まずは、犠牲になった方々に哀悼の意を表します。
この地震で起こったこと・考えたことを自分の日記的に書き込むこととします。
一定の方向に読んだ方を誘導するものではないことを、お断りしておきます。
前日は台風で仕事もてんてこ舞い。ようやく寝付いた夜中の3時に突然の地震警報。
それが鳴り止まぬうちの揺れ。道南地方(北海道の左下の「にょろっとなってる」部分)では経験したことがないような強さ。
とは言え、3・11のような長くて強い横揺れがなかったので、震源が近くで有ったことはすぐ理解した。
それからが、長い長い罹災の始まり。
地震と共に停電。「どこかで送電線切れたかな?」「朝には戻ってるさ」くらいに思っていたが・・・。
表に出てみると、通りは真っ暗。いつもよりキレイに見える星のきらめきが、あまりにも印象的だった。
結論から言うと、我が家の停電は40時間続いた。

『強い地震の影響で大停電 函館100万ドルの夜景も色を失う』
後に調べてみると、震源には活断層があるようだけれど、胆振・日高地方での地震と言えば、大陸プレートの交差点である浦河沖が定番で、「まさか」というのが、正直な感想。
実際、マグニチュードは小さいので、内陸側の地震は怖いな、と。
我が家は震度5弱。被害はこれぐらいで済んだ。

ピーター倒れた・・・。
翌朝、ラジオやカーナビが伝えるのは
「苫東厚真発電所のトラブルでブラックアウト」という情報。
幸い、ガス・水道は生きていたし、インスタント食品や電池などはストックがあったので、慌てて行列して食料などを買い求める必要はなかった。
だが、通信機器がなくなるのは困る。停電が長引く事を想定し、まずはわっつり号のシガーソケットからUSBでモバイルバッテリーと携帯をフル充電。
とは言え、デマ情報と巷で言われている「中継基地の電力が途絶え、携帯などが使えなくなる」情報の通り、
地震当日日中から携帯電話はデータ通信含め使い物にならなくなった。3G、のち、圏外。
即ち
「Radikoをインストールしていたとしても、使えない状況だった」ので、10数年前に買ったラジオ付き懐中電灯が役立った。
ガソリンスタンドにも数キロに渡る行列が出来たが、わっつり号・ボイちゃん・嫁ムーヴの3台体制なので、最悪でも2週間分の移動手段・電力は確保出来ているので、落ち着くまで給油は待とうと判断。
最近は使っていなかったが、以前まで電動インパクトレンチの動力として使っていた
古バッテリー(トゥデイ→ワゴンRに使用)を室内に持ち込み、こちらももう使っていないパナソニック・ゴリラをシガーソケットで繋ぎ、非常電源にする。12V→100V変換せずに使えるので、恐らく3日ぐらいは使えたかな?
最悪、バッテリーがなくなってもクルマに積んで充電可能。

ゴリラの画面でも分かるように、
地域に重要な情報はTVは伝えないので、TVは結果的に「暇つぶしツール」と化した。
GLAYのTERUさんのツイートでFMいるか(函館のコミュニティFM)の存在を思い出し、主にそちらから情報を得ていた。
嫁実家の電力が当日夕方に復旧(知内火発からの電力)、子どもの友人1の家も復旧(森地熱発電の電力)。そろそろ我が家も?の期待は裏切られ、LEDライトとナビで一夜を過ごす。
2日目。徐々に携帯電話の電波も安定。電力回復(伊達火発1号機)と聞き、子どもは遊びがてら友人2の家で充電させてもらうことに。
そしてようやく、
我が家にも電気が届いたのは、18:30。伊達火力発電所2号機の運転再開と同時に開通した模様。
この間、感じたことを書き込んでいく。
1)交通機関の脆弱さ
地震の被害がないにも関わらず、交通は完全にマヒ。その理由は「信号・通信機器への電力が途絶したから」。
例えば
JR東日本は、電車を動かすための発電所を自前で持っている。
道南・道央で電車を持つ
JR北海道が、それを持っていないのは解せない。
※さすがに「国鉄時代なら人海戦術で列車を走らせた」なんて事例は、出さない。言っても詮ないので。
また、
函館市電。こちらもかつては郊外に水力発電を有していた。老朽化などの理由で閉鎖したが、そちらから信号・通信・動力を確保していれば、早い復旧が可能だった。
2)法体系
上とリンクするが、信号がほぼ全て消えたせいで、交通の危険性が非常に上がった。
「いつものように」交差点を猛スピードで駆け抜ける自動車、多数。
少なくとも函館市内で死亡につながる事故が起きなかったのは、もともと
・信号や速度制限なんてあってないようなもの
・歩行者の存在は無視
・一時停止などは、勢いで勝ったモン勝ちで通行
という、
函館市民の普段の運転マナーの悪さが良い方に作用しただけ(苦笑)。
例えば戒厳令的に「通行は電車・バス・緊急車両だけ」と出来たならば、無用のトラブルも避けられた。
3)電力1
私も含めて3・11から7年、何をしてきたかが問われた。
「泊原発が動いていれば」あるいは「今からでも泊原発を動かせ」という意見が散見されるが、前者に関しては、言っても詮ないことだし、後者に関しては「そんな理由で動かせるなら規制の意味がない」ワケで。ましては、すでに認知されている活断層が黒松内にあることを考えれば、恒久的な解決にはならない。まして「民主党ガー」「放射脳ガー」と罵る連中の言葉なんて、イデオロギーの対立を煽る行為でしかないので、聞く意味もない。
問題は、そこではない。
原発再稼働に固執することで、老朽化した火力発電所を放置したこと、資源不足が解消してなお「北本連系」の強化がままならない現状こそが問題の本質。そこに、原発のイデオロギー論争を加えてはイケナイ。
前者は、原発再稼働するにしても、原発が補えない細やかな出力調整のために必要なものなのに、なぜ放っておいた?計画はどうなっている?
後者は、わずかな増強を図っているが、そもそも容量が圧倒的に足りない。
石狩湾新港に建設中のものが稼働間近ではあるが、それで問題解決になるかと言えば、微妙。
区割りして、苫東厚真で作り出していた電力の分、どこか一部分だけ停電させれば防げた問題だし、
大きな発電所を作って効率化する、という思想こそが今回のブラックアウトを招いた原因なのでは?
また、北海道は一大エネルギー供給基地になり得るポテンシャルを持っているにも関わらず、北海道電力が自然エネルギーなどの購入を断っているのは、ひとえに需要と供給のバランス。
北本連係という、北海道と本州を繋ぐ電線が強化されていれば、そのエネルギーを本州に輸出出来るし、今回は受け取ることも出来た。それを後回しにする愚策は、
自然エネルギーの供給を拒み原子力の復興を願っているようにも見える。
4)電力2
で。原子力云々は一旦横に置くが、個人的には『原子力発電も所詮、発電方法の過渡期の方法でしかなく』『もっと高効率で手軽な発電方法が発明される』と考えている。
とは言え、そこに至るまで人類は生き続けるのだから、何らかの方法で発電しなければならない。
以前から興味を持っていたのは、自家発電。自宅で使う電力を自分で作れれば、こんな騒動に一切巻き込まれずに済む。
一番手軽なのは、出店などで使われるエンジン発電機。送電線のない地域ではマストの装置。ガソリンがないと動かせないことと、動作音がうるさすぎるのがネック。
日常で使用する用途があるならば買いたいが・・・。
次はコ・ジェネ。現状ではあまりに高すぎるが、新築家屋に設置を義務づければ、普及も進むだろう。これを個人で製作するのは、非常に難儀。太陽光パネルとカーバッテリーなんかがあれば実用性有るものが作れそうだが、危険も個人負担。
※実際にこのシステムを構築している方は、結構居るようですね。
正直、3・11の際にも自宅で蓄電・発電というのを考えたのだが、喉元過ぎれば・・・ではないが、行動に移せずにいた。
今回の地震が北海道にとって僥倖だったのは、暑い真夏を越え寒い冬にもまだ早い時期だったこと。暑さをしのぐ扇風機や、寒さをしのぐストーブは使用出来る環境を整えないと、命に関わる。
そこで、我が家では今後
・中古カーバッテリーの予備を増やす(可能であれば充電を太陽光発電で行いたい)
・電気がなくても使用出来るポータブルストーブの導入(カセットガスか灯油)
・金銭的に負担が少なく、騒音も気にならない程度の発電機の導入
を考えることにする。
恒久対策としては、太陽光パネルなどによる発電・蓄電で家庭用電源の大多数をカバーすることが必要だと考えるが、それは私の代では不可能かも知れない。
昔は薪ストーブとわずかな電力で生活していたのだが、一度便利な生活を覚えると過去には戻れない、と言うのが、人類最大の弱点かも。