
§日付けのある Car コラム
§『アクション・ジャーナル』selection
そんなにも、このクルマは“革命的”だろうか……? しばし、こんな思いにとらわれる。フォードを再生させたというヒット・モデル、トーラスである。このクルマは、そんなに、GM車などの他のアメリカ車と「違う」のか?
けっこうアヤフヤな高速直進安定性。コーナーはべつに楽しくなく、ハード・コーナリングではそこそこの勇気も要る。そもそも、タウン・ライドでの乗り心地さえ十分ならばそれで良しとして作られたとしか思えない、足のセッティング。もちろん、その目的にとっては十分な足にはなってはいるが、それ以上でも以下でもない。
つまり、極めてティピカルなアメリカ車であって、走りのテイストにおいて、何ら新鮮な驚きはない。“ニュー・アメリカン”というなら、たとえばGMのポンティアック6000STEや同グランダムのタイトな足まわりのフィーリングの方が、よほど「国際的」であるし、また、いくつかの「日系アメリカ車」の出現や存在の方が、われわれにとっては、はるかにニュース性を感じる。
ただ、若干の想像をまじえて言えば、おそらくは、よくあるアメリカ車というこの点が、フォード・トーラスをして、彼の地においてベストセラーになる要因になったのだと思う。そして、アメリカの普通の人々にとって、トーラスの何が新しかったかと言えば、その造型と、その仕上げと“作り込み”(トヨタの用語だけど)の良さであろう。
一見して十分に新鮮な、それこそ国際的なエアロ・フォルムが、ある日、ショールームに出現する。このディーラーは取り扱い車種を変えたのか?……と、建物の屋根を見上げて確認すれば、そんなことはない、相変わらずのFORDのマーク。インポーテッドではない、あくまでドメスティック。
「フォードのニューカマーってのは、これかね?」と、そこらを試乗してみれば、乗れば変わらぬ、われらの国のプロダクトを実感する。田舎道を一本入った、納屋の脇のいつものパークスペースに着けば、ニューであること、いままでとは絶対に違うことを日々示し続ける、その造型。5マイル離れた隣の住人も、わざわざ見に来るかもしれない……と、想像はどんどん逞しくなってしまったが、でも、たぶんこのようにして、トーラスはじわじわとアメリカ市場に浸透したのだと思える。
フォード・トーラスはアメリカにおいて、明らかに新しくて、そして適度に“そのまま”だった。見事な体制内革命である。ベストセラーの作り方のサンプルみたいなもんだ! 決して、これまでヨーロッパ車をわざわざ買ってきたようなアメリカ人に売るためのクルマではなかったのだ。これが、フォード・トーラスへの、ここでの結論である。
さて、日本市場というのは、国産車がその視界のすべてという大多数の日本人と、欧州製であればほとんど盲目的に賛美して享受する極く少数の日本人の、この二種類で、ほぼ、そのシェが埋まってしまっていると思われるのだが、そのような中で、フォード・トーラスは、どう生きるのか。この結論は、まだ見えない。
ただ、今後の展開は、トーラスの孤軍奮闘によってではなく、米国車の全体が、このニッポン市場をどう切り拓くのかという点にかかっていると見るべきで、その時にカギとなるのは、アコードやプローブなどの「日系アメリカ車」の動向なのではないか。いま読めるのは、ここまでだ。
(1989/04/18)
○89年末単行本化の際に、書き手自身が付けた注釈
フォード・トーラス・ワゴンLX(89年~ )
◆アメリカは年間一千万台を買う大マーケットで、その巨大さで、これまで十分に三大メーカーを生存させてきた。つまり、輸出などを考えなくてもよかった。いま、日本車に浸食されたビッグ・スリーは、さまざまなかたちでの対日輸出の拡大をめざしているが、その先兵となりそうなのが「日系アメリカ車」だというのは皮肉な現実ではある。現時点での対日輸出ナンバーワンは、アコード・クーペという、ビッグスリーとは何の関連もないホンダ・オブ・アメリカの製品なのだ……。
○2015年のための注釈的メモ
90年代以降、日本市場は「米車」は買わなかったかもしれないが、しかし「米国的クルマ文化」は受け入れて、そして展開した。米国のクルマ用語である「ミニバン」と「SUV」という分類のための用語は、そのまま日本に入り、日本のその頃の現状に、その米国での用語を“被せた”ように思う。たとえば、90年代半ば以降の日本市場を激変させた「ワゴンR」は、軽自動車サイズの「ミニバン」だっただろうし、80年代の「RV」は、いつの間にか(あんまり検証もされずに)米語の「SUV」として“ひとくくり”にされるようになったのではないか。
ジャーナリズム上では、クルマ文化における「欧州 vs 米国」は、何故かいつもヨーロッパの圧勝なのだが、わが国の実際の市場では、そして多くのカスタマーは、アメリカ的なるものを(その後の「クロスオーバー」も含めて)アメリカ生まれとは意識せずに受容し、そして十分に活用している。それが90年代以降の、この国のクルマ状況であると思う。
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2015/01/08 14:57:13