
§日付けのある Car コラム
§『アクション・ジャーナル』selection
「今度のセドリック/グロリアはいいですか?」と問われたら、いいと答えよう。そして、次のような理由を挙げよう。
まず、何かへの──具体的には、まあクラウンにということであるが、そういう対抗意識から離れて作られたように見えることである。威圧度指数、クロームメッキ使用パーセンテージ、ケバ&ゴチャ印象度などを、高級車を形づくるものとしてまず置き、それらで高得点を挙げることを前提に造型してディテールを仕上げる。これが従来型の同車だったとすれば、新型はそのへんが吹っ切れている。
何より、小っちゃく見えること。これがその証明材料だ。ブルーバードみたいだね、と言った奴がいて、ここまで言われるとニッサンは泣いちゃうかもしれないけど、でもそれだけ、ある凝縮されたイメージで見えるということであり、それでいいんじゃないだろうか。これができあがって、どうもでっかく見えないという意見は当然あったと思われるが、それでも構わんとしたところに新しさを見たいと思う。
それから、このクラスとしてはだが、かなり挑戦的な、つまり「走りそうな」かたちを採ったこと。これもよい。ゾクっぽい……というと、これまたニッサンの泣きが入りそうだが、ガレージに鎮座して辺りを圧することこそ高級車だという思想より、ぼくは好き。
もうひとつ、引き締まった乗り心地にも点を与えたい。試乗した3リッターのV6ターボを積む4ドア・ハードトップ・ブロアムは、山岳ワインディング路のようなタイトなコーナーの続くところでは、さすがに、足がどうとかいうよりそのマス(巨大な塊)を持て余し気味ではあったけど、高速クルーザーとしては快適にその役目を果たした。インテリアの落ち着いた雰囲気も、従来型に比ぶべくもない。
そう、要するに、ディテールの派手っぷりで高級車を演出することはないってことです! それに気づいただけでも、新しいセドリック/グロリアは「いいね!」なのだ。敢えて、ニッポン・クルマ史上で稀な、シンプルな高級車と言いたい。
さて、乱発しつづけてきた「高級車」という語だが、最後に定義をしておきたい。いったい、高級車とは何か? それはつまり、高価なクルマのことである。そのクルマを、国内車でいえば400万とか500万で売ってよい。そのように売り手も買い手も決めて、いろんな自動装置にコストを費やしてもいいとして作られ、それを喜ばれて買われるというクルマ。それが高級車である。
シンプル・クエスチョンにシンプル・アンサーで答えたみたいになってしまったが、しかし、こう言うしかないんじゃないか。「バリュー・フォー・マネー」とは最後まで外国語でありつづけ、“世界まるごとハウマッチ?”、それはいったいいくらするわけ?……と世界中で問いかけて、金額を知ることでモノゴトを納得する。それが私たちニッポン人だからだ。
新しいセドリック/グロリアは、ひょっとしたら、あまり高そうに見えない!……という評を得るかもしれない。そうだとしたら、それこそが「新しさ」であろう。
(1987/09/01)
○89年末単行本化の際に、書き手自身が付けた注釈
セドリック/グロリア(87年6月~ )
◆クラウンというニッポン・ドメスティックで成功した高級車と、どう対峙するか? この国で高級車を作って売ろうとする際には、このテーマを避けて通ることはできない。レジェンドはクラウンを見ず、ルーチェは横目遣いで、でも真剣に見てしまったおかげで、“半ばベンツ半ばクラウン”となり、自らを見失った。では、セドリック/グロリアは? 歴代で初めてクラウンを意識に乗せず、クラウン的なるもの以外に新たなマーケットを求めて、同時に、それが存在することを信じた。これでいいのだ。
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80年代こんなコラムを | 日記
Posted at
2014/09/12 13:02:06