
2021年のファイナルエディションをもって43年の歴史に幕を閉じた SR500/400 ですが、当時の時代背景はどんなだったのかな? ヒットソングと共に追ってみたいと思います。
今年2025年からさかのぼる事49年の1976年。兄弟車の XT500が発売の年からスタートです。
SR500/400のベースとなったと言われるXT500ですが、その車体やエンジンのベースは「SC500」という2st 500ccのモトクロッサーがベースになっているそうです。4ストとして排気量のわりに小さなクランクケースは、現存の 2stエンジンに各軸の配置やサイズを揃えた事によることが大きいそうです。なのでSRの腰下はオーバースペックで丈夫なのだとか。当時2stバイク屋さんだったYAMAHAとしては生産設備の都合などもあった事と推察出来ますね。
そしてその1976年のヒット曲は、
細川たかしさんで「北酒場」
効いた事は当然ありますが今回初めて歌詞を聞きましたが面白い曲ですね。 それと
太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」1975年からのロングヒットの様です。
1977年。SR発売の一年前。車で言うとあの有名なケンメリスカイラインが終焉を迎えてスカイラインジャパンへとバトンタッチした年になります。
何だか古き良き雰囲気・・・から新時代への脱却を感じるデザインの変更ですね。
明治から大正への大きな変化で古き良きを失った?昭和へとつながる新しい時代から、再度ギアを上げて過去からの脱却を目指した。でも未だあか抜けない。そんな感じかな?。時代の変革期ですね。SR500/400が販売開始当時から古めかしいデザインだと言われていたのは、そんな時代背景からかも知れませんね。
そんな1977年のヒットソングは、
河島英五さんで「酒と泪と男と女」
さてSR400/500 発売の年。1978年です。
SR400と500は何故デザインを変えて販売したんでしょうね? 本当のSRはどっち? 2J2信仰の始まりの年となりました。
記念すべき発売開始の1978年のヒットソングは、石川さゆりさんで「津軽海峡冬景色」
翌年1979年には新型車発売の翌年にも拘らずマイナーチェンジの年となり、ホイールがスポークからキャスト製へと変更になったのをはじめ、騒音規制の導入で初期型のマフラーで有名な2J2マフラーが1978年の波入り2J2 から 波なし2J2マフラーへ変更になったり、他はフレームのハシゴが無く成ったりちょっとしたマイナーが入りました。34mm口径だったキャブが33mmになったり、ヘッドへの油路がINT側からEXH側へ変更になったり、チェーンテンショナーにスプリングが追加になったのもこの年かな?不確か。。
そんなSR500/400の二年目、キャストホイール化の1979年のヒット曲は
サザンオールスターズで「いとしのエリー」
1980年はSRにとってはイベントが無い年となりましたが、バブル期直前の超新時代への入り口、1980年のヒット曲は、
山口百惠さんで「さよならの向う側」 ↓こちらで聞いてほしい。
https://youtu.be/9Yo9oMRGiF8?si=Lzp5U3zO7e2uqFoC
もんた&ブラザーズ「ダンシング・オールナイト」
観客の冷めた目が時代の潮目を感じさせます。。
久保田早紀「異邦人」
シャネルズで「ランナウェイ」
大豊作な1980年でした。
続いて1981年。SR500/400には変化ありませんでした。
車のスカイラインで言うとこの年は、スカイラインジャパンから ニューマン・スカイラインへと呼ばれるDR30型へバトンタッチした年になります。DR30は後に「鉄仮面」だったりシルエットフォーミュラだったり、いろいろにぎわせた名車ですね。車にとってこの80年代が一番日本らしさや独特の味があるイケイケ時代で、「カッコイイ」という言葉が似合う時代だったと思います。後にもっと高性能な車は沢山発売されましたが、この年代の車だけは別格でカッコイイのです。
そしてヒット曲にも大きな変化が、、
郷ひろみ「お嫁サンバ」 垢抜け?ましたね。
この年の本当のヒットチャート一位は、
横浜銀蝿「ツッパリHigh School Rock'n Roll 登校編」でした。
1982年。SR500/400のキャストホイールは大八車と言われ販売は低迷して冬の時代を送っていました。↓大八車

なのでスポークに戻した車体をテスト販売してみたら大当たり。
ヒット曲は、
松田聖子「赤いスイートピー 」
近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく」
かわいい女の子とちょっと悪い男の子のアイドル時代。
販売開始から5年が経過した1983年。今では人気のあるキャストホイールですが当時は販売が振るわず、テコ入れとしてスポークホイールに変更して回帰路線で販売台数の大幅アップを成し遂げました。
フロントのマスターシリンダーは初期型の特徴的な物から一般的な物に変更となりました。
ヒット曲も回帰路線です。
鳥羽一郎さんで「兄弟船」
こちらも同年のヒット曲。済陽秀樹「ギャランドゥー」
こちらは「ダンシング・オールナイト」のもんたよしのりさんの作詞作曲。鳥羽一郎さんの回帰路線の抵抗も虚しく? 新時代は津波のように押し寄せます。そんな1983年。
1984年。
スポークに戻したSRは販売好調です。
この年、SRX250が発売されました。
YAMAHAのバイク好きで色々見ましたが、このSRX250がYAMAHAを代表するデザインと言っても過言で無いと私は思っています。
「ギザギザハートの子守唄」「涙のリクエスト」「星屑のステージ」チェーカーズの3曲がランクイン。時代の流れが加速していると言うか、世間はバブル景気入りの様です。
欧陽菲菲さんの名曲 「ラヴ・イズ・オーヴァー」もこの年でした。
1985年。SR500/400には大きな変化の年になりました。現代までのSRの特徴を印象付けたドラムブレーキへの変更の年です。
世間はバブル景気に沸き、そうすると乗り物製品は高性能化に舵を切りそうな物ですが、SRは敢えて旧化?を選びました。理由は明白でこの年SRX600/400が発売になりました。最新化・高性能化の路線はSRXが担い、SR500/400は古き良きを取り入れる形にモデルチェンジになり、しかも売れてもそう台数の出ないであろうシングルエンジンの2種モデルが併売されるという、まさにバブル期絶頂なモデル戦略です。あまり語られませんがSRXのエンジンはYAMAHAの設計生産では無い所から、SRXはYAMAHAが急遽で仕立てたロードボンバーって位置付けが濃厚ですね。
スカイラインは85年、7th(セブンス)スカイラインとなりました。もう半分現代かな?旧来の「味」とは無縁な感じとなり、エンジンはRB20DETが積まれました。
SRにせよスカイラインにせよ旧時代と新時代で分けるとすれば、1985年にその境目があるような気がします。
そんなバブル期真っただ中の1985年のヒット曲は、
吉幾三「俺ら東京さ行ぐだ」
おニャン子クラブ「セーラー服を脱がさないで」
アン・ルイス「六本木心中」
中森明菜さん「飾りじゃないのよ涙は」
バブル景気絶好調で世間が浮かれているのが良くわかります。音楽も1985年に境目があるかもしれませんね。
この短い期間で女性はこのように変化しました。
↓
この短い期間で男性はこのように変化しました。
↓
大事な事は変わっていく事。 大切なのはそのままで居ること。
↑なんかそれらしい事を言ってみました。SRにも通ずるでしょう?
ここまでSRの変貌のまとめです。
1978年 発売。そこそこのヒット作となる
1979年 キャストホイール化。
1980年 不人気にて低迷。
1981年 不人気にて低迷。
1982年 不人気にて低迷。
1983年 デビュー時のスポークに回帰。販売台数回復。
↑ YAMAHAが新しい事や性能だけが良い事では無いと気が付く
1984年 販売台数回復。
1985年 高性能路線担当のSRX600/400新発売。
1985年 SR500/400は古メカ担当としてドラムブレーキ採用の通称2型へとモデルチェンジ
景気は発売後から右肩上がり~空前絶後のバブル景気入りで、運良く古メカ担当の古き良き路線の2型へと変貌を遂げましたがお客様の反応はそれ程でもなかったようで、90年代のブーム迄の間販売台数はぼちぼちでした。
高性能路線担当のSRXは発売から5年後の1990年に姿を消すこととなりますが、SRXはSRXで尖がっていて注目に値するオートバイとなっています。
ここまでSR500/400の発売から7年間を追ってみました。
あとの36年間は別の機会に続く。 かな?
各年式の販売台数は
https://minkara.carview.co.jp/userid/2092714/blog/45747425/
↑こちらのブログにてご確認が可能となっております。
こんな感じで時代を追ってみたり出来るのもSRと言うバイクの楽しみ方の一つ、
いろいろな楽しみ方が出来るのはSRの魅力ですね?