
役員選挙で一定の方向性が出たようなので、予告通り書き込んでみます。
貴乃花はどう転んでも損はしない選挙だったな、と。
恐らくは貴乃花一門は造反ではなく計画的に他の親方(具体的には、山響)に投票したと思われる。
少なくとも2人の貴乃花派を理事として送り込み、あわよくば浮動票で自らも当選したならば3人。影響力は確実に残した。これは、山響が貴乃花一門と、貴乃花と近い関係の九重(元千代大海)らから票を得たことからも明らか。
もうひとつ、選挙を強硬に望んだのは、当選すれば自らの正当性を主張できるし、落選したならば「こんな人たちを当選させる相撲協会はやはりオカシイ」と主張できるから。
想像以上に狡猾な寝業師だと思うよ、貴乃花という男は(優れたブレーンが居る?)。
先ず書いておきたいのは、決して私は貴乃花シンパではない、ということ。
今でも「洗脳されている」と考えています。
だがそれ以上に『そんな男に後ろ指指されるような日本相撲協会もまた、オカシイ』と考えています。
で。
今角界が置かれている状況は、糸がこれでもかというくらいこんがらがっていて、正直、普段相撲に興味のない人の常識だけで考えてしまうと、問題の本質を見誤ると思います。
まず、糸を解きほぐすヒントになりそうなワードを列記してみます。
◎相撲協会は、昔も今も一枚岩ではない
古くは鎌倉時代の五摂家、五条家と二条家(吉田司家)の正統争い、東京相撲(現在の日本相撲協会)と大坂相撲の勢力争い、そして春秋園事件。
◎年寄
年寄(親方)になるには、現役時代に一定の成績を残さなければならない。なおかつ、タイミング良く空き株(空位の年寄名跡)がなければ、引退・廃業となる。さらにはかつては年寄株は億単位で取引されていたように、現在でもそれなりのお金がなければ手に入らない(慣例として、現親方から株を譲ってもらう場合、親方に現金で支払ったり、本来の退職年齢まで食べていけるように衣食住の世話をすることが必要)。かつてはそれだけ金額的価値があったことから、年寄株を借金のカタにしてクビになった輪島という大横綱がおりましてな・・・。
だから、親方の娘と結婚して血縁関係になり株の受け渡しをスムーズにしたり、晩節を汚してでも株に空きが出るまで土俵に上がり続ける力士(例えば男女ノ川)がいたり、現役時代に株をすでに手に入れている力士もいる。
例えば稀勢の里が持つ「荒磯」株は現在元玉飛鳥に貸し出されているが、稀勢の里が引退した際には元玉飛鳥は他の年寄株を手に入れられない限り廃業となる。今回の一連の貴乃花騒動の際にも音羽山株が元光法から元大道の手に渡り、元光法は廃業となったが、別に貸し手側の貴乃花が意地悪だとか血も涙もない、という話ではなく、「借り株」というのは、そういうもん。
あと、一代年寄の話も。横綱として一定の功績(噂では優勝20回)を持つ者は、現役時代の四股名のままで停年(相撲協会では「定年」ではない)まで協会に残れる制度。
権利所有者は大鵬(優勝32回)、北の湖(優勝24回)、千代の富士(優勝31回、ただし自身が持つ八角株を交換し陣幕襲名、後に師匠北の富士とも交換し九重を名乗ったため権利行使せず)、貴乃花(優勝22回)、そして朝青龍(ただし日本国籍ではないため理事会では議論されず→あとで詳しく)。
◎部屋
年寄株があれば基本的には誰でも立ち上げ可能だが、財力・有力アマ入門のためのネームバリュー・一門の協力体制などがなければ実際には厳しいので、部屋付き親方というコーチ業も存在。
現代では珍しい衣食住一体となった徒弟制度であり、それゆえ『親である師匠は日本人でなければならない』。これは人種差別でもなければ大和魂云々といった心の話でもなく、常識的に考えて「ビザを持って他国から出稼ぎに来る形では、親方としての職あるいは若い力士の親としての対応は出来ない」という考え方。コトによっては『親方なのに入国禁止になっちゃった』なんてこともあり得るワケで・・・今は飛行機でひとっ飛びだとかコーチや管理人が対応すれば良い、というのは、また別の話。
個人的には元琴欧洲の鳴戸親方が引退時に語った『日本が大好き、お相撲が大好き』という言葉に集約されているかと。現在鳴戸の他には武蔵川(元武蔵丸)、春日山(元翔天狼)、友綱(元旭天鵬)、錦島(元朝赤龍)、大嶽(元大竜)、高崎(元金開山)、松ヶ根(元玉力道)、山響(元厳雄)らがいる(日本国籍が重要視されるのは、日本国の「公益」財団法人であるから、という説もある)。
また、部屋という閉鎖された空間故の問題も散見される。現代ではかつてのような『かわいがり』など、許されるはずがない、が、体が資本ゆえに痛みを知らなければならない、線引きが大事かつ難しい。
◎一門
元々は理念(一門の祖に対する忠誠や憧れ、共鳴)や立地(出稽古)などが理由でグループ化。そのためかつては別組織のような状態で取組も一門対一門であったが、現在はプロレスのチームや政治の派閥に近い。個人的には『改革するなら、ここ』だと思っている。
◎改革の途上
相撲茶屋改革・公益財団法人化・横綱審議委員会・協会評議委員会etc...これらはそれぞれの時代に問題化した事への対策として設けられているが、これらの対策が逆に足かせになっている場合も。
◎相撲は神事かスポーツか?
ココが曖昧だから「横綱が奇策を打つのはオカシイ」「いや、勝たなきゃ意味ねーだろ」云々となる。
個人的には『神事を元にした伝統芸能の興行』だと考える。
興行であるから、面白ければOK。例えば八百長もOK・人種差別もOK、角界の外にいる人間にあーだこーだと言われる筋合いはない。
が。同時に公益財団法人であり、いやしくも『国技』を名乗るのであれば、少なくとも世間様から後ろ指を指されぬよう振る舞わなければならない。
現在では片八百長すら許されない空気、更には勝てば官軍が横行する現状で、これ以上スポーツ性を高めるのであれば、髷も不要だしケツを出して人前に出る必要もないと考える。
貴乃花は『改革派』という論調だが、伝統を守る事を是としているのだから、むしろガチ保守派。
話を戻すと。現時点では神事を基にしたスポーツで、伝統やマナーなどは相撲教習所で習っているのだから、道に反する行動や取り口は批判されて然るべき。これを理解せずただ勝てばいいといっている人は好角家とは呼べない。総合格闘技でも見ればいいんじゃないか?
◎八百長は是か非か
スポーツとして考えれば非に決まっている。が、興行としてはどうか?
週刊誌で角界浄化キャンペーンが張られた、高額の現ナマ飛び交う80~90年代初頭のような状況は行き過ぎだが・・・大けがの多いスポーツ。公傷制度も廃止になり、番付を守るために「ココは負けてもいいや」あるいは勝ち越しを決めて「ココで来場所のための恩を売っておこうか」という片八百長ぐらいまでなら、防ぎようもないし仕方ないことではないか?
ケガをしかねない宇良の相撲は面白かったが、実際にケガをして来場所は幕下陥落。
三銃士と四天王時代の古い話で恐縮だが・・・ガチでやり過ぎてけが人だらけだった全日本プロレスと、体も技も全日より小さいが田舎の興行にもエースが来てくれる新日本プロレス、どっちがいいか?好みの問題とも言えるかと。
問題は、優勝や横綱大関を目指す場所や取組での八百長。
長くなったので、後ほどもう少し詳しく。
Posted at 2018/02/03 19:20:10 | |
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