九頭竜橋(舟橋)
投稿日 : 2015年06月05日
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旧北陸道を福井市街地から北上すると、九頭竜川を渡ります。
JR北陸線の鉄橋東側に位置するこの橋は 九頭竜橋という名称ですが、僕などこの橋と地域を舟橋と呼ぶ方が馴染んでます。
この道は旧国道8号線でもあり交通量が多く 、橋の前後は狭い道路幅と連続する多くの交差点/信号数ゆえに 朝夕以外の時間帯でも渋滞する場所として、福井のドライバーの間では 「うんざりする所」の一つと思われています(笑
橋の南詰めに『史跡 舟橋』として説明文がありました。
抜粋:
天正6年(1578年)柴田勝家が架けた。
以前は、黒竜の渡し と言う渡し舟場であった。
勝家は48の舟を鎖でつなぎ、板を並べ橋とした。これが舟橋のおこりで「天下の三大舟橋」とうたわれた。
現在の舟橋町は、そのときから黒竜村から舟橋村と呼ばれるようになった。
1879年明治天皇の北陸巡幸の際に木橋に架け替えられ、昭和23年1948年の福井震災後にコンクリート橋になった。
この橋の南側には、黒龍神社と言う神社があります。
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南詰・下流側の親柱?から続く欄干は素敵な弧を描いてます。
恥ずかしい事したヤツ!シンナーで拭いとけや。
あ、シンナーは入手不可能?
なら、ベンジンで・笑
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上:歩行者用の橋、昭和45年竣工と書かれていました。
下:南詰上流側。銘板に「くずりうばし」と読めます。これだけで古いものだと想像できるんですが、今まで見て来た古い橋の銘板には「〇〇はし」と言う様に、「橋」に濁点がついてないパターンが多かったです。
交通量が多く上流側に渡れませんので、ズームで撮りました。
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橋を渡った北詰・下流側。
上:南詰と同じデザインの親柱。そして南詰には無かった歩道橋への突き出しが、昭和45年以前に歩道橋も在ったと言う事の証明になります。
下:歩道橋から。この親柱のアーチが堪りません!そして欧州の古城のバルコニーに見られる様な欄干(と呼んでいいのか?)が素敵。
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上:北詰・下流側。
このお洒落なスペースで、愛を告白した人が居たかも知れません^^
下:北詰・上流側。
「昭和廿五年九月丗日竣工」と読めますが
昭和25年9月の何日??笑
この下をくぐる「稲多隧道」(ブログ・建造物カテ参照)は昭和27年開通と成っていましたから、昭和23年の震災、昭和25年に架け替え、そして堤防へ昇る坂道の為に稲多地区は分断、トンネル掘削・・・と言うシナリオが浮かんで来ました。
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上:北詰・下流側。
手摺りが見えますが、階段を降りると稲多隧道の西側へ出ます。
下:北詰・下流側。上流側堤防の樹木下にいくつかの碑や説明板がありました。
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四十八艘舟橋の図、九頭竜川の由来、稲多宿場碑、震災復興架橋記念碑、明治天皇御駐輦の碑・・・
前述の様に、此処は交通量の多い 普段立ち止まる事の無い(出来ない)通過点なんですが、大変に歴史のある場所だったようです。
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