
なんかここ最近、高齢者による交通事故のニュースが毎日何件も報道されとる。。。
報道されない日はピターーーッとしばらく報道されんのだけど、一度でかい事故があるとしばらくは連日連夜他の高齢者事故の報道がニュースにウヨウヨと出てくる。
でもしばらくすると記事にならなくなる。そんなパターンの繰り返しですね。
こういう報道はネットならアクセス数やテレビなら視聴率が取れそうな記事が優先されるから、飽きられた頃だと記事にしないだろうからね。
少子高齢社会。
今や高齢者の運転者数って若年層の2~3倍はいるんじゃないか?
一時は1日に4~5件も高齢者事故の報道があったくらいだから、高齢者による事故が無かった日なんて無いと思っておいて良いと思ってます。
オイラのブログなので例によって以下はダラダラと長くなってしまいましたが、
その長さの主の部分・・・我が親と友人父の実例・・・を見て自分の胸に手をやると、
果たしてオイラ自身、本当に将来「もう運転をやめるべきだな」ときっぱりと捨てる事が出来るのか?と不安になることしきりです。
ここ(みんカラ)は車好き=運転好きが多いので、同じ風になる人も多そうな気もしてます。
昔のブログを覚えてる方ならご存知のとおり、我が父と母には昨年の6月に運転する事を放棄させました。
当時で80歳と73歳です。
きっかけは母が事故を起こしたからです。
アクセルとブレーキを踏み間違えて民家の門戸を大破させる事故を起こしてしまったんですよね。
それを期にオイラから説得して運転するのをやめさせた次第です。
事故を起こしたから辞めさせた。・・・はっきり言って辞めさせるのが遅すぎたクチです。
ですのでそれに対する非は甘んじて受けます。
幸い、人は居なかったのでいわゆる物損事故で済みましたが、それでも被害に遭われた方は自宅の一部を損壊されたのですからそれなりの心の傷と怒りがあるのです。
だから相手が人であろうがモノであろうが、高齢(体力や集中力衰弱、認知、その他諸々)で運転力が劣ってきたと思ったら辞めるべきなんですよね。
それを当の本人が自覚してくれるのが一番なのですが、なかなかそうならないのが多くの実態じゃないかな、と思うのです。
事故を起こした母は当時からパーキンソン病を患ってはいましたが当時はまだ進行初期的症状でしたし、運転する体力も識別力もありました。とっさの判断力は若者ほどはないですが、年相応レベルはあったかと。
強いて言えば時折ハラハラする事もありましたが、それは高齢になる以前、母が免許を取った(確か45歳くらいだったか?)の頃からの性格由来な「ざ・おばたりあん」な運転技術ってところであり、そこは諦めて目を瞑ってました。
親の最後の愛車となったモコを買う時も、オイラ自身も「この運転能力ならまだギリギリ少し手前のレベルで大丈夫かな?」と思ってた、いや、今にして思えば過信でしたね。
事故後、運転する事を辞める事に同意してもらった後、事後談として色々とボロボロ白状してくれました。
やはり少し前から「とっさにアクセルとブレーキを踏み間違えた事は何度かあった」と。
でも踏み始めですぐ気付いたとか、幸いにも物損事故すらにもならなかったので誰にも黙っていたそうです。
そんな事を家族や周りに喋ってしまうと、当時から散々ニュースでも言われてた「高齢者の事故」と同じ扱いにされて免許を取り上げられてしまう、車が無いと生活ができない、買い物どころか病院にも行けない。
だから誰にも言えんかった。という事だったそうです。
・・・正直言ってその時は呆れました。そして怒りました。
「あのなー、それで人を轢き殺してたかもしれんのだぞ!お袋自身が『ウチは交通事故で家族を亡くしてるから同じ事を人にはしたくない。運転に自信が無くなったら免許証を返す』と言ってたろが!」
答えに詰まってましたが、結局のところ、「まだ大丈夫」という過信か誤解と「車が無いと生活できない」という必要性の2つが主な理由だと思われます。
日々報道される高齢者運転による人身事故を見てて思うのですが、この人達の何割か、いや、半数か半数以上は我が母と同じように、他人には黙って、自分に無理を利かせて(そしてそれを無理だとは思わずに)運転してるんじゃなかろうか、と。
少し上にも書きましたが、我が家の場合ですと事故を起こす前にそれを家族が予見する事はほぼ不可能です(でした)。
予見できなかったとなると、こういう事故は起こるべくして起きている、と思うしかないのかな、と。。。
多くの人が知ってのとおり、高齢者の運転免許更新は若者と違って実技講習があります。
これをクリアしないと免許更新できない、って建前です。
が、これも以前に報道で見ましたし、我が家の近所の教習所の話しも聞きましたが、仮に技能が著しく劣っていても余程でない限り免許更新の妨げになってないのですよね。割と簡単に免許更新できちゃってるのです。
なんでそんな程度のザルなシステムなのか?
そこは警視庁・国交省・あれ?あとも1つ何だっけ?とのお役所仕事のザ・縦割りによる責任転嫁&放棄が主要因らしいですね。
もっとも、教習所のコースのような安全が確保されたコースでとっさの判断能力なんて測れんでしょうしね。
来年からは記憶力判断力が劣る人には医師の診断が強制されるそうだけど、説明を読む限り、イコール免許更新停止には繋がらなさそうですので、これも実社会での効力は期待できないですよね。
我が家の場合は幸いにもオイラ達ムスコ世帯が同じ市内だから、事故以後はムスコ夫婦で買い物の代行・同行や病院送迎をしてます。
というか、それを提案して運転を諦めてもらった、って感じでした。
だからもし免許更新制度が厳しくなって行政から強制的に免許を剥奪されても生活面への影響はさほどありません。
(そういう負担を強いられるようになったムスコ達の疲弊はありますけどね。。。)
一方、家族が遠方だとか居ない、高齢者だけの世帯はどうしたらいいの?と。
世の中、そういう世帯の方が圧倒的多数ですよね?
そんな方々から運転免許を取り上げたら、今度は孤独死や餓死が多くなるのでは?
あるいは無免許運転の横行とか。
オイラも介護に無知だった頃は
「クルマが無いなら買い物ヘルパーに頼めばいいじゃん」
「クルマは売却してタクシーにすれば?クルマ買うより安上がりなくらいかもよ?」
とか思ってましたが、それだけではない、身近に車が無いと不自由なシチュエーションって山ほどあったんですよね。ヘルパーにしてもそんな用事にまで利用してしまうとあっという間に介護保険枠から越えて自腹になってしまうのです。
歳をとるってのは頭が固くなるのが一般的であり、既成概念から抜け出せないというか、ライフスタイルが大きく変わるのをどんどん怖くなるのです(だと思う)。だから尚の事、車が手放せなくなるのかとも思うのです。
なので、同居や近所に身内が居ない高齢者は「まだ大丈夫♪」と自身に言い聞かせて車を運転してしまうんでしょう。
そんな実情を踏まえると、一概に高齢者の運転を一方的に止めさせるわけにもいかんでしょう。
もしかしたら今の行政はそこも踏まえて高齢者の免許更新に甘い部分を残してるのかも、と思える節すら感じます。
でも、それと引き換えに
今日もまたどこかで悲惨な事故が起きている(筈な)のです。
親が事故を起こしたくせに偉そうなことを言うなよ、と言われたら身も蓋もないですが、
開き直って言わせてもらうと「親が事故した経験を持ってるからこそ」言いたいことがあります。
・・・高齢で運転されてる親御さんを持つ方に於かれましては、今一度、自分の親御さんの運転状態を見極めて頂けたら、と思う次第です。
口では「まだ大丈夫」と言われるでしょうし、たまの同乗くらいでは「運転力はまだ衰えてないかな?」と思うかもしれません(オイラもそうでしたから)。
でもそれを何度か続けると、「もしかしたら少しヤバいか?」と思える時があると思うのです。
その時が「辞めさせ時」なのかな、と。
一方、オイラのように油断してそれが見極められない事も多いかもしれません。
が、過去何年も何十年も親御さんの運転に同乗した事が無い人ならばきっと「うちの親、運転の注意力が落ちたな」と思うでしょうから、まずはそこから確認するのがいつか免許返上を勧告する時の第一歩だと思うのです。
辞めさせた後の交通手段・生活手段をどうするのかは各家庭の事情もあるのでとやかく言えません。言えないくせに無責任な提案するな、と突っ込まれても仕方ないですが、高齢で運転に不安が出そうな親を持っているのならば、それをどこかのタイミングで辞めさせるのは家族としての責務ではないか?、と思うのです。
「親は自分以上の大人。自身の事は自身で決めさせる」って意見もあろうかと思いますが、その結果が毎日止まらない高齢者事故じゃないかと思うのです。
そうは言ってもなかなかそうできないのが実情なのかな。。。
親御さんが人を轢いた。それを「親がした事。自分は関係ない。だから被害者に詫びる義務もない」と言い切れる人には聞く耳持ってもらえない話しでしょうかね。。。
同い年の友人の親の実話です。
S県の湖のほとりに住まわれてる83歳(だったと思う)男性。奥様は数年前に他界され現在は独居。
身体は至って健康そうですが軽度の認知症と診断され、要介護認定「1」。
生活面でかなり面倒・支障が増えたため、長男(友人)が住む神奈川に引き取ろうとするも固辞。
最大の理由は「一生懸命働いて稼いで建てた家を手放したくない」と。
そこでせめてと、生活介護(介助?)のためにヘルパー訪問を付けたが「俺はボケ老人じゃない!ヘルパーなんて要らん!」と居留守や外出で入れない時も多い。
そして車の自損事故が多くなり、免許返上を求めるも「人に当てたわけじゃないから問題ない」と固辞。
オイラの親と同様、「車が無きゃ生活できん」の一点張り。
そんな折、田んぼに脱輪させてしまい、脱出できなかったからか田んぼに放置したまま徒歩で帰宅。警察&レッカーの騒ぎとなった。
呆れと同時に「次こそもうヤバい!」と思った息子が車のキーを取り上げて隠すも、車の販売店にスペアキーを注文してしまう始末。
警察に相談するも「免許を失効や更新不可でなかった限りは警察は手を出せない」、車の販売店にキーの再発行を止めように言うも「車の所有者がご本人である限りは断れない」。
そして最近、免許の更新ができてしまったそうな。
講習で色々指摘はあったらしいが「免許が更新できたって事は運転して良い、と国が認めたんだから文句言うな」と。
さすがに強制執行で神奈川に連行も考えたそうですが、奥様から「あんな頑固に変わってしまったお義父さんとの同居は・・・(>_<)」で板挟み。
今、友人は頭を抱えてます。。。
当時のブログに書きましたが、オイラも父に運転放棄させるのは苦労しましたが、これはそれ以上の難易度だと思います。。。
そしてこんな話しを聞かされると、「ああ、だから高齢者事故は減らないんだな」と納得です。
友人の話しによると、父上の若い頃(と言っても30~50代)は躾面では厳しい人だったそうですが普段は比較的温厚で「どこにでも居そうなフツーの親父」だったそうな。
それが、奥様が亡くなられたからなのか、認知症が出だしたからか、要介護認定を言われたからなのか、は分かりませんが近年になってから急に身勝手になって手に負えなくなってしまったそうです。
うちの親もそうですが、後期高齢世代になるにつれ、変わってきました。
パッと見、自己中になったというか、頑固になったというか。
会社の年配層から聞かされましたが、老人のみ世帯(家族と別居)ほどそういうもんらしいです。
多分、老化で周りの事を意識しにくくなってきて、それ以外の事(自分がしたい事)が前面、いや、全面に出てしまうのかな、な気がします。
だから「老化」ってのは単に全てが均等に老いてくんじゃないんですね。
こんな事ばかり書いてると老人迫害にも読まれかねないですかね。
そんなとこに真意は無いので誤解なきよう。
言いたい事は「高齢者事故をゼロにはできんけど、家族がいるなら誘導や勧告、酷ければ止めさせようよ」って事です。
って事でようやくタイトルの件に戻り着くのですが、
オイラは今のところ、自身の親が事故を起こした事で「自分こそ怪しいと思ったら躊躇せずに自主返納しよう」と思ってます。
が、反面、高齢になると考え方が変わってくる実例も目の当たりにしてますので、老人になったオイラが本当にその行動に移せるのか?・・・不安でなりませぬ。
やはり先日の愚痴ブログに書いた通り、そういう判断力の年齢になる前にポックリと逝ってしまうのが理想だなぁ。。。
愚痴というか文句:
相変わらずSNSでは(あ、ここもSNSか)ではこの手の事故を取り上げては「運転してたジジィが死ねばよかったんだ」だの、よくもまぁ好き勝手放題に書くよね。
そのジィさんだって好きで・殺意を持って人を殺したんじゃないのにさ。
自分だっていずれジジィやババァになるのを分かってないんだろうか?
それとも、ジジババになってもそんな人間には絶対にならん、という慢心なのだろうか?
こんな輩こそ、ジジババになった頃に自身で運転放棄する事が出来るのか?と思います。
こういう奴らが将来ジジババになって事故を起こし、そしてその頃の若者に叩かれたらなんて思うのだろうか?
それを見てみたいものです。