えーほんの少しだけ?酔ってます(^^;
酔っ払いの戯言と聞き流して頂ければ幸いです。
私がHR/HMに目覚めたのが17~18歳、具体的には87~88年頃、高校生の頃に
ガンズの爆発的な人気などでHR/HMが急激にメインストリームになった時、
大学に入学し、入った少林寺拳法部で同期のSに出会います。
彼は少林寺拳法(彼は有段者)だけでなくHR/HMに関しても私の師匠であり
色々なカセットテープを貸してくれました。
だからMotorheadの「No Sleep'till Hammersith」はカセットテープが初体験だったんですね。
※CDだとA面の終わりがB面最初の"Overkill"に被ってて悲しい(T_T)
で、リアルタイムで聴いた最初のMotorheadのアルバムは「1916」でした。
当時はレミー、ワーゼル、ウィズー(フィル・キャンベル)、フィルシー・アニマル・テイラーの4人編成。
※このうち三人が天に召されているのかと思うと・・・。
当時は今と違ってインターネットなんてものはなくて唯一最大の情報源はBurrn!と「ぴあ」でした。
豊橋市の大学に通っていて、豊橋駅前の書店で関東版の「ぴあ」を目にすることができたので
関東圏の来日情報をある程度タイムリーに入手できていたのはラッキーでした。
さらに、B!誌で伊藤政則さんがBAY-FMという横浜のラジオ局で
土曜深夜に生放送をしている事を知りどーしても聴きたくて、
近所の「○○無線」という家電屋に飛び込んで高いFMアンテナを購入し
親父に文句言われながらも鉄パイプを組んで屋根にアンテナを設置。
深夜でもノイズーザーですがどうにかこうにか聴いていました。
※今じゃZip-Fm(77.8MHZ)が近すぎてラジコとか使わないと聴けないだろうなぁ。
で、ある日、Motorheadの来日公演の特電の案内がありました。
もちろん当時は携帯なんてありませんから深夜に居間から有線電話を自分の部屋まで
引っ張ってきてリダイヤルしまくりですよ。
まだダイヤル回線だったのでなかなか繋がらないし、一度は(リダイヤルしてるのに)
どこぞの喫茶店の公衆電話に掛かったりしてw
そうこうしているうちに電話が繋がり、中野サンプラザ公演のチケットが取れました。
チケットぴあのぴあスポットに土曜早朝から並ぶのがが常識だった自分にとって
初めてのチケットセゾンのチケット。
どーやって支払ったかとか全然記憶ありませんが何と前から3列目!!!!!
「MASA-ITOHってすげーなおい!」とか思いましたが、
ここで調子こいて「折角だからフラッグ作ってステージに投げちゃおう」とか思ったわけですね。
最寄の駅前にある母親の馴染みの端切れ屋さんで布を買って
自宅が自営業をしていた関係でコピー機があったのでロゴを拡大コピーして
ダンボールでステンシルを作ってスプレーを吹いて・・・
![](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/userstorage/000/027/776/360/b2f8be8e93.jpg?ct=30c3f2d2d8db)
↑当時作ったダンボール製のステンシルです。
布の上に置いて黒いスプレーをシューっと吹いてました。
あとは中心にスペードのエースを入れて、その中に白抜きで「1916」って入れて
そのスペードを囲む様に4人のメンバーの名前をペイントマーカーで入れて。
※ガンプラの改造とか普通にしてる人間だったので割と手先は器用な部類だったようです。
で、当日はノリノリでアンコール前の暗転中ににフラッグをステージに投入。
アンコールで出てきたレミーが気づいて拾って広げてくれました。
>画像右の黄緑色のチラシはJudasのPainkillerツアーか何かの時に貰った来日告知のビラ。
>赤い方は中野サンプラザ当日に貰ったアンケート用紙です。
>記念に貰って帰ってきましたw
で、かなり後になってから、そのフラッグをレミーが自宅に飾っている事を
B!誌のインタビュー記事で見て、
「何てファン思いの人なんだろう!?この人に一生付いていくぞ!」
と決意した事をよーく憶えています。
また「名古屋公演があるとは思ってなかったから東京まで見にきました。
名古屋に来たら"テバサキチキン"を食べてみて下さいね」みたいな拙いメッセージを書いた布を
フラッグの裏に縫い付けた記憶があります。
※今思うとガキだったなぁ、とw;
中野で見た時、開演前にメガネで細面のにーちゃんと知り合いになり
自分が愛知県から来た大学生であることを話したら
「俺は今、日雇い労働みたいな事やって食ってて、
もう少ししたら大学にも行こうと思ってるんだけどどうなんだろうね?」
みたいな話になって
「いやー最後にどうなるか?ってハナシじゃないですかねー?"No Class"っすよ。」
みたいな話をした記憶があります。
(ライブ後にも会って少し話して、彼は不完全燃焼気味だったと記憶していますが)
・・・閑話休題。
A型の性なのか、行ったライブの半券は基本的に保管してます。
それによれば私が見たのは
1991年 6月10日 中野サンプラザ
1991年 6月15日 名古屋市公会堂
1994年 5月24日
クラブチッタ川崎名古屋ボトムライン
(1/10訂正:チッタで見た事はなかったよな?と思ってチケット見直したら
チッタが呼んだのを名古屋ボトムラインで見てましたw)
1997年 5月29日 名古屋クラブダイアモンドホール
2000年 10月9日 名古屋ボトムライン
の5回。
それ以降、単独公演が恐らくなかったと思われます。
※って15年もかよ・・・????
2000年の時は恐らく"We Are Motorhead"からスタートしたと思うので
私が最前列ど真ん中、Shu-Headさんの隣でレミーのかぶりつきに居て
「意外な曲からですよ」って言われて"Iron Fist"からスタートして
マジでずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっとヘドバン&激ノリしててw
アンコール前に出てきたレミーが、吸っていたマルボロを直接手渡ししてくれたのは
97年5月29日の名古屋クラブダイアモンドホールでの出来事、という事になりそうです。
あの瞬間だけは鮮明に憶えてるんですよね。
舞台向かって右の袖から愛機リッケンバッカーとつっつっつっと出てきたレミーが
「ほら、これやるよ」みたいな感じで、吸っていたマルボロを前屈みになって私に手渡してくれて。
受け取った私は何が起こったのか理解できずに完全に茫然自失の状態で、
なぜか隣にいたShu-Headさんに手渡してw
受け取ったShu-Headさんはそのまま一服してから私に返してくれましたw
※レミーと間接キスですねw
そのマルボロは前の会社の上司からもらったインプレッサGC8(555のミニカーの
ケースの中に未だに保管しています。
「1916」は初めてリアルタイムで経験したMotorheadのアルバムということもあって
思い入れが深い作品ですが、個人的には名曲だと思っている”Make my days”が
ライブのセットリストに載っていないのが物凄く不思議でした。
メタル過ぎたんでしょうかねぇ。
サビの"Shine a light on me~"の部分なんて今聴いても名曲だと思うんですが。
・・・ああ、収集が付かない。
まぁいいですよね。ミッキー・ディーが
Motorheadを大音量で聴いてくれ
Halkwindを大音量で聴いてくれ
レミーの音楽を大音量で聴いてくれ
呑みながら
って言ってるんですから。
こんな下らないブログ垂れ流しながら97年大阪のブートレッグCD「Titty Twister」聴きながら
ガブ呑みしながらレミーを偲んでても良いんじゃないでしょうか。
今日は休出して仕事やっつけたけど明日は休みだし。