で、さらに細分化された、いくつかの「目標」を、ひとつずつクリアしていかなければならないと思うのです。

実際、大阪湾の夕日に誓って、最初の転職をした後は、「目標」をクリアしてスキルアップすることで、「夢」をひとつづつ「現実」にしていくことができたと思っています(スキルアップはしたが、やりたいこと重視で、収入アップにはあまり頓着しなかったので、そこが甘かったのも、愛車の放置プレイの言い訳ですが・・・)。



さて、いよいよ締めくくらせてもらいます。りんくうタウンの誓いはなんやったんや、という「現実」は、今後も続くなら、これも到底受け入れがたいものです。体力的にも限界です。また、中程で書きましたが、業界が縮小の危機を迎えようとしていることも、同時に厳しい「現実」です。

いよいよ最終的な「夢」を「叶える」ステージに到達したい、そう思って、数年前から、セミナーに通ったりして、自分のこの業界で必要なスキルの点検を、再度してきました(クルマは点検に出してないけどって、もういいやんその話題!)。スキルの一つ一つを、細分化された「目標」とすれば、それらの幾つかは、既に達成できていると思います。最終的な「夢」を「叶える」ための、最大「目標」も、雲上に頂点が見えてきたような気がします。

しかし、往事と決定的に異なるのは、年齢的なもので(KA3型レジェンドもそうやって、もうそこへもっていくのはやめい、ゆうてるやろ!)、「後が無い」ということです。同じ言葉でも若い頃(30代半ばまで)のそれとは、本当に意味が違う。例えば、学生時代、ハンバーガー屋さんでバイトしていたからと言って、今の自分を同じ店が雇ってくれることは無いと思います。

必要な「目標」は達成できていたとしても、それらを行使してさらに飛び上がろうとすれば、はっきり言っちゃえば(会社の人が読んでたらマジまずいんですが)、サラリーマンという命綱を自ら切断しなければいけません。しかし、そのリスクはあまりに大きすぎる。

「夢」を「叶える」ために「目標」というハシゴを一段ずつ昇ってきて、屋根には上がれたかも知れません。でも屋根から「夢」の乗っている雲へジャンプしようと思っても、もう届かないかもしれないのです。今までは命綱がついていました。しかし、命綱を切ってしまった後では、ジャンプに失敗すれば、地べたに転落するのみです。

ただ、業界の縮小という「現実」の前に、その命綱が日ごと、細く、脆くなっているのも事実です。



TVドラマの「坂の上の雲」は、完結しましたので、話題のベストセラー「坂の上の坂」でも読んで、もう少し考えてみようと思います。

朝ドラで「カーネーション」をやっているのも、何かのサインなのかも知れません。
岸和田弁が、ものすごく心の琴線に触れるこのごろです。
何か、希望が感じられる「予知夢」が見られると良いのですが・・・


ものすごい長文になってしまい、申し訳ありませんでした。。。
Posted at 2012/02/09 22:47:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマと人生 | 暮らし/家族

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昔はKA1型初代レジェンドセダンに乗っていました。2005年11月に、デビュー当時からず~っと欲しかったこのクルマを中古で探し当て、実に6年振りのクルマのある生...
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