こんな
ニュースがありました。
面白い&考えさせられる記事だと思います(笑)
確かに何かあると、どのチャンネルを回しても同じネタしかやっていません(汗)
また、そして攻撃対象を見つけて批判を繰り返しているのが多いですね…(汗)
いつもなら「詳しくは記事へのリンクを見てね(笑)」と書きますが、あえて記事を一部抜粋してブログに書きました。
(見辛い時は記事本体に飛んでみた方が見やすいと思います)
以下、記事抜粋部分
社会を論じる場が崩れてきている
テレビ放送は娯楽の側面がある一方で、世論形成で重要な役割を持っている。
何が肯定され何が良くないとされるのか、テレビの中の論調が大きな影響を与えていると思う。
ここまで見てきた話題集中の傾向は、そんな世論形成機能に悪影響をもたらしていないだろうか。
例えばITジャーナリストの佐々木俊尚氏は論壇の境界線がなくなったことを指摘する。
ひと昔前はワイドショーは政治は扱わなかったしニュース番組で芸能が扱われることは少なかった。
だがいまは、ワイドショーとニュースの区別が消えて、お笑い芸人が政治を語り経済評論家が不倫にコメントする。
何についてどの番組で誰が言うのが信じられるのか、ぐちゃぐちゃになってしまった。
また、テレビ視聴者は高齢化しておりお年寄りは一日中テレビを見ている。
そして先に見た通り昼間の情報番組が特定の話題を長々と掘り下げる。
だから例えば、お年寄りは相撲界の問題点を熟知している。
森友問題報道にどっぷり浸って安倍政権に批判的だが、若者はそうでもない。
大きな分断化をもたらしてしまっているのではないか。
いちばん良くないのは、「集中砲火」が当たり前になり、個人を徹底的に攻撃する空気が蔓延してしまった。
舛添氏は確かに印象が悪かった。
日大アメフト部の内田元部長は良くない点があったのだろう。
だがあそこまで時間を費やして「攻撃」するべき存在だっただろうか。
舛添氏も内田氏も犯罪者ではないのだ。
私的処刑すれすれのことを、テレビが、そしてそれを見る視聴者がやってしまっている気がする。
多様性を放棄したテレビ
この傾向でもっとも打撃を受けているのは、他ならぬテレビ局ではないかと私は思う。
テレビはその昔、すべての入口だった。
映画も科学も海外のことも、すべて最初にテレビで興味を持った。
だがいまテレビはそんな多様性を忘れ、叩くべき対象を探していつもイライラしているだけの、ささくれだった存在に陥っているのではないか。
日大アメフト部の話題を取り上げると視聴率が上がるのだから、視聴者の要望に添っているのだ。
そんな反論も聞こえてきそうだ。だが20%30%を取るならともかく、7%を8%にするために誰かを攻撃する時、もっと多くの人びとが辟易してそうだ。
1%視聴率が上がったことで、それよりずっと多くの数字を失っているのかもしれない。
私もそのひとりだ。
山根会長の顔が出てくるとチャンネルを変えている。
場合によってはテレビを消してしまう。
メディア環境が激変し、明らかにテレビはパラダイムシフトすべき過渡期を迎えた。
10年後の姿をイメージして新しい道を見出さないと、しまいにはどんなに集中砲火を浴びせても誰も関心を払わない寂しいメディアになるかもしれない。
その可能性はどんどん高まっていると私は思う。
以上、記事抜粋終わり
私個人の考えですが…
この記事のように情報の出し手(この記事で言うとテレビ側)の問題と書かれていますが、情報の受け取り手(この記事で言うと視聴者側)にも問題があると思います。
絶え間なく流され続ける情報を自分が受け取った時に、その内容を鵜呑みにするのでは無く、自分自身が考えて処理をしないといけないのでは?と思います。
最後までこのクソ長い本ブログを読んで頂いた方々…(笑)
少しでもリンク先の記事内容に何かを感じて「ちょっと考えてみよう」と思って頂ければ幸いです(笑)
Posted at 2018/08/23 12:00:02 | |
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