
「シーマ現象」として一般マスコミを騒がせるまでのヒットになったのは、まだ記憶に新しいところ。これが「Uカー」になって安くなったら、きっとシャコタン方面へのモディファイが流行るだろうなとデビュー当時に思っていたが、果たして昨今、その通りになっているようだ。
伝統の高級車であるクラウン、セドリックよりもさらに「上」のポジションとして、しかし同時期に出たレクサスやインフィニティのように「国際性」の方向へは振らない。この絶妙なマーケティング戦略が“バブリー”だった世間の風潮ともシンクロ。単なる高級車じゃもういやだという人々、あるいは、カネはあるけど輸入車は買いたくないというおカネモチたちの差別化願望を刺激した。
もちろん性能的にも十分以上のものがあり、投資に見合うだけのパフォーマンス──とりわけ、信号で止まった後のスタートダッシュや高速道路のストレートでの性能は、目を見張るものがあった。
スタイリングも日本人の好みをしっかり知って、直線と水平で構成されていた。そして細部では、“逆反りレンズ”のテールランプといった細かい芸があった。ことスタイリングにおいては、以後のシーマが、この初代の衝撃を超えることはなかった。
(「カーセンサー」誌、1995年。「昭和名車伝」より加筆)
○タイトルフォトは「月刊自家用車とニッポンのクルマ50年史」内外出版社刊より複写しました。
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クルマ史探索file | 日記
Posted at
2015/05/11 21:51:21