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くろまめたろうのブログ一覧

2016年07月13日 イイね!

九段線

九段線九段線(きゅうだんせん、英語: Nine-dotted Line)、またはU字線、牛舌線(越:???ng 9 ?o?n/???ng l??i bo/???ng ch? U/塘??段/塘????/塘字U)は、南シナ海の領有権問題に関して、1953年から中華人民共和国がその全域にわたる権利を主張するために地図上に引いている破線である。断続する9つの線の連なりにより示される。1947年に中華民国が同様の目的で、地図上に引いた11本の線(十一段線)から2線を除去し、1953年に新たに書き直されたものである[1]。中華民国(台湾)では十一段線の主張を継続している[2]。なお、この中国側の主張についてフィリピンが国連海洋法条約に基づきオランダ・ハーグの仲裁裁判所に提訴した裁判において、2016年7月12日の判決で九段線に国際法上の根拠がないと認定された。

その形から「(中国の)赤い舌」とも呼ばれている[3][4]
[https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/ce/9_dotted_line.png/800px-9_dotted_line.png]
Posted at 2016/07/13 10:26:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ
2016年07月13日 イイね!

常設仲裁裁判所

常設仲裁裁判所常設仲裁裁判所(じょうせつちゅうさいさいばんしょ、英: Permanent Court of Arbitration、仏: Cour d'arbitrage international de La Haye)は、1899年の第1回ハーグ平和会議で設立された常設の仲裁法廷である。1899年に採択された原条約は1907年の第2回ハーグ平和会議で改正され、103の国が原条約または改正条約のいずれかを批准している。当裁判所はオランダ・ハーグに設置されている。
常設仲裁裁判所は国家・私人・国際機関の間の紛争における仲裁・調停・国際審査の運営を行うため、その業務は国際法と国際私法の両領域を含む。当裁判所は事務局および仲裁人候補者リストによって構成され、紛争当事者はこのリストから裁判官を選定することになる。
当裁判所の公的な作業語はフランス語および英語であるが、紛争当事者間の取り決めにより合意された言語で開廷することができる。当裁判所の手続規則はUNCITRAL(国際連合国際商取引法委員会、CNUDCI)の仲裁規則に基づいている。仮に国家主権原則により当裁判所が強制的管轄を有さなくとも、言い渡された仲裁判断は強制力を有する。
ハーグ司法ポータルは、ハーグに所在する国際機関および国際裁判所のあらゆる情報および文書へのアクセスを提供しているが、当裁判所とも密接な連携を保っており、常設仲裁裁判所重要裁判集の作成プロジェクトを立ち上げている。
Posted at 2016/07/13 10:22:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2016年07月12日 イイね!

土佐のほっぱん

土佐のほっぱん土佐のほっぱん(とさのほっぱん)とは、高知県南西部の太平洋沿岸に面した、ごく限られた地区にかつて存在した風土病である[† 1]。
夏の限られた期間に発生する不明発熱性発疹性疾患[1]であり、極めて狭いエリア特有の疾患であったため、記録に残る患者総数こそ少ないものの、前兆もなく突然原因不明の高熱を発症し、やがて赤色や紫色の発疹が全身に多数現れ、発病からわずか数週間のうちに、その半数以上が原因の分からないまま死亡した。
この死亡率の高さと原因不明の発熱発疹の奇怪な症状から、古くから当地の人々の間では名主の祟りと信じられ恐れられていた[2][3]。
「土佐のほっぱん」の正体は、寄生虫学者の佐々学(さっさまなぶ)が1951年(昭和26年)に行った現地調査により、新種のツツガムシ(トサツツガムシ Leptotrombidium tosa)によって媒介される新型のツツガムシ病 であることが解明された。同じ頃、その他複数の「新型ツツガムシ病」と考えられる事例が日本各地で報告され始めていたが、それまでの日本の医学界では、死者を出すツツガムシ病は秋田・山形・新潟3県特有の風土病と考えられていた。従来の流行地から遠く離れた四国の太平洋沿岸で死者を出すツツガムシ病が確認されたことにより、各地に生息する未確認のツツガムシの生態調査研究が進められ、その結果、それまで日本の各地で原因不明の熱病とされていた複数の風土病が、新型のツツガムシ病であることが判明した。
今日、日本国内のツツガムシ病は、アカツツガムシLeptotrombidium akamushiを媒介者とする秋田・山形・新潟各県のものを古典型ツツガムシ病 、それ以外の地域の別種のツツガムシを媒介者とするものを新型ツツガムシ病として分類している[4]。なお、「土佐のほっぱん」と呼ばれたトサツツガムシを媒介者とする「四国型ツツガムシ病」は1980年(昭和55年)頃以降、新たな発生は確認されていない[1]。
Posted at 2016/07/12 10:15:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2016年07月11日 イイね!

妙高 (重巡洋艦)

妙高 (重巡洋艦)昭和18年(1943年)11月1日、連合艦隊は第五戦隊司令官大森仙太郎少将(旗艦妙高)を指揮官とする連合襲撃隊を編制し、本隊(大森少将直率:第五戦隊《妙高、羽黒》)、第一警戒隊(第三水雷戦隊司令官伊集院松治少将:川内、第27駆逐隊《時雨、五月雨、白露》)、第二警戒隊(十戦隊司令官大杉守一少将:阿賀野、駆逐艦《長波、初風、若月》)、輸送隊(山代勝守大佐:駆逐艦《天霧、文月、卯月、夕凪、水無月》)という戦力でブーゲンビル島タロキナ岬に上陸したアメリカ軍に対し逆上陸計画を企図する[20]。だが輸送隊は引き返し、主隊・第一警戒隊・第二警戒隊でアメリカ軍輸送船団の撃滅を目指した[20]。これをアーロン・S・メリル少将率いる巡洋艦4隻・駆逐艦8隻の艦隊が迎撃する[21]。ブーゲンビル島沖海戦である。

11月1日午後11時30分以降、妙高、羽黒の偵察機が米艦隊発見を報告する[21]。11月2日00時45分、時雨が第一警戒隊左前方から接近する米艦隊発見を報告、つづいて川内もそれを認めた[21]。最初に米艦隊と交戦したのは第一警戒隊で、川内は00時55分には炎上して舵故障を起こし、戦闘不能となる[21]。主隊と第二警戒隊は回避行動に専念し、午前1時7分に妙高と初風の衝突を招いた[22]。時雨の報告から26分が経過した午前1時16分に妙高と羽黒は射撃を開始する[22]。第五戦隊は『敵一番艦ニ命中弾数発ヲ認ムルト同時 魚雷命中ノ水柱ヲ認ム 敵二番艦魚雷二本命中撃沈 敵三(又ハ四)番艦ニ魚雷命中水柱大火災ヲ認ム』と報告しているが、軽巡デンバーに不発弾3発、駆逐艦スペンスに1発が命中して小破しただけだった[21]。 大戦果を挙げたと誤認した大森司令官は各隊に撤収を下令、米艦隊はこれを追撃して戦場に取り残されていた川内、初風を撃沈した[21]。戦闘終了後、第五戦隊は『重巡洋艦1隻轟沈、同2隻魚雷命中撃沈確実、大型駆逐艦2隻轟沈、重巡あるいは大型駆逐艦1隻魚雷命中撃沈確実、駆逐艦1隻同士討ちで損傷、重巡1ないし2隻および駆逐艦に命中弾』と報告した。実際の損害は第一警戒隊(川内、時雨、五月雨、白露)による駆逐艦フートの大破、五戦隊によるデンバー、スペンスの小破だった[21]。ほかにモントピリアに魚雷2本命中も不発、サッチャーの衝突により小破。戦術的(損傷艦)および戦略的(輸送船団撃滅失敗)にも本海戦は日本軍の完敗で終わった[22]。翌朝、羽黒からは妙高の前部左舷に初風の甲板がぶらさがっている光景が見られたという[23]。このあと大森少将は第五戦隊司令官を解任された。

昭和19年(1944年)6月のマリアナ沖海戦、10月中旬のレイテ沖海戦等に参加する。10月24日、シブヤン海で空襲を受け魚雷1本が命中、早々に栗田艦隊から落伍して戦場からの撤退を命じられた。12月13日、レイテ沖海戦での損傷修理に日本本国に戻るため駆逐艦を護衛にサイゴン沖を航行中のところを米潜水艦バーゴール (USS Bergall, SS-320) の夜間雷撃により艦尾を切断した。妙高は主砲と高角砲で二二号電探を使用したレーダー射撃を実施し、バーゴールに命中弾を与え大破させたが信管が作動せず沈没させることは出来なかった。航行不能となった妙高はシンガポールに曳航され、同様に航行不能状態で同地に所在していた重巡高雄とともに防空艦として同地に留まることとなった[24]。高角砲と機銃の大部分は陸上陣地に移設され[24]、乗員は臨時陸戦隊に編成された。妙高はこの後も主缶と補機類(発電機など)は使用可能であり、自力での投揚錨、通信、電力供給などが可能な状態で終戦を迎えた。
[妙高]
Posted at 2016/07/11 10:24:10 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ
2016年07月11日 イイね!

足柄 (重巡洋艦)

足柄 (重巡洋艦)足柄は1929年(昭和4年)8月20日神戸川崎造船所で竣工した。1935年(昭和10年)4月7日の標柱間速力試験では排水量13,000tで実測35.6ノットを発揮した[5]。しかし9月14日の演習中に足柄の2番砲塔で事故が発生し、13名が死亡した。1937年(昭和12年)にはイギリスに派遣され、5月20日のジョージ6世戴冠記念観艦式に参加する。その後、ドイツのキール軍港に寄港しつつ帰路についた。佐世保軍港で整備したのち10月より東南アジア方面に進出して活動した[6]。12月11日、第四艦隊旗艦(司令官:豊田副武海軍中将)として台湾周辺海域で行動中、台湾東南洋上の火燃島に座礁したアメリカの豪華客船プレジデントフーバー号の救援に赴く[7]。足柄の乗組員はアメリカ駆逐艦が到着するまで火燃島に上陸したアメリカ客船乗客を保護した[8]。1941年(昭和16年)初頭より仏印進駐を支援し、9月23日に佐世保へ帰還した[9]。足柄は第三艦隊第十六戦隊旗艦となり、10月10日には高橋伊望中将が乗艦している[10]。11月29日南方へ出撃、太平洋戦争(大東亜戦争)開戦後は12月のフィリピン侵攻に参加した。12月10日には米軍機の編隊(5機編成)の空襲を受ける。米軍機は高度6000mから足柄に向けて爆弾を投下、足柄は直ちに高角砲にて応戦した。結果、爆弾は足柄艦尾50m付近に着弾したため大事には至らなかった。この様子を足柄を旗艦とする第十六戦隊を護衛していた駆逐艦朝風の乗員である佐野直一海軍三等兵曹 は自著にて以下のように回想している。「(中略)足柄は直ちに高角砲にて射撃を始めたる時は敵機は爆弾投下せしなり。爆弾は足柄艦尾五十米の近くに投下大音響と共に山の如き物凄き水煙を上げたり。全く敵ながら六千米の高度より五十米離れただけだった。もしも命中せば足柄も海中の底深く沈んでいったであろうと思った時爆撃の物凄さを沁々と味わう事が出来た。敵機は高角砲に驚かされて一目散に飛去れり。敵機は米のダグラス大型戦闘機であった。」
Posted at 2016/07/11 10:21:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

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何シテル?   05/25 16:44
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