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毛呂のブログ一覧

2017年03月31日 イイね!

期末(2016年度)

期末(2016年度)・・・というタイトルを口実にしたこの1年の出来事記録。


まずは、早くも1年の1/4が終わってしまったのか(。_。)、が真っ先な感想。
この感覚、毎年どんどん加速しているなぁ。


さて無事に16年度が終えられた。
とは言っても正直なところ、今年度は仕事よりも家庭(介護)で頭を悩ます事の方が大きかった。いや、大き過ぎた。
クルマをどうするかは来期に持ち越しだな。


■看護・介護のサマリー

要約しちゃうと、親父が落ち着いたかと思ったら休む間もなく母親で忙しくなった1年。
十分以上に疲弊したが次の1年間がヤマになる気がしてるので更に疲れそう。。


今からちょうど一年前、毎晩のように親父の病院に通っていた。いや、通わされたって感覚のが強かったかな。
あの頃は「これで首の手術ができなくなったら、どうやってその後の生活をしていきゃ良いんだ?」と、最悪の場合は介護離職もしなければヤバいかも、な恐怖感もあったっけ。
結局は4月に手術不能宣告され、長期療養病院なる未知(単にオイラが無知だっただけ)の病院を提案され、5月に転院した。
もう家に帰って来れない事に寂しさと申し訳なさを感じるも、大変だった看護から解放された安堵も大きかった。

ところがどすこい、続けざまに母親の病状が急に進行。そうなる予感と多少の覚悟はしていたが、いざそうなられるとやはりシンドイ。
発病する前の健康だった頃の母親の体調を100とするなら、1年前では50くらいに。そして今は30~35か。
相変わらず施設入りを拒否し続けているも、いよいよ限界が近いのかもしれない。

実は2月上旬、縁側の雨戸を開けようとしてそのまま前(屋外)に転倒した。
俺が訪問するまでの約4時間、気温2~5℃の寒空の下でずっと動けないままでいた。
頭部を打つわ出血するわで救急車モノの大騒動だった。
後日に定期通院しているパーキンソン病の病院へ行った際、説明のために嫁が転び方の恰好を真似たら担当医から怒られたのは言うまでもない。
「調子悪い日は雨戸の開閉なんてしちゃダメって言ったでしょ!でもまたしても無視か無理したか。これじゃ趣味で転んでると思われても仕方ないよ。そう、ダイビングかバンジー感覚だね!(・_・;」
と呆れまくりだったそうな。
他の患者には良い意味で「ダイブして大怪我した人も出たから雨戸は気を付けて!」と実事例として利用されているそうな。さすがにこれには失笑した。

そんなわけでさらに目を離しにくくなったのだから介助介護の疲労は増える一方。

今月のケアマネ定期訪問時、母がトイレで席を外した隙に言われた。
「またかなり進行してますね。声もかなり小さくなったし。デイサービスからも危なくてできなくなったリハビリが増えてきたと報告がありました。」
こんなだから今後ももっと大きな転倒、食事の喉詰まり、その他諸々、一体いつどのパターンで大事になるのか予断を許せない時期に入ったように見えると言う。

それでも頑なに施設入りを拒み、一人の自由な時間を満喫したいと独居継続を切望している。
最近ではサポートする側の苦労が分からなくなるほどまで自分の事だけで必死な状態なので、その点については「ワガママにもほどがある!」と文句を言ってみたくもなってる。

そんな諸処の疲労を和らげる意味でも2週間前に旅行へ行ったのだが、、、あ、そのブログは書きかけのまま放置だったな。。。・・・早くもそんなリフレッシュ気分が吹き飛んだほど今後の懸案事項に頭を悩ませてる。

嫁の母も思いの外に入院長期化しており、嫁の看護疲労が露骨になってきた。
12月に緊急入院以来、間もなく4カ月。当初は2~3ヶ月で全ての処置とリハビリが終わるだろうと思っていたが、裕に半年は超えそうなだけでなく、自律生活不能な可能性が高くなってきた。だからまだ75歳にして特養入りも考えた方が良いと医師に進言されたそうだ。
今は一時的にリハビリ病院に転院しているが、リハビリを拒絶する時がしばし。他にする事が無く寝たきりになるので認知症も進行している模様。
しかし俺の親父というリアルな悪例で学んだ嫁は、そうはさせまいと仕事がある日もなるべく毎日看護というか話し相手になりに行ってるが、さすがに最近はその疲労が出て看護に行く足が重いとか母の顔を見るのが辛くなってきたと愚痴る頻度が多くなってきた。
最近のもっぱらの愚痴は、大阪に転勤した弟は長男の癖に何もしに来ない、ふざけんな!凸(-o-; …的な事ばっか。


だから4月以降、それぞれの母の不測の事態を見越した特養施設の選定ツアー(単に見学)と良さげな所があれば入所申し込み(後日に無料キャンセル可なのだ)をするつもり。


■仕事のサマリー
仕事の方は割と順調に終わったかな。
いや、前年度に比べれば過酷度は増してたはず。
なのに介護からの逃避心理なのか、自分でも信じられないくらい食いついて仕事した。

業界自体は為替の急変動がとりあえず落ち着いたのに救われた格好。
そもそもITバブル以降からか、株と為替がマネーゲーム化した事によるものが大き過ぎる。大統領が、総理大臣が、日銀が、ちょっと言っただけでそんなに騒ぐなっつーの。
あ。。。騒ぐ=変動するからゲームなのか。。。

一方で業界全体の先行き不透明感(極度に悪くはならんがどんだけ上に行きそうか)がこう何年も続くのは珍しい。ある意味、この業界は衰退期に入った頃なのだが、そのくせ技術の新陳代謝が未だにハゲしいから、それとのバランスが傍から見れば不安定に見えるのだろう。
仕事の現場の方は、介護事情で休んだり緊急帰宅する度に周りの部署に多々助けてもらった。多謝。
部下、もうちょっと欲しい。。。てか、俺も歳なんだから将来の引退に備えて過酷な案件をもっと部下にやらせて経験を積ませないと。。。
って話したら「それは自分がサボローしたいからでしょ?w」とイジられた。半分正解だけどなw

ま、敬遠されるよりイジられるうちが華。
なんとか定年までなんとか頑張ろう。
・・・って、オイラ世代だと定年は70歳になってしまうかのぉ・・・?


■車のサマリー
総括して言えるのは、1年前は「娘にも1台中古を与えて3台体制か♪」、の勢いだったのが、今では全く逆の1台へ集約化の検討へと転じた。


まずは娘が職場異動によって当分車に乗る暇がなくなり、引っ越し=一人暮らしするかもだから経済的余裕が無くなりそうなので、+1台の話しは消えた。
弄り途中で手放す事になったGDフィットをもう一度買おうと思ってたのに。。。orz


そして、現状の2台体制を1台に集約する事もほぼ決心してるが、どのタイミングでどういう車種にすべきなのかが計れないままでいる。

とにかくレヴォーグを処分するのはほぼ決定、・・・かなぁ。勿体ねぇなぁ。。。

元はと言うと親父の大柄な歩行器を載せられるラゲッジスペースが必要でステーションワゴンのレヴォーグを買ったものの、半年も経たずして、結局親父は一生出て来れない長期療養病院に入ってしまったのでワゴンを買った意義が無くなったのが主要因。
そして嫁がこのサイズだと大き過ぎて運転するのを嫌っている。
「お義父さんが乗らなくなった今、レヴォーグなんて大きな車を持ち続ける理由は無いでしょ?」が嫁の弁。
それは全くその通りだ。
さらには運転させてみたら「何?このクルマ、パワステ無いの?ハンドル重た過ぎ!」「発進はモコの方が速いじゃん!」他にも色々ボロクソ(笑)
まぁ、パワステが軽すぎるモコと比べる事自体が間違い、とかエアコンON時の発進なら同等だろ、とか、返す刀はいくつかあるが、正直なところレヴォーグに惚れて買ったわけではない・・・言い方は悪いが、遊び倒したかったフォレでも無ければ最有力候補だったゴルフ・ヴァリアントが買えなくなった消去法で選択したクルマ・・・なので文句を言われてもどうでも良くなってきている。

せめて維持費が少なければ「所有したままでもいいじゃん」と言えるのだが、今年から賃貸の駐車場代が2台分に増えてしまったのだ。これが1台に集約したい最大の理由。

それまでレヴォーグの駐車場としていた実家(敷地内だから当然無料)を今年からほぼ毎日来る事になったヘルパーさんや介護業者のクルマ用に開放したため、モコと2台分もの賃貸駐車場代を払う事になってしまったのだ。

1台分で年間20万円近く。良いパーツ代じゃないか ←おい


そんな訳でレヴォーグを捨てよう、とほぼ決めてるのだが、ではモコだけとなると不安が大きい。
こんな事を書いたら軽自動車オーナーには怒られそうだが、やはり軽では大事故時の衝撃力が恐い。恐すぎる。
かつてフォレスターが全損になるほどの衝突を食らったが、人間はほぼ無傷だったのはやはり普通車クラスかそれ以上のボディサイズの賜物だろうと思うから尚更。

なので2台同時に売却して1台に買い換える、ってつもりなのだが、
問題は「今の状況下で我が家にマッチする車って何?」なのだ。

母親の定期通院してる病院までの狭い路地を嫁でも難なく運転できるのは5ナンバー幅(~1.7m)程度、長さもせいぜい4.3mくらいまでか。
それよりも悩むのは、今後、各々の母親がどのように体調が変化していくのか、だ。
それによってスライドドア車限定になるかもしれないし、逆にスライドドア車はステップ高が高いので敬遠するかもしれない。
それを判断できるのはもう少し先になるだろう。だから選定はしばらくお預け。
どんなに遅くなっても2台の車検が同時にやってくる来年12月までには決めたい。

それまでは毎月2台分の駐車場代を振り込み続けなければならないので、車種検討を保留してるくせに、振込み操作した直後の度に「はぁ、、、どぉ~しよ?(・_・;」とまた悩んでしまうのは我ながら情けない。


そんな折の昨日。
Dの担当営業から電話が来て、4月から人事異動でこのDを去ってしまう、のだそうだ。
初スバル車のフォレ買って以来まだ4年経ってないのに早くも4人目の担当に変わる、という事だ。

過去の他社、特に日産とホンダは担当営業との長い付き合いもあって買い続けたようなものでもあるのに、一体この販社はどういう根拠で人事をコロコロ変えとるのだろう、と販社上層部に文句を言いたくなってきた。

でもこれ、我が家の今の状況下では「スバルとサヨナラしやすくなった」と捕えるべきかな。。


ま、こんなとこかな。



【追記】
愚痴ブログでいつもお願いしてる事を書き忘れてました(汗
愚痴を書く=毒を吐いてリセット、のつもりで書いてますので、同情や見舞いするほどの事ではありません。ですのでお気遣いコメントはご遠慮させてもらってますm(_ _)m
Posted at 2017/03/31 23:47:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | 色々 | 日記
2017年03月27日 イイね!

時代の流れ~潰し合い


単なる自分用の日記みたいなもんです。


自宅と駅との間に持ち帰り弁当の「ほっかほか亭」があるのだけど、そこが3月28日をもって閉店してしまうのだそうだ。
先週、深夜の仕事帰りにこの店の前・・・深夜なので当然閉店後・・・を通ったらそんな張り紙が貼ってありビックリした。
この界隈では唯一の弁当屋でもあるので軽いショックでもあった。

確か、オイラが学生時代の頃にオープンしたと思う。
駐車場は無いけど駅の近くという地の利、そして他地域で買った同じ「ほっかほか亭」弁当よりも美味かった。だからそこそこに繁盛していた印象だった。昔は。

店長はオイラの年の離れた従兄弟の同級生。
店長はオイラと面識なんぞないのに
「あれ?もしかしてお客さん、〇〇さんとこの人かい?」
と言い当てられたっけ。

従兄弟の家業は酒屋なのだが、昔、オイラの親父はその酒屋の手伝いをしてたので遊びに来た際に親父と面識があったのだろうね。オイラは余程に親父に似てたのか、顔を見てすぐ気付いたらしい。

年に何度か買いに行く程度だったが、顔見知りみたいな関係だからか弁当が出来上がるまでの間はよく世間話もした。


そういえば最近はあまり買いに行ってなかったな。
店を閉める前に挨拶代わりに買いに行かなきゃ、とたまたま今日は仕事が早上がりだったので・・・と言っても地元駅に着いたのは既に21時近くだが・・・、閉店前に間に合ったので寄ってみた。

店に入るなり早々、「お店閉めちゃうんですね。残念だなー!」と話しかけると
店長は「本当、お世話になりました!」と、いろいろ話してくれた。
「もうね、私も66(歳)ですからね、33年もやってきました。疲れましたよ(苦笑)
正月以外の毎日毎日10時間もほとんど立ち仕事だしね。」

現在の営業時間は11~21時。
以前に繁盛してた頃はもっと広い時間帯で営業してた筈。それにその当時は店長を見かけない時もよくあったので人を多く雇って交代制でやっていたと思った。
それがいつの頃からか、客足が少なくなってきたので徐々に営業時間を短くし、最後は店長は終始店に居るほど、人件費圧縮にも苦労していたのだろう。

味はまったく落ちてないし、値段だってわりかしリーズナブル(全店統一価格だけどね)。
いつぞや、「ほっともっと」との分裂騒動があった時には近隣にほっともっとを立てられ、皆が「刺客だ~!」と騒いだ時期もあったが、さすが地域に密着してたこの店舗。結果は1年経たずにほっともっとが撤退したほどの強さがあったのに。。。


「時代の流れなんですよ。時代。」

そんな言葉は色んな業界から聞いてはいるけど、実際に店を閉める人からそれを聞かされるとズシーンとした重みを感じる。

100円回転寿司の台頭、そして最近はコンビニの乱立。それが閉店を決断させたらしい。

オイラの家を起点にすると、半径5km以内に100円回転寿司が10年前はたった1軒だったのが今や5軒もある。
コンビニだともっと小さい半径2km以内に、10年前は3軒だったのが今では10軒近くもある。

客の立場としては便利になる一方だが、経営視点で見ると明らかに供給過剰というか飽和状態。

回転寿司は、その昔はかっぱ寿司1軒だけの独占状態で夕飯時は駐車場に入るすら30分待ちだったのが、今やスシローx2軒、くら寿司x1軒、はま寿司x1軒、も加わり、とりあえず駐車場はすんなり入れるほどに店が分散した。

それよりもコンビニの乱立にはもっと驚くというより呆れるくらいに増えた。
昔、am/pm。後に買収によってファミマに名を変えた店の店員が言ってたな。
「セブンが潰しに来てる!」と。
古参のファミマやローソンの近くでより利便性が高い土地を押さえてセブンが台頭してきてるのだ。
実際、そのせいでファミマ2軒が閉店に追い込まれてしまった。

それどころかセブン同士の共食いの話しもあるんだと、弁当屋の店長が教えてくれた。
すぐ近くの、20年前くらい前に酒屋から業態変更した古参のセブンの近くに、セブン本体の直営店をおっ立てるのだとか。
古参の店には駐車場が無いのが不便だったが、新規店は推定10台くらいの駐車場も併設するから客の流れが変わるのは必至そう。


首都圏エリアと言ったって都心までは電車で1時間もかかる近郊中流都市。
そんな場所にこんなに乱立させたって客の数は限られてるから取り合い合戦=潰し合いにしかならないんだよね。

そして、実は弁当屋さんもその潰し合いの餌食になってしまってたんだなぁ、というのを今頃になって気付かされた。


まぁ、ウチの業界もある意味、潰し合いみたいなもんだから人の事は言えんな。
小国ニッポン、少子化ニッポン。少ないパイの取り合いをしないと生きていけない時代なんだなぁ、とシミジミと感じた。



閉店日が近いから材料調達を絞っているのか、メニューは7~8種類しかなかった。
最後かもしれないから奮発して一番高いのを(^^♪と思ったがそれはうなぎ弁当で高すぎるからw
2番目に高い奴にした。


極厚ハンバーグ弁当 520円


自宅に帰ったら嫁はまだ親の病院の見舞いに行ってて留守。
一人寂しく、でも33年間への感謝の気持ちを込めて美味しく完食した。


さて、みんカラ見たりこのブログ書いてしまってたから実家の見回りが遅くなってしまった。行って来なきゃ。

おしまい。
Posted at 2017/03/28 00:11:39 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日記
2017年03月26日 イイね!

女に言われたくない言葉

女に言われたくない言葉


以前も何度か書いた覚えがありますが、
オイラが尊敬するF1ドライバー、あ、元F1ドライバーだな、の一人が



ゲルハルト・ベルガー です。


イタズラ好きでも有名な氏。マクラーレン・ホンダ在籍時代は同僚のあのアイルトン・セナのホテルの部屋に腐った魚やチーズを放置したり、鍵穴から消火器を放って部屋を泡だらけにしたり、等々、数々の逸話(珍話?)もあったそうで。


そんな氏はジョークも冗舌。
あるレースの予選で結果が思わしくなかった時、報道陣にこれからどうする?と聞かれ
「ホテルに帰ってオナ●ーかセッ●スする」
と答えて放送できなくさせたりとか。

・・・こういう事が言えてしまう事に好感が持てるんだよなぁ(^^;

これで女性ファンも多かったというのだからさすがイケメンは違うねぇ~(-_-;

F1ドライバー引退後はレースのアドバイザーや一時はF1トロ・ロッソの共同オーナーなども経て、つい先日、DTM(トイツツーリングカー選手権)を運営する会社の代表になったんだとか。


・・・うむ。近年は頭の上がり方にも好感持ってたりします(^^;


それはさておき、氏の有名な言葉にこんなのもあります。

「男には下手だと言われたくないものが2つある。
それは 車の運転 セッ●ス だ。」


まぁ、誰しもが内心ではそう思ってる事だろうけど(^^;。公然と口にしてしまうとこが素晴らしい♪



運転。下手になりたくないもんです。
では、上手と下手の基準線は?とか聞かれてしまうと答えに詰まってしまうけど、少なくとも

自損事故してしまうのは下手クソだろう、と思っとりますd(・_・;キッパリ


それこそ後方確認不足のままバックしてポールに当ててしまうなんざ、ド下手の極致





ええ、ヤッちゃいますた(^^;


ん?判り難いか?


ほいっ♪


完全に見落とし・油断の賜物です(-_-;
Rフェンダーもひしゃげちゃったのでざっと30万は下らないそうな(>_<;
なので車両保険の発動ケテーイです。

って事でしばらく入院です。


それにしても、、、いかんなぁ。。。
オイラの運転免許人生歴は既に後半に入っとる=高齢ドライバーと呼ばれる歳に近くなってきたし。。。
こういう事をやらかしちゃうのと巷でよく聞く高齢者のウッカリ事故って、判断タイミングはそう違わないだろうしねぇ。。。

気を付けよう、って一言じゃ済ましちゃイカンね。
マジで熟考します。




以上、自戒目的の晒し上げネタでした♪(^^;



オマケ:

入院させたあとはDの近くでやけ食いw


腹がパンパン、もう食えん!状態でバスで帰還したのだけど

運賃表見てたらなんだかもようしてしまった。。。

Posted at 2017/03/26 19:39:48 | コメント(17) | トラックバック(0) | レヴォーグ | クルマ
2017年03月20日 イイね!

久々のオフ会

久々のオフ会昨夜、京都のエロ伊達なおっさんが東京さまで来てるというのでちょっくら顔を出してきた。

そのブログを書く前に、順序的には先週行ってきた東北ツーリングを先に書くべきなのだけど、呆気と愕然と壮絶、そして安堵・・・←グチャクチャだな・・・をどう文字にしていこうか分からないままだったので、まずはこっちから。



GP/GJインプレッサに乗ってるみんカラユーザーなら知らない人は居ないほどの、巨匠←とりあえず持ち上げておこう(^^;、YA100さんがご子息の就職に伴う引っ越しで上京してきたのに乗じてプチオフするっつーので顔出ししてきました。

そもそもオイラはGP/GJインプは所有していないのに、SJフォレスター購入&みんカラ登録した直後から氏の存在を知ってました。
まー、SJフォレってGP/GJインプと大体同じだからね(^^;・・・ま、それを言ったらVMレヴォーグも同じですが。。。


氏と会うのはこれが3度目だったなー、と昔の写真を引きづり出してみた。


初対面は2013年12月、SJ-Club関西ランチオフ。
フォレスターのオフ会だったので親父さんのフォレでの参上。
なのに参加者の大半から「インプで来てほしかった(>_<;」とブーイングされてたっけ(^^;

顔はモザイクにしてしまったけど、「若ぁ~~~っ!www」と吹いてしまった(^^; ←おめーの方がもっと老けたよ


2回目は1年半後の2015年5月。
夫婦ゴム水いらずで箱根へお泊りに来たところをフジムーさんと迎撃させてもらった時でした。


このおっさんの人柄は他の人のブログで喧伝されてるので今さらオイラが書くまでもないですが、気さくで話しやすいだけでなく、オイラの場合は同い年って共通項が親近感が増すんですよね。

この時初めてインプに接見。


光りモノに頼らず、部分的に派手なパーツはあっても派手すぎにはしない、そこんとこのセンスの良さが氏の人気を押し上げてるんでしょうねぇ。



そして今回、2017年3月。
・・・あれま、2年近くも経ってたのね(・_・;

で、写真が、、、



ろくすっぽ撮れてなかった(>_<;
一眼も持って来るのを忘れてたし(T_T;






本人は謙遜?遠慮?してプチオフとして告知をしてましたが、何せ関西の超大物が上京って事で結果的には15台(もっとあった?)くらいも集まる大所帯オフになってしまいました。


はるばる長野から2台もやってくるし(@_@;

YAオーラは巨乳グラビアアイドルよりも集客力があるって事かいなw

・・・このお二人も2015年9月以来でしたね♪



当日は介護の疲れもあったせいで、主役ご本人とも、関東勢でも久しぶりに会った面々ばかりというのに会話があまりできなかったのが残念。


ところで、みんなのまとまって歓談している様子を見ていると、つくづく
「あー、オイラはこのくらいの人数までのオフ会が限界なんだなぁ」
と痛感した次第。


車のオフ会って、車の品評会、あるいは走り、がメインなんだろうけど、情報交換とかヨタ話しを皆がまとまって語れる場があってこそ、だとオイラなりには思うんですよね。
また、昨年7月のGP/GJオフに顔出した時も思ったけど、ここの集まりって一種独特のマッタリ感というかホンワカ感が妙に居心地がいいんです。
まー、そこの管理人が新旧共に変態だから、という事にしておこうか(^^;\(^^;パキッ


という事で、何を書いてんだか散漫気味になったのでこの辺で。

YAさん他、久々に会った皆さん、お初な皆さん、今後もよろしくです♪




おまけ:


このオフ会からの帰還途中に見かけたワンショット。
深夜なのに東名高速は渋滞してるらしく、ちばプーさんは下道で逃げてた。
そうだった、この日はSJも静岡でオフ会だったんだね。

オイラももうちょっと身軽になれればあちこち遊びに行きたいな~。
Posted at 2017/03/21 00:55:35 | コメント(6) | トラックバック(0) | オフ会 | クルマ
2017年03月11日 イイね!

オイラなりの3.11

オイラなりの3.11自分なりの東日本大震災の体験記です。

東京都心での被災ですので東北の悲惨なレベルに比べれば屁にもならないレベルです。
当時の事を時系列で書き並べただけなので起承転結が無いどころか何の面白みもないです。

あくまで自身への備忘録目的で書いてますので、基本、読まずにスルー希望です。コメントもいつ返せるか分からないので遠慮します。。。←だったらわざわざアップするなよ ←でも同様境遇に居た人が読んでくれたら懐かしがってくれるかなーと。。。



■本文■

東日本大震災から6年。

サンイチイチ。
サンてんイチイチ。
等々、色んな呼び方ありますが、オイラ的にはサンイチイチになってます。
9.11=きゅーいちいち(アメリカ同時多発テロ:2001(平成13)年9月11日)
2.26=にーにーろく事件(日本陸軍将校のクーデター:1936(昭和11)年2月26日)
に自然と併せたのかな。

みんカラ始めて4度目となったこの時期。
毎年この時期になると色んな人が当時の思い出を書かれてはそれを拝見してました。
それと同時に
「おっしゃ、オイラも自分の記録として書き残すか♪」
と思ったものの、書き出したら止まらず。。。
結局、毎年書きかけては途中で止まってた、の繰り返しでした。

ですが丸5年も過ぎた事だし、細かい事を忘れんうちに仕上げておこうかな、と。
なので、毎年書いた文章を半ば強引にくっつけただけなので、つぎはぎだらけで状況が前後してる部分もあるので、気付き次第、修正や加筆します。←いつになるのやら




2011(平成23)年3月11日。
その日は東京都心の職場勤務だった。
某高層ビルの30階に勤務。
このビルは今時の免震構造ではなく耐震構造だった(と地震後に知った)。
ま、築20年は経過してるそうなので現代の主流となってる免震構造なんて無かったか。


■地震発生■

何の予兆も無いまま14時46分を迎えた。その時は自席でパソコンをパチパチしてた。

縦揺れで始まった。
椅子に座ってる尻にズンズンと軽い突き上げを感じ、そして今度は緩やかな横揺れに。
いつもの如く周りの同僚たちと「あー(地震が)来たね~」と話す。
いつもだったらそのまま揺れは納まって地震ネタの会話もそこで終わり。

が、この時は違った。
横揺れが徐々に激しさを増し、「ちょっ、、、ちょっとこれ、デカいんじゃね?」と、いつもの地震とは大きく違う感覚に焦りだす。

過去の地震でもそうだけど、高層ビルの高層階(中層階?)での揺れ方は1階とか数階での揺れ方と全く違う。
TVなどでしばし見る自身の再現映像だとか地震シミュレーターの揺れ方とは違い、揺れの振幅速度は少し遅く、しかし揺れの幅(長さ?)がやたらある感覚。
後の報道で知ったが、すぐ近くの同じ構造の54階建てビルは3秒間に108cm、28階でも52cmも横方向に揺れていたそうな。・・・http://www.nikkeibp.co.jp/article/sj/20110511/269504/?P=6
まさしくそんな感じの揺れ幅だった。

床続きの営業フロアに目を向けると、営業マンは大半が外出中だったがそれでもアシスタントの女性陣を中心に40~50人くらいが居た。
皆、自席に座ったまま両手でデスクを突くように支えて揺れに耐えようとしてる。そして一体どう対処したら良いの?的な表情になり、徐々に口数が無くなる。

営業フロアの遠くの方を見るとこの部門のトップの事業部長が居た。だが彼も頭が錯乱状態なのか「ハトが豆鉄砲食らった」かの如くの表情のまま微動だにしない、いや、しないじゃなくできない、か。
大地震の時にありがちな「みんな、逃げよ~!」なんてできないくらい揺れが激しいので、自ら動こうなんて発想ができないのだ。

フロアの書棚は地震に備えて壁面に固定してあれど、ガラス扉越しに見える中の書類は大暴れ状態。そして扉のないオープン棚からは15cm幅サイズの推定4~5kg前後の大型書類バインダーが何冊か滑り落ちた。
天井から吊るしている物は無いが、天井版がミシミシと鳴き出し、このままさらに揺れて歪みが増すと天井に埋め込んだ棒状の蛍光灯も歪められて割れてしまうのでは?と不安に思い始める。

こういう時って消防法で定められたフロア防災責任者が音頭をとるんだろうけど、こんな凄まじい揺れは誰もが初体験だろうからか防災責任者の総務部長すらも揺れに耐えるだけで必至そう。
しゃーないので不肖私がフロア中に聞こえる大声で、いや、聞こえるように言わんといかんから怒鳴り声だったな、、、
「蛍光灯が割れるかも!机の下に潜れ~~~!」と怒鳴った。
「そこまで酷くはならないでしょ?」的に言い返されるかな?と思ってたけど意外に皆、「そーだよね!」と揺れによろけながら机の下に潜ってくれた。
後で隣りの部の部長から「よくあの状況で言えたくらい冷静だったねぇ~」と感心されたが、オイラも冷静じゃなかったよ。
けど、あまりのパニック状態で誰もが言葉を発する事ができずにいたので、誰かが言わなきゃあかんよな、って発想からだった。
それと、怯えて何も出来なかった事業部長や総務部長を見て少しキレたってのが大きかったかも。。。

それでも呑気な同僚が仕事のPC越しにどこかの気象サイトを調べ、
「震源は宮城沖らしいよ!震度7!」
「え~!東京じゃないの!?」
「し、震度、ななぁ~~!?」
「宮城って500kmくらいも離れるよね?」
「宮城で震度7だからってこっち(東京)がこんなに揺れるわけないでしょ!まさか同時多発地震だとか!?」
などと、揺れに耐えながらこんな会話もしてた。

そして自分も含めた何人もが携帯電話…当時は殆どの人がガラケー…を使って家族等への安否確認連絡も試みてみた。
でも、ダメ。全然ダメ。
リダイヤルボタン⇒発信ボタン⇒(不通音)⇒切ボタン⇒リダイヤル・・・を何回、何十回繰り返しても繋がらない。
しばらく後に同僚が「ケータイメールを何度か再送信したら繋がった!」と教えてくれ、皆一斉にメール(ドコモで言うiモードメール)にしたところ、私は10回くらいのリトライで送信できた。
あとは返信が来ることを祈るばかり。

数分後、そろそろ揺れが納まるかな?と思った途端に第二波の揺れが起きる。
油断しかかった頃に2回目なので私も皆も想定外で驚いた。
気弱そうな女性数名が「キャー!」と悲鳴を上げ、そして泣き出した。
でも誰も構わない。いや、構いたくても構える余裕が全く無いくらい、自分自身がどうしたら良いの?で頭が一杯イッパイ。勿論私もパニックでしばらくは他の事を構う事が出来なかった。

その直後、ガシャーン! と凄い音が聞こえたのでそっちに目を向けると、高さ1mくらいの棚に置いていたタワー型PCが落下してた。
ヤバい。出火でもしたら一大事だ。
部下と慌ててそこへ向かうも揺れが凄くてまともに歩けず。四つん這いな姿勢で落下したサーバーに辿り着いた。動作確認とか復旧なんて後回し。まずは火災だけは避けるために電源ケーブルを抜いた。つか、その程度の事しかできない状況だった。

でもケーブルを抜いた直後くらいには地震の直接波は止まったのか、恐怖感を感じさせるような強い揺れは納まった。
それからしばらくは、公園のブランコの如くゆ~らゆ~らと10分以上も揺れ続くのだった。
それが耐震設計ビルの動きなのだそうだ。←考えてもみりゃ当たり前。


そういえばビル管理室からの緊急放送はいつあったのか、は忘れてしまった。
少なくとも揺れ出した初期段階では無かった。
・・・その反省を踏まえ、この年の防災訓練から細かくそして迅速な対処ルールが決められたそうな。


■本震収束~避難所へ■

揺れが落ち着いた頃だったか、家族から返信が着信。
家族全員は家に居て全員無事。食器棚から何枚かの皿が落ちて割れた程度で済んだらしい。とりあえず安心。
長女からも「ラックの上のスピーカーが滑り落ちそうでずっとそれを押さえてた! おとん(私)が大事にしてたスピーカーを守ってあげたんだから感謝してよ!」と暗に小遣いをせびる(?)メールも来たので状況的には余裕があるんだな、と尚更に安心。
つか、地震が来たら真っ先に倒れるだろうなぁ、と思ってた食器棚が倒壊しなかったのは意外。
・・・後に確認したら、棚の下段に重たい物を集めてたので重心が低かったのが良かったのかも。

話しを会社に戻す。
耐震構造の高層ビルがこんなに長く揺れるなんて知らなかった。
地震はもううんざり。せめて免震型にしてくれ。。。
余談だが、この震災の数日前に採用したばかりの女性の派遣社員は、週明け早々「高層ビルでの勤務はもうできない」という理由で辞めてしまった。
他にも後述する筈の福島の原発事故をきっかけに両親と共に関西に移住すると言って出社せぬまま辞めた派遣社員も居たな。

揺れが収まってきた頃から皆も仕事そっちのけで情報収集に奔走。この時点では東北地方沿岸部に津波が来ると見た覚えがあるが、それよりも自分達がこれからどうなるのか、ばかりに頭が行ってたから眼中になかったのかもしれない。
そして自分たちにとって死活問題となる都心の交通機関が全て寸断されてると知る。
都心の鉄道が全線止まってしまったのだった。
こんな経験、生まれて初めて。陸の孤島ってまさしくこういう事か?

「マジ?(・_・;帰れねーじゃん?これが世に言う『帰宅難民』ってやつ?(^^;」とふざけ口調で周りと話してたが、この時点では心底実感してなかったからふざけられたのだろう。

その頃だったろうか、宮城に大津波が来た事をネットの文字で知った。
その少し前に聞いた時の津波予報では確か10mの高さと言ってたから、浜辺周辺はともかく、あまり大したことではないだろう、などと思ってた。
・・・この当時の素人想像では「10m程度の津波なら浜辺でもせいぜい数百mしか押し寄せないだろうし、防波堤や岸壁があるとこなら被害ゼロでしょ?」としか思ってなかったのだ。
だからそれよりも部下や同僚の帰宅の方策、そして自分の帰宅、に頭が一杯だった。


■意味のない広域避難所へ移動■

総務部がビルの管理室と協議し、広域避難所に一旦移動する事になった。
帰宅指示が出るのに備え、帰り支度の格好でね、とのオマケ付。

このエリアの指定避難所は500mほど離れた大きな公園だ。

外は寒いだろうから移動前にトイレに行っておこうと行ってみたら、、、個室(大きい方)は珍しく満室。
そして各個室の扉越しに「ゲ~~~ッ」「オ…オェ~~~ッ」と聞こえる。。。
そう。下からではなく上から。リバースってやつ。
あの揺れ方だったから船酔いみたいになったのだろう。
「頑張って出し切ってね~」とだけ言ってやった

さて、避難場所に行くには30階から1階まで降りなければならない。
当然、エレベータは緊急停止したまま。だから階段で下りるしかない。
それ自体は年に一度の防災訓練歩いてるので大したことではないが、いざ本番で降りるとなるとやはり心なしか落ち着かない。それでも他の階から降りてくる人達も含め、比較的に落ち着いていた。

ただ、石膏ボード製の壁面(使用頻度が低い非常階段だから材料ケチってるんだよね)のところどころに巨大な亀裂や割れ落ちたところを見る都度に「これ、ヤラセじゃなくリアルに出来たんだよねぇ?」と思うとゾッとした。

広域避難場所の公園に移動した。
点呼を取って全員居るのを確認。
その後、どうなるの?どうするの?オフィスのビルの安全はエレベータ以外は確認できてたから戻る?
答えは「まだ何も決まってないからしばらく待ってて」だった。

受け身の立場で見てたらイライラしてただろうなぁ。
・・・当時は震災後の対処方法に詳しいルールを定めてなかったので、その都度に総務部長が人事部や社長室と連絡を取り合っててバタバタしてたっけ。

寒い中を30分ほど待っただろうか。結果、即時業務中断+帰宅指示が出された。
但し鉄道が殆ど動いてないので、遠方からの通勤者はオフィスや近隣のホテルに宿泊を推奨、とした。
もっとも、そうなる事を見越していた同僚が近隣のビジホを調べていたが既に全て満室だったそうな。マン喫にも問い合わせたけどこれまた満室でいつ空くか分からないそうな。
これで居場所は自分たちのオフィスしかない事が確定。。。


それにしても、そこそこ寒い天気の日に防寒はおろか風を避ける設備も無い公園に来た意味はなんだったのだろう。
オフィスの建物構造に異常がないのは割と早いうちに分かってた。
停電にもならなかったので照明もあるし暖房も効く。
水道も問題無いのもすぐに確認が取れてた。(備考:ガスは元々ない。)
だがこの当時はそれらの確認とは一切関係なく、「大災害時には避難所に行きましょう」ってルールしか無かったからだ。

さて私の自宅までは推定60~70km。
既にJRは終日運転打ち切り+翌日の運行も全く未定を発表済み。
徒歩で12~14時間歩けば帰れる計算だが、家族の無事は分かった事だし、途中で食料・飲料が入手できるかの保証がないため断念。他の中長距離通勤組の約10人+総務部長とでオフィスに戻る事にした。

その他大多数の社員は自宅が20km以内だそうなので、その連中達の殆どが5kmくらい離れた渋谷に向かって歩いていった。
自分の部下も全員渋谷に向かった。(渋谷には多方面に向かうバスがあるのだそうだ。)
「お前らの事だから渋谷に行っても帰らずに飲むんだろ~?w ま、固い事は抜きにして飲んでも確実に帰れるルートを見つけて帰ってくれや」と見送った。

そう言えば事業部長はマイカー通勤だからと数名の部長を連れてさっさと帰っちまったな・・・(-_-;
この部門のトップならば全員が帰るまで会社に残れよ~。
と思ったが、そこまでするのは戦争の時に沈没する戦艦の艦長か。。。

かくいう自分も、部下は勿論、周りの若い連中にしばし気を配るも、終始そうしていたわけじゃないからな。
やはり自分自身が帰れるのか?、家族のその後は?親は?あ、嫁の親はどうだ?とか、他の事にも頭が行ってたのだから文句は言えないな。


■オフィスに戻る■

オフィスに戻るべくビルの1階まで戻れど、エレベーターはまだ動いてなかった。
被害は無いようだが点検しないとしないと動かせられないという。そしてその点検をする業者がまだ来てないのだそうだ。
その時は「まじかー!(>_<)」と仕事が遅い事に嘆いたが、後で詳しく分かったがそりゃそうだ。
既に周辺の道路は大渋滞となってるので到着が遅れてる。そしてこの周辺の全ての高層ビル全てが止まってるであろうから、恐らくは1000~2000基のエレベータを10社に満たない程度のメンテ会社が診なきゃならんのだろうから仕方ないだろう。

だから30階まで階段で歩く羽目に。

日が暮れ始めた頃だから17時半くらいだったか。一旦オフィスまで戻ってもその後に夕飯で下に戻る、そして往復すのは大変だろう、と皆でコンビニで弁当や酒を買い込んでから階段を上る事に。
その時点ではコンビニの在庫はまぁまぁ有ったような記憶。

さぁ、30階めがけて上るぞ!
しかしこれが予想を超えるほどに疲れた。
自宅のマンションでも「健康のため」とばかりにたまにエレベータを使わずに階段で乗降してるので、「10階毎で少し休憩すれば余裕でしょ♪」と思っていたら大間違いだった。
最初は10階くらいでヘバってしまい数分休憩。そして5階くらい上ってまたヘバり、の繰り返しで結局30階まで7回くらい休憩しながらの帰還だった。

歳と運動不足を強ぉ~~~く感じた瞬間だった(>_<;

よくよく考えてもみれば、一般家庭向けのマンションとオフィス向けのビルとでは1フロアの高さが1m以上の違いが有るもんな。マンションに例えれば40~50階相当の高さなんだよね。


ほんと、今後人事異動があったら、今より高いフロアは丁重に、いや、強硬に辞退しよう、と思った。



オフィスにようやく戻りつき、何はともあれでっかい画面のテレビで情報収集しましょ、と会議室の大型テレビをオフィスの大フロアに持ち込み、皆で状況確認する事に。
オフィスのフロアにはTVアンテナのコンセントは無いが、実験室から電線部材を持ち出してTVのジャックに繋げたら映った。
さすが東京タワーから近場なんだなぁ、と感心。
(注:当時、東京スカイツリーはまだ建設中)


■各地の被災状況に驚愕する■

しばらく帰宅できない気分をふっ飛ばすために誰からともなく
「さぁ~今夜は仕事はしなくて良いから気楽に過ごそう♪」
などと言いながら早速ビールを開けて乾杯♪

そしてテレビをつけて最初に映ったのが渋谷駅周辺の大混雑だった。
同僚達と同様に、渋谷に行けばバスがあるだろう、と思った人達が大集結してたのだった。
ぱっと見ただけでも何千人って規模の人達が映ってる。5千人は下らなかったんじゃないか?
・・・これじゃバスが数百台あっても足りやしない。
「あいつら可哀相に~(^人^;、(画面に向かって)こっちに戻ってこいよ~」
などと酔い始めでもあるので笑ってた。
そして他のチャンネルに変えた。

そのチャンネルでは千葉のコンビナートが大炎上していた。
「マジっすか!うち、ここから数kmのとこですよ!(@_@;」
と同僚がさらなる帰宅目途がつかなそうな状況にガッカリしてた。

そしてまたチャンネルを変える。
そのチャンネルでは茨城?福島?の沿岸部の日産の完成車モータープールが映った。
スカイラインらしき車が100~200台くらい並んでいたから北米輸出用インフィニティかな。
そこに津波が押し寄せ、スカイライン達が次々にぶつかり合いながら津波に飲まれていくのだった。
「まじ!?勿体ない!(>_<;」
「これ、売れずに廃車だよね?」
「軽く凹んだ程度のクルマだったらタダでくれないかな?」
などと、哀れみを感じながらも酒のお陰でバカも言う始末。


そしてまたチャンネルを変えたのだったか、その局のままで中継場所が変わったのだったかは覚えてない。
そこからが壮絶だった。

岩手や宮城、そして福島の津波映像だった。
本震以後、私も含め数名が何度かケータイのワンセグTVを見ていたが、津波が襲ってきた時の映像は初めてだった。
この時になってようやく東北がとんでもない事になってるのを知った。


ガキの頃に「日本沈没」というドラマを見たが、、、
確か、東芝日曜劇場の枠だったかな、、、
まさしくあんな感じの映像が目の前を襲ってきたのだった。


そして今でも胸に突き刺さったまま頭から離れなくなった映像を見た。

地名は覚えてないが、漁港の映像だった。
カメラの向きは終始固定だったので防災カメラだろうか。
津波の後の、陸から引き潮がだくだくと港の岸壁に流れ戻ってくる映像だった。

「すげーっ!こんなとんでもない水量が戻るほどの大きな津波だったの?」
とこれだけでも十分驚愕モノだったのだが、その引き潮を眺めていたらどんでもない事に気付く。
どう見ても人の身体としか思えないもの、、、水面に浮かんでる部分だけしか見えないが、多分、脚とか腕だと思う・・・がいくつも引き潮に流され、岸壁へと飲まれて行くではないか。
誰かが「今の・・・、人、だよ・・・ね?」と聞いた。
私も他の同僚も同意したくない同意の表情をするのがやっとだった。

後に様々な震災特番が放送されるも、その時の映像はそれっきり見た事が無い。
さすがに不味すぎる映像なのだろう。

酒の酔いが一気に冷めてしまった。
いや、こんなもんを見てしまったら酔えるわけがない。

既にビールを3~4本空けた営業氏が
「俺達さー、あんだけの揺れを受けてかなりの被災者気分だったけど、これに比べたら屁にもならんよね」
と言ったと同時に顔面蒼白になり、トイレへ吐きに駆け込んでしまった。
日頃はビッグマウスな彼だが、こういうのには誰よりも弱い。
こういう時に人は普段見せてない部分をさらけ出しやすいのかな。。。


その後も各地の悲惨な映像を見た。いや、見させられた、っていうか、
見たくないのに見てしまった、というか。。。


その後も何時間経っても各地の中継、そしてこの時を待ってました!とばかりに地科学系の学者だか似非評論家みたいのがこの地震のメカニズム説明の繰り返し。
9.11(北米での同時多発テロ)の時などは自称軍事評論家が出てきて勝手な憶測を並べてた、あんな感じ。
あの時(9.11)は他国での出来事でもあるからか、わりと冷めた目で見れたので「くだらん御託を並べるだけでギャラ貰いやがって(-_-;」と聞く耳を持たんかったけど、今回は違う。

この後はどの程度の余震が来るのか?
家に帰れるのか?
週明け、出社できるのか?

色んな不安というか疑問が渦巻いてたので、似非でも何でもいいから可能性のある情報なら仕入れておきたい気持ちのが強かった。

そしてまた岩手宮城エリアの新たな津波や火災映像が流れる。

過去の大規模な災害、、、そう、阪神大震災の時も次から次へと新たな被災映像が流れていたっけ。
ただ、失礼ながらあの時は自身は全く被災していなかったせいもあってか、傍観者な視点でしかなかった。
せいぜい「いずれ募金活動するから奮発しないとな!」程度だった。
しかし今回ばかりは違った。
上手く書けないが、自分達も被災した影響が強いんだろうな。



23時ごろ、エレベータが復旧したとの館内放送が流れた。

飲み直したいのに階段で行くのはもう嫌だったので感謝感激。
皆で地下のコンビニに買いに行ったが、、、

まるで、今日で店じまい?な光景だった。






震災当日に何故かこれだけはケータイカメラで撮ってあった。。。

ほとんどのモノが売り切れ。
恐らくは他のフロアに入ってる企業も会社に泊まり込みを決め込んでまとめ買いしていったのだろう。


■帰宅できる♪のか?■

それらの報道の間、TV画面の上や両サイドには各地からの速報や交通情報が出ていた。
自分の通勤路線、JR東海道線は勿論、都心のJR路線は終日運休の全滅宣言のまま。
一方で私鉄地下鉄は少しずつではあるが復旧予告が出始めた。
復旧線区に住む同僚達は帰宅しだした。
そして23時くらいからの字幕だったか、今度は小田急電鉄が24時から運転開始、と表示された。
それも終夜運転するのだと。凄い!
それに引き替えJRは東海道線以外も全く動こうとしない。
・・・ったく、JRめぇ。。。国鉄気質が抜けずにたるんでるな!凸(-_-;とその時は思った。

JRに頼ってたらいつに帰れるのか分かったもんじゃない。
だから他の私鉄で少しでも地元に近いところまで行って、そこから路線バス、最悪は徒歩しかないな、と思ってた矢先に最も地元に近い私鉄の小田急が動き出す事になってホッとした。


24時を少し回った頃に、小田急沿線に住む同僚が先発隊として帰宅した。
そして新宿駅から電話してくれ、運行本数間隔や混雑具合を教えてくれた。
感謝m(_ _)m
ロマンスカー(特急)と快速急行はさすがに動かないが、急行と鈍行が動き、昼間のダイヤを12時間反転したダイヤで動いてるのだとか。

通常なら終電なんてとっくに出た時間なのに、帰宅難民を配慮してか大盤振る舞いな発車間隔じゃないですか!
小田急、すごいぞ!

それに引き替え我がJRは。。。(-o-; ←くどい



■意外と時間がかかった帰宅■

私は飲みかけの酒の後処理などもしてダラダラしてたせいか、結局午前2時半くらいに会社を後にした。
その時点でまだ4名居残っていたが、買い直した酒で酔いが回ってるのか
「もぉ~めんどくさいから会社に泊まる!♪」
だそうだ(^^;

小田急小田原線で本厚木まで行き、そこから約13kmで自宅。
小田急江ノ島線で藤沢まで行き、そこから約15kmで自宅。
いずれもどうにか徒歩で帰れる距離。バスが無くても夜明け前には自宅に着くだろう、と思ってた。

ところがいざ小田急の駅に着いたら急行は運行中止に。。。

ま、いっか。。。

丁度、本厚木行の鈍行があったので乗った。座席は空いてなかったけどさほどの混雑ではなかった。
鈍行に乗っても急行に抜かされないからホイホイ進むだろう、と気楽に考えてたけど、そこは12時間反転ダイヤ。急行に抜かれる駅ではしっかりと3~5分も停車するのだった。

厳冬の1~2月は過ぎたとはいえ、深夜の午前3時くらいに停車駅の度に扉が全部開くのはなかなか寒くてしんどい。
だからか、途中の駅から車掌が気を利かせて1車両あたり4扉中1扉のみを開けるようにしてくれた。
有り難い。。。m(_ _)m

こんな配慮、JRにはできるかなぁ? ← しつこい


てか、1扉だけ開閉操作ができるなんて初めて知った。

がしかし、ダイヤ通りなら1時間と少しで本厚木駅に着く筈なのに、結局3時間近くもかかった。
その遅れの主要原因はしばし起きる余震の度に減速、徐行、時には停車して安全確認を取るからだ。
それは仕方ない。

そういえば、時折ケータイから鳴り響く緊急エリアメール。
びーっびーっびーっ、、、あれ?ぶーっぶーっだったっけ?
そこそこ混んでる電車の中では殆どの人のケータイから同時に鳴り響くからやかましいのなんの(^^;だったな。
何度も鳴るわりには大きな揺れは来ないので、徐々にオオカミ少年みたいに感じてきた。
・・・本震の時に鳴れっつーの(-_-;

ただ、そのエリアメールの1つだったか、ヤフーに自動送信登録してた災害メールだったか、「長野県で震度6」ってのが着信した時には車内が凍りつく気配を感じた。
皆、帰宅難民ばかりなのか同僚や友人同士で乗り合わせてる人は居ないようで、誰もが会話なぞしてないんだが、このメールが届いた時には車内のあちこちから溜息や絶句が充満したのだった。
恐らくは私と同様「東北だけじゃなく長野でも大きな地震、一体日本はどうなっちゃうんだ・・・?」な感じだったのかな。

結局、長野方面で目立った大きな地震はそれ止まりだったようで良かった。
でも後日に原発が爆発して「一体、日本はどうなっちまうんだ?」と再び思う事になるなんて、この時は予想だにしなかった。


それから数時間が経った午前5時50分くらいだったか、ようやく本厚木駅に着いた。
事実上、徹夜の朝帰りな気分。

だからなのか、電車から降りる人達の顔に「さぁ、もうすぐ家だ♪」なんて表情は誰一人として無く、ひたすら疲れていた。

改札を出てバス・タクシー乗り場に向かう。
この時間なら初バスがある筈。15kmくらいもあるのだからやはり少しでも楽して帰りたいので地元の駅行きに乗ろう、と思ったもののバス乗り場にはバスが1台も止まってなかった。
それどころかタクシーもマイカーでのお迎えも1台も居ない異様な光景だった。

時刻表を見るとこの時間でもある筈なのにおかしいなぁ、と思ってたらバスの運ちゃんの制服を着たおっさんに呼びかけられた。
「お兄さん、バス乗りたいの?」
「ええ、XX駅行きに乗りたかったんだけど、しばらく来ないんですか?」
「すみませんねぇ。夕べの小田急終夜運転に併せてウチ(神奈川中央交通)のバスも終夜運転にしたので、どのバスもその後の運転手が確保出来ないわ、おまけに燃料もあまりないのでしばらく出れないんですよぉ~」
「がーーーん(>_<;」

しゃーない、歩くか。。。(-_-;
と一瞬は思ったものの、朝まで一睡もしてなかったので頭がボーっとしてるし身体もけだるいので、金はかかるけどタクシーにしよう。
とタクシー乗り場に振り向いてみるとタクシーは1台も居ず。不思議なのは待ち客も一人も居ない。
小田急から大量に降りたお客さん達ってみんな歩いて帰ったのか?(・_・?

そこへ運良くタクシーが1台やってきたのでそれに乗り込む。
乗り込んでから「しまった、現金持ってたっけ?」と慌てて財布の中を調べると5千円しか残ってなかった。
夕べの酒代。居残った管理職が私だけだったので気遣いとプライド?意地?いや、見栄だな?で1万円札を出してしまったまま釣銭を貰ってなかったんだっけ・・・(-_-;

「すんません、XX駅方面に向かって欲しいんですけど手持ちが5千円しかないので(^^;、メーターが5千円になる手前まで乗せてください(>人<)」
「お~(笑)、全然問題ないよ♪」

乗車中はずっと昨日の運ちゃんの話しばかり聞かされた。

本震からほどなくして鉄道が全部止まってしまったせいで厚木近辺の道路はこれまでになかったほどの大渋滞だったそうな。
あまりに動かないので客に「このまま行くよりも降りて歩いた方が早いですよ?」と促すも「いえ、これに乗るまで20kmくらい歩いてきてもうヘトヘトなんです。お金かかって良いから乗せてってください」だとか、
運ちゃんのシフト勤務時間が終わって回送(タクシー会社へ帰還)中に停められ横浜に行きたいと言われるも、何時間かかるか分からないし、ガス(燃料)がもう無いんだよ、と断るも、「お願いです!どうしても行かなきゃならないんです!XX万円(←失念)払うから連れてってください!」と泣きつかたり、とか。
なんでも労使協定が厳しいタクシー会社らしく、無線で相談したけどシフト厳守で断れ、だったそうな。。。
もう散々な日だったらしい。
でも勤続十ウン年の中で3本の指に入るくらい売り上げが良かった日でもあったそうな。
「人間ってこういう緊急事態になるととんでもない事をするもんだねぇ。札束で顔を叩かれるような事を言われたのは初めてだよ~」
と同時に
「お客さん(私)みたいに5千円しかない、って人も居るんだから、ほんと人間いろいろだよねぇ~(爆笑)」

・・・すんませんねぇ(^^;

でもそんな売上げレコードを記録したばかりのおかげで
「今日もあまり売り上げがあっても自分の成績にはならないからね。だから途中でメーター止めてお客さんの家まで行ってあげるよ♪」

・・・感謝感激モノでしたm(^o^)m

自宅までもうあと僅か、ってところのJR東海道線の踏切まで来たところで降ろしてもらった。
踏切には貨物列車が停まっておりすぐには開かなそうなのと、どうせだから近くの吉野家の朝定食を食ってから帰ろうと思ったからだ。

運ちゃんに丁重にお礼を言って降り、タクシーで来た道を少し戻って吉野家に向かう。


この吉野家、以前も何度か朝定食を食べに行ったことがある、が朝はいつも閑散としてた。
それがこの日ばかりは駐車場は満車+沿道の国道に2~3台駐車場待ちが並ぶほどの大盛況。

昨日から皆が生活ペースが狂ってるんだろうな。。

焼鮭定食を食べたかったがなんと売り切れ。
仕方なく、というより、吉野家ならやっぱりこれか。

「注文お願いしまーす。並、玉子、味噌汁ね♪」

お新香も付ければよかったな。。。
それにしても徹夜明けの吉野家。入社間もない頃は徹夜が多く、その帰りの定番だったと思い出し、懐かしかった。

完食後、改めて帰宅の途に。

が、なんと、先ほどタクシーから降ろしてもらった踏切にはさっきの貨物列車が停まったままだった。
あ、、、地震直後からJRは全線ストップと言ってたから、まさかこの貨物列車は一晩中ここに停まったまんまか?
と気付く。

あ~~~(>_<)、家は目と鼻の先にあるのにぃ~~~!

一瞬、このまま貨車の連結部分あたりをくぐって渡ってしまおうか?(^^;と悪い考えも浮かんだが万が一に隣の線路に列車が来たらシャレにならん。
諦めて1.5kmくらいかけて回り道した。。。


最後の最後になって凄く疲れた。。。



■すぐ寝るつもりがTVに釘付け■

家に着いたのは7時を回った頃だったろうか。
案の定、家族全員まだ夢の中だった。

すぐに寝たいが、まずは風呂に入りたい。
風呂のスイッチを入れ、湧くまでの間、TVを点けた。

当たり前だがどの局も地震報道ばかり。
津波の映像も幾多も出てくるが、殆どが昨夜会社で見た映像ばかり。
一方で昨日からの震度5以上の地震回数(数字は失念)にはえらくびっくりした。

昨夜も電車の中で思ったっけ。「一体、日本はどうなっちまうんだ?」

などと思ってたら長女が起きてきた。
地震発生直後からの家の中の事、寝起きだというのに興奮気味に事細かに話してくれた。
地震が落ち着いてしばらくしてからお湯を出そうとしたらずっと水のままで湯が沸かせなかったらしい。
が、長女がスマホで検索してどこぞのサイトから地震による自動弁が閉じたからと調べ、自分で解除してお湯が出せるようになったのだそうだ。
高2のオナゴにくせにそんなん調べて直すなんて大したもんだと感心。

風呂が沸いたので入った。
あれだけの地震だったのに、水道も電気もあるしガスもある。幸せだ。
と日頃は空気と同じ程度にしか感じてなかったインフラに感謝した。
東北は散々な状態なのだから申し訳ないくらいだ。

湯に浸かったまま寝てしまったらしく、目が覚めた時は9時を過ぎてた(筈)。

風呂から出たら家族全員が目を覚ましていてしばし話したが、風呂で寝てたくせにまた睡魔が襲ってきて、そそくさと布団に潜った。

まさかその後に目覚めた数時間後に原子力発電所が爆発するなんて知る由もなかった。



とりあえず、ここで一旦打ち切ろう。


あれから6年経った東北。これからも頑張ろう!
Posted at 2017/03/11 22:47:14 | コメント(1) | トラックバック(0) | その他 | 暮らし/家族

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「@LAPUTA ほんとお久しぶりです!ここ数年は仕事も最後の追い上げとばかりのハゲしい鞭に叩かれながらなのでみんカラはほぼ休業してました。たまーにはボチボチ書いてみたいなーと思っとります。」
何シテル?   03/31 20:30
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