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毛呂のブログ一覧

2017年08月22日 イイね!

ま、人生なんてこんなもんだ(2017年版)

ま、人生なんてこんなもんだ(2017年版)注:人の死に関する内容です。苦手な方はスルーください。


このブログのタイトルはみんカラ3年目の1年間(2016.06~2017.06)に使ってたオイラのページタイトルでした。
まさか今またこのセリフが出て来るとは思わなかったなぁ。。


前回のブログに書いた通り、我が親父の余命は「長くて1年」と宣告されてしまいました。
が、実際のところはその宣告を受けたたった8日後、というか感覚的には7日後の夜更けに急変してしまい、緊急連絡で皆が駆け付けるも、それを待たずに逝ってしまいました。
・・・詳細は後刻のブログに書くと思いますが、緊急連絡時には既に逝ってたと思われます。

83年と1ヶ月と2日の生涯でした。





前回のブログを書いた8/1の2日後、再び調子を崩してしまい、血圧の大幅低下でその日に予定してた人工透析も中止になってしまった。ハラハラしたものの、同日夜にお袋や嫁と向かった頃には復調。
翌朝は俺が出張前に、昼間は従兄弟が、夜は嫁が、見に行けど数日前までの安定度に見えていた。
特に夜、言い換えると亡くなる数時間前に嫁が様子を見に行った時には、短い言葉ながらも話しの受け答えもできるわ、痰が詰まり気味だったので看護師が吸引器を宛てると、当て方が悪かったのか「いてぇなぁ!上手くやってくれよ」と怒るわ、昔のべらんめぇ調な親父らしい言葉も出てたそうだ。
さらには看護師から「血圧も十分に戻ったので、明日は人工透析を再開しますね」の言葉もあった。
だから「あー、もうこれで山は越えたな。一安心♪」と嫁も自宅に帰還。誰もが安堵した。
ところがたった数時間後に再び急変しただけなくそのまま逝ってしまうとは誰もが想定外でした。

本人の立場を想った見方をすれば、急に血圧低下と脈拍低下になってそのまま、、だったらしいので殆ど苦しまずに逝ってくれたのは良かった事なのかな、とは思います。


人の最期なんてこんなもんなのかねぇ。。
正直に言うと、呆気無さ過ぎな最期、でした。。

某歌舞伎屋さんちのマオちゃんなんて亡くなる寸前にエビジョーに「アイシテル」なんて言ってたんだぞ。そんなドラマチックな終焉のカケラも無い最期でした。


それでも親父に一言謝りたいのは、入院中に一度も家に帰してあげられなかった、事だな。
最初に入院した病院、その後の療養病院へ転院後も、親父はしきりに「家に帰らせろ」と訴えていた。
その訴えは最終的には俺の判断で叶えてやることはできなかった。

せめてお袋が病の身でなければ、とか、俺が腹をくくって介護離職すれば、叶えてあげられる道筋は無いことは無かった。
が、お袋の病には特効薬は無し。嫁が代わりに離職したって透析通院の都度に親父の巨体を抱き抱えられるわけがないから俺が介護離職するしかなく、そしたら娘の学費はどうするんだ?自分たちの老後資金はどうするんだ?等々の理由で諦めるしかなかった。

見るに見かねて「1日だけの外出許可で帰らせてあげよう」と思い付き、病院に相談するも「体調が良い日なら1日限定で許可を出せなくはないですが、このお歳(高齢)の方ですと一度家に帰ってしまうと『もう病院には戻らない!』と言い出して聞かない患者さんが多く、やっと戻しても暴れるのを制止したり鎮静剤を打ちざるを得なくなったりして、その後のケアが大変になるのでお勧めし難いです(>_<)」と言われてしまい・・・実際、親父はそう言い出しそうな性格・・・で諦めざるを得なかった。


結局、親父の帰宅願望を叶えてあげられたのは、亡くなった直後から棺桶で寺へ移動するまでのたった1日半・・・およそ38時間程度しか無かった。

親父以外の家族の事情も踏まえると仕方が無かった事とは言え、お袋が妻として行動や判断できる状況に無かったことから俺が全ての判断を下していたので、これらの責任は全部俺の責任だ、と自責の念にかられている今日この頃である。

その一方で、これまでにしてきた処置しか選択肢が無かったじゃねーか、と諦めきっている自分も居る。
後の葬儀の時に叔父にも言われたが、出来る範囲の事は十分してあげたんじゃないか、と。


客観的に見たら後者が正解なのだろう。
でも31年前に起きた我が家史上で最大の悪夢が来た時代を思い返すと、不十分な気がしてならない。


ここまで書いて気付いた。
今の時点になっても親父に対して言ってやりたい本心本音の言葉が思いつかないのだ。
悲しみの言葉、感謝の言葉、嫌味(普段の弄り)の言葉、後(お袋)は任せろ的な言葉、どれも思いつかないままだ。

勿論、実質の喪主として、告別式後の出棺時の挨拶、前倒し初七日後の忌中払いでの挨拶、共にそれらしい言葉を使って挨拶はできた。
が、喋りながら思ってた。「ちょっと違うんだよなぁ。。。」
ではどう違うのか、ホントはどう言いたかったのか、は、自分の中でまとまっていないのだ。

31年前、弟の突然の事故死の時もそうだった。
その後の毎年の命日が来る度に想いを馳せるが言葉にはならなかった。
ようやく言葉に出来たのは31年も経った今年の3月、東北の某所に行った時だけだ。

一方、友人や同僚の訃報を知った時には夫々本心本音の言葉がすぐに出た。

・・・肉親が相手だとこうなるものなのだろうか?
それとも、晩年は認知症で俺の存在まで忘れることもあったのが俺にはショックだったからだろうか?
それとも、我が家の場合は弟の事故後の顛末という特殊な事情のためなのか?(←意味不明ですんません)

強いて言うなら一言だけある。
「やっと弟の所に行けるね。」

葬儀のお経の後、棺桶に花を手向ける時にも言ってやった。
「〇〇(弟)の事、頼むぜ」と。


結局、肝心な親父自身への言葉がまとまるのは時が経つのを待つしかないと思う。
しばらく先になりそうだな。。。

弟の時みたいに31年もかかるんだろうか?
だとしたらその時の俺って83歳。・・・おいおいっ、俺、生きてるのか???



親父に対する言葉がまとまらない一方で、自分自身には確実にまとまってる言葉はある。

「ま、人生なんてこんなもんだ。」

親父の死を粗雑に扱ってる意味ではない。
余命1年を宣告されたのにたった8日で逝ってしまったのだ。
亡くなる瞬間を誰も看取ってあげられなかったのだ。
「こんなもんだ」と割り切る気持ちが無ければ、残された者にとってはずっと尾を引きずってしまうではないか。



葬儀が終わった翌日からすぐに、死後直後からサポートしてくれた従兄弟へのお礼回りや寺へのお布施(支払い)、役所への届け出、に奔走した。役所には「ざ・お役所仕事」の縦割り仕事に泣かされた。
先日は葬儀屋への支払いも終え、残すところ、予約待ちの年金手続きと法務局(登記変更)のみ。
と思ってたら四十九日の段取りも始めたし、盆休みが明けて仕事も始まった。

実親死亡だと会社から特別休暇が出るので、当然それは利用した。そしてそのまま盆休みに突入したので総計12日もの休暇期間となった。
そのお蔭で各種手続きをする日程が多く取れたのだから、その点ではこのタイミングで亡くなった親父に感謝だな。
しかし集中力を欠いて取り組んだせいもあって、この休み期間は全て、葬儀 or その後処理 or お役所 or お袋介護系 or 親族の新盆遠征、等で埋まり、休まる日はほぼ無かった。




現時点で一番欲しいモノ。
それだけは簡潔明瞭だ。



休みがほしい!(笑)

・・・丸一日、外からの連絡を一切断ち切り、無心になって横になりたい。
もうほんと、これ以上の望みなんて何もない!ってくらいに休みがほしい!!!←感嘆符を100個くらい付けたいほど(笑)←だったらこんなブログを書かずに寝ろや。


♪金も要らなきゃ女も要らぬ~、わたしゃもうちと休みがほしい~♪
なんて唄が有ったなぁ ←「休み」じゃなくて「背」だろ

でも今のこの忙しさ加減が、親父が亡くなった事へのネガティブな想いをさせない作用もあるのだろうね。



まぁ、手続き完了まであともう一息だ。頑張んべぇ!
・・・事前打ち合わせで色々面倒だと知らされてるのですんごい憂鬱ですが。。。w



追伸:
昨日(8/21)にアップした8/1分の日記。
アレを書いた時は本当に死期が迫ってる実感が沸かなかったので「知らん方が良かった」なんてホザいてしまいましたが、結果的には「知っておいた方が良かった」のだと思う。

実際の余命は短すぎたけど、何も聞かされなかったよりは覚悟の度合いが違っていたと思いますからね。
聞かされていなかったらもっと呆然としていたのかと思われます。

強いて言えば、親父自身に教えるべきかと悩む前に逝かれてしまいましたが。。
もっとも、もし仮に数ヶ月存命していたら伝えるべきか悩んでいたでしょうねぇ(-_-;

そーいう意味では、



と思うようにしよう。

・・・ほんと、赤塚不二夫って軽く見えて実は奥が深いセリフが多いな、と思う。


【お願い】
お悔やみコメントはご遠慮くださいませm(_ _)m
・・・親父への言葉がまとまってないため、どう答えたらいいのか分からないので。。
Posted at 2017/08/23 01:53:52 | コメント(4) | トラックバック(0) | 介護 | 暮らし/家族
2017年08月01日 イイね!

知らない方が幸せ

知らない方が幸せ今日は既に8月21日。
3週間近くも前の8月1日に書いたっきり、微修正とアップしてなかったので今更ながらのアップです。
---------

「知らない方が幸せ」って有名(?)な言葉がある。

奥様や愛娘が寝静まった深夜、こっそりエ○動画を見ながら○コ○コしてたのが、実は嫁にも娘にもバレバレだった。
・・・だとしたら、貴方はその事実を知った方がイイですか?知らない方がイイですか?(・。・;


オイラがもしそうだったら、、、う~~~ん、、、悩むなぁ。。。(-_-;
やはり、「知らない方が幸せ」だろうか(-。-;




と、まぁ、おふざけな例題を書いてしまいましたが、、、

実は先週、入院中の親父が熱を出し、その処置内容と今後について担当医が話しをしたい、と連絡が来た。
「発熱如きでなんだろ?ま、大したことはあるまい♪」とおっとり刀で病院へ馳せ参じたら、、、

色々と説明され、現状はどうにか良くなるでしょう、って言葉を貰ったのだが、その最後に余命宣告されてしまった、、、のだった。



「長くて1年持つかどうか。」





親父は昨年の2月に首の脊髄の手術をするべく市内の某総合病院に入院したが、入院早々に様々な事が起きて+起こされて手術は順延。
そうこうしてる間に足腰が弱まってしまい自力での歩行ができなくなるわ、認知症も起きてしまい、これでは手術後のリハビリができない、と判断され手術を断念することになった。
そして同年6月に長期療養病院に転院させられた。
元々腎不全に伴う週3回の人工透析が必要な身体であった事に加え、自力歩行ができなくなってしまったため、人工透析を続けるためには透析設備を持った病院へ入院するしか道が無かった、って流れだった。

当時で81歳。
その当時でも既に8年近くも人工透析を続けていた。
年齢と透析の年数が長くなってきてたので、オイラはシロートなりに「命はそれほど長くはないかもな」と想像していた。
そしてこの療養病院に転院直後の各種検査結果の報告を担当医から聞いた際に、今後の参考に教えてほしい、と頼んで余命を聞いた。
が、予想外に良い結果だった。
「透析患者は普通、長期に及ぶと血管が脆くなりやすくなるんです。ですがお父様の場合の血管健康度はかなり良く、血圧も若干高いながらも他の高血圧症の方に比べればかなり低い。その他も(詳細失念)・・・な訳で、まだまだしばらくはご健康なままだと思いますよ。」

家族の短命を祈ってたわけではないが、高齢+長期の人工透析患者だから期待してはいけない、と思ってたのでホッとするよりも驚いた、と思ったのを今でも覚えている。


それが急転直下。
病院へ向かい詳しい話を聞くと、肺炎をこじらせてしまい、高熱で食事を摂れないほど弱ってしまっていた。
レントゲンを撮ったら右側の肺は水がたっぷんたっぷんに溜まってたのが判明。
(補足:医者曰く、高齢の透析患者は少なからず右側の肺に水が溜まりやすいそう。但し今回の量はかなり異常。)
画像を見せてもらったら左の肺は上から下まで真っ白(←健康体と全く同じ)に対し、右側は肺のシルエットも分からないほどの真っ黒状態だったのだ。

この画像だけ見ると医学シロートなオイラは「もうヤバいんじゃね?(・_・;」と焦ったが、医師は
「食事が摂れないほど弱ってるので栄養素は鼻から管で与えます。そして肺炎に効く抗生剤が何種類かあるので・・・(詳細割愛)・・・まぁ、時間はかかりますが1~3週間で肺炎は落ち着いて、また自力で食事が摂れるまでは戻ると思いますよ」
と割と楽観的なコメントだった。

但し、
「容態が食事できるまで戻っても、肺の水を抜くのは長期戦です。その間にまた肺炎を起こす事が多いです。透析をしてない人なら利尿を促す薬を投与して肺の水を短期間で抜けますが、透析患者にはそれはできないんです。だからほんとに時間がかかりますしリスクもあります。」
とすぐには少し前までの親父には戻れないと警告された。
そしてさらに
「経験則だけでの話しですが、と前置きしますが、この年齢と肺からすると、長くて1年持つかどうか、ですね」
と、まさかの余命宣告をされてしまったのだ。


1年2ヶ月前の入院時に聞いた話し(前述)とはまるっきり違うではないか。
高齢者だし当時は肺炎リスクは想定外だったろうから、当時の楽観コメントに文句を言うつもりは無い。
それでもたった1年と少々で状況がガラリと変わった事に頭が理解するのにしばらく動揺してしまった。
少しでも気を落ちつけようと自制し、無理に質問を考え、聞いた。

毛「という事は、会わせたい親族は今のうちに会わせた方が良い、って事ですね?」←聞くまでもなく当たり前だろ。でも余命を聞かされたばかりで頭が少々パニック気味だったこの時点ではこんな事しか思い浮かばなかった。

医「そうですね。でもさほど慌てる事はないと思いますよ。今の時期は暑いですからお見舞いに来る方が高齢の方なら少し涼しくなった頃でも十分間に合うと思いますよ。」

医「でもね、これだけの高齢だといつ何があるか分かりませんからね。。」

最後のセリフが引っ掛かったが、急変さえしなければさほど急いで親族を呼び出す事はないな、とちょっと安心した。

挨拶を済ませ、親父の病室へ向かった。
親父は熱で苦しんでるような風には見えず、比較的普通な様子で寝ていた。
「これが肺炎をこじらせて余命1年を宣告された人の病状か?」
と懐疑的になった。
勿論、説明通りに鼻から管が通されていたのはいつもの見舞い時と違うのだが、
「風邪なんて滅多にひかず、インフルエンザになった事も無い親父が、肺炎、ねぇ???」
と医学シロートにとってはただただ不思議・謎・疑問な感覚だった。
起こして話しかけようとも思ったが、熱が出てるんだからやめとくか、と結局起こさず=話しはせずに病院を後にした。

実家に行き、お袋と嫁に一通りの話しを説明。
お袋も余命1年の言葉には驚いていたが、一通りの話しを聞いてからは「まー、あのお父さんはバケモンみたいに元気な人だから、あと2~3年は生きるかもね」と呑気モードになった。
今にして思えば、ボケて話しの前半(余命)を忘れていたのかもしれない。。


・・・


余命宣告をされてから今日(8/1)で4日経った。
その間の土日は見舞いに行けどガッツリと寝てたので話しはできず。月曜火曜は仕事で帰りが遅くなったため嫁に文句言われながらも頼んだが(嫁の親もちょうど厄介な状況が重なってたので病院のハシゴは辛い時期だった)、看護師に聞いた限りでは熱も37℃まで落ちて経過は悪くないそうだ。

やれやれ。大した事にはならなそうだ。
ちょっと一安心。


さてと、、、
こんな半分安心した状況下になってしまうと、親族、言い換えると親父の兄弟、にどのように説明しようかと悩んでしまった。

親父の親族は皆、口が悪いので
「なんだよ、余命1年だって言うから来てみたのに至って元気そうじゃねーか。これなら俺の方が先に逝くよ!」
などと言われそうだ(笑)


ま、今度の週末に落ち着いた時間が出来たら電話してみようかな。。


そもそもだ。親父よ、ほんとにあと1年しかないのかよ?
この4日間、ずーーーっとそんな違和感しか感じない感覚なのだ。

ある意味、余命を「知らない方が幸せ」だったのかもしれない、とマジで思った次第。



*:続きがあるのと、コメ返を書ける時間が無いというかコメ返を書く頭が回らなさそうなので
しばらくコメントOFFにさせて頂きますm(_ _)m
Posted at 2017/08/21 23:44:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | 介護 | 暮らし/家族

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「@LAPUTA ほんとお久しぶりです!ここ数年は仕事も最後の追い上げとばかりのハゲしい鞭に叩かれながらなのでみんカラはほぼ休業してました。たまーにはボチボチ書いてみたいなーと思っとります。」
何シテル?   03/31 20:30
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