ヒロシマの旅の後編です。(長文でございます)


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今回ヒロシマに来て思ったんですけど、ここは世界の観光地なんですね。
どこへ行っても外国人だらけ。
となりにいたのが日本人だとばかり思っていたけれど、話しかけられて初めて中国人だとわかったり(;◔ิд◔ิ)英語か韓国語なら少しはできますが、中国語はもう、筆談オンリー。でもなんとか通じました。
とくに広島城にいたっては、圧倒的に白人系外国人が多かったです。日本人は数えるほどしかいない。
たいてい地元の人は城内には入らずに、敷地内の緑の庭で本を読んだり休憩したりと静かに過ごされていることが多かったです。外から城を眺めるのが地元の楽しみ方なんですね。風流です。

広島といえばお好み焼き、なのでしょうけど、あえて外します。
つけ麺です。

私はラーメンといえば熱ーいスープに麺が沈んでいるもの以外は邪道だと思っていたアホで、つけ麺はあまり積極的に食したことがなく…。
有名なつけ麺のお店に入ってみました。開店直後でがらんとしていましたけど。(寒いから?)
地元の人はテイクアウトするのが定番なのかな、入れ替わり立ち代りお持ち帰りの人が来てました。

エプロンは必須です!
初めてなのでシステムがよくわからなかったんですが、辛さのランクがずらーーっと。30倍まで選べます。
ヘタレな私は辛さ4倍を注文。だってすごく辛かったら悲劇でしょ?


4倍ですでにこんな赤いの?と不安でしたが、酸味がきいているせいかなんともさわやかな辛さ。
麺はもちもちとしていて弾力があり、トッピングのねぎと麺がスープとからんで美味しい! いくらでも食べられそうです。絶対夏向きだわ、コレ。
これ、冷たいからいいんでしょうね。そういう食べ物なんだと思いました。
ふつうのラーメンとも、冷やし中華とも違う。なるほど、こういうジャンルも確かにありです。
話の流れが前後してしまってますが、二日目は朝いちから、まっすぐに広島城へ登城しました。
城の敷地に近づくためには途中で地下道をくぐるんですね。当日知った私です。広いですからね、城の敷地は。どこから内堀に入るんだろう??って途方に暮れちゃいましたよ。
広島城は15世紀後半に毛利輝元によって築城されました。関ヶ原の戦いで敗れたあとは福島正則が城主となり、そのあと浅野長晟(忠臣蔵で有名な浅野本家)が転封し、明治維新まで12代続くことになります。
しかし大戦での原爆投下によって基礎と石垣を残して倒壊。現在の天守閣は鉄筋コンクリートで復元されています。


門をくぐったあとに目に入る、このユーカリの古木。これを忘れてはいけません。
原爆投下のあとも現在でもしっかり生き続けているため、「被爆樹木」といわれています。こういうものが存在しているなんて知りませんでした。お姿が大変美しく、思わず足が止まります。
本当は原爆ドームにも行ってみたかったんですが、時間がなくて断念。でもこの古木を見られただけでも同じくらいの意味があったと思います。
さて広島城そのものの見どころといいますと、やはり天守と石垣でしょうか。
天守の建築構造は大きく分けますと「望楼型」と「層塔型」があります。広島城はご覧のとおり望楼型で、最上層に物見の建物を置いた様式で、高欄のある回廊が設置され、そこからぐるりと360度の展望ができます。

中央にリーガロイヤルホテルとその右のほうに広島グリーンアリーナが見えますね


広島の城下は美しい街ですね。天守閣から自然とカメラに手が伸びます。
城を下りて、周囲をしばし散策。立派な石垣が今もしっかりと仕事をしています。

広島城は城主が入れ替わるたび少しずつ石垣の種類も変わっていき、混ぜこぜになっている部分もあります。
これは毛利時代の野面積(のづらづみ)の石垣です。

野面積とは、加工を施さない自然の石を積み上げた石垣の名称。簡単に登れてしまうので、戦略的にはもろいといえますが、しかし古式で味わいがある様式ですね。現在でも立派に残っているのがすごいです。
この大天守の隅部(角)をご覧ください。

算木積といいまして、崩れやすい隅部を固めるため、角石に長方体を互い違いに組み合わせ、間に短い石をはさむ方法です。毛利時代のものなのでまだ未完成な感じですね。
傾斜をつけるために石を斜めに削っています。ものすごく手間のかかる石垣なのだそうですね。

こちらは福島氏時代の打込接(うちこみはぎ)と呼ばれる石垣。お城の石垣といえばこれという、ポピュラーなものです。隙間をなくすために石をやや加工して積み、隙間には小さな石を挟み込む方法。これなら崩れにくいし、簡単には登れない感じ。だんだんと技術が発達していっているのがわかります。
お城を見て回るのは想像以上に清々しくて、気持ちのいいものですね。

これまでにどれだけの人がこうやって城を見上げたのだろうと思います。
それぞれにいろんな人生があったでしょう。
原爆によってこの城をふくめて多くの命といっしょに一瞬にしてすべてが失われてしまったのち、復興のために大変な道のりを歩んできたことが記されていました。
再開発が進めば進むほど、天守再建の思いは強かったんだろうなと想像できます。
やはり城は、いつの時代になろうともお国のシンボル、心のランドマークなんですね。


復元された現在の天守の外観は茶色にしか見えないけれど、往時には黒漆塗により美しく黒光りしていたといわれています。
均整のとれたシンメトリーな構造は、桃山式の様式を感じさせますね。
何だか石垣だの桃山式だの面倒臭い説明になってしまいましたが、こんなふうな角度からお城を見てみるのもなかなか面白いと思います。もしお城を見る機会がおありでしたら、ちょっとだけ思い出してみてくださいませ。
さきほど外国人の話が出てきましたが、意外だなと思ったのが外国人観光客のマナーの良さでした。
たとえば歴史ある建造物のまわりでは多くの人々が写真を撮ります。
あきらかにシャッターを切ろうとしている人の前を平気で横切ったりする日本人がいる中、撮影の邪魔にならないようにずっと後ろで待っていてくださる外国人がたくさんいらっしゃって、感激しました。なんて素晴らしいんでしょう!
ほかにも、お城の中では貴重な資料や文化財は当然撮影NGになっているのですが、それこそ平気でスマホでパシャリとやっている日本人がいてびっくりしました。なんて非常識な…。警備員の方にかなり厳しく注意されていましたが。
それを撮ってどうするつもりなんだろう。ほんと、どこにでもいますね、こういう頭の出来がお悪い人って。やっていいことと悪いことの区別もつかない人なんでしょう。同じ日本人として恥ずかしいなって思いましたね。


いや、でも旅はいいです。
ほかにも行ってみたいところがあったのですが、盛りだくさんで、一泊二日とかじゃ回りきれなかったです。
次は秋の紅葉に時期に(天気がよい日に)、回れなかった場所へ行けたらいいなあと思っています。
今度はもっと荷物を工夫して行きますよーー╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !