
って重そうなタイトルですが、所詮はオイラが書くブログ。重いのは本人の体重だけです(^^;
傍から見れば単なる介護疲れの愚痴ブログだと思います。
愚痴=毒ガスはさっさと吐いて気を入れ直そう、的なノリで書いてます。
ですが、介護と無縁な人が読んでもピンと来ないでしょうから読まずにスルーする事をお勧めします。
読まれてもお気遣い無用ですし、ハゲ増し等のコメントをされるとそのコメ返書かないと(・_・;って焦りが出るので、できればコメントはご遠慮願いますm(_ _)m
ただし、苦言、あるいはご経験者からの経験談や有益な情報はいただければ、と。。←わがままなやっちゃ
今月は、ほんと散々な月で始まり、そして終わりそう。
いや、来月以降もまだまだ散々な状態が続くと思うと、、、いやいや、考えるだけでも恐ろしいからやめとこっ(>_<;
半月以上も前、数名のみんカラメンバーさんと飲み会をやったのだけど、その時点では翌日にそのブログを書くつもりだったんだよねぇ。。。
なのに、その飲み会の日の昼間に突発的な緊急介護に追われ、書こうとしてた翌日も朝からバタバタと介護に追われ、、、
もぉ~~~~~!
ですわ=3
あんまり書き過ぎても不幸自慢にしか見えんだろうから詳細は控えるが、、、
・・・と言いつつ、書き出したらガス抜きとなって多少は書いてしまったな↓(・_・;
親父への介護というか看護の時に学んだ事。
それは一般的な老化に伴う体力衰退、初期レベルの認知症、との付き合い方。ってとこだろうか。
介護も看護も学生時代に習っちゃいないし、まー仮に習っていたとしてもその当時に介護対象者が居なかったので真剣に習う気なんてさらさらも無かったろうね。
介護って、仕事以上に「人」と接するし、一番厄介なのはその相手は血がつながった肉親なので、感情的に割り切れない・煮え切らない、なんて葛藤はしょっちゅうなんだと理屈じゃなくて頭と身体で本当にそう感じた。
だから、高齢社会・介護社会と言われて久しい昨今、介護士さんや介護ヘルパーさんのお仕事を見てると「大変だなー(>_<)」「真似できん!」と思ってはいたけど、肉親の介護をしだして感じたのは「なるほど、身内じゃないから割り切って仕事できるんだな、だから仕事として続けられるのか」とも思えるようになった。
それでもたまに介護士によるとんでもない事件も有ったりするから、介護士さんにおかれてもかなりのストレスはあるんだろうけどね。。。
以前のブログにも書いたと思うけど、親父は目的の整形外科手術が出来なくなり、長期療養病院へ転院してしまった。でもそのおかげで看護・介護の手間は殆ど省けるようになれた。
それでもたまに身体が異常が起きる度に他の病院への送迎と立ち合いがある。
(長期療養病院って事実上の特養施設と何ら変わらんから、何か異常が起きる度に他の病院に連れ出さなければならないのです。)
たまの事だから気持ちよく対応してやらにゃあな、と自身に言い聞かせても、いつもいつも、その病院送迎をする日に在宅中のお袋が転倒して怪我、、、それの病院送迎も同日にしなきゃならなくなるので、親父の送迎もほんと鬱になる。
因みに最近の親父はとうとう自力で歩く事が出来なくなり、車椅子での移動しかできなくなってしまった。
なので、上に書いた他の病院への移動は介護タクシーを利用している。

料金は思ったよりはリーズナブル。
通常のタクシー料金(身体障がい者ならば公的割引も有り)と1000円程度の介助代的な費用のみ。
但し迎えに到着した瞬間からメーターのカウントを始め、病室まで迎えに行き、到着先に着いたら停車~介護者を降ろした瞬間まで、ってところが細かいところで普通のタクシー利用とは違うところ。
先日も片道4km程度の病院搬送をお願いしたが、片道あたり約3000円。
尤も帰路も同じくらいの金額を払うし、診察の結果さらに2回通院となったので+2往復(合計3往復)。総計2万円近く也。。。決してばかにならない金額である。
昨年末、事故でほぼ廃車となってしまったフォレスターの後継車両を選ぶ際、一瞬は「近い将来に備えて車椅子のまま載せられるクルマにした方が良いのだろうか?」と一瞬は悩んだ。
が、「そんなのはまだ数年は先の筈だから今の時点では必要無し!」として検討対象外にしてしまってた。
でもフタを開けてみたら年明けから予想外の展開ばかり。あっという間に親父は車椅子の必需者。
だから今にして思えば昨年の買い替えの際、その手の介護車輛を買っといた方が良かったのかな、などと思うこともしばしば。
とは言ってもその手の車って非課税とは言え、えらく高額なんだよね。。。
ヴォクシィでさえ
シエンタや
フリードも
特装費用でどうしても高額になっちゃうんね。。。
「こんなに高いくせに走りが楽しめなさそうなクルマなんて買えん!」
と思ってしまうのです。
・・・まだまだ介護初心者であり、介護者としての自覚が足りないんだろうね。。。
なので、当面は介護タクシーで様子見かな、と。
確かに一度通院し出すと結構な金額となるが、行かない時期はほんとしばらく行かないので、このペースならタクシー代は年間7~8万で済みそうな雰囲気だしね。
なので、お袋もいよいよその手の車じゃないと移送できなくなってきた時に真剣に考えるだろう、
と思う。。。多分。
そのお袋の話しになるが、今はそのお袋への世話?介護?で参り始めている。
少し上に書いた、親父への介護で要領を学んだ、というのがほとんど通用しない別パターンなので一から勉強し直し、ってのが現状か。
お袋は親父が在宅していた今年の2月まではまぁまぁ調子が良かった。
調子が良かった、と言っても進行性のパーキンソン病患者だし、歩行器(乳母車のような押しグルマ)が無いと歩けない身である。
かなり前にも書いたが、昨年の初夏に親父とお袋は車の運転を放棄した、というか半ばオイラが強引にモコのキーを取り上げ、その直後に体調と言う名の階段を一気に5段~10段も落ちたようになってたのだが、その後はその落ちたレベルのところでまぁまぁ落ち着いていた。
そして今年になって前述の親父の入院、そして長期療養病院へ転院、となったのでお袋は親父への世話の負担が無くなる事に安堵し「これで病気の進行は落ち着く」と喜んでた。
…おいおい、仮にもあんたのダンナだろ?一生自宅に帰って来れない事を露骨に喜ぶなよ、とは思ったが、お袋はもうこの時点で自分が生き続ける事だけで精一杯な思考しか持たなくなってきていた様子だから仕方ないのかな。
それはともかく、俺はお袋の思惑とは逆の事を警戒してた。
親父の世話から解放される。確かにそれは特に心労的負担が無くなるので良い事だと思う。
しかしだ。その世話をしなくなるって事は自分のライフワークが無くなるのだから「楽になる」よりも「気が抜ける」んじゃないか?と。だとするとパーキンソン病の性質からするとかえって危険では?と思ってた。
残念な事にその思惑が当たってしまった。
親父が最初に入院した頃から間もなく8ヶ月が経とうとしているが、それ以前の1年~1年半分くらいの老化+病状進行と同じくらいに悪化しているのだ。明らかに病状の速度が加速してるのだ。
医師にもそこを指摘され、リハビリや軽い運動をしろ、散歩しろ、と口酸っぱく言われとるのにちっともしない。
息子に言われても「私は今まで父さんの面倒ばかりして疲れたんだ。これくらい好きにさせてくれ。」と言い逃れ。
これがもし本人が「私はもう病と戦うのをやめた、成すがままを受け入れる」と諦めてるなら好きにさせるところだが、「私はまだ動きたい、旅行にも行きたい」を口癖のように言ってるのだからリハビリも薬もしっかり守ってくれなきゃいかんのに、のんびりするわ、薬は(ボケのせいもあって)飲まない時も多いわ、で悪くなる一方に。
今では病状の進行とともに鬱病の頻度も多くなり、そして初期の認知症的症状も散見されるようになってしまった。
家の中は家族か介護ヘルパーが前日に綺麗に掃除しておいても、翌日の夜には床には色んな郵便物やチラシ、診察関連の資料や薬、食事のカスが散乱。決して悪意を持って散らかしてるのではなく、姿勢・態勢的に物を落としやすくなって、また落としてもそれに気付かないとか気付いても後で拾おうと思ってもすぐに忘れてしまう、ってパターン。それがチリツモとなって1日後には「俺、夕べ掃除し忘れたっけ?」と思いたくもなるほどの散らかりようになるのだ。
医師の話しにも触れてしまったのでついでに。。。
お袋は月に一度、パーキンソン病の専門医に診てもらってる。
ちょっと調べれば誰だかすぐ分かりそうな名医らしい。
名医と言っても所詮は現時点の医療技術では不治の病なので治すことはできない。だから「どうすれば進行を遅らせられるか」に特化した医者だ。
オイラに言わせれば医者ではなくかなり優秀なカウンセラーって感じの同世代のおっさんだ。
口は悪いが真剣に患者と付き合うタイプで信頼は置けそう。一度飲みに誘ってみたい人柄。
オイラは半年ほど前からその通院に帯同しだした。
今までは嫁が送迎兼ねて帯同していたが、医師曰く「血のつながってないお嫁さんだとピンと来ないトコもあるから息子も来れたら来てほしい」となってしまったのだ。
・・・おかげでオイラの有給休暇残。今年は親父のドタバタ対応と併せてほぼ無くってしまったわい。。。(-_-;
それはともかく、帯同しだした初期の頃は驚きの連続だった。
お袋は、医師にかなり体調が良い事ばかり=早い話し、嘘の自己申告をしてたのだ。
嫁はさすがに言い出せんかったらしい。
「それ、違うっしょ。いつも転んでばかりしてたからやらなくなったでしょ!」と突っ込みどころ満載。
後で母が不在の時に医師が教えてくれたが、老人の女性患者の大半はそんなもんだそうだ。だから指摘はしても責めたり呆れるな、と。
医師がオイラを呼び出したかったのは、問診時間前にしてるリハビリセンターの診断内容(以前までとの出来不出来比較)と自己申告内容にかなり開きが出始めてたので、その差分(実態と自覚の開き)の事実確認と今後のアドバイスを家族にも理解してもらいからなのだそうだ。
そして月を変えて診察に行く度に、言われる事が変わってきた。
最初の頃は宅内の歩行時の注意点やら外出時の動き方の指導だった。
それと普段は処方された薬(毎日10回)を必ず飲む+毎日適度なリハビリ運動は絶対。
それが月を変えて受診に行く度(母の病状もどんどん進行しているので)悪い方へと話しが向かっている。
そして先月から言われ始めたが今月はキッチリハッキリ言われてしまった。
「これ以上悪くさせないためには専門の施設に入りなさい。施設に入りたくないならば、一人での外出は絶対にダメ。家事もだめ。家の中の歩行器も外出用と同じ転倒しない大型のにしなさい。」と。
老夫婦が住むにはややゆとりがあるサイズの我が実家だが、さすがに宅内で大型の歩行器はあちこちにつかえまくって使い物にならない。
今は小型の歩行器を使っているが、小型故に重心が安定せず、だからよく転ぶのだ。
今月の診察終了時、お袋を待合室に行かせた後で医師に聞いてみた。
「これじゃ施設に入らない限りは事実上の寝たきり老人になれ、って事ですよね?」
返ってきた答えは大体予想通りだった。
「あそこまで進行してしまうと普通の広さの一軒家程度ではすぐに転んでしまうよ。(実際、今でも毎日5~6回は転んでる。)パーキンソン病は脳の病気。転倒の衝撃はどこをぶつけようが必ず脳にも来る。そのせいで酷くなった可能性が大きい。私の診た患者でここまで一気に加速した人なんてほんの一握りだが、その人達は大抵、しょっちゅう転んでた。となると、今の住まいは転び易いのだから転ばない環境に変えるしかないんだよ。」
施設には絶対入りたくない!と豪語しているお袋だが、さすがにそろそろ観念して説得しなきゃいかんかな、と迷いだした。
半面、今年、親父が事実上のそういう施設に入ったばかりでもあるので、立て続けにそうなるのはどうなのよ?って思いも交錯した。
医師に同席していたカウンセラー?ソーシャルワーカー?の尾根遺産にも言われた。
「ご健康なまま動きやすい広さと日々のリハビリサポートもしてくれる施設となると、月額25~30万円はかかりってしまうんですよ。。。」とな。
それくらいの費用がかかりそうなのは下調べ済みなのだが、専門の人からはっきりそう言われたのはショックだった。
はっきり言って金が足りないのだ。
親父の入院費だけでも毎月20万近く支払って夫婦2人の年金はほぼそれだけで飛んでしまっている。
だからお袋の日々の生活費は貯蓄の切り崩しに頼ってる。
暴露するが、推定貯金額と自宅を売却しても2千万あるかどうかしかない。
ウン千万円も資産があると聞くと、十分な老後資金に思える人が多いでしょう。実際、オイラも親がこういう状況になる以前まではそう思ってた。
ところが施設に入るとなると話しは全く違う。
月30万円だとすると年間では360万。資産が2千万しかないとするなら満6年も持たせられないのだ。
母の要介護認定のレベルは5段階中、真ん中の「3」。
この3以上の介護度であれば、いわゆる特養施設へ優先順位的にも費用負担的にも少なく入所できるが、それでも月15万近くはする。・・・11年分しか無い計算。
この先、20年も長生きするとは思わないが、少なくとも10年以上は裕に生きる筈。だとするとやはり資金が足りない可能性大。
また、その程度の施設だとリハビリ器具やスペース、リハビリ専門の介護士も居ない。早い話し、病気の進行をさらに加速させてしまうことになる。お袋はそれが嫌で一般の特養に入るのは特に嫌がっている。
今のところオイラの自己資本を持ち出す事はしない前提で考えている。
いや、うっすら持ち出す事を考えていたが周りから諭されて抑制したってとこかな。
セコいとか無情と思われるかもしれないが、それをしてしまうと自分自身の将来の老後資金を使い込む事になるので、それだけは最後の最後のほんとにどーしょもなくなった時以外は考えるなと、介護経験を持つ友人や先輩からも、叔父叔母からも強く言われてるから。
確かに、これが他人事だったらオイラもその相手にそう強く言うだろうな。。。どう見ても負のスパイラルにしかならんな、とすぐに気付いた。
車の修理代みたく手術代のような一時的な金だったらともかく、最長で20年くらいだろうか、どれだけ続くか全く分からない長期入所に自己資金も注ぎ込みだしたら、間違いなく自分の老後になった時に今度は自分が苦しみ、自分の子に迷惑をかけるからだ。
本格的に介護を初めてまだ日は浅いくせに、日々の介護や介助にそこそこ疲弊してきている。
だから上に書いた予算不足をついつい忘れて母にこう言いたくなる時もある。
「もうここまで十分頑張って生きてきたんだ。特養でのんびりとした老後を過ごそうよ。」と。
しかしこの言葉はなかなか言えん。
血を分けた子供からこの言葉を言われたら「さっさと厄介払いしたいのだろう」としか思われないからだ。
さすがにもう1段か2段、疲労がより厳しい段階になったら言ってみるかもしれないが。。。
金が無いとは言っても多少はあるのだ。
あと何年~10年かは在宅のままで頑張り、その多少の資金だけで支払い切れる年数で入所と余命を過ごしてもらう、って感じで行くしか無かろう。
問題は、介護する側のオイラ達家族がそこまで持ちこたえられるか、だ。
嫁の母親もまた新たな段階に入ろうとしている。
半年前に介護ヘルパーを大量投入したおかげで、子供(嫁と嫁の弟)の負担が削れて一時は落ち着いていたのだが、どうも最近また認知症がさらに進行してややこしい事になりそうな雰囲気だ。
ヘルパーさんの手に負えない事をやらかしてしまう頻度が多くなってきたのだ。
そうなると以前と同様、毎朝毎晩だけでなく昼間も様子見に行って色んな家事をしなければならなくなる。
嫁も仕事を持っているのでそう簡単には対応できんし、弟は関西に居るので尚更無理。
こういう事が重なると、ほんと良い事を考える事ができなくなってしまう。
そう考えずに、前向きに、前向きに♪、と考えようとすればするほど、「嘘の前向き」「ポジティブ・バカ」としか思えなくなるのだ。
そういや某みんともから「便所100ワット」・・・無駄に明るい・無意味に明るい、って言葉を教わったっけ。
そうはなりたくはない。
まだまだ介護初心者だからそういう思考に陥ってしまうのは仕方ないらしい。
適度、あるいはそれ以上の息抜きの時間を作らないと、ほんとどこかで破綻してしまうわ。
そんな折の先日、NHKスペシャルで「介護殺人」なる特集を見た。
読んで字の如しの内容。介護に疲れて家族が殺めてしまう、あるいは家族に懇願して殺めてもらう、そんな事件は平均で2週間に1度も起きている現実とその内情の特集だった。
オイラはまだまだ親を殺したくなる気にはなってないが、このまま介護疲弊が進んでしまうといつかそういう思考を持ってしまうんじゃないか、って不安を常に持っていた。ならば今のうちにどんなもんか予習して対処しよう、って前向きな気持ちで見たのだが、、、
内容的には当事者自身の生々しいインタビューやアンケートからの分析に終始し、解決策はおろか、そのヒントすらも無いままで終わってしまってた。
そのオチにえらく落胆した。
NHKに文句を言いたいのではなく、国に金がないから行政はほとんど動けないままなので他力本願では何もできない、自身で切り抜けるしかない。それが今の「元」経済大国の日本、経済衰退国になり始めた日本の現実なんだ、と。
でも、この番組で一つだけ心の支えになる部分はあった。
オイラと同い年の男性が母親の介護をするために止む無く退職。いわゆる介護離職をして日々の介護にあたってる人物が出たのだ。
その方には非常に失礼な発想ではあるのだが、「同い年だけど俺はまだ離職しなければならない程には至ってない。そこまで行き着いてないのだから実は俺にはまだまだ余裕はあるのだ。」ってところだね。
傍から見たらなんともみみっちくセコイ発想なのだが、ほんと、そういうところでも心の拠り所を作らないとやってられんのだ。
今の親父とお袋を見て、人生の末期ってのは、ほんとどうなるのか全く分からんな、とつくづく思うようになった。
若い頃からも漠然とそうは思っていたが、親の変わり様・・・見た目は勿論、考え方も180度正反対に変わってしまうのをこの目で見てしまったのだから、ほんと痛いほどに感じる。
10年くらい昔までは二人とも「俺が/私が老いぼれてどうしようもなくなったらさっさと施設に放り込んでくれ。そのための貯金はある。自分の子供の世話にはなりたくないからな!w」というのをしばし口にしていた。
しかし現実はそうではなかった。
親父の場合は長期療養病院に入れてみたら、しばらくは脱走を試みては暴動するわ、制止する看護師を押し倒すわ、館内に響き渡るほどの大声で「家に帰らせろ!」と騒ぐほど拒絶。
落ち着くのに2週間くらいかかった。
医者に言わすと、認知症にもなってしまったので尚更に不慣れな場所に対しての拒絶反応が大方を占め、真の帰巣本能はあまりないはず、との事だが、息子からしてみれば「引き際はさっさと施設に消えるよ」的な事を豪語してた父親がこうも変わってしまった事に驚くばかり。
今でも面会に行くたびに「おう、迎えに来たか。じゃ、帰ろう」という始末。
他の話題に振ってしれっと帰るようにしてるのだが、毎回その話題作りに苦労と罪悪感を感じる。
お袋も然り。
7~8年前だったか、パーキンソン病だと分かったしばらく後に「お前達には迷惑をかけたくないから、お前たちの世話になり始めたら観念して施設に入る」と言っていたのだが、そんはなっていない。
最近は土日は勿論、平日も仕事帰りに毎晩様子見+家事をしに行くほどに世話をしてるのだが、「私(の身体)はまだ動くから大丈夫。施設なんて地獄みたいなところには行きたくない」と言う。
パーキンソン病患者の介護を多く見てきたケアマネージャー氏からも「もうそろそろ歩行器での宅内歩行もできなくなります。ベッドだけの生活に専念するよう自覚して頂くか、施設への入所を」と医師と同様の事を言うのだが、本人は一向に受け入れる気はない。
むしろ、その方向へを話しを勧める人を皆「敵」として見始めてしまってるのが最近の傾向。
後に母の友人から聞かされたが「あんた(俺)やケアマネージャーの事、愚痴ってたよ。私を殺そうとしてるって」。
・・・独学なりにもパーキンソン病による症状を色々学習してたので大きなショックではない。パーキンソン病患者が比較的なりやすい鬱病による被害妄想なのだ。作話をしてまで妨害する相手を排除しようとしてしまうのだそうだ。
まだ初期レベルながらも認知症も始まってきてるから尚更そういう思いも強くなるのだろう。強固に保身したがるとも言うのか。まるでどっかの○氏と同じだな。。。
こうなると反抗する気にはなれず、ただただ愕然とするばかり。
さっきも書いた通り、10年くらい前の宣言?仮の遺言?とは全く逆の言動となっているのだ。
勿論、それには呆れてはいない。老人になっていくと急激な変化がさらに不安を与えてそうなってしまうのだろう。
と思うしかない。
それよりも、自分の将来に対する不安が大きくなっているのが最近の傾向か。
オイラは現在51歳。お袋の歳になるまでまだ24年、親父の歳にはさらに7年もかかる。
こういう親、というと語弊があるな、、、どんな老人でも平穏な生活が一変してしまう健康上の大きな変化が起きると、それまでの人生観から大きく変わってしまうのだと思うと、つくづく長生きしたくないな、と思うようになってきた。
そもそも「健康で長生きしましょう」と昔からあちこちで言われてるが、長生きしたところでどういう恩恵があるのだろう、とずっと疑問なままだったし。
所詮、今の医学では10年20年先にどんな病気になるのか・ならないのか、なんぞ判りっこない。いや、判る医学があったとしても人間倫理的にそれを知らされるのはどうかと思う。
若い頃ならば大病してもまだリカバリーできる確率もチャンスもあるのだが、老後にそれでは立ち直れない確率の方が高いのも事実。
だからそうなる前にこの世から去りたいな、と思うようになった。
何よりも、オイラこそ自分の子供には迷惑かけたくないからね。
そしてもっと怖いのが、今でこそ「自分の子供には迷惑かけない」と言ってるものの、いざ高齢+大病になったら我が両親と同じように手のひらを返してしまうのではないか、と。
だから尚更、そうなる前に人生を終えたい。
ほんと、つくづくそう思うようになった。
そういえば、日本では一億総活躍社会を目指そう、と政府は躍起になっている。
それ自体は異論も反論も無い。細かい不満や愚痴はあれど、大枠では大賛成。
少子化ニッポンなんだもん。少ない人数の若い世代が納める税金だけじゃ日本は立ち行かないのは目に見えてる。
年寄りも稼いで納税しなかったら自分達の子孫世代にふっかかるし、その頃の莫大な後期高齢医療費なんてそんな少人数の世代で負担できるわけがない。
「保育園落ちた。日本死ね。」なんて言われるように現時点ですら若い世代への満足な養育環境が無い国なんだからね。
そういう観点でも、定年を迎えたらそこでポックリと逝くのが今の日本にとって一番有り難い国民なんだろうかな?と思う。
働いてる間はせっせと納税。65歳でも69歳でも年金は支払われるのではなく国に入金されるのだから赤字を少しずつ軽くしてくれる。そして定年後の年金支給前にポックリ逝ってくれれば国は年金も後期高齢医療費も支出せずに済む。これが国民レベルでできる赤字国債軽減化の道なのかなー、と。
自分が納めた金が年金として帰って来ないなんて許せん!・・・昔はそう思ってたけど、少ない若い世代に社会福祉(保育所・学校の費用負担軽減等)を手厚くしてやらにゃ、日本のこの先は無いよな、だから俺らおっさん世代が泣くしかないんじゃねーか?と思うのです。
だからと言って勿論、定年直後に自殺しようとは思わんけどね。
それだけは人として卑怯な死に方だと思ってるからね。
理想なのは定年直後に何らかの突発性疾患で急死するってやつだね。
・・・宝くじを当てるよりも難しいよな。。。
死ニ方、用意。
真剣に考え始めよう、と思う今日この頃です。
追伸:
冒頭にも書きましたが、こうやって愚痴を撒く事で士気を入れ替えようとしてますので、ご心配には及びません。
友人達との飲みでもぶちまけつつも、なまじオイラの両親も良く知ってるダチ達なので吐ききれん部分もあり、文字の世界にぶちまけてみた、というか(^^;
さらにお恥ずかしい話し、介護ストレスが最高潮になった日などは、自宅では爆発させんよう黙っていても娘には殺気が分かるそうでビビってるそうです(^^; なので他のとこに吐き垂らしたってとこでもあります。
泥酔でもそうですが、吐けば楽になるんです(笑)
これが不快に思う方は遠慮なくみんから事務局へ通報してください。