
§日付けのある Car コラム
§『アクション・ジャーナル』selection
何にも目新しいところはないじゃないか……と一部に評されそうなクルマ。こういうのは、絶対に必要なのである。
意義や意味や、さらには記号性やらモニュメント性やら。そんなものは、さらさらない。そういうクルマをむしろ欲する。いや欲求するではなく、身辺に一台置いておく。何のためにという問いへの答えはとくにないのだが、クルマは買う(使う)。そういうマーケットを、いま、この国は確実に有している。クルマは、このような意味で、まさに大衆商品であり、たとえばトヨタは、このあたりの層を見事にすくい取る、巧みな商売をしているといえよう。
1988年、一方のニッサンはアグレッシブだった。意欲的な商品を、連続してニッポン市場に送り出した。年が変わったいま、88年のニッサンについて、あれは「DC攻勢」の年だったと総括したい。
シーマ、シルビア、セフィーロ、マキシマ……。ニッサンという“デパート”のフロアにいくつかの新ブースが生まれ、特選ショップ風にニューカマーが配された。まったくのブランニューのネーミングや、ほぼ忘れられていたブランドの再生的なデビューというのも偶然の仕業とは思えず、それがさらに「DC性」を盛り上げた。それぞれに主張があり挑戦がある、特有の濃厚な匂いをたたえた新型車であったし、ニッサン・デパートの中で、それぞれが、何かしらの、人の足を止めさせるものを持っていたと思う。
新しいニッサンを見てくれという意味では、この「DC」つまり、デザイナーズ&キャラクター風のブランド戦略は有効であったし、成功もしたはずだ。新しいマーケットも掘り起こしたし、トヨタを食った部分すらあった。
ただ、特選ショップは眺めてはみるけど、そこではカネは出さないという層。デザイナーもキャラクターも要らないけど、着るものは何か買わなくてはならない人々。このような、いわば本文冒頭に考察したような顧客層へ静かなアピールをしようというニューモデルは、88年の新・ニッサン車には存在しなかった。
「DC」の年が去って、1989年。ニッサンは、今度は「スポーツ」の年を目論んでいるようだが(スカイライン、フェアレディZ)、そうだとすれば、さらに、今回のニュー・ローレルのポジションは貴重になる。その印象の淡さ、クルマが“おしゃべり”でないこと、そして刺激性がない。これらが逆に、好材料として作用するのではないかと、ぼくは読む。
新しいニッサンに注目はしているのだが、でも(「DC」ばかりで)自分が買おうと思うクルマに出会えなかった……。このような人々への目立たぬプレゼント。それが新型ローレルであろう。
また、トヨタ・マークⅡが創りだした「マークⅡ的マーケット」に、新たに参入したニッサン車という意味でも、その成果のほどが興味深い。乗り心地や静粛性では、兄弟車であるセフィーロをしのぐものがあり、全体の洗練度も高い。ニッサンの、この攻撃的でない新型車。実は、ちょっと気に入った。
(1989/02/07)
○89年末単行本化の際に、書き手自身が付けた注釈
ローレル(88年12月~ )
◆「マークⅡ的マーケット」というがおそらくあって、次のように解釈している。それは“白いブラックホール”だ、と。白というのは先代からのマークⅡのシンボルカラーだが、何かのクルマを検討して「これはちょっと……」となって、次のクルマに行く。次も同様に見ていって……という風に続けて、どんどん各車を否定した先に待っているのが、その白いブラックホール。結果としてここに行き着き、そして、そこではもう否定する材料を探せない。消去法の選択というより、もう少し積極的な、しかし穏やかなクルマ選び。そこで待っているのが白いマークⅡ……というわけだ。
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80年代こんなコラムを | 日記
Posted at
2015/01/02 11:22:43