大連(中国)の旅 (1日目)
投稿日 : 2007年05月28日
1
5/24 11:15
セントレアから中華西部航空CZ620便で出発
2時間程度の旅です。時差は1時間です。
大連は昔、日本軍が満州として植民地にしていた都市で
今も日本の多くの企業が進出していて日本人も沢山住んでいるそうです。人口600万人の都会です。
180人乗りの小さな機体に少し不安でした。
2
13:20頃 大連到着
現地の添乗員さんの案内で観光開始です。
30人乗りの貸切バスに7人の仲間と乗車。
(毎月、飲み会してる悪仲間の旅行です?)
まず最初はオリンピック広場を車窓から
大連市民の運動広場として親しまれています。
3
今日は軽く観光してホテルに入ります。
途中の車窓からですが・・・
これは人民広場
向こうに見える白亜の建物は市政府(市役所?)
昔の関東軍の州庁でした。
この様に古い建物をそのまま利用しています。
4
車窓からの画像でよく分からないと思いますが。
東大の安田講堂とそっくりの建物です。
やはり旧日本軍占領時に建てられたようです。
今は何か・・忘れました。
5
中山広場(チュウザン)です。
日本が統治する前(日露戦争前)はロシアが統治していました。
広場や道路網の骨格はこの頃できました。パリの都市計画を参考にしたようです。
この広場はぐるっと360度、100年前の建物が残っています。
正面手前の建物(奥の高層ビルでは有りませんよ)が代表的な・・白亜の建物は旧横浜正銀行です。
今も中国の銀行として使われているそうです。
6
同じくこれは鉄路局
100年前とは言え煉瓦造りの重厚な建物です。
大連はこの様に中国らしからぬ、
異国文化の匂いがする都市なんです。
7
車で5分ほどの港・大連港へ行きました。
昔、満州から引き上げてきた日本人はここから船に乗って舞鶴へ向かったようです。
大連と日本は縁が深い場所でした。
真ん中の女性が日本語で説明してくれました。
ここは昔の建物の屋上からの眺めです。
大連港は上海に次ぐ港だそうです。
かつてロシアは不凍港が欲しくてここ地を占領しました。
8
市内観光をしてからホテルに入りました。
これは私の部屋から見える景色です。
32階です。大連の駅が見えます。
この駅は旧上野駅に似せて作られたそうです。
コピーが多くてビックリです(笑)
関連コンテンツ
関連リンク
おすすめアイテム
[PR]Yahoo!ショッピング