昭和52~53年にかけて、少年らを中心に突如としてスーパーカーブームが沸き起こります。
ちなみに、ネットで調べると、なめ猫を仕掛けた津田さんという方が、昭和48年にスーパーカーブームを手掛けたとありますが、(後年になってから)少年らの間で熱狂的に流行ったのは、何と言っても昭和52年に実写映画化もされるほどの人気だった「サーキットの狼」の影響だったと思います。
子供たちの間では、それまでもSLブームとか、後にはブルトレブームとかが起きましたが、このスーパーカーブームはそれらを上回る大フィーバーぶりで、昭和55年頃まで持続しました(学校の休み時間に、BOXYというノック式ボールペンとスーパーカー消しゴムで遊ぶのが流行った)
そこで昭和53年、他社に先駆けて「スーパーカーライト」を備えた、サリー・ジャストチェンジャーFFが登場します。
車と違ってライトが横に出るのが特徴で、ミヤタはこれをオープンビームシステム・スーパーカーライトと呼んでいました。

↑ 現物 街中でも結構見かけた
この後、各社からスーパーカーライトを搭載したモデルが登場します。
車と同じで上に出るもの、928みたいに丸型ライトが起き上がるもの、更には下に開く変わり種も・・・いずれもライバル車との差別化を図りたかったのでしょう。
但し、結局は車と同じ上に開くタイプに集約されていきます。
一方、その開閉方式も、単純なレバー式(ワイヤー、チャーン式)から電動式まであり、開き方と併せれば百花繚乱状態でした。
なお、PPSもPPSⅡに進化し、シフトレバーが車のATレバーのようになりました。

↑ スーパーサリー(昭和54年) 一般的な上に開くタイプに変更された
このスーパーカー自転車は、フラッシャー自転車を上回る大きなブーム(第二次ブーム)になりました。
そのため、「ジュニアスポーツ車=スーパーカー自転車」として捉えているサイトも数多く存在します(その場合、大抵はフラッシャー自転車も混同して捉えていますが・・・)
ただ、昭和55年頃になると、スーパーカーブームも沈静化したことから、移り気な少年たちからは(リトラは)早くも飽きられ始めます。
一方、当時は身の回りの様々なモノにデジタル化の波、つまりデジタルブームが起きていたことから、メーカーはこのブームを逃がすまいと、ジュニアスポーツ車を次なるデジタル自転車へと発展させます。

↑ 昭和58年に買ってもらった最新の液晶アナデジ腕時計の同型(たぶん) 当時は、デジタル→デジアナ→アナデジ→液晶アナデジ、といった具合に進化しました

↑ スーパーサリーZERO 昭和56年モデル
ヘッドライトは、前年にギャラン/エテルナΣで登場したスーパーライト風の異形4灯式へと進化します。
そして、これの上級モデルは「デジコン」なる秘密兵器を備えていました(スピードアイや、シフトアイなどLEDを使った最新の表示機能を備えたデジタルメーター)
なお、リトラタイプのスーパーサリーZEROも存在しているようなので、この時点ではまだ好きな方を選べたようです。

↑ リトラタイプ
更に、当初は26インチでスタートし、せいぜい24インチまでだったジュニアスポーツ車も、この時代には22インチや20インチ、あげくにメーカーによっては18インチまで登場させ、小学校入学前の児童までをもターゲットにするという白熱ぶりでした。

↑ ブリヂストン ジュニアウェイ18インチ
また、他社はFFセンサー、コンポデジメモなどデジタルチックなネーミングを導入していたので、ミヤタでもそれに対抗しするため、伝統の名称であったサリーの使用をやめ、近未来イメージのスターレイカーに変更します。
もしかしたら、ネーミングの元は、ロジャー・ムーア主演の007ムーンレイカー(昭和54年公開)だったのかもしれません。
そして、ライト、メーター類の電子制御化を更に推し進めます。

↑ 昭和57~58年頃のスターレイカー
なお、スーパーカー自転車を扱った多くのサイトでは、ジュニアスポーツ車は昭和57~58年頃には絶滅したと書かれています。
確かに、私も中2の時(=昭和58年)にジュニアスポーツ車はなんだか乗るのが気恥ずかしくなって、ロードマンタイプを買ってもらいました。
ただ、小学生辺りだとまだ結構人気があったようで、その後も昭和61~62年頃まで、更に進化を続けながら生き延びました。

↑ 最終進化型、スターレイカーレーザー
【おまけ】
デジタル自転車は、メーター類だけでなく、ヘッドライトの多灯化(&オート化)を競い合いました。
ナショナルでは、ヘッドライトは昭和57年に6灯オートパッシングに、また昭和60年には12灯ライトシステムまで進化したようです。
ブログ一覧 | 日記
Posted at
2019/10/20 12:41:53