ルネッサ仲間の
ひろしまさんとの秩父廃校巡り、第2弾です。
(第1回の様子は
コチラ)
今回もお互いの中間地点、有間ダム(名栗湖)に11時集合、お約束のおしゃべりタイムからスタート。
周遊での白バイ話が面白かった。
飯能市立南川小学校
さてそれでは最初の南川小学校に行きましょうかと、県53を北上して県395、天目指峠を目指しますが、分岐点をロストしてしまい、仕方無く山伏峠・正丸峠経由に変更。
正丸峠で小休止。ひろしまさんは奥村茶屋にてイニDステッカーを購入。営業熱心なお婆ちゃんは相変わらずで、ご健在でした。
ココは道も荒れ、走り屋の数は少なそうです。ウン十年前の深夜の光景が懐かしく思い出されます。
その後、国299を暫く飯能方面に走って南川小学校に到着。
南川小学校は平成5年閉校。
木造の校舎ですが、昇降口付近のみモルタルで洋館風に改装された、和洋折衷の趣のある校舎です。別棟に小さな旧校舎もあり、公民館として利用されているようです。
一部痛み始めているものの、集落のど真ん中にあり、地域の人たちに大切に管理されている感じでした。
飯能市立北川小学校
南川小学校から国299を更に下り、西吾野駅入口の信号を左折、暫く線路と川に沿って進んだ先に、北川小学校はあります。
位置的には南川小学校から一尾根越えた北側になります。
この学校も平成5年の閉校により、吾野小学校に統合されたようです。
校舎は南川小の旧校舎に似ています。
平屋の為(?)か、傷みが少ないのが印象的でした。
ここも自治体による管理がされているようで、トイレが新しくなっているところをみると、なにかしら利用されている感じがしました。
しかし南川小/北川小ともに、体育館(講堂)がないのは土地柄故、広い敷地が確保出来ないからなのでしょうか。
横瀬町立芦ヶ久保小学校入山分校
国299へ戻り秩父方面へ。先程頭上を通過した正丸トンネルを潜り、出てすぐの信号(三差路)左側に入山分校跡はあります。
ここは既に校舎はなく、記念碑と門柱のみが残されているだけで、往時の姿は偲ぶことはできません。
昭和27年開校、41年閉校という、たった14年しか存在しなかった分校です。
閉校の理由は正丸トンネル建設に伴う用地提供だそうで、校舎等は当時から既に取り壊されていたようです。
国299は今でも大型トラックの往来が激しく、首都圏への大動脈として秩父地方の経済に与えた影響は相当なものと思われます。
横瀬町立芦ヶ久保小学校
正丸トンネルから更に秩父方面に下って、道の駅「あしがくぼ」へ。
道の駅(または芦ヶ久保駅)から川を挟んだ斜向かい(299沿い)に芦ヶ久保小学校はあります。
ここは平成21年3月閉校、つまり閉校したてのホヤホヤ。
昭和10年建築の木造校舎は、南川小学校と同様、校舎の一部がモルタルで洋館チックに改修されており、音楽室や調理室等の実習棟として使用されていたようです。
通常の教室は一段高い敷地にある、鉄筋コンクリート製の小さな校舎がそれのようです。この教室棟と実習棟を結ぶ、階段状の木造渡り廊下が強く記憶に残ります。
校庭の遊具も健在です。ふと、鉄棒が目に留まり、数日前のドラマで阿部寛が逆上がりしていたのに触発され、恐らく30年振りであろう逆上がりをひろしまさんに披露。あー出来てよかった!
路の駅「あしがくぼ」では、変金工さんに遭遇しました。乗っていたのはPANDA号。
ひろしまさんは早速取材攻勢をかけていました(^^)
旧大滝村立光岩小学校
秩父市内に入って時間は既に3時前。
前回食べ損ねたワラジカツ、小鹿野の安田屋は遠いので、秩父市内の安田屋日野田店で遅い昼食。ひろしまさんにはご満足頂けたご様子(^^)
ここでは、他のお客さんに”ひろしまさん”がいてお互いにビックリ&意気投合しておりました。
食後は光岩小学校を目指しましょうと言う事で意見が一致、国140を滝沢ダム方面に向かいます。
秩父市内から10kmほど進んだ右側の高台、荒川を挟んだ対岸に巣場地区が見える場所に光岩小学校はあります。
光岩小学校は、平成13年3月閉校。
校舎のデザインは、今日回った学校の中では一番モダンです。
何かに使われるのか保存の為か、校舎の壁面が淡い色のペンキで塗られていました。
校庭も山間地にしては珍しく広くて立派です。
校庭を背にして左上方を仰ぎ見ると、学校名の由来となった「光岩」と呼ばれる断崖が見えますが、なぜ「光岩」なのかについては良く分かりません。
両神神社で参拝
ここで時刻はすでに4時半。帰りのルートを考えますが、まっすぐ帰るのもつまらないので両神神社を参拝してから帰りましょうという事で話がまとまり出発。
国140を秩父方向にもどり、県37から県279、県279の行き止まりが両神神社。
一軒だけ残っている民宿「両神山荘」の案内犬と戯れながら参拝、二礼二拍手一礼。
日本の神道ここにあり! 両神神社は外人さんが喜びそうな場所でした。
旧両神村立両神小学校出原分校と正喜屋さん
帰路、この辺に出原分校があるはず、と山側斜面を見上げながら走っていると、ベージュ色の建物がチラリ。「これだ!」と感を頼りに坂道を登り詰めると出原分校がありました。
出原分校の閉校時期は良く分かりませんでした(Web情報によると昭和40年代らしい)。
山小屋のように小さな校舎で、教室が一つしかありません。きっと複式学級だったんでしょうね。
今は地域の集会所(?)として利用されているようです。
校庭から見える雲に煙った両神山が神々しく見えました。
出原分校から下ってすぐのところに、出原地区唯一の商店「正喜屋」さんがあります。
古い構えの造りで、掛かっている広告や看板も年季が入っています。
ここでアイスを買って人心地。
お店のご夫婦は気さくな方達で、ひろしまさんの取材も捗ります。僕はうんうん頷くばかり。
この地区も空き家が増え、過疎化が進んでいるそうで、なんとも寂しい限り。
地区でただ一人の小学生が、一人遊んでいる姿が印象的でした。
帰り道、人の気配が多い市街地に入ってくると、なんだかホッとしてしまうのはなぜだろうか・・・。
明るい内に秩父市内を抜け、県11で定峰峠-白石峠を越えて県172で東松山へ。セブンイレブンで小休止の後、川越-さいたま-戸田まで県道を繋いで小一時間。
美女木JCT下を左折したところで、ひろしまさんとお別れ。
走りながらお互いに手を振って、今日の苦労を労います。さようなら、また今度。
帰宅後、前日の寝不足と今日の疲れがどっと出て、お風呂で居眠りしてしまい、危うく溺れるとこでした。