20120205 千本城①
投稿日 : 2012年02月15日
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千葉県君津市広岡にある千本城へ行ってきました。
千本城は、戦国大名 里見氏の本拠 久留里城から南南西4kmほどのところにある山城です。
木更津へと流れる小櫃川や現在の国道410号線 久留里街道の物流の監視をする支城でした。
久留里街道よりJR久留里線 上総松丘駅周辺の住宅地に城址の入口があり、STでなくても対向車とのすれ違いは不可能な細い道ですが、400mほど入ったところに車を止められました。
舗装の切れるここから山に入るのですが、道は旧大手道と思われる女坂と本曲輪跡にある北野神社参道の男坂があります。
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特に深く考える事も無く男坂。
この道は、あくまでも新たに作られた参道なので遺構は無いようです。
比高は100m弱で、男坂って言う割には難なく登れる参道です。
ただ先に行った富津市の佐貫城で時間を使いすぎたので、時間に追われ慌て気味…
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途中で見える風景。
山頂からの見晴らしはどうだったんだろ?
確認し忘れてました。
千本城は、室町時代に安房里見氏の初代 里見義実が築城したという伝承があるそうですが、その頃に上総に進出していたのか疑わしいこともあり、はっきり分かっていません。
里見氏は、元々は上野国(群馬県)碓氷郡里見郷に住んだ新田氏の庶流です。
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尾根上へ出てようやく遺構に出会いました。
通路右側の木立の中が堀切なんです。
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結構大きな堀切ですが、尾根の幅がそれほど無いのでこれ以上は下がれず・・・
フレームに納まりきりません。
戦国大名 里見氏に最も勢いがあったのは、戦国時代中期から末期にかけて里見義堯とその子義弘の時代です。
里見氏の本拠 久留里城の支城として、千本城が整備されたのもこの頃のことでしょう。
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参道の左側にも腰曲輪がありましたので、木立の中に侵入・・・
本曲輪の周囲は、削られた垂直の崖状になっています。
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本曲輪から伸びる尾根の一つが、堀切を設け断ち切られています。
一進一退を繰り返しながら、安房から上総全域と下総南部まで勢力を伸ばしますが、里見義弘は晩年まで子に恵まれず、弟の義頼を養子とし跡を継がせるつもりでした。
義頼は、弟ではなく庶長子であるという説もあるそうです。
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断ち切られた尾根は、ひと一人やっと立てる程度の幅で、向こう側は登りようもないような急斜面です。
覗くのが怖いくらいの角度・・・
他の戦国大名でも聞いたことのあるような話ですが、義弘が義頼を後継ぎに決めてしまった後で正室との間に梅王丸が生まれてしまいました。
義弘は後に久留里城で病死するのですが、何を血迷ったのか領国を義頼と梅王丸で分割支配するよう遺言を残したそうです。
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