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毛呂のブログ一覧

2017年03月02日 イイね!

もう1年も経つのか・・・

もう1年も経つのか・・・介護の愚痴ブログです。
コメントはご遠慮ください。(苦言のみ受け付けます。)





1年前の今日、親父が首の脊髄の手術を目的に入院したんだっけ。
当初の予定では
03/02: 入院
03/04: 手術
03/05 or 06 リハビリ開始
以後は経過を見て2~5週間で退院、の筈。だったな。。。

それがフタを開けてみたら、
入院直後にせん妄発症。疥癬疑惑(結局は医師の勝手な思い込みでシロ判定)で手術延期。看護師が無理に食事を食わせたために詰まらせて肺炎をこじらせる。。。
等々でどんどん体調を悪くさせ昏睡期間が長くなってしまったせいもあって認知症も起きてしまい、
結局はトイレすらも自力で行けなくなり、そして手術不可能を宣告される。

身体が動かないまま自宅に戻ってもお袋は身体が不自由、俺も嫁も完全介護できる時間ができず、で、事実上、一生家には戻れない長期療養病院に転院するしか道が無かった。

当時もボヤいた覚えがあるが、なんでこぉ~なるの!って気持ちが1年経った今でも全然消えない。
数週間の入院生活で腕が動くようになって帰って来る筈が、なんで一生自宅に帰れない身になっちまったんだよ!と。。。

そんな話し、他人事で聞いたなら「そういう運命だったと諦めるしかないよ」としか思いつかんかな。

でもその言葉。家族という当事者の立場で聞かされるのはたまったもんじゃない。
運命、なんて2文字の簡単な文字で片づけんでくれ!と思ってしまいそうだから。
あ、ひらがななら4文字か。。。
運命はベートーヴェンの5番だけで十分だっちゅーの。

この病院、地元ではまぁまぁ規模も大きい総合病院で、特筆するようなイイ評判は聞かないものの、悪い評判もない、いわば「問題はないでしょ?」的な中庸な病院のつもりだった。

入院する直前、嫁はセカンドオピニオンとして隣町の大学病院に診せたら?と言っていたが、親父自身も面倒だからココで良いと言うわ、俺からしてみても腕が動かないままでは週3回の透析病院に通うのにも不自由、というか俺自身が毎週3回も会社を休んで通院介助をしなければならない(一般的男性の巨体ではお袋も嫁も支えきれない)ので、一刻も早く手術させたかった。

その焦りが敗因だったのかな、と思うようになってきた。


先日も親父の見舞いに行き、またさらに認知症が進んだ親父と話してて涙が出てきた。

こんなはずじゃなかった。あの病院に入れたのが失敗だったか?

嫁にそれを見透かされるのもシャクに触るので黙っていたが、病院からの帰路、嫁にズバリと言われた。
「やっぱりあの時、隣町の大学病院に入れるべきだったんだよ!」


嫁の母親は1昨年に水頭症が発覚し。それまではちょっとイマイチな市民病院と親父を入れた病院に診せていたが、親父がボロボロになっていくのを脅威を感じ、嫁の母はその大学病院に変えることにした。
昨年末に他の急病が起きてしまい、急きょその大学病院に入院させたがどうにか持ち越した。現在は別のリハビリ病院に移って来たるべき(?)水頭症の手術に備えて体力復元中。
順風満帆、とは言えないが、少なくとも悪くはない状況だ。
ああ、ナースのレベルも凄く高かったな。。。←そういう事を考える余裕はある。

それを横目で見て、羨ましい、とまでは思わないが、ただただ、


なんだかなぁ・・・。


としか考えられない、入院して丸1年の今日の所感である。



つい数時間前、自分の母親の介護面で面倒な事件が起きてしまったので
尚更に「親父が家に帰えれてたら、こうはならなかったろう」って無い物ねだりな気分になってしまったのでした。

ああ、いかんいかん、タラレバ。


お見苦しいブログ、失礼しました。
Posted at 2017/03/02 02:02:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | 介護 | 暮らし/家族
2016年11月17日 イイね!

高齢になったらいつ運転を放棄するべきか?

高齢になったらいつ運転を放棄するべきか?なんかここ最近、高齢者による交通事故のニュースが毎日何件も報道されとる。。。

報道されない日はピターーーッとしばらく報道されんのだけど、一度でかい事故があるとしばらくは連日連夜他の高齢者事故の報道がニュースにウヨウヨと出てくる。
でもしばらくすると記事にならなくなる。そんなパターンの繰り返しですね。
こういう報道はネットならアクセス数やテレビなら視聴率が取れそうな記事が優先されるから、飽きられた頃だと記事にしないだろうからね。



少子高齢社会。
今や高齢者の運転者数って若年層の2~3倍はいるんじゃないか?
一時は1日に4~5件も高齢者事故の報道があったくらいだから、高齢者による事故が無かった日なんて無いと思っておいて良いと思ってます。


オイラのブログなので例によって以下はダラダラと長くなってしまいましたが、
その長さの主の部分・・・我が親と友人父の実例・・・を見て自分の胸に手をやると、
果たしてオイラ自身、本当に将来「もう運転をやめるべきだな」ときっぱりと捨てる事が出来るのか?と不安になることしきりです。
ここ(みんカラ)は車好き=運転好きが多いので、同じ風になる人も多そうな気もしてます。



昔のブログを覚えてる方ならご存知のとおり、我が父と母には昨年の6月に運転する事を放棄させました。
当時で80歳と73歳です。
きっかけは母が事故を起こしたからです。
アクセルとブレーキを踏み間違えて民家の門戸を大破させる事故を起こしてしまったんですよね。
それを期にオイラから説得して運転するのをやめさせた次第です。

事故を起こしたから辞めさせた。・・・はっきり言って辞めさせるのが遅すぎたクチです。
ですのでそれに対する非は甘んじて受けます。

幸い、人は居なかったのでいわゆる物損事故で済みましたが、それでも被害に遭われた方は自宅の一部を損壊されたのですからそれなりの心の傷と怒りがあるのです。
だから相手が人であろうがモノであろうが、高齢(体力や集中力衰弱、認知、その他諸々)で運転力が劣ってきたと思ったら辞めるべきなんですよね。

それを当の本人が自覚してくれるのが一番なのですが、なかなかそうならないのが多くの実態じゃないかな、と思うのです。


事故を起こした母は当時からパーキンソン病を患ってはいましたが当時はまだ進行初期的症状でしたし、運転する体力も識別力もありました。とっさの判断力は若者ほどはないですが、年相応レベルはあったかと。
強いて言えば時折ハラハラする事もありましたが、それは高齢になる以前、母が免許を取った(確か45歳くらいだったか?)の頃からの性格由来な「ざ・おばたりあん」な運転技術ってところであり、そこは諦めて目を瞑ってました。

親の最後の愛車となったモコを買う時も、オイラ自身も「この運転能力ならまだギリギリ少し手前のレベルで大丈夫かな?」と思ってた、いや、今にして思えば過信でしたね。


事故後、運転する事を辞める事に同意してもらった後、事後談として色々とボロボロ白状してくれました。
やはり少し前から「とっさにアクセルとブレーキを踏み間違えた事は何度かあった」と。
でも踏み始めですぐ気付いたとか、幸いにも物損事故すらにもならなかったので誰にも黙っていたそうです。
そんな事を家族や周りに喋ってしまうと、当時から散々ニュースでも言われてた「高齢者の事故」と同じ扱いにされて免許を取り上げられてしまう、車が無いと生活ができない、買い物どころか病院にも行けない。
だから誰にも言えんかった。という事だったそうです。

・・・正直言ってその時は呆れました。そして怒りました。
「あのなー、それで人を轢き殺してたかもしれんのだぞ!お袋自身が『ウチは交通事故で家族を亡くしてるから同じ事を人にはしたくない。運転に自信が無くなったら免許証を返す』と言ってたろが!」
答えに詰まってましたが、結局のところ、「まだ大丈夫」という過信か誤解と「車が無いと生活できない」という必要性の2つが主な理由だと思われます。

日々報道される高齢者運転による人身事故を見てて思うのですが、この人達の何割か、いや、半数か半数以上は我が母と同じように、他人には黙って、自分に無理を利かせて(そしてそれを無理だとは思わずに)運転してるんじゃなかろうか、と。
少し上にも書きましたが、我が家の場合ですと事故を起こす前にそれを家族が予見する事はほぼ不可能です(でした)。
予見できなかったとなると、こういう事故は起こるべくして起きている、と思うしかないのかな、と。。。


多くの人が知ってのとおり、高齢者の運転免許更新は若者と違って実技講習があります。
これをクリアしないと免許更新できない、って建前です。
が、これも以前に報道で見ましたし、我が家の近所の教習所の話しも聞きましたが、仮に技能が著しく劣っていても余程でない限り免許更新の妨げになってないのですよね。割と簡単に免許更新できちゃってるのです。

なんでそんな程度のザルなシステムなのか?
そこは警視庁・国交省・あれ?あとも1つ何だっけ?とのお役所仕事のザ・縦割りによる責任転嫁&放棄が主要因らしいですね。
もっとも、教習所のコースのような安全が確保されたコースでとっさの判断能力なんて測れんでしょうしね。

来年からは記憶力判断力が劣る人には医師の診断が強制されるそうだけど、説明を読む限り、イコール免許更新停止には繋がらなさそうですので、これも実社会での効力は期待できないですよね。


我が家の場合は幸いにもオイラ達ムスコ世帯が同じ市内だから、事故以後はムスコ夫婦で買い物の代行・同行や病院送迎をしてます。
というか、それを提案して運転を諦めてもらった、って感じでした。
だからもし免許更新制度が厳しくなって行政から強制的に免許を剥奪されても生活面への影響はさほどありません。
(そういう負担を強いられるようになったムスコ達の疲弊はありますけどね。。。)

一方、家族が遠方だとか居ない、高齢者だけの世帯はどうしたらいいの?と。
世の中、そういう世帯の方が圧倒的多数ですよね?
そんな方々から運転免許を取り上げたら、今度は孤独死や餓死が多くなるのでは?
あるいは無免許運転の横行とか。


オイラも介護に無知だった頃は
「クルマが無いなら買い物ヘルパーに頼めばいいじゃん」
「クルマは売却してタクシーにすれば?クルマ買うより安上がりなくらいかもよ?」
とか思ってましたが、それだけではない、身近に車が無いと不自由なシチュエーションって山ほどあったんですよね。ヘルパーにしてもそんな用事にまで利用してしまうとあっという間に介護保険枠から越えて自腹になってしまうのです。

歳をとるってのは頭が固くなるのが一般的であり、既成概念から抜け出せないというか、ライフスタイルが大きく変わるのをどんどん怖くなるのです(だと思う)。だから尚の事、車が手放せなくなるのかとも思うのです。

なので、同居や近所に身内が居ない高齢者は「まだ大丈夫♪」と自身に言い聞かせて車を運転してしまうんでしょう。

そんな実情を踏まえると、一概に高齢者の運転を一方的に止めさせるわけにもいかんでしょう。
もしかしたら今の行政はそこも踏まえて高齢者の免許更新に甘い部分を残してるのかも、と思える節すら感じます。

でも、それと引き換えに
今日もまたどこかで悲惨な事故が起きている(筈な)のです。


親が事故を起こしたくせに偉そうなことを言うなよ、と言われたら身も蓋もないですが、
開き直って言わせてもらうと「親が事故した経験を持ってるからこそ」言いたいことがあります。
・・・高齢で運転されてる親御さんを持つ方に於かれましては、今一度、自分の親御さんの運転状態を見極めて頂けたら、と思う次第です。

口では「まだ大丈夫」と言われるでしょうし、たまの同乗くらいでは「運転力はまだ衰えてないかな?」と思うかもしれません(オイラもそうでしたから)。
でもそれを何度か続けると、「もしかしたら少しヤバいか?」と思える時があると思うのです。
その時が「辞めさせ時」なのかな、と。
一方、オイラのように油断してそれが見極められない事も多いかもしれません。
が、過去何年も何十年も親御さんの運転に同乗した事が無い人ならばきっと「うちの親、運転の注意力が落ちたな」と思うでしょうから、まずはそこから確認するのがいつか免許返上を勧告する時の第一歩だと思うのです。


辞めさせた後の交通手段・生活手段をどうするのかは各家庭の事情もあるのでとやかく言えません。言えないくせに無責任な提案するな、と突っ込まれても仕方ないですが、高齢で運転に不安が出そうな親を持っているのならば、それをどこかのタイミングで辞めさせるのは家族としての責務ではないか?、と思うのです。
「親は自分以上の大人。自身の事は自身で決めさせる」って意見もあろうかと思いますが、その結果が毎日止まらない高齢者事故じゃないかと思うのです。


そうは言ってもなかなかそうできないのが実情なのかな。。。


親御さんが人を轢いた。それを「親がした事。自分は関係ない。だから被害者に詫びる義務もない」と言い切れる人には聞く耳持ってもらえない話しでしょうかね。。。



同い年の友人の親の実話です。

S県の湖のほとりに住まわれてる83歳(だったと思う)男性。奥様は数年前に他界され現在は独居。
身体は至って健康そうですが軽度の認知症と診断され、要介護認定「1」。
生活面でかなり面倒・支障が増えたため、長男(友人)が住む神奈川に引き取ろうとするも固辞。
最大の理由は「一生懸命働いて稼いで建てた家を手放したくない」と。
そこでせめてと、生活介護(介助?)のためにヘルパー訪問を付けたが「俺はボケ老人じゃない!ヘルパーなんて要らん!」と居留守や外出で入れない時も多い。

そして車の自損事故が多くなり、免許返上を求めるも「人に当てたわけじゃないから問題ない」と固辞。
オイラの親と同様、「車が無きゃ生活できん」の一点張り。
そんな折、田んぼに脱輪させてしまい、脱出できなかったからか田んぼに放置したまま徒歩で帰宅。警察&レッカーの騒ぎとなった。
呆れと同時に「次こそもうヤバい!」と思った息子が車のキーを取り上げて隠すも、車の販売店にスペアキーを注文してしまう始末。
警察に相談するも「免許を失効や更新不可でなかった限りは警察は手を出せない」、車の販売店にキーの再発行を止めように言うも「車の所有者がご本人である限りは断れない」。
そして最近、免許の更新ができてしまったそうな。
講習で色々指摘はあったらしいが「免許が更新できたって事は運転して良い、と国が認めたんだから文句言うな」と。

さすがに強制執行で神奈川に連行も考えたそうですが、奥様から「あんな頑固に変わってしまったお義父さんとの同居は・・・(>_<)」で板挟み。

今、友人は頭を抱えてます。。。

当時のブログに書きましたが、オイラも父に運転放棄させるのは苦労しましたが、これはそれ以上の難易度だと思います。。。


そしてこんな話しを聞かされると、「ああ、だから高齢者事故は減らないんだな」と納得です。

友人の話しによると、父上の若い頃(と言っても30~50代)は躾面では厳しい人だったそうですが普段は比較的温厚で「どこにでも居そうなフツーの親父」だったそうな。
それが、奥様が亡くなられたからなのか、認知症が出だしたからか、要介護認定を言われたからなのか、は分かりませんが近年になってから急に身勝手になって手に負えなくなってしまったそうです。

うちの親もそうですが、後期高齢世代になるにつれ、変わってきました。
パッと見、自己中になったというか、頑固になったというか。
会社の年配層から聞かされましたが、老人のみ世帯(家族と別居)ほどそういうもんらしいです。
多分、老化で周りの事を意識しにくくなってきて、それ以外の事(自分がしたい事)が前面、いや、全面に出てしまうのかな、な気がします。
だから「老化」ってのは単に全てが均等に老いてくんじゃないんですね。


こんな事ばかり書いてると老人迫害にも読まれかねないですかね。
そんなとこに真意は無いので誤解なきよう。
言いたい事は「高齢者事故をゼロにはできんけど、家族がいるなら誘導や勧告、酷ければ止めさせようよ」って事です。



って事でようやくタイトルの件に戻り着くのですが、
オイラは今のところ、自身の親が事故を起こした事で「自分こそ怪しいと思ったら躊躇せずに自主返納しよう」と思ってます。
が、反面、高齢になると考え方が変わってくる実例も目の当たりにしてますので、老人になったオイラが本当にその行動に移せるのか?・・・不安でなりませぬ。

やはり先日の愚痴ブログに書いた通り、そういう判断力の年齢になる前にポックリと逝ってしまうのが理想だなぁ。。。



愚痴というか文句:

相変わらずSNSでは(あ、ここもSNSか)ではこの手の事故を取り上げては「運転してたジジィが死ねばよかったんだ」だの、よくもまぁ好き勝手放題に書くよね。
そのジィさんだって好きで・殺意を持って人を殺したんじゃないのにさ。
自分だっていずれジジィやババァになるのを分かってないんだろうか?
それとも、ジジババになってもそんな人間には絶対にならん、という慢心なのだろうか?

こんな輩こそ、ジジババになった頃に自身で運転放棄する事が出来るのか?と思います。
こういう奴らが将来ジジババになって事故を起こし、そしてその頃の若者に叩かれたらなんて思うのだろうか?
それを見てみたいものです。
Posted at 2016/11/17 00:56:47 | コメント(8) | トラックバック(0) | 介護 | クルマ
2016年10月31日 イイね!

介護の愚痴と人生の終わり方について

介護の愚痴と人生の終わり方についてって重そうなタイトルですが、所詮はオイラが書くブログ。重いのは本人の体重だけです(^^;

傍から見れば単なる介護疲れの愚痴ブログだと思います。
愚痴=毒ガスはさっさと吐いて気を入れ直そう、的なノリで書いてます。

ですが、介護と無縁な人が読んでもピンと来ないでしょうから読まずにスルーする事をお勧めします。
読まれてもお気遣い無用ですし、ハゲ増し等のコメントをされるとそのコメ返書かないと(・_・;って焦りが出るので、できればコメントはご遠慮願いますm(_ _)m

ただし、苦言、あるいはご経験者からの経験談や有益な情報はいただければ、と。。←わがままなやっちゃ




今月は、ほんと散々な月で始まり、そして終わりそう。
いや、来月以降もまだまだ散々な状態が続くと思うと、、、いやいや、考えるだけでも恐ろしいからやめとこっ(>_<;


半月以上も前、数名のみんカラメンバーさんと飲み会をやったのだけど、その時点では翌日にそのブログを書くつもりだったんだよねぇ。。。

なのに、その飲み会の日の昼間に突発的な緊急介護に追われ、書こうとしてた翌日も朝からバタバタと介護に追われ、、、

もぉ~~~~~!




ですわ=3



あんまり書き過ぎても不幸自慢にしか見えんだろうから詳細は控えるが、、、
・・・と言いつつ、書き出したらガス抜きとなって多少は書いてしまったな↓(・_・;




親父への介護というか看護の時に学んだ事。
それは一般的な老化に伴う体力衰退、初期レベルの認知症、との付き合い方。ってとこだろうか。

介護も看護も学生時代に習っちゃいないし、まー仮に習っていたとしてもその当時に介護対象者が居なかったので真剣に習う気なんてさらさらも無かったろうね。
介護って、仕事以上に「人」と接するし、一番厄介なのはその相手は血がつながった肉親なので、感情的に割り切れない・煮え切らない、なんて葛藤はしょっちゅうなんだと理屈じゃなくて頭と身体で本当にそう感じた。

だから、高齢社会・介護社会と言われて久しい昨今、介護士さんや介護ヘルパーさんのお仕事を見てると「大変だなー(>_<)」「真似できん!」と思ってはいたけど、肉親の介護をしだして感じたのは「なるほど、身内じゃないから割り切って仕事できるんだな、だから仕事として続けられるのか」とも思えるようになった。
それでもたまに介護士によるとんでもない事件も有ったりするから、介護士さんにおかれてもかなりのストレスはあるんだろうけどね。。。



以前のブログにも書いたと思うけど、親父は目的の整形外科手術が出来なくなり、長期療養病院へ転院してしまった。でもそのおかげで看護・介護の手間は殆ど省けるようになれた。
それでもたまに身体が異常が起きる度に他の病院への送迎と立ち合いがある。
(長期療養病院って事実上の特養施設と何ら変わらんから、何か異常が起きる度に他の病院に連れ出さなければならないのです。)
たまの事だから気持ちよく対応してやらにゃあな、と自身に言い聞かせても、いつもいつも、その病院送迎をする日に在宅中のお袋が転倒して怪我、、、それの病院送迎も同日にしなきゃならなくなるので、親父の送迎もほんと鬱になる。

因みに最近の親父はとうとう自力で歩く事が出来なくなり、車椅子での移動しかできなくなってしまった。
なので、上に書いた他の病院への移動は介護タクシーを利用している。

料金は思ったよりはリーズナブル。
通常のタクシー料金(身体障がい者ならば公的割引も有り)と1000円程度の介助代的な費用のみ。
但し迎えに到着した瞬間からメーターのカウントを始め、病室まで迎えに行き、到着先に着いたら停車~介護者を降ろした瞬間まで、ってところが細かいところで普通のタクシー利用とは違うところ。
先日も片道4km程度の病院搬送をお願いしたが、片道あたり約3000円。
尤も帰路も同じくらいの金額を払うし、診察の結果さらに2回通院となったので+2往復(合計3往復)。総計2万円近く也。。。決してばかにならない金額である。

昨年末、事故でほぼ廃車となってしまったフォレスターの後継車両を選ぶ際、一瞬は「近い将来に備えて車椅子のまま載せられるクルマにした方が良いのだろうか?」と一瞬は悩んだ。
が、「そんなのはまだ数年は先の筈だから今の時点では必要無し!」として検討対象外にしてしまってた。
でもフタを開けてみたら年明けから予想外の展開ばかり。あっという間に親父は車椅子の必需者。
だから今にして思えば昨年の買い替えの際、その手の介護車輛を買っといた方が良かったのかな、などと思うこともしばしば。

とは言ってもその手の車って非課税とは言え、えらく高額なんだよね。。。

ヴォクシィでさえ


シエンタや


フリードも


特装費用でどうしても高額になっちゃうんね。。。

「こんなに高いくせに走りが楽しめなさそうなクルマなんて買えん!」
と思ってしまうのです。
・・・まだまだ介護初心者であり、介護者としての自覚が足りないんだろうね。。。

なので、当面は介護タクシーで様子見かな、と。
確かに一度通院し出すと結構な金額となるが、行かない時期はほんとしばらく行かないので、このペースならタクシー代は年間7~8万で済みそうな雰囲気だしね。
なので、お袋もいよいよその手の車じゃないと移送できなくなってきた時に真剣に考えるだろう、
と思う。。。多分。



そのお袋の話しになるが、今はそのお袋への世話?介護?で参り始めている。
少し上に書いた、親父への介護で要領を学んだ、というのがほとんど通用しない別パターンなので一から勉強し直し、ってのが現状か。

お袋は親父が在宅していた今年の2月まではまぁまぁ調子が良かった。
調子が良かった、と言っても進行性のパーキンソン病患者だし、歩行器(乳母車のような押しグルマ)が無いと歩けない身である。
かなり前にも書いたが、昨年の初夏に親父とお袋は車の運転を放棄した、というか半ばオイラが強引にモコのキーを取り上げ、その直後に体調と言う名の階段を一気に5段~10段も落ちたようになってたのだが、その後はその落ちたレベルのところでまぁまぁ落ち着いていた。

そして今年になって前述の親父の入院、そして長期療養病院へ転院、となったのでお袋は親父への世話の負担が無くなる事に安堵し「これで病気の進行は落ち着く」と喜んでた。
…おいおい、仮にもあんたのダンナだろ?一生自宅に帰って来れない事を露骨に喜ぶなよ、とは思ったが、お袋はもうこの時点で自分が生き続ける事だけで精一杯な思考しか持たなくなってきていた様子だから仕方ないのかな。

それはともかく、俺はお袋の思惑とは逆の事を警戒してた。
親父の世話から解放される。確かにそれは特に心労的負担が無くなるので良い事だと思う。
しかしだ。その世話をしなくなるって事は自分のライフワークが無くなるのだから「楽になる」よりも「気が抜ける」んじゃないか?と。だとするとパーキンソン病の性質からするとかえって危険では?と思ってた。

残念な事にその思惑が当たってしまった。
親父が最初に入院した頃から間もなく8ヶ月が経とうとしているが、それ以前の1年~1年半分くらいの老化+病状進行と同じくらいに悪化しているのだ。明らかに病状の速度が加速してるのだ。
医師にもそこを指摘され、リハビリや軽い運動をしろ、散歩しろ、と口酸っぱく言われとるのにちっともしない。
息子に言われても「私は今まで父さんの面倒ばかりして疲れたんだ。これくらい好きにさせてくれ。」と言い逃れ。
これがもし本人が「私はもう病と戦うのをやめた、成すがままを受け入れる」と諦めてるなら好きにさせるところだが、「私はまだ動きたい、旅行にも行きたい」を口癖のように言ってるのだからリハビリも薬もしっかり守ってくれなきゃいかんのに、のんびりするわ、薬は(ボケのせいもあって)飲まない時も多いわ、で悪くなる一方に。

今では病状の進行とともに鬱病の頻度も多くなり、そして初期の認知症的症状も散見されるようになってしまった。
家の中は家族か介護ヘルパーが前日に綺麗に掃除しておいても、翌日の夜には床には色んな郵便物やチラシ、診察関連の資料や薬、食事のカスが散乱。決して悪意を持って散らかしてるのではなく、姿勢・態勢的に物を落としやすくなって、また落としてもそれに気付かないとか気付いても後で拾おうと思ってもすぐに忘れてしまう、ってパターン。それがチリツモとなって1日後には「俺、夕べ掃除し忘れたっけ?」と思いたくもなるほどの散らかりようになるのだ。


医師の話しにも触れてしまったのでついでに。。。

お袋は月に一度、パーキンソン病の専門医に診てもらってる。
ちょっと調べれば誰だかすぐ分かりそうな名医らしい。
名医と言っても所詮は現時点の医療技術では不治の病なので治すことはできない。だから「どうすれば進行を遅らせられるか」に特化した医者だ。
オイラに言わせれば医者ではなくかなり優秀なカウンセラーって感じの同世代のおっさんだ。
口は悪いが真剣に患者と付き合うタイプで信頼は置けそう。一度飲みに誘ってみたい人柄。

オイラは半年ほど前からその通院に帯同しだした。
今までは嫁が送迎兼ねて帯同していたが、医師曰く「血のつながってないお嫁さんだとピンと来ないトコもあるから息子も来れたら来てほしい」となってしまったのだ。
・・・おかげでオイラの有給休暇残。今年は親父のドタバタ対応と併せてほぼ無くってしまったわい。。。(-_-;

それはともかく、帯同しだした初期の頃は驚きの連続だった。
お袋は、医師にかなり体調が良い事ばかり=早い話し、嘘の自己申告をしてたのだ。
嫁はさすがに言い出せんかったらしい。
「それ、違うっしょ。いつも転んでばかりしてたからやらなくなったでしょ!」と突っ込みどころ満載。
後で母が不在の時に医師が教えてくれたが、老人の女性患者の大半はそんなもんだそうだ。だから指摘はしても責めたり呆れるな、と。
医師がオイラを呼び出したかったのは、問診時間前にしてるリハビリセンターの診断内容(以前までとの出来不出来比較)と自己申告内容にかなり開きが出始めてたので、その差分(実態と自覚の開き)の事実確認と今後のアドバイスを家族にも理解してもらいからなのだそうだ。

そして月を変えて診察に行く度に、言われる事が変わってきた。

最初の頃は宅内の歩行時の注意点やら外出時の動き方の指導だった。
それと普段は処方された薬(毎日10回)を必ず飲む+毎日適度なリハビリ運動は絶対。
それが月を変えて受診に行く度(母の病状もどんどん進行しているので)悪い方へと話しが向かっている。
そして先月から言われ始めたが今月はキッチリハッキリ言われてしまった。
「これ以上悪くさせないためには専門の施設に入りなさい。施設に入りたくないならば、一人での外出は絶対にダメ。家事もだめ。家の中の歩行器も外出用と同じ転倒しない大型のにしなさい。」と。

老夫婦が住むにはややゆとりがあるサイズの我が実家だが、さすがに宅内で大型の歩行器はあちこちにつかえまくって使い物にならない。
今は小型の歩行器を使っているが、小型故に重心が安定せず、だからよく転ぶのだ。

今月の診察終了時、お袋を待合室に行かせた後で医師に聞いてみた。
「これじゃ施設に入らない限りは事実上の寝たきり老人になれ、って事ですよね?」
返ってきた答えは大体予想通りだった。
「あそこまで進行してしまうと普通の広さの一軒家程度ではすぐに転んでしまうよ。(実際、今でも毎日5~6回は転んでる。)パーキンソン病は脳の病気。転倒の衝撃はどこをぶつけようが必ず脳にも来る。そのせいで酷くなった可能性が大きい。私の診た患者でここまで一気に加速した人なんてほんの一握りだが、その人達は大抵、しょっちゅう転んでた。となると、今の住まいは転び易いのだから転ばない環境に変えるしかないんだよ。」

施設には絶対入りたくない!と豪語しているお袋だが、さすがにそろそろ観念して説得しなきゃいかんかな、と迷いだした。
半面、今年、親父が事実上のそういう施設に入ったばかりでもあるので、立て続けにそうなるのはどうなのよ?って思いも交錯した。

医師に同席していたカウンセラー?ソーシャルワーカー?の尾根遺産にも言われた。
「ご健康なまま動きやすい広さと日々のリハビリサポートもしてくれる施設となると、月額25~30万円はかかりってしまうんですよ。。。」とな。

それくらいの費用がかかりそうなのは下調べ済みなのだが、専門の人からはっきりそう言われたのはショックだった。

はっきり言って金が足りないのだ。
親父の入院費だけでも毎月20万近く支払って夫婦2人の年金はほぼそれだけで飛んでしまっている。
だからお袋の日々の生活費は貯蓄の切り崩しに頼ってる。
暴露するが、推定貯金額と自宅を売却しても2千万あるかどうかしかない。

ウン千万円も資産があると聞くと、十分な老後資金に思える人が多いでしょう。実際、オイラも親がこういう状況になる以前まではそう思ってた。
ところが施設に入るとなると話しは全く違う。
月30万円だとすると年間では360万。資産が2千万しかないとするなら満6年も持たせられないのだ。

母の要介護認定のレベルは5段階中、真ん中の「3」。
この3以上の介護度であれば、いわゆる特養施設へ優先順位的にも費用負担的にも少なく入所できるが、それでも月15万近くはする。・・・11年分しか無い計算。
この先、20年も長生きするとは思わないが、少なくとも10年以上は裕に生きる筈。だとするとやはり資金が足りない可能性大。
また、その程度の施設だとリハビリ器具やスペース、リハビリ専門の介護士も居ない。早い話し、病気の進行をさらに加速させてしまうことになる。お袋はそれが嫌で一般の特養に入るのは特に嫌がっている。


今のところオイラの自己資本を持ち出す事はしない前提で考えている。
いや、うっすら持ち出す事を考えていたが周りから諭されて抑制したってとこかな。
セコいとか無情と思われるかもしれないが、それをしてしまうと自分自身の将来の老後資金を使い込む事になるので、それだけは最後の最後のほんとにどーしょもなくなった時以外は考えるなと、介護経験を持つ友人や先輩からも、叔父叔母からも強く言われてるから。

確かに、これが他人事だったらオイラもその相手にそう強く言うだろうな。。。どう見ても負のスパイラルにしかならんな、とすぐに気付いた。
車の修理代みたく手術代のような一時的な金だったらともかく、最長で20年くらいだろうか、どれだけ続くか全く分からない長期入所に自己資金も注ぎ込みだしたら、間違いなく自分の老後になった時に今度は自分が苦しみ、自分の子に迷惑をかけるからだ。


本格的に介護を初めてまだ日は浅いくせに、日々の介護や介助にそこそこ疲弊してきている。
だから上に書いた予算不足をついつい忘れて母にこう言いたくなる時もある。
「もうここまで十分頑張って生きてきたんだ。特養でのんびりとした老後を過ごそうよ。」と。
しかしこの言葉はなかなか言えん。
血を分けた子供からこの言葉を言われたら「さっさと厄介払いしたいのだろう」としか思われないからだ。

さすがにもう1段か2段、疲労がより厳しい段階になったら言ってみるかもしれないが。。。

金が無いとは言っても多少はあるのだ。
あと何年~10年かは在宅のままで頑張り、その多少の資金だけで支払い切れる年数で入所と余命を過ごしてもらう、って感じで行くしか無かろう。
問題は、介護する側のオイラ達家族がそこまで持ちこたえられるか、だ。



嫁の母親もまた新たな段階に入ろうとしている。
半年前に介護ヘルパーを大量投入したおかげで、子供(嫁と嫁の弟)の負担が削れて一時は落ち着いていたのだが、どうも最近また認知症がさらに進行してややこしい事になりそうな雰囲気だ。
ヘルパーさんの手に負えない事をやらかしてしまう頻度が多くなってきたのだ。
そうなると以前と同様、毎朝毎晩だけでなく昼間も様子見に行って色んな家事をしなければならなくなる。
嫁も仕事を持っているのでそう簡単には対応できんし、弟は関西に居るので尚更無理。


こういう事が重なると、ほんと良い事を考える事ができなくなってしまう。

そう考えずに、前向きに、前向きに♪、と考えようとすればするほど、「嘘の前向き」「ポジティブ・バカ」としか思えなくなるのだ。
そういや某みんともから「便所100ワット」・・・無駄に明るい・無意味に明るい、って言葉を教わったっけ。
そうはなりたくはない。

まだまだ介護初心者だからそういう思考に陥ってしまうのは仕方ないらしい。
適度、あるいはそれ以上の息抜きの時間を作らないと、ほんとどこかで破綻してしまうわ。


そんな折の先日、NHKスペシャルで「介護殺人」なる特集を見た。
読んで字の如しの内容。介護に疲れて家族が殺めてしまう、あるいは家族に懇願して殺めてもらう、そんな事件は平均で2週間に1度も起きている現実とその内情の特集だった。


オイラはまだまだ親を殺したくなる気にはなってないが、このまま介護疲弊が進んでしまうといつかそういう思考を持ってしまうんじゃないか、って不安を常に持っていた。ならば今のうちにどんなもんか予習して対処しよう、って前向きな気持ちで見たのだが、、、







内容的には当事者自身の生々しいインタビューやアンケートからの分析に終始し、解決策はおろか、そのヒントすらも無いままで終わってしまってた。
そのオチにえらく落胆した。
NHKに文句を言いたいのではなく、国に金がないから行政はほとんど動けないままなので他力本願では何もできない、自身で切り抜けるしかない。それが今の「元」経済大国の日本、経済衰退国になり始めた日本の現実なんだ、と。

でも、この番組で一つだけ心の支えになる部分はあった。
オイラと同い年の男性が母親の介護をするために止む無く退職。いわゆる介護離職をして日々の介護にあたってる人物が出たのだ。
その方には非常に失礼な発想ではあるのだが、「同い年だけど俺はまだ離職しなければならない程には至ってない。そこまで行き着いてないのだから実は俺にはまだまだ余裕はあるのだ。」ってところだね。
傍から見たらなんともみみっちくセコイ発想なのだが、ほんと、そういうところでも心の拠り所を作らないとやってられんのだ。



今の親父とお袋を見て、人生の末期ってのは、ほんとどうなるのか全く分からんな、とつくづく思うようになった。
若い頃からも漠然とそうは思っていたが、親の変わり様・・・見た目は勿論、考え方も180度正反対に変わってしまうのをこの目で見てしまったのだから、ほんと痛いほどに感じる。

10年くらい昔までは二人とも「俺が/私が老いぼれてどうしようもなくなったらさっさと施設に放り込んでくれ。そのための貯金はある。自分の子供の世話にはなりたくないからな!w」というのをしばし口にしていた。

しかし現実はそうではなかった。
親父の場合は長期療養病院に入れてみたら、しばらくは脱走を試みては暴動するわ、制止する看護師を押し倒すわ、館内に響き渡るほどの大声で「家に帰らせろ!」と騒ぐほど拒絶。
落ち着くのに2週間くらいかかった。

医者に言わすと、認知症にもなってしまったので尚更に不慣れな場所に対しての拒絶反応が大方を占め、真の帰巣本能はあまりないはず、との事だが、息子からしてみれば「引き際はさっさと施設に消えるよ」的な事を豪語してた父親がこうも変わってしまった事に驚くばかり。

今でも面会に行くたびに「おう、迎えに来たか。じゃ、帰ろう」という始末。
他の話題に振ってしれっと帰るようにしてるのだが、毎回その話題作りに苦労と罪悪感を感じる。


お袋も然り。
7~8年前だったか、パーキンソン病だと分かったしばらく後に「お前達には迷惑をかけたくないから、お前たちの世話になり始めたら観念して施設に入る」と言っていたのだが、そんはなっていない。
最近は土日は勿論、平日も仕事帰りに毎晩様子見+家事をしに行くほどに世話をしてるのだが、「私(の身体)はまだ動くから大丈夫。施設なんて地獄みたいなところには行きたくない」と言う。
パーキンソン病患者の介護を多く見てきたケアマネージャー氏からも「もうそろそろ歩行器での宅内歩行もできなくなります。ベッドだけの生活に専念するよう自覚して頂くか、施設への入所を」と医師と同様の事を言うのだが、本人は一向に受け入れる気はない。
むしろ、その方向へを話しを勧める人を皆「敵」として見始めてしまってるのが最近の傾向。
後に母の友人から聞かされたが「あんた(俺)やケアマネージャーの事、愚痴ってたよ。私を殺そうとしてるって」。
・・・独学なりにもパーキンソン病による症状を色々学習してたので大きなショックではない。パーキンソン病患者が比較的なりやすい鬱病による被害妄想なのだ。作話をしてまで妨害する相手を排除しようとしてしまうのだそうだ。
まだ初期レベルながらも認知症も始まってきてるから尚更そういう思いも強くなるのだろう。強固に保身したがるとも言うのか。まるでどっかの○氏と同じだな。。。
こうなると反抗する気にはなれず、ただただ愕然とするばかり。

さっきも書いた通り、10年くらい前の宣言?仮の遺言?とは全く逆の言動となっているのだ。
勿論、それには呆れてはいない。老人になっていくと急激な変化がさらに不安を与えてそうなってしまうのだろう。
と思うしかない。


それよりも、自分の将来に対する不安が大きくなっているのが最近の傾向か。

オイラは現在51歳。お袋の歳になるまでまだ24年、親父の歳にはさらに7年もかかる。
こういう親、というと語弊があるな、、、どんな老人でも平穏な生活が一変してしまう健康上の大きな変化が起きると、それまでの人生観から大きく変わってしまうのだと思うと、つくづく長生きしたくないな、と思うようになってきた。

そもそも「健康で長生きしましょう」と昔からあちこちで言われてるが、長生きしたところでどういう恩恵があるのだろう、とずっと疑問なままだったし。
所詮、今の医学では10年20年先にどんな病気になるのか・ならないのか、なんぞ判りっこない。いや、判る医学があったとしても人間倫理的にそれを知らされるのはどうかと思う。
若い頃ならば大病してもまだリカバリーできる確率もチャンスもあるのだが、老後にそれでは立ち直れない確率の方が高いのも事実。
だからそうなる前にこの世から去りたいな、と思うようになった。
何よりも、オイラこそ自分の子供には迷惑かけたくないからね。

そしてもっと怖いのが、今でこそ「自分の子供には迷惑かけない」と言ってるものの、いざ高齢+大病になったら我が両親と同じように手のひらを返してしまうのではないか、と。

だから尚更、そうなる前に人生を終えたい。
ほんと、つくづくそう思うようになった。


そういえば、日本では一億総活躍社会を目指そう、と政府は躍起になっている。

それ自体は異論も反論も無い。細かい不満や愚痴はあれど、大枠では大賛成。
少子化ニッポンなんだもん。少ない人数の若い世代が納める税金だけじゃ日本は立ち行かないのは目に見えてる。
年寄りも稼いで納税しなかったら自分達の子孫世代にふっかかるし、その頃の莫大な後期高齢医療費なんてそんな少人数の世代で負担できるわけがない。
「保育園落ちた。日本死ね。」なんて言われるように現時点ですら若い世代への満足な養育環境が無い国なんだからね。

そういう観点でも、定年を迎えたらそこでポックリと逝くのが今の日本にとって一番有り難い国民なんだろうかな?と思う。
働いてる間はせっせと納税。65歳でも69歳でも年金は支払われるのではなく国に入金されるのだから赤字を少しずつ軽くしてくれる。そして定年後の年金支給前にポックリ逝ってくれれば国は年金も後期高齢医療費も支出せずに済む。これが国民レベルでできる赤字国債軽減化の道なのかなー、と。

自分が納めた金が年金として帰って来ないなんて許せん!・・・昔はそう思ってたけど、少ない若い世代に社会福祉(保育所・学校の費用負担軽減等)を手厚くしてやらにゃ、日本のこの先は無いよな、だから俺らおっさん世代が泣くしかないんじゃねーか?と思うのです。


だからと言って勿論、定年直後に自殺しようとは思わんけどね。
それだけは人として卑怯な死に方だと思ってるからね。

理想なのは定年直後に何らかの突発性疾患で急死するってやつだね。
・・・宝くじを当てるよりも難しいよな。。。


死ニ方、用意。
真剣に考え始めよう、と思う今日この頃です。



追伸:
冒頭にも書きましたが、こうやって愚痴を撒く事で士気を入れ替えようとしてますので、ご心配には及びません。
友人達との飲みでもぶちまけつつも、なまじオイラの両親も良く知ってるダチ達なので吐ききれん部分もあり、文字の世界にぶちまけてみた、というか(^^;

さらにお恥ずかしい話し、介護ストレスが最高潮になった日などは、自宅では爆発させんよう黙っていても娘には殺気が分かるそうでビビってるそうです(^^; なので他のとこに吐き垂らしたってとこでもあります。

泥酔でもそうですが、吐けば楽になるんです(笑)

これが不快に思う方は遠慮なくみんから事務局へ通報してください。
Posted at 2016/10/31 01:03:52 | コメント(3) | トラックバック(0) | 介護 | 暮らし/家族
2016年06月08日 イイね!

みんカラ登録して3年

みんカラ登録して3年

みんからに登録して今日で3年が経ちました。

前車のフォレスターの納車を期に始めたんでしたっけ。
「明日(6/9)が納車だからこれを機にみんカラやってみっか」
って、なんも深く考えずに登録したんでしたっけね。

あれから3年。
ほんとだったら「フォレの車検に〇万円も飛んだよぉ~、金ねぇよぉ~(;_;)」
と泣いてるブログを書いていたのかもしれません(^^;

あの事故さえ無けりゃねぇ。。。
ま、半年前の悲しい事を再び書くのも何なのでその件は触れないでおきましょうか。。。
そもそも「たられば」言って事が変わるなんてことはないんですからね。


レヴォーグは納車してまだ半年にも満たず。
走行距離もフォレの頃と打って変わってさほど伸びずで、今日時点で3756km。


フォレに乗ってた頃の半分程度しか走ってないペースですね。
なのでみんカラ3年に相応しいネタなんて無いですねぇ(^^;


今月末に新車無料6ヶ月点検に入庫させる予定ですが、点検パックに加入してるお蔭でオイル交換も無料で行われる予定です。
でも、1ヶ月点検時にも無料オイル交換してもらってるのですが、その時の距離が1186kmなので、差し引き僅か2700~3000km程度で交換するんですよね。
勿体ないから交換せんで返金してくれないかなぁ~?(^^;←無理だっつーの

距離が伸びない理由の多くは、親を載せて静岡往復する頻度が激減なのと、仕事と介護多忙で遊びに出かける時間が滅多に取れない、事によるものなんでしょうねぇ。

しかしまぁ、介護で多忙になったと自覚はしてたけど、こうしてクルマの走行ペースの激減ぶりを見ると改めてそれが実感できますね。

■■以下はクルマ以外の近況。興味ない人はスルーください■■

介護で多忙。
勿体ぶっても判りにくいだけなので暴露しますと、親父は先天的な腎不全で10年前から人工透析をしてる身です。お袋は5年くらい前にパーキンソン病が発覚し、数年前からいよいよ発症~進行してきてます。
なので、「いつかは介護多忙な生活になる」って覚悟はしてたんだけど、まさかこんなに早く父母それぞれが大変なことになるとは、今年に入った頃になるまでは思ってもみませんでした。


3ヶ月くらい前に書いた親父のその後ですが、
親父の体調悪化、、、具体的に書くと、今年入って間もない頃に脊髄の神経圧迫で腕が動かなくなってしまったので、3月に整形外科手術をするべく入院しました。
当初の予定では、リハビリも含めて短ければ3週間、長くても1ヶ月半で腕が動くようになって退院できる筈でした。

ところが、書き出したらただでさえ長いオイラのブログの10本分にもなるほどの長さの色んなことが入院直後に起こり、その後の経過も芳しくなく、手術を断念せざるを得ない事態になってしまったのでした。
はい。。。腕が動かないのはそのまま、それだけじゃなく自立歩行もできないほどに脚力も衰退し、車椅子じゃないと移動できないまでになってしまいました。
さらには入院直後から起きた様々な事で入院が長期化し、イコール、ベッドだけでの生活時間が長くなったのが災いして認知症も発症。
そして病院からは「ウチは治療目的の病院なので手術できなくなった人は置いておけない」と退去宣告。
まー早い話しが病院に見捨てられた格好ですわ(-_-;

パーキンソン病で弱り始めた母親との同居なんてとても無理。オイラ達が同居やヘルパーさんの来訪頻度を多くしても対応できない時間帯が多いのでやはり無理。
結局、長期療養病院への転院を余儀なくされてしまいました。
はい、お気付きの方も居るでしょうが、もう恐らく一生自宅に帰る事が出来ない身となってしまったのです。

実はもう少し様子を見ないと断定できませんが、転院前の病院の扱いが杜撰だった故にこうなった疑惑も浮上してます。
が、それはもう少し様子見をしてから。。。
でも、どちらにしても、その当時の体調と各方面との意見を合わせると長期療養病院に転院するしかありませんでしたからね。


まさかそんな顛末になるとは家族の誰一人として予想していなかったので、残念とか無念とか、そんな言葉にもならないくらい、全員が「え?(・_・;」って感じのままです。


そんな後味が悪いひと区切りを迎えたのはつい先週の事でした。
これからも長~い介護生活の中でこの2~5月の4ヶ月なんてクソ短い筈なんですけど、オイラに言わせばとにかく忍耐力が求められた濃過ぎる辛い4ヶ月でしたわ。
着替えやこの入院生活で自力や介助付でもトイレに行けなくなったのでオムツの調達持込み、その他も平日昼間に担当医に呼び出されては経過報告と善後策検討。
嫁も後述する自分の親の介護で忙しくなったためオイラがそれらにも対応する日も多く、何日も会社を休んではこれらの事をこなす。
職位上、表向きでは休暇であっても会社から電話やメールはバンバンくるわ、今だから笑い話ですが一時はノイローゼになっちゃうんじゃないか、ってくらいに混沌としてました・・・。←ま、自分でノイローゼになるかも、って言ってるうちはまだ大丈夫♪
そんな生活に比べたら今後お世話になる転院先の長期療養病院は、着替えも何も全て病院側が面倒見てくれるので、それらの負担が無くなるのは正直に言ってしまうと「やれやれ・・・(-o-;ホッ」なところが大きいです。

もっともその分、入院費が巨額になるなので親の資産管理もやらんといつかショートしそうな気がするのでそれはそれで新たな心労が増えるかもですね。。。


一方で親父が入院した頃からお袋の持病…パーキンソン病の症状がまた一段と進行してます。
なので、今後はお袋の介護で多忙になりそうです。
最近では歩く一歩が数cm程度。言葉を話すのもなんとか通じるくらいになってきました。
ここまで一気に症状が進行するとは、親父の入院前の頃には思ってもみませんでした。
きっと今までは、同居してる親父(夫)の世話をしなきゃ、って意識が病気の進行を遅らせていたのに、入院で家から居なくなった=独りになった事でそういう意識というかモチベーションが無くなったからなんだと思います。
デイサービスや整体に通いまくって必死に進行を遅らせる努力はしてますが、、、本人には可哀想で言えないくらい、傍から見るとこの3ヶ月で酷く進行してるなーって感じです。

主治医に言わすとパーキンソン病の末期近くになってきてるようです。
良くも悪くも死に直結する病気ではないので、介護は中~長期戦が予想されます。


そしてオマケ(?)に今年に入った頃から嫁の母親も体の動きが悪くなり、診察した結果、認知症も併発する某病気が発覚。
その介護も本格的になり始めてます。
5月の連休時期もちょっとした不注意で下半身が動かなくなってヒヤリとしましたが、5日くらいの静養入院でかろうじて復帰。
手術をすればある程度は良くなりそうですが、効果は5年程度しかないようなので、目下、手術するべきか、高齢だから諦めるか、嫁と義弟が検討中。




まぁ、、、




ほんと、、、




つくづく、、、




介護な年頃になったのねぇ、、、(-o-;ハァ

と改めて痛感しとります。



もうね、レヴォーグにあれやこれやのパーツを付けたりする気にならなくなりました。
4月の感謝デイの時期に「気晴らしにSTIタワーバーでも入れるか?」と思ったものの、無くたって十分走るんだし、で結局は発注せず。
相変わらずたまに箱根に行きますが、なんかもう、ノーマルで十分じゃね?って感じなんですよね。
普段はモコを乗り回してるせいで、「モコに比べりゃ超高級な脚じゃん」って思ってしまうのも現状満足の一因なんでしょう。
でもま、フォレスターから剥ぎ取ったままのパーツは勿体無いから暇をみて付けるつもりです。


クルマのオフ会っつー気分にもなれなくなりそうな予感すらしてます。
親父の転院が決まった時、
「そうだ♪レガレヴォセッションズなるオフ会が有ったっけ♪息抜きに行ってみるべぇ~♪」
と思うも、申込みサイトを見たら満員御礼&多数のキャンセル待ち状態!(・_・;
今までのオイラなら悔しがる筈なのに「ま、いっか、家でのんびり寝るべぇ♪」なんて思う始末。

ま、介護生活にもっと慣れるとか、もう一段落を迎えないとそういう気にはなれないんでしょうね。。。



子育てが終わりに近づいて、よぉやっと少しは自分の好きに金と時間が使えるかな、
と思ってましたが、こうなってしまったのも、ま、これも一つの人生ですよね。

大変だねーって見舞いの言葉を貰っちゃいそうな内容でしたが、前向きにこじつければ
今の現実のように介護が全員まとまってくれれば、それだけ時期がバラバラにはならん=後年は早く楽になる(かも)と携えるようにしてるので、長期視点では全く気落ちはしとりません♪
ですのでお心遣いは全く無用です(^^)
愚痴としてブチ撒けておけばまた勝手に生き返るタイプですんでw


それよりも、こういう高齢者への医療や介護負担が大きくなってる時代だっつーに、
ほんとに消費税を上げなくて良かったんか?
の後期高齢者補償への不安の想いのが強いですね。。。

大きな声、じゃないか、大きな文字では言えませんが、
親父のような後期高齢+身体障がい者の入院・医療費は殆ど国のお世話になっておりました。
はい、皆様からの血税からの補てんもあった、って事です。ありがとうございましたm(_ _)m
さすがに今回の長期療養病院では自己負担だらけになりましたが。。。(>_<)
そういう人口がまだまだ増える日本の年齢分布からすると、それを見据えた増税は嫌だけど受け入れざるを得ないと思ってたんですよねぇ。



てな訳で、毎年のこの時期=みんカラデビュー日の前後にタイトルを更新しているのですが、
今年はそういった近況に自虐じゃなく、気を持ち直させるため、こんなタイトルで1年間やってこうと思います。

ま、人生なんてこんなもんだ♪

背景の絵柄は変更検討中・・・。


ってなわけで、相変わらずみんともさんの記事すらあまり見て回れない状況下ですが、自身の記録+たまのコメントと何シテルでボチボチと続けて行こうと思います。



こんな奴で良ければ引き続きお付き合い、よろしくお願いしま~すm(_ _)m
Posted at 2016/06/08 23:58:17 | コメント(9) | トラックバック(0) | 介護 | クルマ
2016年02月28日 イイね!

疲弊と安堵と

つまらん独り言なので読まんでいいです。。。


当時(昨年)のブログに書いたが、昨年、両親が共に運転する事を放棄し(…正確には放棄させた、か)、以後はオイラや嫁が日常の足となって買い物やら病院の送迎運転をしている。
そうなってから半年以上が過ぎたかな?

最近、しばし思うのだが、これで良かったんだろうか?と。
当時、あまりに運転が不安定になって来たのでこれ以上運転させるのは危ないと思ったし、むしろ世間的に見れば少し遅かったくらいなのだが。。。

しかし運転放棄直後からみるみる体調が崩れてきたのだ。

老夫婦二人だけの家庭にとってクルマは本当に必需品。
20年位前だったら徒歩で数分圏内に八百屋も肉屋も魚屋もあったが、今はない。
後継者が居なくて店を閉じたらしいが、何よりも大型スーパーの台頭が一番の原因だろう。
だから今は老人の徒歩ではかなり厳しい数km離れたスーパーに行くしかないのだ。
そのためにはクルマは無くてはならないアシなのだ。

そのクルマが運転できなくなった、というのは生きていくモチベーションを1つ削がれた感じなのだろうか?、と。
勿論、今さら再び運転はさせられないが、モチベーションの1つだったのならば本当に申し訳ない事をしたと思うのだ。

また、オイラや嫁が運転手をしてる、と言っても、仕事や嫁側の親の介護も発生したので両親が希望する日時に合わせられない事も多い。
だからそれも親にとっては少なからずイラツキやストレスにはなっているだろう。

それらが体調悪化に拍車をかけてるような気がしてならない。


そうなのか違うのかはともかく、先週に親父は立て続けに2度も救急車を呼んでしまうような怪我をしてしまい、当初予定していた別件の手術のスケジュールが危うく変わってしまいそうにもなった。

親父は典型的な昭和1ケタの人間で、ちょっとやそっとの事で自分の事を口には出さない。
…そのくせ他律要因にはブータラ言うのも昭和1ケタだが(^^;

10年くらい前から持病の悪化のせいもあって趣味の園芸を続ける気が失せ、今は無趣味。
家で飯を食うか、新聞かテレビを見るか、近所の自販機にジュースを買いに行くか、寝るか、のどれかしかしてない。
「そんなんじゃつまんねーだろ?何か他の趣味を見つけたら?」
と言っても
「めんどくせーからもういい」
だそうだ。

口悪く言ってしまうと、このまま死がやってくるのを待っているだけのようにも見えるのだ。
血を分けた息子から見ると不憫でならない。

その一方で、親父には悪いが「こういう老人にはなりたくねー(>_<)」なんても思う。
が、それは今の歳だからそう思うのであって、いざ自分が今の親父の歳になった時はどう思い、どう行動するのだろうか?
と怯えるようにもなってる今日この頃でもある。


オイラもとうに人生の半分を通り過ぎたはず。
いや、織田信長に言わせば「人生五十年」だからもうおしまいか。
それはともかく、人生の後半戦にとっくに入っているのに、自分の人生の終焉をどうすべきか、というのをそろそろ真剣に考えなければ、と親父の背中を見るにつけそう思う今日この頃でもあるのだった。


昨日は病院を3軒送迎し、今日も実家の雑務や嫁実家の雑務や買い物もこなし、帰宅したのは22時過ぎ。
平日は仕事で残業も多く、休日も親の世話とかばかりしていると、自分の時間が持てないストレスを感じ始めてる。
…実のところ先週のプチ飲みオフ会も、たった半日とは言え久々の優雅な休息タイムだったのだ。


22年前、長女が生まれてからしばらくも仕事と育児ばかりに翻弄して疲弊した時期もあったが、あの頃は「こいつ(娘)が大きくなっていく」という楽しみがモチベーションとなっていたので、結構大変ではあったが今では楽しかった思い出しか残ってない。

親父やお袋がいつか死んだら、「あー、世話してる時は大変だったな」が笑い話として言えるようになれたらいいな。。。


そういえば、昨日は応援に来ていた長女を居候先に送る際、長女自身に運転させてみた。
当初は娘の免許が取れ次第、モコを適度に貸してやる、って約束だったのだが、ここ最近の親の急激な体調悪化で緊急時に備えて貸せずにいたままだった。
なので、この日の運転が免許取得後の初運転だったのだ。

「おとん(オイラの事をそう言う)と一緒だと文句言われそうで嫌だなぁ~(-_-;」
とのたまう長女を強引に運転席に座らせ、出発。


塀が邪魔して見にくい交差点をいくつか曲がらせたり、細い路地に入らせ、コンビニで何度か駐車させてみたり。

もう、大笑いした。

娘 「なに?ナニ!? そんなにド下手??」
毛 「ちゃうちゃう。おかん(嫁)より遥かに上手い!合格!」

お世辞抜き、親バカ抜きで、免許取り立てで初運転にしてはドッシリ構えたアクセルワークとハンドルさばき、前方や後方の注意もしっかりできるわ、何よりも車庫入れが一発でほぼ枠内に入れてしまうのは驚いた。

22年前は泣くか笑うかミルク飲むか寝るか、しかなかったこの娘が、べっとりウ○チのオムツをしばし換えてやったこの娘が、今では親父(オイラ)が驚くほどの運転さばきを披露できるなんて。。。

なるほどな。
俺の親父もモーロクしたが、自分自身も歳をとったんだな、と改めて痛感した次第。

これならオイラや嫁に何かあっても、娘が手助けしてくれるのかな、と淡い期待もしてしまった。
そして居候先に着くまでの僅かな時間であったが安心して居眠りさせてもらったのだった。
・・・どんなに眠くても嫁の怖い運転では絶対に寝ない(怖くて寝れない)オイラが寝てしまった事に、娘は喜んでくれたらしい。

疲弊の日々ではあるが、こうした安堵がたまにあるから
我が人生もまだまだ捨てたもんじゃないな。
Posted at 2016/02/29 02:25:47 | コメント(8) | トラックバック(0) | 介護 | 暮らし/家族

プロフィール

「@LAPUTA ほんとお久しぶりです!ここ数年は仕事も最後の追い上げとばかりのハゲしい鞭に叩かれながらなのでみんカラはほぼ休業してました。たまーにはボチボチ書いてみたいなーと思っとります。」
何シテル?   03/31 20:30
【お願い】 こんな奴のフォロワーになって頂くのは一向に構いませんが、フォローのお願いメッセージはご遠慮ください。現在あまり余裕が無い(書くだけで手一杯)なので...

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