養浩館庭園/芝原用水を辿る
投稿日 : 2015年02月04日
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養浩館庭園は、福井藩主松平家の別邸であったとされる屋敷と庭園ですが、僕らは「お泉水」と言う呼び方の方が馴染み深いです。
『養浩館は、書院建築と回遊式庭園によって江戸時代中期を代表する名園の一つとして広く知られ、学術的にも高い評価を受けていた。
しかし昭和20年7月19日の福井大空襲で建造物が焼失し、庭園もその後の復興都市計画で一部が市道になったりしている。
昭和57年に国の名勝に指定されたことが契機となって、建造物と庭園の復原事業がきまり、文政6年(1823年)の「御泉水指図」によって整備が行われた。』
小学校5、6年生の頃 此処には確かに塀と池があり、盛られた土山で遊んでいたらおじさんに
「ここへは入っちゃいかん!」
と叱られた記憶もあるのです。
そして同じ頃、此処からちょっと北側にある「藤田記念病院」内でエレベーター遊びをしていて、職員のおじさんに叱られています(爆
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書院入り口の左側、塀にそって浅い水の流れがあります。
遣水(やりみず)と云われる池に水を引き込む為の水路ですが、玉砂利を敷き詰め 敢えて浅い流れにして鑑賞の対象にしている点が凄いです。
しかし、本来の芝原用水からの取水口は既に埋没。井戸水をポンプで汲み上げ還流させているらしい。そしてまた本来の遣水の幅も復原できていないそうな。
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右上下の画像は御風呂で、なんと蒸し風呂だったそうな!
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歴史にも日本建築にも疎い僕ですが・・・
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なんだか心洗われる、と言うか居住いを正されると言うか・・・
上手く言えませんが
日本人で良かった。
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左上画像:遣水を渡る(県内の庭園では最大級の自然石の)石橋。
この橋付近の遣水は当初の姿に近いそうです。
滑り止めに、むしろが敷かれていました。
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池に沿って歩きます。
左上下画像:清水が湧き出しています。
右上下画像:臼ノ御茶屋 跡。
本来の南側敷地は塀の外で道路に・・・。
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左上画像:「清廉」
『池の南西部から半島状に突出した所に設けられた 寄棟造杮葺の亭。池に面しては高床の造りとなり、総欅造とする。ゆかは四半敷であり、池に面する北面には書院窓が設けられている。』
右下画像:庭園の西門。
『雅』『粋』・・・僕もそんな言葉が連想される様な、上品な人間では決してありませんが
此処には
「DQNなクズや外国人には来て欲しくない」
と、言う思いを強くしたのです。
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