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ugari@関西支部長 2のブログ一覧

2013年11月19日 イイね!

アウシュビッツ強制収容所訪問記 

アウシュビッツ強制収容所訪問記 

これは2010年9月にアップしたものです。


ようやく日本に帰ってきました!


今回の旅についてのネタはいつものように
ウギマガファンの皆様の為にウギマガスタイル(笑)で、
順次お送りしていく予定ですが、


それに先立って今回、ボクがこのドイツの旅の最後にどうしても寄りたかった場所。。

それは。。。

負の世界遺産、アウシュビッツ強制収容所 でした。

ボクは今回のドイツの旅の最後に、フランクフルトから別行動を取り、一人で行ってきました。
観光、という言葉はふさわしく無い、あまりにも衝撃的な体験。
冷めやらぬ興奮をそのまま記録しておこうという思いから、
帰りの機内でPCを開きずっと打ち込んでおりました。

何よりも先立ってそれを皆様にご覧いただきたいと思います





















 1940年、今から70年前、人が犯した狂気。。



150万人以上 が犠牲となった
歴史上、類を見ない悲惨な事実があった場所を最初で最後、どうしてもこの目で見ておきたかったのです。



かなり暗いシリアスな話になりますが、ここに記し記憶にとどめておきたいと思います。
今回の記事のコメントの返信は控えさせていただきます





それでは、じっくりとご覧下さい。。。
















そこはドイツ、フランクフルトから約二時間、ポーランドのクラクフ空港が最寄の空港になります。
  




クラフク空港に着くと手配していただいていた車に乗り込みました。


運転手さんがボクの荷物を運んでくれています。


空港から車で約2時間程のところにアウシュビッツ収容所があります。


走り出すと、とても静かで美しい場所。。そんな印象でした。

 

今回ガイドとしてアウシュビッツ公式案内日本人の 「中谷さん」 と言う方にお願いしました。
旅行会社を通じてその方の存在を知り直接にメールを送りガイドをお願いしていたんです。







移動中の約二時間、ドイツの車窓とはまた違う雰囲気の歴史を感じさせてくれました。


 

  



聞くと、ポーランドは親日家が多いらしく、何を尋ねてもとてもフレンドリーに接してくれます。
そこはドイツも同じでしたね

ポーランド人の運転手さん、英語でですが一生懸命わかりやすくガイドをしながら運転してくれました。


最寄り駅のオシフィエンチム


そしていよいよアウシュビッツ強制収容所。。



現地での正式名称は 国立オシフィエンチム博物館 と言います。
アウシュビッツとはナチスドイツが付けた名前です。



その他、絶滅収容所(ユダヤ人種の絶滅という意味)、死の工場とかいろいろな呼び名があります。




 有名な入り口のアーチ 「働けば自由になる」 


Bがさかさまになっています。これは作った囚人が小さな抵抗を記したと言われているそうです。
実際は自由どころか、出口の無い死の工場だったのです。



敷地は広大、管理側の建屋が並ぶ一角





施設内を歩き出すと、とてつもない胸騒ぎがしました。 
なんなんでしょうね、こんな感じ。。
言葉で表せないんですが観光で訪れた街でこんな気持ちになることは今までなかったんです。
胸が締め付けられ、とても重い感じなのです。。





普通に生活をしていた人々。。
それがある日突然でゲシュタポに捕らえられ、そのまま空調も無い家畜列車に乗せられました。
それは満員電車以上のスシ詰め。。さらに何日もかけてそのままの状態で連れていかれ、
収容所に着いたときには息絶えている人も多かったそうです。


意味の無い片道切符



列車にスシ詰めに乗らされる人たち、右下の子供が痛々しい。。



当時実際に使われた家畜車






ところどころにメモがありました



施設内部から列車門を望む


さらに後退して方角を望む


当時の同じホーム









各地で生き延びて家畜列車を降りた人も7割がそのままガス室行きでした。
あとからあとからやって来る人たちを収容しきれないのです。







見張り台と220vの電流の流れる有刺鉄線




収容所への連行は強制の他、移住だという言葉を信用し、
期待を込めて生活用具もやいろんな荷物を抱えて持って来た人が大半でした。


子供たちはお気に入りのおもちゃを持っていました。


母親の胸に抱かれた幼児や妊婦、障がい者など、
労働出来ない人たちはその場で無条件にガス室送りにされたのです

囚人たちは後から自分の荷物だとわかるように、鞄に名前を書いていました。
自由になって帰れる事を信じていたのです。



 残された遺品の数々







囚人たちの髪の毛


女性の長い髪や三つ編みでかわいい留めの付いた細い髪。。
さすがにアップでは取れませんでした。



ボクはシャッターを押しながら、血の気が引き胸が締め付けられていました。。


シャワーを浴びるからとガス室に裸で2000人が詰め込まれ、見上げた天井のダミーのシャワーヘッドからは何も出ず、代わりにチクロンBと呼ばれる毒ガス(実際はガスではなく常温で気化する白い固形物)が7~8kgが投入されました。





いくつかあるガス室のうちの一つ


入り口と前室







ガス室内部



 
隣にあるこの焼却場で毎日350人が焼かれた



当時の毒ガスの空き缶







チクロンBの注文書


これで多大な利益を上げたドイツの民間企業デゲッシュ社

死体から取り出した金歯は溶かしてインゴットに、指輪やピアスなど資産価値のあるものはすべて剥ぎ取られ収容所から毎日ドイツ本国へ運ばれていきました。
遺体は焼却炉か野焼きで遺灰は池や林に捨てられたそうです


遺灰を集めたもの



 運よく生き延びられた人も家畜以下の環境で死ぬまで強制労働させられ、
飢餓、伝染病、拷問、見せしめ、あらゆる状況で亡くなりました。




また生体実験で、劇薬投与、毒物塗付、など医学という名の下に
マウスにされ亡くなった囚人もいました。



そしてその強制労働は、囚人達の住居(といってもバラックですが)、収容所施設の建築、土木、単なる無意味な作業、そして死体処理など、想像もつかない震撼の日々が5年間も続いていたのです。



見せしめの為の公開絞首刑がここで行われた







地下の牢屋  
扉を閉めて窒息させる部屋や立ち牢と呼ばれる小さな空間


ここに大人4人が立ったまま息絶えるまで放置された




洗濯場と思われる部屋






 11ブロック、死の壁




ここで数万人が銃殺され、その銃声と断末魔の叫び声が響いた





























わずか70年前、その街はとてもそんな過去があったと思えない、
本当におだやかな時間が流れる場所でした。

ただ、 終始冷たい風が吹き、やはりココは普通の場所では無い、
とても重い雰囲気に包まれていました












 家畜列車を降り死の選別をされる人たち


厳冬の収容所











 

バラックの内部


ここでも板の上にワラを引いて一つの棚に4,5人の大人が入っていた。

房によってはレンガ作りもありました


中から見た扉



トイレ



降ろされるホームから施設突き当たりを望む


広大な敷地内部は湿地帯で、その当時は衛生状態も劣悪な為、
ネズミが大発生し囚人を苦しめていたという





収容所一番奥にある慰霊碑





























秋の今でも吹きすさぶ冷たい風はやまず、
しっかりと着込んでコートの襟を立てて撮影しました。







これからマイナス20度の冬がやってくるのです。
囚人たちは縦縞の囚人服一枚、とても耐えられたものではなかったでしょう












日本人ガイドの中谷さん、現地に在住されもう20年近くになるそうです。



その、静かでわかりやすい語り口にボクは終始無言で聞き入ってました。



最後に中谷さんが語ってくれたことが

戦争を始めて敵国に行き捕虜になった日本人の感覚と、
突然何もわからず拉致られ、強制労働させられたユダヤの人たちの悲しみと怒り。。
その違いは日本人には絶対理解は出来ないでしょう

とおっしゃっていました。


その通りだと思います。 普通に生活をしていた、何もしていない人たちが大半なのです。





今回ユダヤの旗を背負って来ている若者がいました。

ボクは目を見ることが出来ませんでした。





















もし今、あなたがこの列車に乗せられたらどうしますか?







自分があの列車に乗せられたら。。












考えるだけでも頭がおかしくなってしまいそうです。。。。











今回、行ってよかったか?、と聞かれると間違いなく 行ってよかった と思っています。
遥か遠い異国の地でおこった歴史、と考えると馴染みはないですが、
私はこの場所を訪れたことによって、改めて 「同じ人間がここまで狂気になれるのか」 と、
ありきたりですが戦争の恐ろしさ、を心から体感しました。









ボクは今ここで自由に出入りし、写真を撮っています。





当時の人たちは今の世の中を想像もしなかったでしょう
帰りの素晴らしい車窓を見つめながら、この時代に生きてる、ということに心から感謝していました

来る時には饒舌だった運転手さんも空港までの車内では
ボクの重い空気を察したのか最後まで無言でしたが、車を降りるとき・・・
笑顔で握手をしてくれました


今日私はドイツ籍のルフトハンザでやってきてポーランド籍のポーランド航空でこの地を発つのです。



先進国の私たちにとっては自由や平和って当たり前です
でも過去を知ることで、本当に素晴らしいことなんだ、とより確かな実感が掴めるのです



約4時間程ここに滞在し、ほぼ全て見学してきました。
悲惨な過去の遺産見学の感想はとても書ききれるものでは無く、
かなり焦点を絞ってボクなりに記録しました
記述はあくまで個人的な感想です。



事実相違、ボクの見解違い、間違いなどありましたらご指摘頂ければ修正します。



そして、冒頭にもお伝えしましたが今回の記事のコメント返信は差し控えたいと思います。

なぜなら、こういう歴史の捉え方は人それぞれであり非常にシリアスな話題です。
ネット社会は世界に発信されています。
過去の事実に基づいて自分自身がどう感じるか?、であり、人の数だけ、また国の数だけ考え方があります。
同意や反対について私はコメント出来る立場ではありません。
この記事は私が個人的に感じたままの事を書きました



また私個人の判断で「明らかに相応しくないコメント」が入った場合は遺憾ながら削除させて頂きます

また、これを見てアウシュビッツに行ってみたい、と思われたら
アウシュビッツ、中谷、で検索すればすぐに見つかります。
是非、中谷さんの案内で訪問されることをお勧めします。















最後に。。


ボクは学生のときに世界史でポーランド侵攻や第二次世界大戦などのレポートを出しました。
世界史の中でも人間の狂気による忌まわしい過去がここ、ポーランドにあるのです。
1945年、連合軍のポツダム宣言を受け、日本軍は無条件降伏しました。
同年は第二次世界大戦の終わりをも意味しています。 

私が今回アウシュビッツに訪問した、またそこへ興味を持ったのも
昭和2年生、予科練から戦火の前線へ行き、生き残った父親の影響もあるかもしれません。

既に他界しましたが、1945年(昭和20年)父は18歳でした。
私は幼いときから 「戦争の時は。。」 といろんな話を聞かせてくれました。

原爆記念館や江田島、各地の戦艦や自衛隊のイベントもよく連れていってくれました。
その度にオヤジは 戦争は全て無くす、平和が一番・・と言っていました
今でも覚えています。

過ちは二度と繰り返しませんから。。

日本がいつまでも平和であるように。。生き残った先輩は誓いました。
これからもずっとそうであって欲しいと願うばかりです。

1945年1月、強制収容所は開放され、翌月のヒトラーの自殺とともに
ナチス政権は崩壊、 ドイツは日本と同じく敗戦国となりました。

しかし5年間使われてきた収容所で150万人(諸説あり)の犠牲者は
その後の平和を知ることなく未来を絶たれてしまいました







人間として決して忘れてはいけない歴史があるのではないでしょうか








合掌。。。


























Posted at 2013/11/19 13:12:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | アウシュビッツ訪問記 | 旅行/地域

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