
§日付けのある Car コラム
§『アクション・ジャーナル』selection
事実として新技術満載の新型車でありながら、そのまとめとしてのクルマでは、それを見せない。技術を露見させない。ニュー・スカイラインとはおそらくそのようなクルマであり、その意味で画期的なニューモデルだ。
実際、今回のスカイラインには、カーマガジンなら決して小さくない特集を組めるはずのアイテムと量の、新しいメカニズムが盛られており、十分にそれはニュースでもある。しかし、だからと言って、極端な技術志向車、あるいは一種の実験車であるかのように印象づけられることを、ぼくは恐れる。さらには、そういうハイ・メカニズムのみが商品性であるかのようにイメージが浸透していくことも懸念する。(つまり、よくある国産車として片づけられてしまうことを)
「技術」とは、これまでしばしば、それ自体が主張であり、時にはエクスキューズであった。こういう新しい技術が達成され、このたびめでたく、新作のニューカーに搭載することになった。ぜひ、賞味されたい。あるいは、こういう新技術導入の結果、現状ではここまでだが、でもそれは「新」である故をもって、了解と寛容をいただきたい……。
クルマと新技術の相関関係は、これまで、概ねこのようであったと総括できるのではないだろうか。人がハードに随(つ)いて行く。そして、そのような方向性と現実は、日本車批判の格好のネタでもあったと思う。ハイ・メカもコンピュータも何もない欧州車Aの方が、最新鋭の日本車よりずっと良いではないか……といった評がその例である。
技術に制圧されることを、われわれ日本人はむしろ好むのではないか? そのような分析はこの際措くとしても、ことクルマに関しては、先ほどの日本車批判の一例は、当たってる部分もあるだけにキツいところがあったものだ。
新スカイラインに乗ってみて、感ずること。それはクルマの走りと挙動に関する作り手のイメージの確かさである。こういう風に走りたい、クルマがこう動き、こう反応してくれると嬉しい。そのモチーフを実現するために、(日本車得意の)ハイ・テクノロジーのうち、使えるもの、役目を果たすものは採り入れてみよう。このような姿勢が鮮やかであり、「人」と「技術」の関わりに新しい展開をもたらしたと評価したい。
たとえば、サスペンションである。四つのタイヤを、常に地面に対して垂直に近いままでキープし続けることはできないか。このような「接地」の要求がまずあり、結果として、全輪マルチリンクという新メカとなった。あるいは、ニッサンの四輪操舵方式であるハイキャスは、よく曲がってくれること(FRらしく!)以外の、不自然さにつながる余計な感覚をドライバーに体感させないよう、新しいスーパー・ハイキャスとして、ここに出現した。いわば、「技術」を「人」に奉仕させているのだ。
……というような評言というのは、これは単にレトリックだろうか。いや、やはり、そうは思わない。ハンドリングの良否というのは、技術では計れない、数値化できないものの代表だが、これは実に快にしてナチュラルというフィーリングを達成している。走りをチューニングしてまとめ上げることのできる、優れたテスト・スタッフの存在を確信せざるを得ず、そのようなスタッフによってのみ、たとえばスーパーハイキャスの仕上げも可能だったと思われるからだ。
新スカイラインは、よく走り、よく曲がる。速さもさることながら、クルマを動かすことが愉しく、そのクルマの動きがまた、乗り手に歓びを返す。そういう循環をするクルマだ。新技術は隠れたままで、その循環を静かに増幅する役目を果たしている。速いから凄いのではない、そういうクルマとの「交感」がおもしろいのだ。
スカイラインに試乗する前日、ぼくは半日間を、たまたまメルセデスの190Eと過ごした。ハンドリングの軽快さと確実さは大いに魅力的だったが、いかんせん非力であり遅かった。シャシーはエンジンより速く……というのはいいが、この場合、その差があり過ぎた。そんなことを言うなら、2・5リッターの16バルブ搭載モデルがあるというのがメルセデスの立場なのだろうが、このスポーティ190はご承知の通りに信じがたく高価である。
スカイライン体験を経たいま、速いエンジンを積んだ“190並み”(ハンドリング)のクルマは、この世にあるんだというのが、今日の試乗での発見だ。そして、「技術的」なのではなくて「人間的」なのだというのが、スカイラインへの評価である。またひとつ、嬉しいモデルが出現したね! これが8代目の同車に贈る讃辞だ。
(1989/06/20)
○89年末単行本化の際に、書き手自身が付けた注釈
スカイライン(89年5月~ )
◆“噂のGT-R”は、基本的にFRでありながら、必要に応じて前輪にもパワーを伝え、クルマを前からも引っ張って安定させて速く走ろうという意図の四輪駆動車である。そういうチューンもあって、確かにこのクルマは速いのだが、その速さの質は、敢えて言えば「鈍い」。いわば、ナタの速さ。走りや挙動における鋭さ、快い緊張感、このようなものをスカイラインに求めるなら、GT-Rである必要はないと筆者は信ずる。競走したら、それはGT-Rの勝ちかも知れないが、スポーツカーとしてなら、瞬間ごとの歓びとカミソリのシャープさを採りたい。
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80年代こんなコラムを | 日記
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2015/01/25 13:38:18